35,家族は安堵し、叔父は泣きます
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『父様。リラン。お元気ですか?
ツェシャ領は穏やかな風が吹き、とても心地よい場所です。そんな場所で私もヴァンも元気にしています。
ヴァンは外に出る度に昼寝でもしそうな欠伸をしています。
ツェシャ領に来たばかりの頃は不安もありましたが、今は不安なく過ごしています。
辺境伯家に仕える皆も優しくて、今は時折お茶をしたりしています。ツェシャ領の事も色々教えてくれて、私は話をするのが楽しいです。
皆はそれぞれ仕事に誇りを持ち、辺境伯様にも誠心誠意お仕えしていて、そんな姿に私も奮起させられます。皆の女主人としても頑張ります。
国境を守る辺境騎士団の皆さんにもお会いしました。
皆さん役目に誇りを持ち、緊張と覚悟を持ってお勤めをしてくれています。私にも国境沿いの事や厳しい現実も教えてくれる、頼もしくありがたい騎士達です。それに皆さんとても優しくて、初対面から親しくお喋りしてくれました。
でも、私がそうしているとヴァンは鍛錬に誘われて、時々逃げようとしています。皆さんと笑ってしまう見慣れた光景になりつつあります。でも、あんまり本気では嫌がってないようにも見えます。ヴァンも皆さんと仲良しです。
それに少し前に、ヴァンも辺境騎士団の鍛錬に参加して、辺境伯様と試合をしました。
辺境騎士団の皆さんと息を呑んで見守りました。緊迫して真剣な試合でした。ヴァンはいつもと全く違う真剣な目をしていて、手合わせとはいえヴァンの本気を始めて見ました。
辺境伯様も惜しみない実力を発揮されていて、ヴァンは負けてしまいましたが、「またやろう」と言われて「嫌」だとは言わなかったので、悔しかったみたいです。
そして、辺境伯ランサ・クンツェ様は、若くも、将軍としても人としても、素晴らしい方です。
直属隊からも国境警備隊からも信頼厚く、堂々と過不足ない振る舞いをされ、しかと彼らをまとめておられます。国境を守る重要な役目を担っていても、決してそれに臆する事は無く、役目に誇りと信念を持っていると感じます。
広い視野をお持ちで、私が乗馬や剣術をする事を話しても、それを認め、私の話にも耳を傾けて下さいました。心の広く理解ある御方で、私は今も乗馬も剣術もさせていただけています。
辺境伯様は直属隊から鍛錬相手もつけて下さって、砦にいる時にはその方々とも鍛錬させていただいています。
御多忙な日々の中で休日は少ないですが、そんな日は「遠乗りに行こう」と誘って下さって、ツェシャ領を見て回ります。その中でも様々な事を教えてくれます。
その中で、カランサ国の国境沿いで色とりどりの鉱石が採れる事や、国境沿いには男手がなく、病の人もいる事を知りました。胸が痛みます。
このような考えではいけないとは解っています。私も国境を預かる方の傍に居る者として、もっとしっかりとなれるよう頑張ります。
父様。リラン。心配しないでください。
私は良い御方と巡り合えたと思っています。殿下には感謝いたします。
婚約者として行くのだと、自覚も意識も未熟だった私は、辺境伯様の事を知りたいと思っても、想いを通わせるなんて想像もしていませんでした。
でも今、辺境伯様のお傍にいたいと思っています。私に出来る事があるなら、お支えしたいと。力になりたいと思っています。
父様。リラン。体に気をつけて。
またいつか、辺境伯様と一緒に二人に会いに行ける日を楽しみにしています。
リーレイより』
届いた手紙を読み、私はリランと共に笑みを浮かべた。
力強くも美しい筆跡は、リラン同様大事な娘のもの。
その手紙の内容に嬉しさや安堵を抱いていると、隣でリランがもう一つの封筒を開けた。それはリーレイと共に行ったヴァンのものだ。
取り出した手紙を、リランは私と共に覗き込む。
『旦那様。リラン様。お久しぶりです。元気にしてます?
