39,『闘将』は冗談…のつもり
これからに備えてある程度の数を揃えようとなった中、私は二色で迷っていた。エレンさん達はそれぞれに意見をくれるけれど、それまでよりもすんなりと決まりそうにない。
だから、エレンさんとデニシャさんの言葉で、ランサに決めてもらおうって事になったんだけど……。
それを、私が託された。
聞くの? ランサに?
どっちがいいかって。わざわざ。
ランサは何かヴァンと話をしているみたい。ずっと待っていてくれている。
それが少し申し訳なくて。聞いていいのかなって少し迷う。
うじうじしてると、エレンさんに背を押されてランサの元へ向かう事になった。
「ラ…ランサ…あの…」
「ん? どうしたリーレイ」
いつもと変わらない目が私を見る。エレンさんに背後に回られていて逃げる事はできない。
待っているだけになっているのに、ランサは苛立ちも退屈さも一切見せず、私に視線を向けて首を傾げる。
ここまで来たら腹を括るのみ! よし。
意を決して私は持っていた二つの生地を見せた。
「二色で迷ってて。どっちがいいかな?」
見せているのは、鮮やかな青色と、若い萌木色の生地。どちらもとても質の良い物で、触り心地もとても良い。
ランサは私が見せた二色を交互に見て考える顔をした。そしてちらりと私を見た。
真剣に考えてくれているようで、店の皆の視線も感じる。少しだけ落ち着かない…。
「どちらも似合うと思うが…どちらかにするなら、俺はこちらの青色がいいな。鮮やかで澄んだ色はリーレイにきっとよく似合う」
「っ…ありがとうっ…」
するりと髪に触れられ、余計に鼓動が跳ねた。落ち着け…。
選んでくれたランサは、そのまま私についてデニシャさん達の元へ来てくれる。皆さんずっとほわほわと見守ってくれていて、嬉しいけれど恥ずかしい…。
ランサが選んでくれた青色に決め、デニシャさんも頷いた。
「では他と合わせてこちらもお作りしましょう」
「意匠は凝らせても盛らないでくれ。落ち着きと品を出して…後、肌はなるべく出さないように」
「はい。承知しました」
「宝飾の類も同様にしよう。あくまでリーレイという花を引きたたせ邪魔をしない物がいいな。リーレイはどう思う? リーレイ?」
「ランサ様。お嬢がついてけてません」
ランサの口からスラスラ出てくる要望で大丈夫です…! それでいいです!
私はもうランサの隣でブンブンと頷いている事しかできなかった。そんな私の隣でランサはクスリと笑っていた。
それからは採寸等を済ませてデニシャさんに後をお願いし、また町を見て回った。
その中でもランサはよく声をかけられていた。その誰にもランサは必ず足を止めて声を返す。そんな些細な姿も私はなんだかずっと見ていたいような気持ちにさせられた。
ランサはこうやって、町の人達を大切にしているんだな…。私も見習わないと。
その姿を見る度、私も頑張ろうって思う事ができた。
♦*♦*
穏やかな日々が過ぎる。国境でも特に問題は起こらなくて、私もランサも勉強や仕事とそれぞれにやるべき事をして過ごしていた。
ランサはいつもまっすぐな言葉をくれる。私はまだ恥ずかしくて上手く返す事ができない。恥ずかしいけれど、少しずつ嬉しいという気持ちも強くなってるって自分でも分かる。
ホルクさんのお店から最近になって少しずつドレスが届く。一気に全てではなく、出来上がった物から順々に届けてくれている。
その度に、メイド達が「とってもお似合いになりますよ!」とか「意匠はランサ様のご要望ですよね! さすが分かっていらっしゃる!」とかって賑わって、最後にはシスに怒られている。
そんな皆も微笑ましい。私もドレスを着る日が少しだけ楽しみだ。
