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駆ける令嬢と辺境の闘将~貴方の事を知るためにここへ来ました~  作者: 秋月
接近編

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27,いつだってまっすぐに伝えます

 砦を出てしばらく、時には馬を降りたりしながら、注意深く異状がないか確認していく。


「森とか山の近くには野盗がいる事がありますが、わざわざ巡回中に襲って来る事はありません。我々も見かけたら捕まえはしますが」


「捕まえてくれって言ってるようなもんですしね」


 セデクさんとミンドさんが教えてくれる。それには私も成程と頷けた。


 辺境騎士団の隊服を着てる騎士を襲う利点はない。理由もない。返り討ちに遭うのが目に見えてるし、そんな物好きはいないだろう。

 でも時々、意趣晴らしだったり、偶々遭遇するって事もあるみたい。野盗は近くを通る商隊や森に入る人を狙う事があるから。


 だから、どんな時でも油断出来ない。


 そして巡回する私達は、ツェシャ領の北にあるマンシュ湖までやって来た。

 そこは見晴らしのいい草原が広がっていた。背の短い草が足元で風に揺れていて、中には花も咲いている。湖は広大で水面が風に揺れている。


 穏やかな風を受けながらその風景に見惚れる。自然と大きく呼吸した。


「リーレイ」


 優しい声がふわりと耳に届く。引き寄せられるように視線を向けると、馬から降りたランサが私に手を差し出していた。導かれるように馬を降りる。


 ヴァンが私の手から手綱を取ると、ランサは私の手を引いてマンシュ湖へ向かって歩き出した。

 私の手を包む大きくてあたたかい、武骨な手。とてもとても安心するぬくもり。手を引いてくれている。それだけで不思議と頬が少し熱を持った気がした。


 私よりも背の高いランサは、ゆっくりとした足取りで歩いてくれる。

 見上げると、太陽の光を受けて、漆黒の髪の毛先が少し赤みがかって見えた。視線に気付いたのか振り返って視線を向けられて、見ていたのを知られたくなくて視線を逸らした。少しだけ胸が苦しいのに、ランサはそんな事ないみたいで、クスッと笑った声が聞こえた気がして、ぎゅっと握った手に力が込められた。


 ランサの足は湖の傍で止まった。前へ視線を向けてその風景に目を瞠る。


「綺麗…」


 湖が太陽の光に反射してキラキラと輝いている。揺れているから一定じゃない光は生きているみたい。

 水鳥もいて優雅な姿で羽を伸ばしている。バシャバシャって水の音はそれだけで気持ちいい。広大な自然の風景に、心がゆっくり落ち着いた。

 優しく吹いてくる風に髪が揺れる。それも心地良い。


「気に入ってもらえたようで良かった」


「うん!」


 まさかマンシュ湖の傍がこんな場所だったなんて。ツェシャ領の素敵な所を知る事が出来て嬉しい。

 嬉しくてランサを見ると、ランサもどこか嬉しそうな顔をしていた。その笑顔が少しだけまっすぐ見られない。でも、ランサが笑ってくれるのはとても嬉しい。


 湖を見ると、遠く向こうには船があるのも見えた。


「船が通るの?」


「あれはカランサ国の商船だ。国内の川がマンシュ湖に通じているから、それを辿って航路にしているらしい。この辺りの土地では、陸路以外では川を使わないと海まで出られないから」


