28,『闘将』は伏兵に遭遇しました
マンシュ湖での休憩を終え、私達はまた役目に戻る。
次にランサが足を向けたのは、さっきの話に出ていた見張り場。関所近くにある砦よりも小さい。けれど緊張感と真剣な空気が流れている。
やって来たランサに対して、騎士達はピシッと礼をして背筋を正す。私は終始圧倒されっぱなし。
普段も砦に足を向ける事があるわけじゃないし、砦では直属隊を始め騎士達も笑顔で好意的に接してくれるから。この場の空気が本来のものなら、私は皆さんに気を遣わせているんじゃないかな…。少し申し訳ない。
慣れない軍部の中。緊張してしまうのに…
「俺の婚約者だ。見かけても間違って捕らえるなよ?」
「「はっ!」」
わざわざ引き寄せて紹介する事ないと思うな! 緊張が羞恥に変わってどうにかなりそうっ…!
見張り場の中には辺境伯直属隊の方もいて、バールートさんやエレンさんと親しそうに話していたり、私も混ぜてもらったり。セデクさんもミンドさんも国境警備隊の面々は勿論、直属隊の騎士達とも話をしたりしていた。
この見張り場はまとめてる隊長がいて、ランサはその方と少し会議のような話し合いをしていた。
見張り場を出る時には皆さんが見送ってくれた。
「ふぅ…。恥ずかしかった…」
「大丈夫ですか? リーレイ様」
「いやー。ランサ様って愛情表現直球なんですね。初めて見ます」
「そりゃ仕事中は将軍だから」
「おいミンド。今も仕事中だ」
「「すみません。ランサ様とリーレイ様のお出かけの護衛かと思い始めてます」」
「本当にごめんなさいっ…!」
バールートさんとミンドさんが正直すぎて顔が上げられない。ごめんなさい。大事な仕事中なのに。
私は馬上で小さくなっているしかない。そんな私に、何が面白いのかヴァンはケラケラと笑っていた。
砦への道を戻りながら、ランサは私に色んな事を教えてくれる。
見張り場や巡回する道筋のさらにカランサ国側に進むと、石の杭が立っている。それが国境線であり超えるとカランサ国である事。
ツェシャ辺境領だけでなく、国境沿いにある岩山はどこも険しく、辺境騎士達でも登る事はなく、カランサ国も越えて来ない事。でも警戒は怠らない事。
森には商隊も近づかないけれど、森の恵みを得るために町の人は時折足を踏み入れる事。そんな時は不法入国者と間違えないように、騎士達も気を付ける事。危ない時には騎士が警護に就く事。
それに、野盗や刑罰の事も教えてくれた。
盗みと殺しでは課す刑が違う事。当然シャグリット国の法に則り課されるけれど、あまりにも罪を重ねると重くなり、時には牢から出られなくなる事。その判断は将軍が担っているけれど、ランサは国境警備隊長と協議している事。その処断は国に報告義務がある事。
私が知らない事が、スラスラとランサの口から出てくる。
どれも初めて聞く事で、私も質問を投げかければ、ランサは全て答えてくれた。
「……あの、ランサ様。もうちょっと楽しい話しません?」
物々しいような話に、そーっと手を上げたバール―トさん。
だけど、ランサは当然というように返す。
「リーレイはこういう事を知りたいんだ。それにバールート。これは全てここに生きる者達の姿だ。リーレイもその一員になる」
「そうですけど…。ランサ様。直球表現する割に意外だなと…」
「何が意外か分からないが…。俺が話をしないとリーレイはお前達を質問攻めにするぞ? あぁだが…忙しいからと言って自分の目で確かめに行くか…」
なんでか自分で言ってから唸ってるランサ。
私は否定出来ない。確かにやりそうだなって自分で思ってしまうから。ぐぬぬ…って言いたいけど言えない私の周りで、皆が小さく吹き出した。
そんな中でもランサはまだ続ける。
「馬を駆り、剣を使う。それに、婚約者の俺の為人を知る為にわざわざ辺境へ来るという、行動力溢れる意思の強い女性だ。そこに惚れてしまったのだから閉じ込めるような真似はしたくない。閉じ込めても、ヴァンの手を借りて抜け出して、どこまでも駆けて行きそうだな」
「さすがランサ様。もうお嬢の事解って下さって」
「ヴァンに言われると悪い気がしないな」
笑うランサに私は羞恥が沸き上がる。
ランサはそんな事しないだろうけど、確かに私はそんな事になったらまずヴァンを頼りそう…。だけど何でそんなに笑うのかな!