そんな日々を過ごす中、夕食の後私はランサに呼ばれ執務室に向かった。
扉をノックすれば中から「入ってくれ」って声がかかる。扉を開けて入れば、何か資料を見ていたランサの目が私を見た。
「座ってくれ」
ランサの執務室に入ることは滅多にない。ランサは夜にこの部屋で仕事をするから、私も邪魔にならないようにと思って入らない。昼間でも滅多に入る用事はない。
だから、こうして執務室で仕事をするランサの姿も必然、見ることはない。
今、普段とは違う光景が見えている。
ランサはこういうふうに仕事をしてるんだ…。
そう思って、私の隣に来てくれるランサを見つめた。
「こんな時間に悪いな。どうしたリーレイ? 見惚れていてくれたのか?」
さらっと笑みをのせて言われると少し心臓が煩くなる。
でも、ここで何も言えないといつもの私と同じだ。ちゃんと言わないと。ちゃんと返さないと。
「…普段は、見ないなって思って」
そうなんだけどそうじゃなくて! 自分の中で自分を叱る。
そんな私の胸中なんて知らないランサは「そうだな」って私の隣で笑った。
自分の情けなさに意気消沈していると、すぐ近くでソファが沈んだ事に気付いてハッと視線を向けた。
密着しそうなくらいすぐ傍に、ランサの顔があった。
近いっ…! 近すぎる!
談話室で話をする時には、間には繋いだ手を置けるくらい余裕をもって座ってくれる。
なのに今、その手が置けない。普段より近い距離に私の心臓が一気に跳ね上がる。
思わず顔を逸らした。
駄目だ。ランサが見られない。…情けない。
こんなんじゃ、いつかランサに呆れられる。
ふとよぎった想いに、胸がツキリと痛んだ。
でもそれを消して、ランサを改めてゆっくりと見返した。…それでもやっぱり、心臓が煩い。
「何か用だったの?」
「あぁ。実は、陛下から、社交期の初めに王宮で開く夜会の招待状を貰ったんだ」
そう言うと、ランサは持っていた一通の手紙を見せてくれた。
それには王家の紋が入っている。間違いなく王家からのもの。
陛下からの夜会の招待状。…そうと分かれば持つ手も震える。
私は当然、陛下にお会いした事なんてない。
毎年、年の初めに王家の方々が姿を見せる参賀はあるけれど、遠目から少しだけ姿を見た事があるだけだから。
「…陛下から…王家の夜会ってどんな…」
「リーレイ。そんなに身構えなくていい。陛下は気の良い御方だ」
「話した事あるの?」
聞いてから、そんなのあるだろうと思い直した。
ランサは国を守る辺境伯。陛下も信頼を置く逸材。戦の後には社交は控えられたとはいえ、それ以前ならランサだって王家の夜会なんて出ただろうし。
ランサは私を見て、ゆっくり頷いた。
呆れるでもない様子は、本当に心が広い…。
「ある。俺は幼い頃から、父上が王都へ行く時に同行して、陛下とは次期辺境伯として交流を持つようにしていたんだ」
「子供の頃から…」
「あぁ。だからローレン殿下ともその頃に会っている。…かなり振り回されたけどな」
そう言うランサは困ったような、でも決して嫌そうな様子は見せない笑みを浮かべた。
それを見ると、ランサにとってもローレン殿下は、身分の違いはあれど確かに友といえる相手なのだろうと思う。
ローレン殿下も、ランサを友だと言った。
きっと、仲の良い友人なんだろうな…。王家の夜会でもそんな二人が見えるのかな? それは少し楽しみ。
「陛下も殿下も、他者の言葉によく耳を傾けて下さる方だ。遠慮はしなくていい」
「…うん」
それでも、これまで言葉を交わすなんて思っていなかった方々だから、おかしな話し方にならないように気を付けないと。
なにせ、ローレン殿下には過去に遠慮なく言って不敬を働いてしまっている。…心の広い御方で安心だったけど、同じ事はできない。
