過去話 将軍と補佐官 その1
「おぅ! ヴィルド!」
聞こえた声に私は振り返った。
ツェシャ領の街、ツァット。いつもなら見回りや駐屯騎士への用件で立ち寄ることがほとんどであるこの町を、こうして用件もなく歩くのは久方な気もする。帰宅しようと思っていた矢先にかけられた声。
明るい日が昇る町は、皆の活気に満ちている。国境という不安定な土地であるが、隣国カランサ国との支援協定から人々も安定の夢を見ている。
そう願う想いがこれから現実になっていくといい。そう思う反面、それが遠いものであることも解っている。
人々の笑顔と賑わいの中、私に声をかけた男が駆け寄ってきた。
「ダンテですか。お久しぶりです」
「おぅ。お前も元気そうだな」
「変わりなく?」
「あぁ。……っと、将軍の補佐官様にこんな態度してちゃ、怒られちまうな」
「構いませんよ。畏まられる立場にはありませんし、昔馴染みです」
「その言葉遣いも、もう慣れたな」
そう言うと、ダンテは大柄な体そのとおりの豪快な笑い声を上げる。昔からの変わらない彼らしい一面だ。
しかし、こうして彼が笑うようになったのは、ほんの数年前から。
「店、寄ってくか?」
「いえ。これから帰る予定ですので、またにしておきます」
「そうか。お前、あんまり帰ってねえんだろ? 忙しいのは分かるけどよ」
そう言われると、そんなことはないと言えないのが現実だ。
今回も……
『ヴィルド。お前、最近帰っていないな? 帰れ』
と、ランサ様に言われ、帰ることになったのだ。
ランサ様の補佐としての仕事はいろいろとある。ランサ様自身が理由なく仕事を溜め込むことはないので、追われるということはあまりないからこそ、帰れと言われれば帰ることもできる。
しかし、砦の仕事はいつ緊急が入ってもおかしくない。己の休息は大切にしているが、砦を出るとどうにも気になって仕方ない。
「今度は妹と一緒に来い。待ってるからよ」
「ええ。また」
店の主人に呼ばれ、ダンテは手を振って店に戻っていく。それを見送り私も帰路につく。
ダンテとは昔馴染みだ。私もダンテも、家はツァットにはない。
町からはずれた小さな村で暮らしている。ダンテは仕事場がこの町にあるが、家は生まれたそこから変わっていない。町での雇われ仕事も、家の畑仕事も、どちらも手を抜かずやっている。
といっても、こうして仕事をしていることが、自分にとってもダンテにとっても、数年前ならば想像もできなかったようなこと。
思いつつ、私はツァットを離れる。歩いてもさほど時間がかかるほどではないが、久方に見るような、巡回警備中にはどこにでも見るような、そんな風景を横目に進む。
そうしていると、小さな村が見えてくる。その村の中にある一軒の小さな家の扉を叩いてから、開けた。
「あ。お兄ちゃん。おかえりなさい」
「ヴィルドさん。おかえりなさい」
「ただいま」
食事の準備でもしていたらしい妹と、妹の幼馴染がそこにいた。
いきなり帰ってきた私にも驚くことなく、自然な動きで日常の生活に戻る。だから私も、隊服の上着を脱ぎ、視線を二人に向けた。
「お兄ちゃんは本当にいつ帰ってくるのか分からないな、もうっ。もう一皿もう一皿」
「ほい、これ」
「ありがとう」
せかせかと動く妹と、それを手伝う幼馴染。傍目に見れば兄妹か、それとも……
「……帰ってきては、邪魔でしたか?」
「お兄ちゃん!?」
「えっ。やっ。全然……!」
不自然なほど慌てる二人に、我が家のはずが出ていきたくなる。思わずため息が出ると、さらに妹がやめてくれというように私を呼ぶ。
二人がさて、どこまでの関係なのかは知らない。互いに嫌っていないというのは知っているし、むしろ好き合っているのだろう。
でなければ、子供の頃から体の弱かった妹を、献身的に見舞うようなことはしなかったはず。体が苦しい中、来訪を心待ちにはしなかったはず。
今も、この家で一人の妹を、彼はよく気にしてくれている。彼が愚者でないことは私も知っているからこそ、妹を頼むこともできる。
好き合って、妹と一緒になってくれれば、私も安心できる。
「節度を持って付き合うならば、なにも言いませんよ」
「違うってもうっ!」
何が違うのやら。頬を染めて言われてもなにも説得力がない。
テーブルに料理を並べるので、私も席につく。いきなり帰ってきたことにも何も言わず、皿は三人分用意された。
全員の料理を並べ、最後に妹が席に着けば、食事の始まり。
