過去話 護衛官の今につながるもの その3
貴族様――ジークン様に引き取られて、俺の生活は一変した。
まず部屋。広すぎ。
孤児院じゃ、何人もの子供で同じ部屋が当たり前だった。そんな俺は、人生初の一人部屋をもらってしまった。
ベッドはデカいし、ふかふかしてる。床だって絨毯が敷いてあるし踏むのがもったいないくらいだ。窓もでかくて日の光がよく入って来る。窓辺は昼寝に丁度良さそうだとすぐに解った。テーブルとか椅子も、明らかにお高いもので、正直これを当然と使える神経が理解できない。
もっと狭い部屋でいいですって、ジークン様の奥方であるカネリア様に言えば……
『旦那様にもそう言われて、その通りにしたのだけど……』
って、困り顔で言われた。貴族様ってとんでもない。
それに、服装。
孤児院じゃ、不潔ではないけれど古着が多い。ここへ来た時だって俺は剣術遊びそのままの格好だったから、ちょっと汚れてたと思う。
それが今、肌触りが良すぎて落ち着かない服をもらっている。ジークン様とかラグン様はなんかきっちりした貴族様って感じの服だけど、俺はシャツとズボンの簡単な物をもらってる。だけど物が良いのは着てすぐ分かるし、それに結構動きやすい。
ここに来たばかりの俺は、生活の手助けをしてくれるっていうメイドを付けようかって、カネリア様に言われたけど、断った。
いきなり色々変わりすぎだ。自分でできるし、貴族生活は多分、俺に合ってない。この数日でもう分かってる。
だから、着替えも風呂も、俺は全部自分でやる。ジークン様もそれについては何も言わないから、いいってことなんだろう。
後、びっくりしたのが食事だ。
孤児院じゃ子供も多くて、一気に大量に作ってそれを皆で食べてた。飯には困らないようにって、院長先生たちも沢山作ってくれた。出てくる料理は一般的なもので、ワンプレートに載せられている。当然だけど材料だって安く抑える。
だから、目の前に貴族様の料理が出て来た時はびっくりした。食べた事ないような料理だし、一皿ずつでてくるし、材料高そうだし。ナイフとかフォークとか使うの大変そうだし。
貴族様には、食事のマナーというものがあるらしい。俺はそういうの全く知らない。
『その辺りの事は学びたいなら教えるが、後回しだ。それよりも先に身につけておくことは山ほどある』
ってわけで、俺は食事マナーは知らなくていいらしい。なんか難しそうだから一安心。
……だけど、一家の食事に交じってる俺は、気にせずバクバクできるほど胆力はない。美味しいけど、ちょっと居心地が悪い。
ティウィル公爵邸で悠々のんびり生活……なんてものは、俺にはない。
俺は今日も屋敷の外を走らされている。
「まだ。後十周、追加」
「もう十周してるんですけどおぉぉ!」
ティウィル公爵邸は広い。そりゃもう広い。無駄じゃね? って思うくらいには広い。
そんな敷地の、一番外側を延々走り込みさせられてる。朝からずっとだ。
ちょっとでも足を緩めたら、俺の教育係こと――ユラットさんに倍の稽古を追加させられると、俺は初日に痛感させられた。手を抜いたら死ぬと思った。
そんなわけでも、俺は絶賛鍛錬中だ。
ティウィル公爵邸に来て、分かったことがある。
俺がジークン様に引き取られた第一の理由、それはジークン様の兄の家族の護衛のため、らしい。
だからこそ、俺にはマナーとかはいらない。代わりに腕っぷしと、護衛のための心得、身につけるべき視点、戦術なんかを身につけろってことらしい。
武器は一通り身につけろって言われてる。剣もそうだし、弓や槍、体術や棒術、馬術も入ってる。これまでやった事がない事が出来るのは正直に言えばちょと楽しみだ。
気になるのが、その兄家族ってやつだけど。まだ教えてもらってはない。
今はとにかく強くなれ。
そういう教育方針らしく、俺の一日のスケジュールは全部身体強化で詰まってる。
かといって、俺はまだ子供だ。詰め込みすぎるのは良くないとかって事で、座学もある。
国の歴史とか、算術とか、学院で学ぶような事とか。読み書きは孤児院で習ったからできる俺だけど、他にもちょっとは知っておけって内容を、勉強中のラグン様と一緒に、家庭教師の授業を受けることになってる。