笑うランサと喉を震わせるヴァンの会話に、バールートさんが「つまり…」って引き継いだ。
「ランサ様は、羽が生えてるように馬を駆るリーレイ様の心配で身が持たなくなるって事ですね」
「そういう事だ」
「成程。リーレイ様くらいじゃないですか。ランサ様をそこまで心配させるのは」
「全くだ。だが止めたくない。難しい問題だと思わないか?」
「ですね」
バールートさんに続いてセデクさんやミンドさんまで喉を震わせる。ランサは困っているって言いたげなのに、その表情は全然そんな風じゃない。
だけどね。聞かされる本人は堪ったもんじゃないから!
私が知らない事を。現実を。教えてくれるランサには感謝しかない。
気持ちの良い話じゃないからと避けたりしない。生きる人々の暮らし。守る人々の役目。それをちゃんと教えてくれる。それは自分でも驚くくらい、嬉しさになって心に沁み渡る。
まるで、ランサから手を伸ばしてくれているようで。隣に立たせようとしてくれているようで。
それがとてもとても、嬉しい。
関わるたびに知る、ランサの一面。
ほら。部下である騎士達と、楽しそうに笑ってる。有事の際には文句ない、堂々たる将軍の顔をしてる貴方が。
「ん? どうした、リーレイ」
すぐに私の視線に気付く貴方は、その優しい眼差しにドキリとしてる、私の心に気付いてるかな…?
「…な…んでもない…」
まっすぐ想いを伝えてくれる貴方に、私もちゃんと、言葉で返せるかな…。
返したい。まだ少し恥ずかしくて、難しいけれど。必ず返したい。
国境巡回は何事もなく無事に終了した。
砦に戻り、馬を馬丁に預けた私達の元にヴィルドさんがやって来た。
「お疲れ様です。異常は?」
「ない」
「そうですか。リーレイ様もお疲れ様です」
「いえ。私は何も…。あ。ランサ、これ返すね」
私は思い出して腰に持っていた剣をランサに返した。腰が軽くなってなんだか身軽になったように感じてしまうけど、いつの間にか剣がある事に慣れてたみたい。
私の手から剣を受け取りながら、ランサは「例の子供が…」と微かに聞こえたヴィルドさんの報告を受けていた。ランサは少しだけ険しい顔をしていて、将軍の顔に戻っている。
やれやれって言いたげにため息を吐くと、すぐにその気を消して私を見る。
「リーレイ。今日は一緒に帰ろう」
「でも…ランサはまだ仕事があるでしょう? これ以上私がいたら…」
「皆に気を遣わせてしまう…なら心配いらない。騎士達との交流も、リーレイに必要な事だ」
私の言葉はそんなに読みやすいのかな。私は全然ランサの言葉は読めないのに。
仕事の邪魔はしたくない。でも確かに、ツェシャ辺境領と国境を守ってくれている騎士達と、将軍ランサの婚約者である私とは、言葉も交わした事がないような関係よりも友好的な方が良い。
辺境騎士団団長であり将軍であるランサの婚約者として。何かあった時、築いた関係性は必ず良いようになると思うから。
それに、私はただ、彼らに謝意を抱いているし、剣の使い方とかも興味がある。
今まで、こんなに近くに騎士はいなかったから。
「分かった。皆さんのお邪魔にならない程度にする。色々お話もしたいし。剣の使い方とか聞いてもいいかな? 普段の鍛錬とかどういう事してるのかな?」
「……バールート、エレン。くれぐれも距離感は見張っていろ」
「「了解です」」
今鍛錬してる方達なら、お話しても邪魔にならないかな? やっぱり休憩中が良いよね。
それまで待ってよう、楽しみだ。
ワクワクする私の傍で、バールートさんが思い出したような顔をした。
「それならリーレイ様。手合わせしません? 俺とエレンは、ランサ様からリーレイ様の鍛錬相手仰せつかってるんで」
「! いいんですかっ!」
「はい。砦とお屋敷限定ですが。砦でなら、刃を潰した剣で鍛錬できますよ」
エレンさんも肯定してくれた。
そうだったんだ! 思わずバッとランサを見ると、困ったような笑みだけど「あぁ」って頷いてくれた。
