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駆ける令嬢と辺境の闘将~貴方の事を知るためにここへ来ました~  作者: 秋月
接近編

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30/258

30,発症、不治の病です

 未だにカランサ国側では憎悪が渦巻き、シャグリット国を…ツェシャ領を、ランサを、狙っている者がいるかもしれない。


 その事実は解っていたつもりだったのに、ランサの口から語られて少し身が震えた。ランサは「大丈夫」だと言ってくれたけど、それは絶対ではないと解ってる。


 ランサに戦に行ってほしくない。戦なんてして欲しくない。

 そう思っているけれど、それを口にしてはいけないと解ってる。ランサにはランサの役目がある。その時になれば迷いなくランサは行く。私がそれを阻むという事は、国を危険に晒す事。

 それを、辺境伯の婚約者がしてはいけない。領民を危険に晒してはいけない。


 もしもその時が来たら、戦を止めるなんて事ができるとも思えない。そんな力はそれこそ国か、王家に身を置く方々にしかできない。


 私には何ができるんだろう…。






 その日の夜。眠ったけれどすぐに目が覚めた私は、そっと部屋を出て夜の庭に出た。

 灯りのない空の下は、星が綺麗に見える。それを見上げてホッと息を吐く。


 視線を下げて自分の手を見つめる。

 ツェシャ辺境領へ行くという話になって、父様は五年前の戦の地だと少し辛そうに言ってくれた。理由は分かってる。

 死に触れる。その可能性があったから。


 不安は胸の内にある。だけど「大丈夫」だと言ってくれたランサの言葉を思い出すと、少しだけ楽になる。

 …うん。大丈夫。


 自分にそう言い聞かせていると、不意に後ろから庭の芝を踏む音が聞こえて反射的に振り返った。


「ランサ…!」


「こんな時間にどうした?」


 隊服じゃなくシャツを着ただけのラフな格好でランサが傍まで来た。首を傾げて私を見つめ、柔らかな笑みを浮かべて私の頬に手を添える。


「眠れないのか? ……昼間の事で不安を煽ってしまったか? すまない」


「ううん。ランサが大丈夫だって言ってくれたから、大丈夫。ちょっと眠れなかっただけ。ランサは?」


「寝るところだった。外を見たら姿が見えたから気になってな」


「……今まで仕事だったの?」


 少し驚いて聞くと、ランサは何てことないように頷いた。


 朝から夜までランサは本当に多忙だ。砦での国境警備。騎士団の統率。騎士としても多忙なのに、そこに領主としての仕事もある。

 領民の暮らしの事、運営、時には使用人達の問題も。私も屋敷の事は勿論するけれど、力になれない事も多い。


 それが、悔しくて悲しい。


「ランサ。私に何か出来る事は無い? 何でもいいから。国境警備とか巡回は駄目かもしれないけど…領内の見回りとか、屋敷の事とか、領地の事に関してでも」


「ありがとうリーレイ。随分熱心だな」


 そう言ってクスリと笑う。

 褒めてくれてるんだと思う。それは嬉しい。だけど…


「ランサ。本当に無理してない…? ちゃんと休んでる? 少しでも体調が悪いとかがあれば言ってね」


「大丈夫だ。無理してない」


 胸元でぎゅっとつくる拳に力がこもる。

 でも、その手はスッとランサに引かれ、ちゅっと甲に唇を落とされた。


「そんな時はちゃんとリーレイに伝える」


「うん…」


「そしたら、リーレイが看病してくれるんだろう?」


「えっ…」


 安心させるような声音だったのに、急に悪戯めいたものになる。驚いた声にもランサは笑みを向けてきた。

 また、ランサの思考回路に追い抜かれた…。これにもいい加減に慣れないと駄目だ。


「うん。するよ」


「それは嬉しい。だが、そうなるとリーレイの顔はとても不安そうなものになってしまいそうだ。そうさせないようにする」


 ランサは本当に、私の事がすぐに想像できてしまうんだ。嬉しいような、少し恥ずかしいような気持ちになってしまう。


 そっと手を包むぬくもり。なんだかそれは心にも染み渡るみたい。

 それに少し頬も緩んでしまうけど、急に風を感じてハッとなった。