「ツェシャ領は川は使ってないよね?」


「あぁ。ツェシャ領は陸路での交易が主だからな」


 川を交易に使うのは、遠くの地との交易や、早く届けたい生鮮食品を扱う地に多い。他にも費用面の問題もあるけれど。

 ツェシャ領はカランサ国や緋国との交易の要所で、その交易に川が使われる事はない。

 思い出す私の傍で、ランサは続けて教えてくれた。


「シャグリット国側ではマンシュ湖は利用していない。三国に挟まれていて国境も複雑だからな。代わりによく川が利用されている」


 シャグリット国は海に面していない領地でも川がよくある。それが利用されるのがほとんどだ。

 王都でも近くには川があって、行き交う船も見かけた事がある。


 マンシュ湖の国境線は難しそうだ。

 そう思いながらマンシュ湖を見て、その傍もぐるりと見て回っていると、気になるものを見つけた。


 マンシュ湖の端から近くにある森の入り口の間に、小さな砦のような建物がある。


「ランサ。あの建物は?」


「あれは見張り場だ。国境警備上の要所で、あの場所以外にも二カ所ある。ここでは緋国とカランサ国、両方の国境を警備している」


「緋国は友好国だけど、やっぱり不法入国や問題はあるの?」


「ある。カランサ国よりは少ないがな」


 そうなんだ。

 緋国はシャグリット国とは長く戦の歴史はないけれど、それでも国境警備を緩めるなんて事は出来ない。いつ何があるか分からないし、亡命しようとしてくる人もいるらしい。勿論野盗なんかの問題も。


「ツェシャ辺境領は、緋国とはマンシュ湖を隔てているから関所はない。緋国との人の行き来はここから西の領地で行われている。逆にカランサ国との間に関所がある。けれど、緋国の商隊の中には、カランサ国を通る方が近いからと、ツェシャ領を経由する隊もある」


「だからツェシャ辺境領は、緋国の物もカランサ国の物もあるんだね。屋敷でシスが出してくれる茶葉も緋国の物だって聞いたよ」


「あれはこの土地へ来た時、母上が気に入ったものなんだ」


 そうだったんだ。初耳だ。

 でも、それならきっとランサもずっと飲んでいるんだろうな。


「…五年前の戦場は、緋国にも近かったよね? 何もなかったの?」


 少し考えながら、思い至った事を聞いてみる。


 ツェシャ辺境領は三国の国境の交わる場所にある。カランサ国からの攻撃は、緋国にとっても決して無視できるものじゃなかったはず。

 カランサ国の動きが緋国に及んでいた可能性だってあったはず。


 聞いた私に、ランサは少し眉を下げた。


「…あまり戦の話を聞かせたくないんだが…リーレイにはそうもいかないな…。緋国に被害は出ていない。緋国は軍事力が高いから、流石にカランサ国も二の足を踏んだようだ」


「そうなんだ…。ありがとう。教えてくれて」


 そう言うとランサは私の頬に手を添えて首を横に振る。


 ツェシャ辺境領を一番北に、南には伯爵領と公爵領が続いている。その国境にも国境警備隊が配置され、常にカランサ国を睨んでいる。

 彼らの隊は国境警備隊隊長がまとめ、万が一の時には防衛線を展開する。それは五年前もそうだったらしい。


「ランサ。カランサ国はどうしてわざわざ辺境領を狙ったのかな? ランサの父君の事は伝わっていなかったとか?」


「いや。父上は昔から小競り合いに勝利してきた人だから、それはない。恐らく立地の問題だ」


 そう言われて私はすぐに頭の中でシャグリット国の地図を広げる。

 カランサ国との国境に接するツェシャ辺境領と他の領地。ランサの父君が腕の良い方だと解っていてもツェシャ辺境領を攻めた理由は…。


「ツェシャ辺境領の南にある伯爵領は国境と接している距離が短い上、国境は険しい山で越えるのは難しい。さらに南にある公爵領との国境は山と湿地が広がっている。攻めやすいのがこのツェシャ辺境領だ」


「でも、万が一はあるよね?」


「ある。だが、相手にそんな動きが見られればすぐに俺に連絡が来る。向こうの行軍には通常より時間もかかるから、こちらは万全の体勢で迎え撃てる。それが分かっていて、苦労する道を進んで兵の士気を下げて攻め込むのは愚策だ」


 確かに。そんな行軍になると知れば兵も気力がなくなるだろうし、疲労も通常より溜まる。

 それならツェシャ辺境領を攻め入る方が、相手が凄腕の武人でも、数と策を用いれば何とか…と思える。


 国境警備隊は警備隊長がまとめる。ツェシャ辺境領ではランサが将軍として全体をまとめているけれど、これは有事の際、他領でも同じ指揮命令系統になる。


 つまり、他領であっても、有事の際の全隊の上官は『将軍』であるという事。だから、侵略行為などが見えた場合、速やかに辺境伯へ連絡をしなければならない。


 この時、その領地を治める領主でも、領軍ではない国軍への口出しは認められない。国境防衛という事態に『将軍』へのそれが認められているのは、王族と元帥、王都騎士団の団長のみ。