砦の食堂の料理も美味しいが、妹が作るこの味が一番馴染みがある。今はもう偶にしか口にすることがない味。
騒がしい食堂とは違い、この食卓の空気には気を張ることもない。
「もう……。あんまり帰ってこないのに、帰ってきていきなり……」
「何か?」
「お兄ちゃんがあんなこと言うなんて珍しいなって思っただけだよ。人のそういうこと、あんまり興味ないかなって思ってたから」
「興味はありません。ただ……休憩中の上司がよく似たような顔をしているので」
普段は、騎士として『将軍』として、その背中で、その実力で、皆をひきつけるあの人が、屋敷や休憩の合間、書類仕事中に見せる阿呆な顔。ずっと傍に居れば嫌でも分かるようになる。
婚約も結婚も、まるで他人事のように言っていたあの人が、あんな顔を見せることにも驚いたというのに。
「えっ。領主様が?」
「嘘。だって、たまに来てくれる領主様って、すっごくキリッてしてるもん」
「あれは仕事の顔です」
ランサ様は領主として、各村へも視察を行う。その時には村民とも言葉を交わし、困っていることや願いを聞くこともある。
そして、今はもう、その隣に当然のように立つ人がいる。
己に何ができるのかを考え、貴族としての立ち居振る舞いや社交に務めつつも、まるで騎士であるかのようなまっすぐで揺れない信念を持ち、ランサ様を支えている。ああいう姿は確かに、他の貴族令嬢では見えなかったものだろう。
そういう領主夫妻だからこそ、良いのだろう。
だが、ランサ様は同時に理解している。
個々を意識することは大切だが、戦場においてそれは足をすくうと。個々に目を向けてしまえば、差配はふるえなくなるということを。
領地を治めるという点においては、その視点でリーレイ様はランサ様を支えている。助けになっている。そういう助けは、他の騎士ではできない。
ランサ様がそれでも、それをするのは、ひとえに領主としての責任感。
安全を守り、平穏な暮らしを。己が守るものを、ランサ様は見つめる。
食事を再開しながら、私は視線を前に向けた。
楽しそうに食事をする妹。今は元気だが、昔は横になっている時間の方が多かった。そんな妹を見舞いによく来ていた妹の幼馴染。
ランサ様の補佐をすることになった、私。
こうした暮らしがあるのは、ランサ様のおかげだ。
♢*♢*
漏れた息は、冷たい牢獄の中へ消えていく。
さしてすることもない現状、ただ、壁に背を預けて座っているしかない。唯一動かすと言っても過言でない目を、私は隣へ向けた。
そこには複数の男たちがいる。
幼馴染のダンテを始め、同じ村、もしくは近くの村の男たちは、ここ数ヶ月ですっかり顔なじみになっていた。
また、息が漏れ、それと同時にがちゃりと近くも遠くもない場所の扉が開いた。
光が洩れ、人影が浮かび上がる。その主はカツカツと靴を鳴らしてこちらへやって来る。
光など最低限の中、見える姿はまだ若い。二十歳に届くのか否かという青年。黒い髪は明かりのない中で闇に溶け、白銀の瞳は光のように鋭くこちらを見ている。
腰には剣を佩き、ここにいる騎士達と同じ制服だが、少しデザインが違うのが分かる。
この男こそ、ほんの少し前に『将軍』となり、このツェシャ領の領主となった、ランサ・クンツェ。
一度は鉄柵などない森の中で見た姿が、今は、鉄柵に遮られ、触れることも叶わない。
「自分たちがしでかしたこと、理解できているか」
厳格な騎士か。地位を持った若造か。判断できるほどの情報がない。
それでも、俺だけでなく、この牢屋の中にいる全員が、将軍を睨んだ。
素人の圧などどうともないのか、平然と、表情も変えないまま、鉄柵の向こうで厳然と立っている。
そんな相手に、隣のダンテがいきり立った。
「ああ分かってるさ! 森に罠を仕掛けて騎士様を嵌めた。それがどうした? 引っかかる間抜け野郎が!」
「てめえっ……!」
将軍の後ろいた騎士が、ダンテの言い方に眉を吊り上げた。が、将軍がスッと手を挙げて制するとすぐに黙る。
「悪意を持って、故意に行った。それも今回だけでなく、過去何度も。辺境騎士団に負傷者が出ている以上、こちらも黙ってはいられない」
「で? 牢にぶちこんで後は斬るだけか?」
騎士という立場の相手に、厭味ったらしくダンテに続く言葉が出てくる。俺はただそれを、黙って聞いていた。
俺たちをぐるりと見やり、将軍は身を翻す。
「処遇は追って決める。しばらくはそこで反省していろ」
がちゃりと閉まった扉に、俺はまた、ため息を吐いた。