俺は昼寝も出来て元気ですが、お嬢が動き回ってるんで、王都にいた頃よりも引き摺り回されてます。
諸々は多分お嬢が手紙に書いてると思うんで省きます。
お嬢と辺境伯ランサ様の事ですが、なんの心配もいりません。
お嬢の風変わりは、ランサ様にとっては驚いてもその程度で、好感しかないです。ってかランサ様がド直球で愛情伝えるんで、お嬢が毎度面白い反応してるくらいです。
慣れないとと思ってるんでしょうけど、今のところは難しそうですね。見てる分には面白いですけど。
お嬢もランサ様には好意を持ってます。
ただ、ランサ様はご立派な方なんで自分もしっかりしないとって時々気を張ってます。そういう時のガス抜きはさせるんでご心配なく。
そんな感じなんで、今度王都で会ったらびっくりするかもしれませんが安心してください。
んじゃま、お二人とも体には気を付けて。
ヴァンより』
さらさらっと書かれた言葉は、まるで傍に居るヴァンが喋っているようにすら感じる。
思わずクスリと笑みがこぼれてしまったけど、それはリランも同じだったみたいだ。
「お姉様もヴァンもお元気そうですね」
「そうだね。リーレイも辺境伯様と良好な関係のようだ。良かった」
「はい。辺境伯様はとても素晴らしい方なのですね。…あ、お義兄様とお呼びした方がいいのでしょうか?」
少し真剣に悩んでいるリランに思わずクスリと笑みがこぼれた。
私はそれでいいと思うけれど、リーレイは驚きそうかな。
王都にいる時は、剣術や仕事と走り回っていたリーレイ。いきなり婚約者が決まって、ヴァンが一緒とはいえ行く事になって。それも全く知らない土地。
私も不安だった。心配だった。
殿下は「大丈夫だ」と仰って下さったけど、リーレイの行動に辺境伯様が怒る可能性もあった。
もしも、リーレイが無情な目に遭うようなことがあればなんとしても助けるようにと、ヴァンには伝えてあったけれど…。
それに、それとは別に、リーレイを辺境伯様の元へ嫁がせる事には、私は賛成は出来なかった。
五年前の戦があった土地。だけどリーレイは選んだ。あの子が自分で選んだ。
なら、私は見守るだけだ。
今もリーレイは元気に過ごしている。その便りが読めてとても安心もしたし、とても嬉しく思う。
あの子はずっと頑張っていたから。私やリランの為に。
胸の中がとても落ち着いて、私は手紙を封筒に戻した。そして目の前に視線を向けた。
「うぅっ…リーレイ…どうして辺境伯の元になんて…っ」
…やっぱりこの手紙、見せないほうが良かったかな?
だけど、ちょうど手紙を読んでいた時にやって来たから。リーレイからだと知ると奪い取られてしまったし。
読み終えた瞬間に机に突っ伏して泣いてしまった。
一応ヴァンからの手紙もあると言ったんだけど、「いりません!」と無用にされてしまった。君はヴァンの養い親だろう。
私の隣でリランも少し眉を下げる。その表情は彼に対しての呆れではなく、どうやって声をかけようか迷っているもの。
「ジークン叔父様。お姉様はお幸せそうですから、どうか泣かないでください」
「うぅ…だけどねリラン。ツェシャ辺境領は遠いし、戦の最前線になったような場所だ。私はリーレイにもリランにも、もっと穏やかで安心できる場所に居てほしいんだ」
「ありがとうございます。叔父様」
ジークンの言葉にリランは微笑む。そんな姪にジークンは涙目ながらも「リランは優しいね」とまたはらりと涙をこぼした。
ジークン・ティウィル。ティウィル公爵家当主であり、私の弟。リーレイやリランにとっては叔父にあたる彼は、とても姪達に優しい。
勿論、公爵家の当主として必要な厳しさも持っているし、王家への忠も厚い。だけど姪達の前ではそれは綺麗になくなってしまう。微笑ましいけど、その姿は公爵家当主には見えない。
「ジークン。ならどうしてリーレイの婚約を認めたんだい? 知らせはあっただろう?」
リーレイの親は私だから、ローレン殿下は私と辺境伯様のご両親の了承をもって婚約を認めた。ローレン殿下の発案とはいえ、了承したのは私達だ。
だけど、リーレイは一応はティウィル公爵家に籍を置いてある。だからこそ、ジークンにも知らせはあったはず。
胡乱気に見やる私に、ジークンは涙目のまま眉を吊り上げた。
