後日談 隣国宰相閣下のひと時
「アルギ様! 例の灌漑工事の予算がかなり厳しいと財務部から報告が――」
「マウレスから搾り取れ。あの鉱石に関して領主と会談の場を取り付ける」
「アルギ宰相! 使節団から意見書が――」
「陛下が留学生制度を作りたいとの事だ。それと噛み合わせる」
「アルギ様! サウス地方での橋梁工事に不正が――」
「責任者は真面目だったんだがな……。近辺を洗い出せ。見つかれば潰す」
あちこちから上がる報告に俺は資料やらサインが必要な書類やらにも目を通しながら返す。
そんな俺の周囲――執政部内は常に人が動き回っていて忙しないことこの上ない。バタバタとした足音にペンを走らせる音、紙をめくる音。声が飛ばされても聞こえない事も少なくない。
あー。疲れる。あちこち動き回ってる時より頭が疲れる。この疲労が俺にはしんどい。
報告が一旦落ち着き、俺は固まった体を解す。腕やら肩を回す俺に気づく者はいない。
俺がシャグリット国から戻ってしばらく経つが、忙しいのは変わらない。部下曰く「アルギ様がいらっしゃるのは何よりの救いですが一気に仕事が回りだすのでしばらく忙しいですぅ!」との事。俺に休んで欲しいならそう言ってくれ。いくらでも休む、というか外に出る。だがそれをすると別の悲鳴が上がるのも解ってる。
困ることこの上ないが、俺が留守の間、この執政部を預かる副宰相は実に優秀だ。だからこそ俺も気楽に留守に出来るというもの。
だが、後数日はこのままかと思うと、どうにもため息しか出て来ない。無意識に零れたそれは、副宰相が目敏く捉えた。
「アルギ様。まだまだありますぞ」
「分かってる。あー……外出たい」
「終わればどうぞ」
副宰相は俺の親父ほどの歳で、実際、親父が生きていた頃はその下で働いていた優秀な男だ。そんな男が今は俺の下で働いている。
全くもって、未来は分からねえもんだ。
元々、俺はこの副宰相が宰相になるだろうと思っていたし、ノエル陛下にもその方向でと話を進めていた。
が、ノエル陛下はそうはしなかった。
『それじゃあアルギ。宰相位よろしくね』
笑顔で俺にそう命じたあの日を俺は忘れないだろう。
断った。それはもう断固拒否だと。だってのにノエルは……。
『私を王にしたのは、誰だったかな?』
自分を王にしたんだから悠々過ごせると思うなよ、と。あの笑顔から俺は読み取った。おかげでこの様だ。
こんな地位の為にアイツに王になってくれと言ったわけじゃない。親父を慕っていた者達を集めてノエルを説得したわけじゃない。
が、受けたものは受けたので、やるしかない。やると決めたのは俺だ。
なので、陛下の御代に尽くす。
が、どうにも俺は机にかじりつくのは苦手でしょうがない。……やるけどよ。またため息が出る俺を、仕事をするランフォルが見て笑っていた。
ペンを持ち直し仕事にかかろうとした俺は、そのランフォルに呼ばれた。
「何だ」
「窓にお客様みたいですよ」
窓に客?
どういう意味かと思いつつもなんとなく客の正体が分かり、俺は視線を向けた。
むぎゅっと窓にへばりついてこっちを見るリスが一匹。顔が潰れてる客に思わず半眼を向けつつも、俺は仕方なく席を立ち、窓を開けた。
「目を逸らしたくなるような来訪の仕方はやめろ」
「きゅ……」
なんだよそのちょっと不満そうな声は。
ノエルが常に連れているリスは、ノエルの友だ。
ノエルがただの王子だった頃、貿易船に紛れ込んでいたのを、珍しいペットとして先王に献上された。やがてそれに飽きた先王が始末を命じ、そこを逃げ出してノエルに出逢い、保護された。それからはずっとノエルの友として傍に居る。
同じ毛色だからと、ノエルはこのリスを「キャラメル」と名付けている。
「で、何か用か?」
コイツは案外賢い。
問うと、キャラメルは膨れた頬袋から木の実を取り出した。――正確には、見た目が木の実である別物だ。
「きゅ」
ひとつの仕事を達成したぜ、とでも言うように俺を見る目に、俺はそれを手に取った。
これは木の実ではない。見た目は木の実だが中に小さな紙切れを入れられるようになっていて、ノエル陛下が伝達手段として使っている。これがあったから、シャグリット国で俺はすぐにノエル陛下から一斉捕縛の決定を受け取ることが出来た。関所は人の出入りに厳しくとも、森を抜けられる動物にまで意識は向かない。
だからこそ通用したこの手段を知っているのは、ノエル陛下の周りでもごく僅かしかいない。
さて、そんな手段でノエルは俺に何を伝えに来たんだ? 今急ぐような案件はなかったと思うんだが……まさか緊急事態か?
そう思いつつ、俺は蓋を開けて紙切れを出した。
『差し入れはケーキがいい? クッキー? 最近はパンも始めたよ』
紙切れがぐしゃりとなったのは当然だった。心なしかキャラメルが「何してんだよ」と言いたげな目で俺を見るが、これはおかしなことじゃない。
アイツ……極秘ともいえる伝達手段使って何やってんだよオイ。ってかパンってどういう事だ。忙しいのはお前も同じはずなのに何始めてんだ。自衛の為の料理はどこまで極められていくんだ。お前一応王だろう?