 今ここにいるのは私とランサだけだ。つまり二人だけ。

 日のあるうちはヴァンがいつも一緒にいる。ランサが屋敷に帰って来た時も大体ヴァンは離れて控えているし、屋敷の皆もいる。


 思えば、こうして二人きりというのはあまりないんじゃ…。


 そう思ってなんだか急に落ち着かなくなった。無意識にランサの手から自分の手を離してしまう。

 言葉と喉がちゃんと仕事してくれれば大丈夫。うん。きっと。


「…よく考えれば、リーレイと二人きりというのはあまりないな」


 ランサも同じ事を思ってたみたい。

 なんだかその顔は嬉しそう。私は落ち着かないんだけど…。


 でも決して嫌じゃない。もっといたいような、離れたいような。

 こんな気持ちになった事はない。こうさせるのもランサだけだ。


「二人きりなのだし、俺の思いの丈を全て伝えたいな」


「っ…!?」


「だがもう時間も遅い。また今度にしよう。部屋に送る。もう休もう」


 そう言うランサは私に手を差し出す。

 その手を取ろうとして、少しだけ手を引いた。


「リーレイ?」


 いつもいつも、伝えてくれるのはランサで、私は何も返せていない。貰うばかり。

 さらりと言ってくれる嬉しくて恥ずかしい言葉の数々。

 ランサは思っている事を言ってるだけだって言うけれど、私からすればどうして言えるのか分からない。


 くれる言葉の数に。伝えてくれる想いに。私もちゃんと返したい。ちゃんと伝えたい。


 言葉が上手く紡げなくて。震えて。少し怖くなる。

 傍に居たい。傍に居るのが苦しい。近づきたくて、離れたい。


 あぁ…痛い。苦しい。

 でも――


「…ランサ」


「うん?」


「ランサ…だけだよ。こんなっ…こんな気持ちにさせるのっ」


 伸ばしかけた手でくしゃくしゃになる顔を覆って俯く。


 心臓がドキドキして煩くて。ランサにまで聞こえてしまうんじゃないかと思う。

 泣きたいわけじゃないのに胸が苦しくて、喉が熱くなって、言葉が絡まる。


「いつもっ…ランサがくれるばっかりだから私だってって…思って…。でもっ、苦しくて…上手く言えなっ…。でもいつも…いつも……ランサが大事だって…! 傍に居たいって…!」


 伝えたくて。伝わってほしくて。

 伝える勢いが余って顔を覆う手を払った。


 ランサはただただ驚いたように、これ以上ない程目を瞠っていた。じっと私を見つめていた。


「ランサ…」


 答える声はなく、グッと強い力に腕を引かれた。その手がぎゅっと私を抱き締める。


 抱き潰されそうな強い力。肩口に埋まる頭。シャツ越しに伝わる熱がひどく熱い。それに呼応するかのように私の全身まで熱を持つ。

 肩口から感じた長い吐息にビクリと体が緊張した。


「ランサ…」


「…病にかかった」


「!? すぐ医者に…!」


 いきなりの告白に熱も心臓の鼓動も忘れた。ギョッと目を剥いてランサを見るけど動く気配がないから、思わずバシバシと叩く。


 こんな所でのんびりしてないてすぐに部屋に戻って医者を呼ばないと!

 そう思って訴えるのに、顔を上げたランサは落ち着いているどころか、吐息もかかりそうな距離で熱を帯びた目で私を見る。


「早く医者に…!」


「君が俺を病にしたんだ」


「何を…」


「リーレイが、俺を、リーレイが手放せなくなる病にしたんだ」


 慌てふためいていた心がスーッと鎮まったのが自分でも分かった。

 だけど代わりに、治まっていた熱がブワリと私を呑みこむ。


「なっ…!」


「リーレイ。この病は一生治らない。リーレイが離れてしまうと触れたくて、見つめていたくて仕方なくなる。傍に居てくれ。抱きしめて、触れていると症状も治まる」


「やっ…だから…」


「そうやって顔を真っ赤にしているのも可愛い。これは俺だけがそうさせられるんだな。嬉しい限りだ。他の男には見せたくもない…」


 ポフンッ顔から湯気が出た気がした。

 そんな私の前でランサは、とっても嬉しそうな顔をしてる。


 …なんだかもう、勝負じゃないけど、ランサには一生勝てない気がする。


 笑うランサはもう一度私を抱き締める。すぐ傍で聞こえる嬉しそうな声はすごく恥ずかしいけど、ランサがこんなに笑ってくれるのも喜んでいるのも嬉しいと思ってしまうから、どうしていいか分からない。

