38,物欲や感覚は人それぞれです
すぐに私の元までやって来たランサは、自然な動作で私を引き寄せる。
近くなる距離が、皆さんの前であることも加えて羞恥を煽る。
「俺の婚約者、リーレイだ。この地の事を学び、俺と共に支えて守り、尽力してくれている」
「まぁまぁ、おめでとう領主様」
「こんにちは、リーレイ様」
今度は私まで囲まれた。
口々に「おめでとう」「どこから来たの?」「大変じゃない?」とかけられる言葉に一つずつ答える。元々、王都でも近所や市場の皆とよく話をしていたから、いきなりで驚いても怯むことはない。
言葉を交わして。笑って。祝いと歓迎の言葉で包んでくれて、とても嬉しかった。
その場を後にしても、度々町の方に声をかけられ足が止まった。
時には町の警吏に。時には店で仕事中の人に。時には賑やかな子供達に。声をかけられ足が止まり、また歩き出す度ランサは「すまない」って謝る。でも…。
「ランサと町の皆との事を知れて、私は嬉しいよ。これだけでも町に来た価値があるもの」
「…そうか。ありがとう。俺もリーレイが皆と上手くやっていけそうで嬉しい」
互いの事は、まだまだきっと知らない事がある。そういう事も、これからもこういう風に知っていけるといい。
そうして歩いていき、目的である衣装店にやって来た。
落ち着いた外観のお店。扉もその通りで、カランッと音をたてて開けた。
店内はゆったりとした落ち着く色合いで、女性店員が多くいるように思えた。
形の仕上がっているドレスから、日常的に着れそうな服まで幅広い。それに宝飾品や広げられた布地もある。
思わずくるりと見ていると、一人の男性が私達を見て駆け寄って来た。
「ランサ様。ようこそおいで下さいました」
その男性は私達に丁寧に頭を下げる。
ランサも通い慣れた店なのかなと思ってちらりと隣を見ると、ランサは男性を見て微笑んだ。
「久しぶりだな。ホルク」
「お久しぶりでございます。ほほっ。店においで下さるのはさて何年振りでしょう」
「俺も忘れた」
親子程歳の離れている領主と店主だけど、その空気は親し気だ。ランサも気心知れた相手のような口調。
挨拶を交わす二人を見ていると、ホルクさんが私を見て微笑んだ。
「こちらの女性が噂の御婚約者様でしょうか?」
「噂!?」
「あぁ。リーレイだ。彼女に社交用のドレスを仕立てて欲しい」
「承知いたしました」
いやランサさらっと流さないで! 噂って何!
もう店の中にいる人にまで伝わってるの?
話の広がりが早すぎる事に慄いていると、ホルクさんは同じ年頃の女性を呼んだ。
「リーレイ。彼女はホルクの妻でデニシャだ。ドレスについて見てもらうといい」
「私でよろしければご提案させてくださいな」
「お願いします」
デニシャさんは少しふっくらとした体形で、さすが衣装店の方であると感じるくらい自然と質の良い服を着こなしている。さりげない装飾も多分店の宣言の一種。
こういう事はアンさんに教わったり、見ていて知ったことだけど。
デニシャさんはさりげない視線で私を見ると、うんっと笑顔でひとつ頷いた。
「では、こちらへどうぞ。ランサ様はお待ちになられますか?」
「そうさせてもらおう。エレン」
「はい」
エレンさんがランサの意図を察し、私と共に店の奥へと来てくれた。
デニシャさんはすぐに、社交会用にと不足ない生地やドレスを沢山出してくれた。
…これ、どれもそれなりにお値段がするものじゃないの…?