「これが辺境伯からの申し出なら破り捨てて暖炉の火にくべてやりましたよ! 王太子殿下が家臣の縁組に口出しても別におかしくないですし、なにせ信頼を置く辺境伯家ですから! ですが!」
…ジークンの訴えがだんだんと切実な叫びになっていく。
ダンッと机を叩いて、言いながら俯いて、だんだんと突っ伏していく。
「リーレイは公爵家に籍があるといっても、それ以上に一文官の娘です! 実父がいいと言ってしまったものを私が駄目だと言えるわけがないじゃないですか! そんな事をしたら完全に権威の振りかざしですっリーレイに嫌われます!」
…最後だけはとても力がこもったね。それが本音かな。
「所詮私は叔父ですっ。叔父でしかないんです! 父親だったならどんな手使っても拒んでやりました!」
「こらこら。お前が言うと冗談に聞こえない」
「本気です!」
あまりに悲痛な姿で何も言えない。そんな弟に私も苦笑いしか出てこない。
ジークンは昔から、リーレイとリランをとても大事にしてくれている。とても可愛がってくれている。リーレイもリランもそんなジークンを昔から好いている。
リーレイが生まれた時にも、ジークンはこっそり王都の屋敷を抜け出して会いに来てくれた。リランが生まれた時も。
リランが生まれた年に、ジークンは両親の急逝でティウィル公爵家当主になった。とても、大変な役目を課してしまったと思っている。
だけど、それでも、ジークンは時折この家にやって来た。元々この家はジークンの所有だから、これは当然の事。
そしてやって来て、その度にリーレイとリランを可愛がっていた。
今に至るきっかけになった事があるとしたら、それは私の妻が亡くなった時だろう。
幼くして母を亡くしたリーレイとリランを、ジークンは惜しみない愛情で包んでくれた。そして王都にある屋敷や領地の屋敷に招くまでになって、ジークンの妻も二人を我が子のように愛してくれている。
勿論ジークンの子供に対する愛情は、きちんと我が子にも向いている。
だけど、公爵家の息子と娘なので、優しくするばかりはできないと、そんな葛藤も持っていると私は知っている。だけどジークンの二人の子供達はとても立派に育っているし、親の愛情をしかと受け取っているから、きっと大丈夫。
それに、微力ながら、私も二人には愛情を与えているつもりだ。ジークンがリーレイとリランにしてくれているように。
気軽に会える距離ではないから、季節毎に贈り物をしたり、会った時に沢山時間を取るようにしているくらいだけど。
「兄上…」
昔から私にとても懐いてくれた弟は、今もまるで子供の時のように涙に濡れた目で私を見る。
そんな変わらない姿に、思わずクスクスと喉が震えてしまった。「何だい」と返せば、ジークンはくしゃくしゃしながらも続けた。
「リーレイは…私があげた縁談は嫌だったんでしょうか…?」
「うーん…。あの子は結婚は考えていなかったんだろうね」
「叔父様。お姉様はとてもありがたいと言っていました。ただ……「勿体ない相手だし今で十分幸せだから」…と」
「リーレイ…!」
ぶわっとまた涙を噴水の如く噴き出させたジークンが突っ伏す。お前って子は…。
ここ数年、この家に来るたびにリーレイに縁談を勧めていたのは知っている。ただジークンはリーレイに甘いから、決して無理強いさせられないし、強く薦める事はできなかったみたいだけど。
リーレイも結婚は考えていない節があった。私も無理に勧めるつもりはなかったし、リーレイ自身に決めさせるつもりだった。
ジークンは、ありのままのリーレイを受け入れてくれる貴族を選んでいた。立場上仕方ないけれど、リーレイにはきっと縁遠い相手ばかりだっただろう。
見る度に慄いていたリーレイの表情を思い出す。
考える私の前で、泣いている叔父にハンカチを差し出す姪という光景が広がる。
またジークンは「リランはいい子だね」と涙を引っ込め始めた。
リランが私の隣に座り直すと、ジークンは一つ息をして、今度は真面目な顔をして私達を見る。
「兄上。またすぐに社交の時期が来ます。リーレイは恐らく辺境伯と共に王都に来て夜会にも参加するでしょう。兄上ももう、無縁ではいられませんよ」
「そうだね。リーレイがお前の姪だと知られれば、私にも必然目が向くだろうから」
