31,補佐官から御用のようです
「今日はまた機嫌がよろしいですね」
「まぁな」
砦の執務室で俺は仕事に勤しむ。
俺の傍ではヴィルドが補佐をしてくれる。それには助けられている。
ヴィルドを補佐にしたのは四年前だ。戦が終わったばかりで戦後処理が忙しかった。それに加えて父上から辺境伯位を継ぎ、更に多忙を極めていた。
あの時ほど休みたいと思った事はなかった。リーレイは俺が休めていないのではと心配してくれるが、正直に言って、あの頃よりは遥かに休めているし余裕もある。あの頃にリーレイがいたら逆にリーレイが心配で倒れそうだな…。
ヴィルドを補佐にすると決めた時、実を言うと色々と悶着があった。
騎士団内部の説得、陛下への報告。それらを終えて補佐に任命したのが今は少々懐かしい。
俺が留守の間に国境警備隊長と指揮を執り、俺の書類仕事を補佐し、警備体制や罪人への処罰と、役割は色々ある。時にはそれに加え、辺境伯としての領地の仕事の補佐もする。
実に優秀な補佐官で助かっている。
ただ、ヴィルド自身はさして剣術が得意ではないので、戦闘の前線に出る事はない。が、あくまで得意でないだけで並の騎士程にはできる。
「聞くか? リー…」
「結構」
「遮るのが早い」
まだ何も言ってないぞ。興味ないというようなその顔をやめろ。
肩を竦める俺の傍で書類を手渡してくる。受け取ってちらりと視線を向けたが、ヴィルドは普段通りの淡々とした表情だ。
が、なぜか長いため息をついた。
「…貴方が現を抜かして仕事を半端にするとは思っていませんが、流石に想定外でしたよ。あれほど阿呆な顔をするとは」
「した覚えなどとんとないが?」
「自覚がないとは重症ですね。治療も無理そうです」
していないのだから自覚も何もないが?
そう思うがヴィルドにはまたため息を吐かれる始末。俺が吐きたいくらいだ。
渡された書類に目を通す。
「身を固めるなとは言いませんが、溺れないで下さいよ。貴方は…」
「解っている。俺は辺境伯であり、将軍だ」
その意識は常にある。常に胸の内にあり、刻み込まれ、緊張もしている。
だが、それに見合う事を為す意思も覚悟もとうにした。だから潰される事は無い。
俺は『国境の番人』だ。国を守る最前線に立つ。
だからこそ。リーレイが大事だと想う度、俺は強く心に刻む。
リーレイが大事だ。愛おしいし守りたいと思う。手放したくない。ずっと傍に居て欲しい。
それが俺の偽りない心だ。
だからこそ俺は強く告げた。
「そうならない為に手を打つんだろう。俺は国も、リーレイも護る。『国境の番人』であり続け、リーレイを愛する夫であり続ける」
天秤に載せなければならないような事態を、そもそも起こさなければ良い。
その為の罪ならいくらでもこの身に負ってやる。その為なら、いくらでも敵陣を突き進む。
ちらりと見たヴィルドは、いつも通り表情を変えない。それが普段のヴィルドであり、口では何だというが信頼できる補佐官である。
「なら良いのです。そうなる事態は流石に我々も御免ですので」
「なんだ。お前もリーレイを好意的に思っているのか?」
「どちらでも」
こういう時のその表情は分かりづらい。本気か? 冗談か?