言いたい事が色々と溢れてくるがぶつける先がない。
ノエルは王子だった頃から、自分の身の回りの事は自分でできる奴だった。
王子とはいえ六番目。母親も幼い頃に亡くなった。だから立場を軽んじられるのは日常茶飯事で、城の片隅の小さな宮でいつも一人で過ごしていた。俺がノエルに出逢ったのもそんな頃だった。
だからノエルは、王位争いでは最も弱く、相手にもされない立場にあった。逆に言えば真っ先に潰されてもおかしくない立場。それがそうならなかったのは、キャラメルの嗅覚と聴覚、レーバンの腕っぷしがあったからだ。
暗殺者を送り込まれる。食事には毒も仕込まれる。だからノエルは食事は自分で作ったし、掃除も洗濯も裁縫も自分でしていた。とても王子とは思えない生活だった。
他の王子が潰れていく中でも生き残り、そしてノエル自身が王になると決意し、今がある。
そんな王が、執務の傍らでパン作り。それも差し入れをしようと。
……アイツ、本当に王だよな?
「キャラメル。アイツ……仕事してんだよな?」
「きゅ」
「パンも作ってんのか」
「きゅぅ」
「……お前、もう食ったな?」
「きゅぅ!」
そうか。美味かったか。表情が語るというのはこういう事だろう。
分かるが、俺はため息を吐くしかない。
「……任せるって伝えといてくれ」
ひらりと手を振って俺は窓辺を離れた。後ろでててっと駆けて行く足音が聞こえたが、確認するまでもない。
執務机に戻った俺は仕事を再開させた。ちらりと仕事に勤しむ文官達を見る。
……後で休憩を取れるようにしねえとな。
♦*♦*
「あれ? 返書がない」
「きゅぅ。きゅきゅっ」
「こっちに任せるってことかな?」
「きゅぅ!」
「そっかぁ。ジャムパンを作ってみたいから、それをやってみようか」
「きゅきゅぅ!」
「……陛下。キャラメルが好きそうなものにしてませんか?」
「だって美味しそうに食べてくれるんだもん」
♦*♦*
カランサ国城内にある様々な部署には、時折国王陛下がやって来る。それも差し入れを持って。これが陛下お手製でしかも美味い。
他国ならまずないだろうこの事態、というかこんな事するのはノエルくらいだ。
ノエルが料理をするのはほとんどの者が知ってるが、それが差し入れとなった当初は当然驚いていた。が、今では慣れたものでありがたく受け取る光景が見られる。それが今日の執政部だ。
文官達に陛下が差し入れを配り、皆を労う。だからこそ陛下の支持にも繋がっているのだろうが、そこに打算があるのか否かは俺にも分からん。
「お疲れ、アルギ」
「ありがとうございます」
差し入れのジャムパンは美味かった。陛下の腕が上がってるのがよく分かる。
「……陛下。何目指してるんです?」
「? とりあえず今は、民が生活に不安を覚えることがないような安定?」
「……このパンは?」
「美味しくなかった?」
「美味いです。美味いんでちょっと混乱してます」
俺の胸中はノエルには伝わらないらしい。
ノエルの後ろでレーバンは分かっているような顔なのに、肩に頬袋いっぱいにしている上まだその手に小さな自分用ジャムパンを持つキャラメルを乗せたノエルはコテンと首を傾げていた。
が、すぐに何かを思い出したように俺を見る。
「そうそう。後宮の解体が終わったよ。材木は各村に、装飾や骨董品は国庫に戻す。ほとんどの女性は生家や教会へ行ったけれど、王宮で数名雇い直したよ」
「了解しました。領主にも伝達しときます」
後宮。色事に溺れた先王が執務を放り出して造り上げた先王の遺物。数多の女を囲み、己の快楽の為だけに入り浸った、今城にいる者にしてみれば顔を顰める残り物。
ノエル陛下は王位についてすぐ、王位争いでは凄惨な結果を迎える争いの場にもなり、犠牲者も多く出たその場所を見てあっさりと言った。
『あれ。解体しよう』
先王の妃達も、かつての王子妃達も、メイドや侍女も、多くが死んだそこにはまだ残っている者もいたが、ノエルが王位についた時には肩身の狭い思いをしていただろう。それを含め、己の御代にはいらないと、ノエルはあっさりと決断し実行した。
残っていた者達それぞれの今後も決まり、無駄に広かった後宮をただ壊すのではなく再利用しようと慎重に解体する事で少々時間はかかったが、後宮があったそこはだだっ広い更地になった。かなりすっきりした。心なしか城の奴らも晴れ晴れとした顔をしていたのを覚えてる。
「すっきりしたから、畑でも作ろうかな?」
「……何か育てたいものでも?」
「キャラメルの食料とか、料理でも使える野菜とか、薬草畑として医務員に使ってもらうのもいいかな」
ノエルお前……さらっと王が畑仕事するって言ってんじゃねえか。本当に王だよな? いや。最後のそれ聞けば分かるけど。
「畑にしたら、そこで働くのは民がいいね。国家事業にすればちゃんと報酬も与えられるし、作物をあげられる」
……訂正。やっぱりちゃんと王だった。
想像してるのか、楽しそうな表情をちらりと見て、俺も少し口角が上がった。
「そうですね。ですがその場合、同時に城の警備を強化する条件で」
陛下の御身は何より大事だ。俺が言えば「そうだね」と、それでもノエルは笑って言った。
「収穫作業はランジアも参加してくれるかな」
「できるんじゃないです? 陛下。それで俺を釣ろうとしても無駄ですよ」
「それは残念」