私はティウィル公爵家を出てから二十年以上、社交界には出ていない。
ジークンが籍はそのままにしておいてくれたけど、出る必要のないものだった。暮らしだってこの通り。仕事だって目立たない王宮の片隅での金番室長。
今の社交界で、私の事を覚えている人はどれくらいいるかな。王城に勤める者の中で、私がティウィル公爵家の縁者だと知る者はどれくらいいるかな。
このまま静かなままでも良かったけれど、これからは少し忙しくなりそうだ。
当主の兄や姪とはいえ、五大公爵家の者には色々とついてくる。
「リーレイがそこへ飛び込むことを決めたのなら、私達も飛び込もうか」
「はい。お父様」
リランの返事も迷いがない。頼もしく、姉想いの良い子に育ってくれた。
「ジークン。すまないけれど色々迷惑をかけるよ」
「兄上が私に迷惑をかけるとは…少々理解できない言葉ですね。今までそんな事ありましたか?」
さっきまで泣いていたとは思えないきっぱりさっぱりした言葉。
そんな違いに笑ってしまうけれど、我が弟は本当にいつの間にやら立派になった。
「子供の頃から兄上は優しくて、立派な方です。兄上がいなければ今の私はありませんから。これからも変わらずよろしくお願いします」
「……こちらこそ」
家を出て、当主の座を継がせたばかりの頃、ジークンには負い目を感じていた。だけどジークンがそれを否定してくれた。
だから、子供の頃のように、変わらず仲の良い兄弟であれる。
それが何度、私を救ってくれたか。
「準備諸々はこちらでしますが。一つだけ」
「何だい?」
「良い機会です。リランの婿を探しましょう」
「……リランの意思を尊重してくれるならね」
至極真面目な顔をされると、私は何とも言えないな。
リーレイの事があったから、ジークンはかなり本気だろう。すごく伝わるよ。
「リラン。どうかな?」
「そうですね…。まだ結婚というのは考えたことがないのですが、良い御方がいらっしゃれば考えたいです」
「分かった。私が責任をもって、リランの事を一番に、他の妻など娶らない、誠実で、優しく、真面目で、臨機応変で、柔軟な思考を持ち、視野が広く、兄上やリーレイの事も思いやってくれる、辺境伯家とも公爵家とも繋がっても問題ない相手を見つけよう」
ジークン、条件が多い。
貴族令息の方々にそんな都合の良い方はいるかな…。どこか妥協点を探した方が良い。
至極真面目な弟の姿には嬉しさもあるけれど、苦笑いが浮かんでしまう。
またジークンによる選別が始まるんだろう。ごめんねラグン。少しジークンが暴走するかもしれない…。甥に胸の内で謝っておく。
そんな私の胸中など知らず、ジークンは椅子の背に身を預けた。公爵家の中では見ない姿は、この家にいる時だけに見せるものだ。
この家が、ジークンにとって心安らぐ場所であるなら、それは私達家族にとってもとても嬉しい事だ。
「本当に…リーレイには穏やかな場所に居て欲しかった。あの子が心を痛める死が近い場所など…」
「…ジークン。あの子が決めた事だ。見守ろう」
「はい。…リーレイは優しい子ですから、騎士や手紙に書いてあったような事に胸を痛めているのではないかと……」
不意に、ジークンの言葉が途切れた。
ぷつりと切れた言葉に、私とリランは視線を向けた。
何やら真剣な目で、顎に手を当て思案している姿がある。
真剣な眼には鋭さがある。その頭にどんな考えが浮かんでいるのかは分からない。だけど、弟の事は少なからず理解しているから、今のジークンの思考も少しだけは読めている。
「…ジークン。私は、お前がどうして領地で薬や医学の研究機関を造ったのか、おおよその理由は予測がついてるよ」
「おや。そうですか?」
「だから、今、お前が何を考えているのかも予測はついている」
「兄上。私は常に領地と領民、そして国の事を考えていますよ。今思いついたのも国の為です。これは決して悪い話ではありません。ふふふふっ…」
こらこら。悪人のように笑わない。顔まで悪くなっている。
そんなジークンに私もため息が出てしまうし、リランも少し困ったように眉を下げた。
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