今以上に、振る舞いには気を付けないと。
よし。シスにもみっちり見直してもらおう。
「それじゃあ、この夜会は参加するの?」
「そのつもりだ。緊急事態が起こらなければな。俺も社交の場は六年振りだ。そろそろ一度くらいは顔を出しておかなければならない」
私も陛下の手紙を読んでみる。確かに「緊急事態が起こらなければ」と書かれている。
ランサは国境の番人であるけれど、貴族でもある。国境警備以外にも為さねばならない事が山積み。
カランサ国は五年前の戦以降国境を越えて来た事は無い。それでもランサは常に警戒している。野盗だって常に落ち着いてるわけじゃない。
ツェシャ領と王都は離れている。馬で急いでも半月はかかる。ランサは長く領地を空けたくないだろうなとは、私にも解る。
他の領地の貴族ならばなんとか断れても、社交の始まりにもなる王家の夜会は流石に断りづらい。固く信頼し合っている両家だけど、王家の招待を断る事は周囲にはいらぬ誤解を与えかねない。
「…ここ五年は社交も控えられていたよね? 王家からは何も?」
「なかった。陛下も承知されているから、無理と分かっていて招待状は送って来ない。それに、俺が王家の誘いを断ると、緊急時ならばいざ知らず、そうでないならいらぬ不安を国に与えかねない。周囲の目も、あまりよくないな」
「他貴族は?」
「同じく。送って来ていれば、父上に「事態の理解が出来ん愚か者の招待など受けるか!」と、怒鳴り返されているだろうな」
…ランサの父君はそういう方なんだ。
思わず扉の傍に控えるヴァンを見ると「言いますねー」って、どこか遠い目をして同意が返ってきた。ごめん。思い出させて。
私は視線をヴァンから手紙へ戻した。
陛下にとっては、やっと招待状を送れる五年後。でもランサにとっては、まだ五年。砦で役目をこなすランサを見る度そう思う。
「分かった。それじゃあ私も準備するね」
「一緒に行くか?」
「うん? 陛下の手紙には是非って書いてあるけど…?」
手紙には「是非婚約者も」って書いてある。
陛下は、ローレン殿下から私がランサの元へ来ている事は知らされているんだと思う。もしかしたら、手続きの中で誰かが陛下の耳に入れたのかもしれない。
…駄目なの?
そう思ってランサを見るけど、どうしてかランサは少し楽しそうな笑みを浮かべている。
「リーレイ」
「うん…」
「社交の場に出る、という事はつまり、俺の婚約者として披露目をするという事でもある。それがリーレイの意思だと。そう思っていいのか?」
ドキリと心臓がまた高鳴った。
私はまだランサの婚約者として人々の前に出ていない。すでに屋敷に来ている事実はあるけれど、それを他の方々は知らない。
夜会に参加するという事は、ランサの婚約者として紹介され、それが認知されるという事。
その笑みを、嬉しそうなものにかえるランサ。…その笑顔は狡い。
でも――
「うんっ…! 私はランサの…婚約者だから。傍に居たい…から…」
私の顔がランサにどう映っているのか分からない。ランサの事をまっすぐ見られない。
隣に居たい。傍に居たい。
その気持ちはここへ来た頃よりもずっと、大きくなっている。
意思も覚悟もなかった頃にはなかった想いに、私は思わず拳をつくる。
と、ぐいっと体が引き寄せられた。肩に手を回され、向き合い抱きしめるように強く包まれる。
そのぬくもりに驚いて、すぐ傍にある黒い髪にハッとして、無意識に体が強張った。
「ランサ…っ」
「…すまない。嬉しくて」
謝っているのに力は強くなる。だから私の全身まで熱くなる。
離れようと思っても動けない。離れる事を許してくれない。
包まれた肩口から見ればいつの間にかヴァンの姿がない。逃げられた…!?