 そして、王都騎士団団長が国境で有事に加わる際は、騎士団長が『大将軍』という位置につく事になり、『将軍』である辺境伯の上官になる。けれど、時代の中でそういう事態になったことはないらしい。

 それだけ、辺境伯が的確に事態に対処しているから。


 だからこそ、シャグリット国において辺境伯は『国の要』とも『国境の番人』とも呼ばれている。


 改めて、その役目の大変さを痛感する。

 自領だけでなく、他領の国境にも意識を向けていなければならない。


 守らなければならないのは国。一歩間違えれば国全体の危機になる。

 そんな役目を、辺境伯家はたった二家で、ランサともう一人が担っている。


「…ランサ」


「うん?」


 そう言って私を見つめてくれる瞳には、一切の弱さは見えない。

 ランサが役目に誇りを持ち、その為に前を向いているのは感じているけれど、それでも…「辛くない?」と聞いてしまいそうになる。


 聞いてしまいそうになって、グッと喉を押しとどめた。

 私がランサに向ける言葉は、きっとそれじゃない。


「ありがとう。ずっと…守ってくれて、ありがとう」


 キュッとその手を握りしめた。

 この手で、ランサは沢山のものを守ってくれている。信頼も。国も。国民も。騎士も。


 五年前の戦が短期で終結したのも、クンツェ辺境伯家と直属隊や国境警備隊の騎士達が戦ってくれたから。

 その為の戦いは。相手の進軍を許す事もなかったという戦いは。どれだけ辛く苦しかっただろう。犠牲者だって少なくない数出たはずだ。


 そう思って胸が苦しくなっていると、不意にグッと体を引かれた。

 そのまま額にちゅっとぬくもりが落ちる。


 いきなりの事に驚いてランサを見ると、すぐ頭上で、穏やかで優しい目でじっと私を見つめていた。


「礼はこれでいい。俺達は役目を全うしただけだ」


「ランサ…」


「これからも俺は、この国を、リーレイが気に入ってくれたこの地を、必ず護る」


 まっすぐ見つめてくれる目は、とても強くて頼もしくて、そして優しい。その目は覚悟をのせた刃のように輝いている。でも、その光は決して私を傷つけないと分かる。


 ランサ一人に背負わせくたない。そう思ってランサの手を包み込んだ。


「私もっ、私もランサの力になれるように頑張る」


「ありがとうリーレイ。程々にな。……いや待てよ。大体、カランサ国がリーレイをこうも不安にさせているんだな。いっそ攻め落とすか…」


「!? ランサ!?」


 何物騒な事さらっと言ってるのかな!? そんなに真剣な顔しないでよ!

 それに君、前に「戦は嫌いだ」って言ってたよね!


「た、確かに不安はあるけどそれは問題があるから! 冗談でも言わないで!」


「大丈夫だ。戦略ならいくつか思いつく」


「何も大丈夫じゃないっ…!」


 不安が倍増してしまうんですが!

 私の所為で国家問題引き起こさないで。罪悪感で死んでしまうから!