ランサはいつの間にか私の鍛錬相手まで決めてくれていたらしい。自分でも顔に嬉しさが出るのが分かる。
「リーレイ様嬉しそうですね」
「動き回るの好きですからね」
セデクさんの笑う傍でヴァンが肩を竦めるのが見えた。でも今の私はそんなにも気にならない。
「ありがとうランサ!」
「そこまで喜んでくれて何よりだが…」
嬉しい私の前で、ランサは言葉を切ると少し眉を寄せた。
何でそんな顔するの? 嬉しかったけど、私は首を傾げてランサを見た。
「リーレイは俺といる時より、馬や剣がある方が嬉しそうだ。少々納得がいかん」
「えっ…」
「敵はヴァンだと思っていたが、思っていない伏兵に遭遇してしまった」
「あ、俺はそういう認識だったんですね」
ヴァンは何か呑気な事言ってるけどそれどころじゃない。
私の前でランサは何か難しい顔をしてる。その表情はまるで真剣な会議でもしているみたい。
こういう時に上手く言葉を紡げない私は、上手く口が動かない。
違う。そんなことない。ランサが一緒にいてくれるのは嬉しい。それは他にはない。
剣術は身体を動かすのが好きだからで。馬は懐いてくれると嬉しいし、遠乗りに付き合ってくれる相棒だから。叔父様がくれた今の愛馬も可愛がってる。
だけど、それとランサは比べられない。比べられる人じゃない。だってランサは――
「遊んでないでさっさと仕事に戻って下さい」
「分かっている。リーレイ。また後で。もっと君を振り向かせられる策を考える」
「っ…!?」
最後にさらっと嬉しいのか怖いのか分からない事を言われた。
ランサは私の横髪に触れ、そのままクルリと背を向けて砦へ戻っていった。その背を何も言えず見送った。
見つめながら、そっと胸に手を当てる。
少し痛んだ気がした。ちゃんと言えなかった。そんな事ないって。
いつもそう。ランサはさらっと想いを伝えてくれるのに、私は何も返せない。
恥ずかしさばかり感じて、口が動かなくなって。情けなくて…。
「…ヴァン」
「はい?」
「さらっと気持ちを伝える為にはどうしたらいい? もういっそ恥ずかしいとか何も感じなくなる方法とかないかな!?」
「お嬢ー、落ち着いて」
そんな方法でも探さないと色々手遅れになりそうな気がするっ! それはマズイって私でも分かる。
両手で顔を覆って天を仰ぐけど、とりあえずじっとしていることが出来ない。
「無になるってどうかな!? 何も感じませんとか!」
「なっちゃ駄目なやつ」
「普段から誰もいないところで口にしてれば言えるようになるかな!? 誰か練習させてくれる人とか!」
「それ見つかったらその人が危ない事になります。命は大事にしましょう」
「ヴァンが私の心を読んで全部代弁出来るようになるとか!」
「俺は超能力者か。ヤですよ。俺が「ランサ好き」とか言わされるの」
それじゃあどうしたらいいの!
解決策が見当たらなくて悶えてる私を見て、バールートさんもエレンさんも、セデクさんもミンドさんもお腹抱えて笑ってたなんて、一切気付きもしなかった。
「ああぁぁぁ! 私の意気地なしぃ!」
「おぉっと…。リーレイ様流石ですっ…!」
晴らしたいこのむしゃくしゃ! いや自分が招いた事だけど!
とにかく無我夢中で鍛錬をする。晴らしたいけど剣術の思考は途切れさせず、私はまずバールートさん相手に鍛錬を続けた。
鍛錬中だったり休憩中だったり、戻って来た騎士達が驚いたように集まっていた事に、かなり時間が経って頭が冷えてきてから気付いた。
「将軍! リーレイ様凄いです! とにかくもうっ…気迫とか!」
「しかもバールートさん相手にでも臆せず善戦! 並の騎士より強いです! せっかくですし…」
「直属隊に入れてはどうだという話ならお前達で五組目だ。認めん」
その日、私を推薦する騎士組がランサの元へかなりの数訪れたらしいけど、私はそんな事知る由もない。
そして結局、その日のうちに私はランサに気持ちを伝えるという事が出来なかった。ランサは何もなく普段通りで、その日も遅くまで部屋には灯りが点いていた。