これじゃ本当に二人きりだ。途端に頬まで熱くなって仕方ない。
「ランサ…!」
「嬉しいんだ、リーレイ。本当に」
溢れるような想いを、その声音が伝えてくれる。
私はいつも何も伝えられなくて。だけど、ランサはそんな事気にしてないというように、変わらぬ調子で続ける。
「リーレイからそう言ってくれて嬉しい。リーレイがいつも笑って、恥ずかしがって。そういう姿を見せてくれる事も全て、俺を満たしてくれるんだ。好きだリーレイ。愛してる」
「っ…! あっ、ありがと…」
「これでやっと、余す事無く遠慮なく全て伝えられる」
今でも随分伝えられているけれど!?
思わぬ言葉に目を剥いてしまって、思わずランサを引き離した。
「あ、あのねランサ! 今でも十分伝わってるから。むしろ私が全然言えなくて…だからその…」
「問題ない」
「あると思う! だってこれじゃランサに貰ってばかりで…!」
「だから、リーレイの言葉には価値があるんだ。俺はそれを大切にしたい」
スッとランサの指が私の唇に触れる。それ以上は言わなくていいというような指に、私も口を閉ざした。
ランサはそれを見て満足そうに口端を上げる。
ランサ。私の言葉には本当に、ランサがそう言ってくれるだけの価値があるの?
私の、ただの情けない意思じゃない?
私もちゃんと、伝えたいって思って…。
「それならリーレイ」
「なに…?」
「言えない代わりに、口付けてくれてもいいんだが?」
……え。
ポカンとしてランサを見るけれど、笑みを浮かべたまま。
…冗談…だよね? え、違うの? どっち? 分からない誰か教えて…。
ランサの表情はまるで悪戯めいた少年みたい。それにどう返せばいいのか。何が正解なのか分からない。
だけど。ランサがそうして欲しいなら応えたい。
普段から言えないことばかりで。伝えられなくて。でも、そんな私にもランサは変わらず想いを伝え続けてくれる。
嬉しいよ。すごく。
だから私もって思って。
私はいつだって――
「冗談が過ぎたな。すまな――…」
片手をランサの頬に。添えていない方の頬にそっと唇を寄せた。ちゅっと小さな音が鳴って、だけどそれ以上に私の心臓がバクバクと音を立てている。
ほんの一瞬のような。長いような時間。急にシン…と静かになった執務室に、音は一切ない。
私は、吐息が触れる距離から、ゆっくりと離れる。
そうして恐る恐る見ると、ランサの見た事がないような驚いた顔があって。
ゆっくりその目が私を見て。次には口元を抑えて視線を逸らす。その頬が少し赤いように見えた。
でも、私なんてもっと真っ赤だと思う。
ランサは何も言わなくて。私もこれ以上ランサを見られなくて。
「……これは反則だ」
ぼそりとランサは何か呟いた。何を言ったのか聞き返そうとすると、ぎゅっと私を強く抱きしめた。
二度目は一度目とは全く違って恥ずかしい。でも、嫌だと一切思わなくて。ランサの吐息がくすぐったくて。離さないと訴えるような強さに眩暈がしそうだった。
やがて、ランサはクスリと困ったような息をこぼした。
「…このままだと、本当にリーレイを襲ってしまいそうだな」
「っ…!?」
「だから、もうおやすみ。思わぬ贈り物をありがとう。リーレイ」
「っ…! う…うん…おやすみ…」
お返しのようにちゅっと額に口付けをもらい、私は執務室を後にした。大丈夫。歩けてる。手と足が同じ側同士出てるけど、大丈夫。歩けてる。
扉を開ければヴァンがいて、気の抜けた他人な顔をして待っていた。
「あ、もういいんですか?… えーっとお嬢、とりあえず…生きてます?」
「……なんとか生きてる」
「……お疲れ様です」
「…ありがとう」
…なんだろう。高揚なのか疲労なのか、もう分からない。
とりあえず私は、ヴァンに付き添われてトボトボと自室に戻り、そそくさとベッドにもぐりこんだ。
全然寝れないけど!