見せてくれた物を見て、王都でアンさんに色々見せてもらったりした記憶が掘り起こされた。良い品を見て教えてもらったから、今もなんとなく分かる。
それに…なんだか、叔父様と父様がドレスを用意してくれた時の事を思い出す。あの時もどれも質の良い…良すぎる物ばかりだった。
いくら社交でこれから必要になるとは言っても、あまり値段の張る物は流石に気が引ける。お金はあくまでランサが出してくれるんだし、数だってそれなりに作らないといけないんだから。
安すぎる物でもいけないのは分かる。だから、安すぎることなくかといって値段が張らない物。
足を引きそうになるけど、腹を括ってデニシャさんの言葉を聞きながら選び始めた。
♦*♦*
リーレイの傍にはエレン、デニシャを始め数名の女性達がいる。あれこれと話し合っているのを俺はヴァンと共に離れて見ていた。
生憎と俺は女性のドレスは分からない。こればかりは分かる者に任せるしかない。
「あー、お嬢が押されてんな」
ヴァンの言葉に思わず笑った。俺達の視線の先では、これはどうだあれはどうだと言われるリーレイの頭が忙しなく動いている。
リーレイのドレスを選ぶはずが、リーレイが置いて行かれてしまいそうだ。
「…リーレイはあまり服はねだりそうにないな」
「ないですね。王都でも男装ばっかでしたし。その理由が動きやすいからですよ」
またヴァンの言葉に笑いがこぼれた。だが確かに、リーレイならそう言うだろうと思えてしまう。
ドレスだろうが宝飾だろうが、好きにしてくれて良かった。浪費されるのは困るが、リーレイの普段着や男装、宝飾の類を一切つけない様子からその心配はすぐに消えた。
ツェシャ領は財政に困ってはいない。喜ぶべきか困るべきか…クンツェ辺境伯家当主である俺も父上も、貴族としてより武人としている時間が長いからなのか、さして物欲がなかった。そしてそれは、父上が選んだ母上もそうだった。
母上は普段は控えめなドレスを着て、着飾る事もしない穏やかな人だった。そういう点でも我が領の財政は助けられ、多くを領民に還元する事ができていた。我が領では、金は辺境伯家が行う事業で落とすのがほとんどだった。
そんな両親の金銭感覚は、隠居地を決める時にも発揮された。
『隠居地? んなもん町で空いてる家で良いだろ』
当然のように言った父上には母上も頷いていた。
俺としては慣れた父上の性格だったが、頭の片隅では他領ではこうならないのだろうなとも思っていた。
だから俺は、その場で二人の隠居地を決めた。
『では、王都にある屋敷にしましょう。あまり使いませんし、建物は人が住まないと痛みます。行く度に修繕しては予算もかさみますから住んでください』
『王都だ!? ツェシャ領離れろってか!』
『父上。隠居なさるならもう平穏な場にいて下さい。ツェシャ領は俺が守ります』
一石二鳥で決めた隠居地だったが、最初は渋っていた父上も頷いてくれた。父上には父上なりの隠居理由があった。だからこそ俺は王都を提案したというのもある。
それに、長く父上と母上に仕えてくれていた屋敷の者達も数名同行すると言ってくれた。彼らは今も王都で父上と母上の傍にいてくれている。
本当ならこの時、シスも共に行くと思ったんだが彼女は残ってくれた。今も感謝している。
もっとも王都に決めた所為で、父上は騎士団の指導役を担う事になったんだがな。
若い頃から武功を重ね、五年前の戦も『将軍』として軍を率い、勝利へと導いた『益荒』が隠居してしかも王都にいる。これを陛下が…というよりも、元帥や騎士団が放っておくはずがなかった。
「ヴァン。お前にとってあまりよくない話をするが」
「……何です?」
「お前は父上をどう見た?」
げんなりとした顔をするな。それほどに悪夢か。
その反応には同情したくもなる。余程追いかけられたんだな…。
だが、父上がヴァンを追いかけ騎士団に引き入れようとしたのも解る。俺も同じだ。
結局父上はどこまでいっても武人だな。そう思うと内心肩を竦める。
「そうですね…。初めて会った時は…勝てねぇなって印象でしたね。それからは関わりたくない人に瞬時に切り替わりましたけど」
遠慮ない言葉は気持ちが良い。クツクツと喉が震えた。
これでは王都に行った時に苦労しそうだ。ヴァンは城にも社交の場にも連れて行かない方がいいかもしれないが、リーレイの護衛だからな。そういうわけにはいかない。
「慣れろヴァン。これからも長い付き合いだ」
「……どうにかなりません?」
「ならん。おそらく父上はリーレイを気に入るぞ」
そうなれば、リーレイもおそらく武人として父上と積極的に関わるだろう。そこに護衛官がいなくてどうする。
父上がリーレイを害する事などないが、役目は役目だろう?