「こんな事なら五年前にもっと深く攻め込むんだった…」


「そんなに本気で後悔しないでっ…」


 誰か…誰か助けて。私だけじゃランサを止められない。

 手慣れてる人…ヴィルドさんに居て欲しいと心底思ってしまう。きっと「何言ってるんですか」って呆れた視線と声を向けてくれる。


 なんだか一気に疲労が押し寄せて来る気がして、思わず重い息を吐いてしまった。

 そんな私をランサはひょいと抱え上げ、そして地面に座る。…膝に乗せられてしまった。重いのに。離れようとしたら、今度はしっかり腰を引かれて余計に離れられなくなる。


 ぴたりと体を添わせるような体勢に、恥ずかしくなって体が熱を持つ。

 すぐ触れてしまえるランサの体は硬く逞しい。引き締まっているのが隊服の上からでも感じられてしまって、余計に恥ずかしい。

 こんなにも傍に誰かがいるのは初めてだ。落ち着かない。


「リーレイ」


 名を呼ばれる。それだけで不自然にドキリと心臓が鳴ってしまう。

 一度高鳴ると、今度は早鐘を打って苦しくなる。


「今は、カランサ国も落ち着いてきている。またすぐ戦になるような事はないと思う。だから、不安にならなくていい」


「…うん」


「それとも……俺の事を心配してくれていると、自惚れても良いのか?」


 コテンと首を傾げるランサ。でもそんな顔を見つめられそうにない。

 落ち着かなくて、自分の両手を合わせる。


「…心配だよ。いつだって、何があるか分からないし…」


 戦なんてない方が良い。ランサにはどこにも攻め込んで欲しくない。戦いに行ってほしくない。

 それがまぎれもない、私の本心。


 だけど、これは口にしちゃいけないとも分かってる。


 ランサは、その時になれば国を守る役目を担う人。それに誇りを持つ人。騎士達もその役目に全霊を注いでいる。

 私が口を出しちゃいけない。ランサを困らせて、足を引っ張っちゃいけない。


 ランサも、騎士の皆も、私にとっては赤の他人じゃない。笑って話せる大事な友人で、大事な人。心配もするし不安にもなる。

 明日も必ずいてくれるなんて、それは当たり前じゃないんだと、母を亡くした時に私は知った。


 視線が下がってしまう私に、ランサは私の手を取って手の甲にちゅっと口付けた。


「心配してくれてありがとう、リーレイ。俺からも一つ言わせてほしい」


「なに…?」


 口付けは恥ずかしいのに、少しだけ悲しそうな、沈んだランサの声音に思わず視線が上がる。

 伏せがちの白銀の瞳。少しだけ不安に揺れているように見えたのは気のせいかな…。


「俺はこれまで、失う事を悲しみはしたが、恐ろしいと思った事は無い。だが今、リーレイに何かあったらと思うと、ひどく恐ろしい」


 私をまっすぐ見つめる瞳。その瞳に映る私は、とても驚いた顔をしている。


 離れるなと伝えるように腰に回された腕に力がこもる。ランサの瞳が私を見て、胸を衝く。


「俺を心配してくれる君が、俺を傷つけないでくれ」


 ランサも知っている。人は呆気なくいなくなってしまう事を。きっと戦でそんな経験を沢山しただろう。

 親しく言葉を交わした人も。仲の良かった人も。


 ランサはきゅっと私の手に自分の手を重ねる。

 その気持ちがとても嬉しい。こんなにも想ってくれる人に出会えて、本当に嬉しい。幸せだ。


 だから私は、ランサの目をまっすぐ見返す。嘘は伝えられない。偽りない私の心を伝えなければ。


「ランサ。ごめん。しないとは言えない。ランサもきっと同じ事言うでしょう?」


 ランサの瞼が震えた。

 私は重ねられた手を、ランサの手を挟み込むように重ね返す。


「ランサが私を守ろうとしてくれるように、私も貴方を守りたい。それならきっと、お互いに守り合えれば、不安なんてないでしょう?」


 一緒にいたいと。守りたいと思う。それが他人にどう思われても。

 ランサは私の…大事な人だから。


 じっと私を見て、ランサはフッと力が抜けたような顔を見せた。


「そうだな。俺はそう言ってくれるリーレイだから好きになった。そういう君だから惹かれたんだ」


 失うのが恐いと、初めて感じた。私も。ランサも。

 だから互いを守りたい。これからもずっと。


 二人なら、何があっても大丈夫。


 そう思う心は胸の内にあって、でもすぐにランサにぎゅっと抱きしめられて全身が熱くなった。

 閉じ込められるような腕とぬくもり。伝わってくる熱。全てが恥ずかしい。


「ランッ…」


「愛してる。俺の半身」


 もっ、もう無理っ…! 急に近くなる吐息に全身が熱いっ…!

 出る本当に心臓飛び出る! 顔から火が出る!


「ランサ分かっててやってるでしょっ…!」


 ハハッと笑う楽しそうな顔が少し憎らしくて、なのに、その笑みにまた頬が熱くなった。






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