問うように視線を向けるが、俺に視線を返す事は無い。仕方ないので俺も仕事に戻る。
「……ですが」
珍しく少々間を開け、ヴィルドは溢す。
俺は書類を見ていた中で一瞥を向けた。
髪に見合わぬ茶色の瞳が鋭い光を放ったように見えた。
「リーレイ様にも、しかと意識は持っていただかなければ困ります」
そう言って俺にまた一枚の書類を寄越す。
それを受け取り目を通す。
これは関所未通過事案についてだ。身元がはっきりしない者。通行手形を持っていなかった者。押収した物。その内容は多々あるが、俺はその中に見つけた一文に眉を顰めた。
「またか…。このままでは関所破りを視野にいれなければな」
「えぇ」
迷いないヴィルドの肯定に俺は机をトンッと指で叩いた。
関所では問題なく通行できれば俺達とて問題視はしない。厄介なのは通行を許可できない者の方だ。
一度止めれば俺達は顔を覚える。そして、中には止められたからと別の場所からの不法入国を試みようとする者もいる。それにより捕らえた者も少なくない。
そうなれば罰金や今後数年の入国制限など、今後の入国にも影響が出るんだがな…。
関所で追い返す事態が続くと、必然騎士達も警戒する。今俺が手にしているこれも、そうなる事案だ。
「埒が明きません。数年の通行不可にしては?」
「今そこまでする事はできない。関所破りでも侵せばともかく…。無理に入って来るでも騎士を攻撃するでもないからな」
そうなればこちらとしても処断する。
だが、今はまだ関所を必ず訪れている。罪を犯しているわけではない。悪意を持ってしつこくなってくればこちらとしても手を打つ。
正直に言って、俺達には非常に手が出しづらい微妙な線だ。
トンッと指を動かし、俺はふとヴィルドを見た。
「…まさか、これをリーレイに任せるつもりか?」
「それも一つの手だと思っています」
先の言葉が思い出された俺に、ヴィルドはあっさりと頷いた。
俺は今、自分がどういう顔をしているのか分からない。困惑というよりは、納得しづらいような意思が出ているかもしれない。
だがヴィルドから視線を逸らし、意識して息を吐いた。そして少し口元に手を当て考える。
ヴィルドの意見は理解出来る。俺達では手が打ちづらいのだ。
そこにリーレイから意見を貰うというのは、確かに打開策を見つける良い手だろう。
関所における事案は俺に決定権がある。
だからこれも、リーレイに決めさせるのではなく、リーレイの意見や判断を受けた俺が熟考するというもの。それなら問題はない。
事実これまでも、国境警備隊長や他の騎士達に意見を聞いた事案はいくつもある。俺の独断で決めた事などほとんどない。
そしてもう一つ。リーレイに意識してもらいたいのだ。国境警備というものを。
国境を守る俺の婚約者…遠くない未来には妻として、決して無関係ではいられない。
考えながら指は机を叩く。
リーレイはいつもまっすぐ、真剣に俺を見てくれる。今も屋敷でシスやディーゴから教育を受け、領地の事も学んでいる。
彼女はいつもまっすぐとしていて、その姿が眩しいとも思う。
「分かった。お前のその提案、受けてみよう」
「ありがとうございます」
リーレイはどう考えるだろうか。そう思って少し口端が上がる。
俺は知りたい。リーレイならどうするのか。リーレイの考えを。
♦*♦*
「リーレイ様」
ランサが辺境騎士団や関所の事を教えてくれてから日が経った。
連れて行ってもらう事がない限りは、私は屋敷で色んな勉強をする。マナーは勿論、領地の事や辺境騎士団の事、それに辺境伯の事。屋敷にある書庫には色んな本があって、時にはそれを手にディーゴやシスにも聞きに行く。
ディーゴは屋敷や使用人に関する事は勿論、ランサの仕事の助けもしているそうで、領地の事も色々教えてくれる。とてもありがたい。
今日もまたそうやって本を読んでいたんだけど、そんな時にシスに呼ばれた。
「どうしたの?」
「ヴィルド様がお越しです。リーレイ様に至急お話があると」
「ヴィルドさんが?」
思ってない名前に驚きつつも、至急と言われた私は後をシスに頼んで急いで向かった。…やっぱり男装の方が動きやすい。ドレスじゃないからまだいい方だけど。
いつものように欠伸をしつつあるヴァンを連れて急いで向かう。
ヴィルドさんと多く関わりはない。ランサが一緒にいる時には時々声をかけてくれるけど、元々お喋りではないみたいだから。お忙しそうだから私もあまり声はかけない。
ディーゴに聞いたけど、ヴィルドさんは砦での仕事以外にも、ランサの領主としての仕事も補佐しているらしい。…ヴィルドさんも実に多忙な方だった。
そんなヴィルドさんが私に急ぎの用件。…何だろう。少し緊張する。
エントランスにいたヴィルドさんはすぐに私に気付いて顔を上げた。私も急ぎ足で駆け寄った。
一度だけ呼吸を落ち着ける。よし。
「お待たせしました。至急の用とは何でしょう? ランサに何か…」
「いきなりお呼びして申し訳ありません。ランサ様は何も変わらず仕事に励んでおりますので、ご心配なく」
良かった…。ヴィルドさんから急ぎだと言われると、どうしてもランサの事を考えてしまった。
ひとまずホッとする。
けれど、代わりにヴィルドさんの用件が分からなくなる。そんな私の内心を見通したようにヴィルドさんが続けた。
「リーレイ様に砦に来ていただきたいのです」
「? それは構いませんが…」
どうしてわざわざ?