正直に言う。座学、眠い。
特に鍛錬の後の座学は起きてられない。疲労で眠くてしょうがない。スケジュールが間違ってると思う。
こんな風に、決められた一日なんて過ごしたことがない。
孤児院じゃ洗濯や掃除っていう役割はあったけど、自由時間も多かった。のんびりしてて好きな時間だった。
だけど、ここじゃそれがない。
地獄だ。帰りたい。それに……
「次、素振り。千回」
……俺の教育係、もうちょっと優しい人がいい。
「ヴァン。大丈夫か?」
「まあなんとか」
朝の鍛錬が終わったら座学の時間だ。授業が始まるまでの間、ラグン様が疲労困憊の俺を見てそう言った。
ラグン様は俺と同じ歳らしい。そのわりにかなり大人びてるなと思う。
将来結構いい男になるんじゃね? と思う顔立ち。それに頭も良いし、自分でも色んな本を読んだり、家庭教師に質問したりと、態度も積極的だ。
そんな将来有望そうな人だけど、いきなりやって来た俺にも優しい。
「ユラットは厳しいからな。俺も素振りを五百回させられた」
「俺、今朝千回やらされました」
「それは俺もやったことないな……」
大変だなって言ってくれる手が、俺の背をぽんぽん叩く。厳しすぎる大人に比べて子供の優しさが沁みる。
ラグン様の妹、スイ様も優しい。結構元気な人だけど。
俺が庭で転がってると、お茶の時間っていうものに誘ってくれたり、ラグン様と一緒に遊ぼうって誘ってくれたりする。
「ラグン様も鍛錬するんですか?」
「うん。俺も剣が使えないっていうのは駄目だから。けど、ヴァンほどじゃない」
「ふーん。ま、騎士になるんじゃないですしね」
「ヴァンが騎士になったら、俺の護衛になってくれればいいのに」
「貴族様の護衛も疲れるじゃないですか」
俺はジークン様の兄家族のために連れて来られた身だ。ラグン様の護衛はきっとそれに相応しい人がなるんだろう。それは俺じゃない。
はぁってため息を吐いて机に突っ伏す。
今日も疲れた。腹も減った。
「……授業中寝たら怒られます?」
「うん」
「……こうすれば…」
教本を立てて顔の前に置く。こうすれば前からは本が壁になって俺の顔は見えない。
こっそり寝る算段をたてる俺を見て、ラグン様が「それバレる」と言ってたけど、俺はこれを通すことにした。
……家庭教師にはバレて、たたき起こされた。カネリア様にお説教をくらう羽目になった。
ユラットさんの指導は毎日毎日容赦がない。
走り込みから始まり、剣の素振りや打ち合い。他にも弓の練習、体術などなど。一つの武器で一定水準を合格すれば次の武器を習う。そして、忘れないように時には武器を変えて鍛錬する。
元は、孤児院の子供同士の木の枝を振り回していた剣術遊びが、今はすっかり本格的なものになった。
俺は、身体を動かすのは嫌いじゃない。剣だってそうだ。負けるのは悔しい。
強くなることは嫌じゃない。見せびらかしたいわけじゃないけど、身体に合ってるのがなんとなく分かるから。
ま、騎士になるのはゴメンだけど。
だけど、ティウィル公爵邸に来てよかったと思うのは、それまで触ることも見ることもなかった武器や、実際の騎士の実力が見えることだ。
ユラットさんは強い。ジークン様の護衛に抜擢されるくらいには実力がある。まだ若いのに凄いな。ついでに言うと、もうちょっと喋ってほしい。
この人の指導は口が動かない。ひたすらに、体で覚えろ、だ。……俺、これ本当にヤだ。
体力づくりや身体づくりから始まった鍛錬を、なんとか日々こなす。
最初の頃は、ちょっと手を抜けば鍛錬は倍になってた。けど今、俺がちょっとでもその気を見せると……
『ぎゃっ!』
どこからか矢が飛んでくる。それが俺のスレスレに突き刺さるから怖い。
すぐに飛んで来た方を見れば、弓を構えてこっちを見てるユラットさん。
『殺す気か!』
『頭と心臓は避ける』
『それ以外なら当てる気かよ!』
当てないスレスレを狙うつもり……なんてものはないらしい。
ユラットさんがそうするってことは、つまりはジークン様も承知済みってことだ。
……俺、なんのためにこの屋敷に連れてこられたんだろう。
時々、そんな疑問が湧いてくるようになった。