げんなりとしたかと思えばガクリと肩を落とすヴァン。ぶつぶつと何かを言うヴァンに、俺は話を変える事にした。
「気を取り直して、リーレイの父君の事を教えてくれ」
「旦那様ですか? そうですね。…穏やかな方ですよ。怒らないし。お嬢が馬やる剣やるって時も何も言いませんでしたし。仕事面に関しては詳しくないですけど、公爵家長男ですから、能力はあると思います」
「それを聞くと、リーレイの行動力は母親似か…」
「どうでしょ。俺は奥様知りませんけど。でもそんな話は聞いたことないですね。どっちかっていうと旦那様と似た人だと思います。行動というか…まぁ旦那様、ティウィル公爵家の人ですから」
それもあるかもしれないな…。
能力を持ち、幼い頃に身につけたティウィル公爵家としての振る舞いもあるだろう。案外隠しているのかもしれない。
「お嬢があぁ育ったのは多分、奥様が亡くなって悲しんでる旦那様やリラン様を見て、しっかりしないとってところもあったのかもしれません。旦那様に聞いても、悲しいだろうに笑ってたって話なんで」
「そうか…」
「だからお嬢。自分の中で勝手に考え深めてくんですよ。ガス抜きさせるのが大変です。頼みますランサ様」
「あぁ。当然だ」
己の悲しみを、リーレイはずっと見せてはいけないとしていたのかもしれない。家族の為に。
そんな事はもう、しなくていい。
俺の前ではいくらでも「悲しい」と言っても、泣いてもいい。リーレイがそんな顔をするなら涙を拭い、それからはリーレイの笑顔を引き出そう。
無理だけはしてほしくない。自分だけで抱えないでほしい。
この想いもきちんとリーレイに伝えることにしよう。
「だがヴァン。今後もリーレイの護衛は任せるぞ。お前ほどの奴はそういないからな」
「…そりゃ勿論ですけど。首は切らないでください」
「なぜそうなる」
お前はいつまで俺がそうすると思っているんだ。お前くらいだ。俺に向かってそんな事を言うのは。
冗談か本気か分からない目に思わずため息を吐く。
リーレイの事を知り、ヴァンの事も知ってきたが、時折この男は分かりづらい。
ヴァンからリーレイに視線を戻す。
慣れないのかまだ少々押されながら選んでいる。が、時折自分の意見も告げているようだ。
「…リーレイに貴族社会の装飾についても教えなければな」
「貴族らしくって、お嬢には縁がないですからねー。王都でもリラン様と一緒に「可愛いね」って言うだけで買わなかったし」
「リーレイの妹か?」
「あれ。言ってませんでしたっけ?」
度々出ていたかもしれないが…そういえば、父と叔父の話ばかりで兄弟姉妹の話はしていなかったな。
俺も今になって思い至る。
「妹にリラン様がいます。お嬢よりはずっと控えめで大人しい方ですよ。冬には風邪を引きやすいところがありますけど」
活動的なリーレイと、控えめなリラン嬢か。会ってみるのが楽しみだ。
「いやー。お嬢がランサ様んトコに嫁入りしたら、御当主が今度はリラン様の相手探しに血眼になりそうで…」
「…余程可愛がっているんだな」
最早冷や汗しか出ないが…。今度の社交の場で会うが、すでにかつてよりも印象が異なってしまった。
砦での役目とはまた違う緊張が、社交の場にはある。そちらは俺は少々苦手だ。
身内の前での姿と、公の場での姿。ティウィル公爵の両面を知ったが、それでもあの人物は厄介で食えない相手だ。
「公爵はリーレイにドレスは与えなかったのか?」
「いえ。ツェシャ領来る時にあげてるはずです。でもお嬢が最小限の荷物にしたんで、普段着合わせて数着だったんじゃないですかね。王都に居た頃は服よりも、菓子とか食料とか領地の特産品とか」
「そうか…。だがそれなら、いくらでも買ってくれていいんだが。まさかあんなねだられ方をするとは思わなかった」
思い出しても頬が緩む。
あんな姿は俺の二つ年下とは思えない可愛らしさだ。
「お嬢が誰かに向かって「買ってほしい」なんて、俺が知る限り初めてですよ。精々剣術と馬教えてってくらいで。ランサ様相手が初めてです」
「そうか…。俺が…」
それを聞くと気分も良くなる。例えそれが必要な物であるとしても、リーレイは初めてのその言葉を俺に言ってくれたのだ。
俺に遠慮せず、誰かを介するでもなく。言ってくれた。それが何より嬉しい。
「今後は俺からも贈ろうと思うが、それなら毎回ねだられるのも悪くないな」
「いや。お嬢は必要外言わないと思いますよ」
「それは残念だ。やはり俺が贈ろう。百でも二百でも」
「それお嬢が目を剥くやつ」
♦*♦*