 だから代わりに、そっと背中に腕を回した。そうすれば一層ぎゅっと包み込んでくれた。






 ♦*♦*




 屋敷の自室。日が昇る頃には目が覚める。

 体に刻み込まれた習慣通りに起きた俺は、無意識に自分の隣に腕を伸ばした。当然そこには誰も居ない。


 シーツの感触に俺は長い息を吐いた。


 誰も居ないのは当然だ。リーレイはきちんと部屋に送り届けた。

 昨夜はあの後リーレイを部屋に送り、俺も部屋に戻った。夫婦ではないので元々寝室は別だ。…夫婦であったとしても、今のリーレイの様子なら同室は時間が経ってからにしただろうな。


 昨夜のような事があっては触れたくなる。触れたくて仕方なくなる。

 だが俺は、リーレイを傷つけたくない。


 いつも頬を染めて言葉に詰まるリーレイ。

 嫌な事や不快だと感じればきっと正直にそれを伝える。だから嫌われていないとは感じていた。


 だが、俺はまだ、リーレイの口から直接俺への好意の言葉を聞いているわけじゃない。


 ヴァンが言うには、リーレイは恋情や色事には無縁だったらしい。それがいきなり婚約する事になり、その相手から好意を伝えられれば戸惑っても仕方がない。


 だから、ゆっくりでいい。ゆっくり俺の事を意識してくれればいい。そう思っていた。


 だから昨夜は驚いた。そして触れたくて堪らなくなった。あのまま髪にも額にも頬にも、唇にも、余すところなく口付けを落としてしまいたかった。

 一度こんな感情を引き出されると、今度は仕舞うのが難しくなる。

 ずっとずっと、唇に触れるのさえ堪えてきたのに。


 …いや。あの言葉はつまり、もう唇に口付けを落としてもいいという事だろうか。

 だが待て。唇に触れると今度はそれ以上を求めてしまいそうだ。一歩の甘えを許せば更なる忍耐はこれまで以上に辛くなる。


 俺はリーレイを傷つけたくない。

 今、無理に求めてしまったら、リーレイはきっと、「やめて」とはっきり告げるか、もしくは戸惑いと羞恥の中で頑張って受け入れようとする。そうじゃない。そうさせたいわけじゃない。

 そんな事をして心を傷つけてしまったら、それを抱えてリーレイは笑う。

 そんな笑みを想像して、俺はすぐさま頭の中の俺を斬り捨てた。例え俺とてリーレイを傷つけるのならば俺の敵だ。


 意を決して埋めた距離に、そんな事で溝を作りたくはない。


 ゆっくり。ゆっくりでいい。全ては俺が我慢すればいいだけの簡単な事だ。領地の仕事より砦での仕事よりずっと簡単だ。そのはずだ。


 リーレイは屋敷にいる。俺の婚約者として日々頑張ってくれている。

 前向きに、俺の事を知ろうと、見ようとしてくれている。笑って、走り回って、生き生きとしている。それで十分だ。


「ランサ様。もうお目覚めでしょうか?」


「あぁ。いつものように鍛錬をしてから行く」


「承知しました」


 扉の向こうからのディーゴの言葉に返し、俺はすぐに身を起こした。


 鍛錬を終え朝食の席に出た俺は、昨夜の事のせいか恥ずかしそうに視線を合わせようとするのも頑張っているリーレイに、どうしようもなく愛しさを感じてずっと見つめていた。

 落ち着かない様子のリーレイを見つめていただけだったが、なぜか「はいはい朝からごちそーさん」とヴァンにため息を吐きながら言われてしまった。


 リーレイはそんなヴァンをキッと睨むと、「ヴァン! この後遠乗り!」と、げっとした顔をするヴァンを他所に決定を下した。すぐに体を動かす事に決めたらしいリーレイに、俺は喉を震わせるしかなかった。






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