私には砦に行くような用件は思い当たらない。いつもはランサが連れて行ってくれるけど、途中で呼ばれたことなんてない。
でも、ヴィルドさんが来たのなら何か大切な用事なんだろう。
「急ぎ着替えてきます。ヴァン、馬を頼める?」
「分かりました」
私はひとまずすぐに部屋に戻って男装に着替えた。やっぱりこっちの方がしっくりくる。馬に乗るにはやっぱりこうじゃないと。
それに髪を高く結い直し、急いで部屋を出た。
軽い足取りのままディーゴに「砦に行ってくる」と告げ、屋敷の外に出た。
外ではヴァンとヴィルドさんが待っていてくれた。ヴァンに手綱を貰い、すぐに馬に乗る。
そうすると先頭をヴィルドさんが走り出した。私とヴァンも後ろに続く。
もう何度か行き来する道も見慣れてきた。それは愛馬も同じみたいで足取りに迷いはない。
こうして駆ける時間が好きだなって改めて感じながらも、何が待っているのか少し不安になった。
ひたすら駆ければそう時間もかからず砦に着いた。
砦の裏に在る厩に馬を預けると、ヴィルドさんが「こちらへ」と案内してくれた。
でも、その行先は砦の中じゃない。あれ…。
どこに行くのかなって思ってると、向かう先には関所が見えてくる。
関所に? 何で?
関所の方が私に用件なんてなさそうなのに。寧ろランサの役目に関わるのであって、私には口出す事も出しゃばる事もできない。
関所にいる騎士達が私達を見てぺこりと頭を下げてくれるから、私もそれに下げ返す。
…うん。本来はそんな事される立場の人間じゃないんです。彼らがそうするのはあくまで将軍のランサであって、私はその婚約者だからでしかない。
「リーレイ」
「ランサ…!」
関所の奥にある扉が開いてランサが出てきた。その姿を見て無意識にホッと息を吐く。
知らない間に少し緊張してたみたい。
ランサは何も変わらず傍に来てくれる。
「すまない。わざわざ来てもらって」
「ううん。何かあったの?」
私まで呼ばなければいけないような、何か大きな問題でも起こったの?
そう思うと少し胸が騒めく。
私は、辺境伯であり、将軍であるランサの婚約者。
大きな役目を担うランサを支えると同時に、その役目に決して無関係ではいられない。実戦的な役目は担えなくても、その一端はこの身にも背負っていると、そう思っている。
だから、いきなり呼ばれるとやっぱり落ち着かない。
それでも表面上は普段通りに振る舞う。ランサを心配させたくないから。ランサに…甘えたくないから。
「来てくれ」
そう言うと、ランサは私の手を取って自分が出てきた扉へと戻っていく。
関所は通行人を改めたり、防衛の面があるから、どうしても外観を重視してしまうけど、その中にも幾つも部屋がある。尋問室や荷物の改め室などがあるらしい。
ランサはその中の一室に入った。続いて入った私はその室内の光景に少し目を瞠った。
室の中はさほど広くはない。椅子と机があるけれど必要外の物は一切置いていない。
扉の傍にはバールートさんとソルニャンさんが居て、私に小さく礼をしてくれたから私も返す。そしてもう一人。椅子に座っている、国境警備隊の隊服を着た男性がいる。
私達の入室に気付いたその人は、立ち上がって傍へやって来た。
比較的若者が揃う辺境騎士団の中でみると年齢は上のようだけど、だからこその落ち着きや貫禄が感じられる。体格の良さもあるかもしれない。濃い茶色の髪と同じ色の瞳、顎にちょこっとある御髭は渋みを印象に加える。
そんな彼は私に礼をした。
「初めまして。俺は国境警備隊隊長のロンザです」
「初めまして。リーレイと申します」
「知ってますぜ。なんせあの『闘将』ランサ様を夢中にさせてる御令嬢ですから」
「っ…そんな事は…!」
クツクツと喉を震わせているロンザさんに返す言葉が遅れてしまう。
まさかこんなところでまでそんな話をされるとは…。これは私にいつでもどこでも気を引き締めておけという試練なのかな…。なかなかに大変だ。




