215,沢山知った、貴方という人
とうとう、結婚式当日。
この日は朝早くから準備に追われる事になる。だから、その前に――。
日が昇るより早い時間。朝が早いクンツェ辺境伯邸でもまだ早い時間に、私はそっと屋敷を出た。
愛馬に乗って少し駆ける。
まだ空は灰色で星が見える。その輝きが薄くなりつつあるけれど、まだ少し見えているだろう。
周囲の音は一切ないとても静かな時間。独りぼっちになっているかのような、静かな心。愛馬の呼吸音と私の呼吸音だけが重なる。
鳥もまだ巣で寝ているのか、空を飛ぶ影もない。
そんな下をしばらく駆け、町を見下ろす小高い丘で馬を止めた。
朝早くから起こして走らせた愛馬の首元を叩いて労う。ブブッと鼻を鳴らしているけれど、朝一番の走りは目覚めに悪くなかったと思ってくれればいいな。
ふぅと吐いた息が流れる。
今日からここが、私が過ごす地で、私の家になる。
こんな風になるなんて思ってもみなかった。
いきなりローレン殿下に「嫁に行ってくれ」と言われ。見たこともない知らぬ婚約者を知りたいと思って。自分の覚悟も立場も何も分かっていなかったと痛感し、出来る限り頑張ろうと思った。
父様が拘束されたり。贋作を発見したり。合同軍事演習を見学したり。レイウィ様を御守りしたり。――色んな事があった。
どんな時も、私は大々的活躍なんてしていない。そんな事が出来る人間じゃない。
私なりに。私のままで。背負うなんて大それたことじゃなく。ただこの胸にある想いを大切に、皆と一緒に。
それでいいと、知った。
私はランサを知る為にここにきた。私はランサの色んな事を教えてもらった。同時に領地の事や辺境騎士団の事。ランサの事だけじゃない色んな事を教えてもらった。
同時に、ランサも私を知ってくれた。私のままでいいと、私のままでいさせてくれた。正直な想いをいつも伝えてくれた。時には婚約者として非情と思われる事でも、正直に。だから私はいつだって、ランサの言葉を、想いを信じられた。
「ランサに出会えて、本当に良かったな……」
夫婦になれる事が、一層嬉しい。
胸が温かくなっていると、遠くに小さな点が見えた。それはだんだんと大きくなる。
馬に乗ったその人物を見て、私はすぐに駆け寄った。
「リーレイ!」
私の名を呼んでくれる、唯一の愛おしい音。
駆け寄って、馬を降りたランサに私もすぐに駆け寄る。と、どうしてかランサがぎゅっと私を抱き締めた。
「わっ……! どうしたの?」
「ヴァンが……リーレイが出て行ったと言うから」
少し呼吸が乱れて焦っているような声に、私は意表を突かれてしまった。
……ヴァン、伝え方が悪いかな。
私は出てくる時、誰にも何も言ってこなかった。だけどヴァンは見ていたのかもしれない。
迎えに来させたかったのかもしれないけれど、ちょっとムッとしてしまう。
ランサの背中に腕を回して、ちゃんと誤解は解いておく。
「今日は一日忙しくなるでしょう? だから、朝ゆっくり駆けたいと思って」
「うん……」
「出て行ったり、しないよ?」
そう言うと、ランサがぎゅっと抱きしめる腕に力を籠める。
「ヴァンめ、不安返しのつもりか……」
忌々し気なランサの声音に、ケラケラと笑うヴァンの顔が浮かんで、思わず笑ってしまった。
そんな私に「リーレイ」と、これまた恨めし気な声が降って来る。
少し笑って、ランサと手を繋いで、丘からの風景を見る。
「この風景を見て、思ってたの。ランサと出会えて良かったなって」
「俺もだ。リーレイと出会えて良かった」
ランサの白銀の瞳が私を見つめる。気恥ずかしいけれど、その目を私もまっすぐ見返した。
少しずつ空が明るくなってくる。今日という日を祝ってくれるような太陽の光が、だんだんと眩しくなってくる。一陣の風が吹き抜け、鳥が空を飛ぶ。
いつもと変わらない自然の光景。いつも通りの朝。
そんな日常が、何よりの幸せだ。
胸が温かくなる私を見つめていたランサが、ゆっくりと膝を折った。
「リーレイ。今日という日を迎えるまでに、沢山危険な事もあった。色んな事を共に背負ってきた。時に重く感じたかもしれない。だがどうか――これからも、俺の傍に居て欲しい。生涯をかけ、君の幸せを護る為尽くすと誓おう。――俺と、夫婦になってくれるか?」
覚悟を問う、厳しくて、優しい言葉。
答えなんて、もう決まってる。
「ランサ。これまで私も微力だったけれど、一緒に乗り越えてきた。そして、これからもそうありたい。ランサが一緒なら、何があっても乗り越えていける。だから――貴方と夫婦になりたい」
そしてまた、これからも、お互いに支え合って、重荷を共有して、生きていこう。
何があっても、一緒なら――
私の答えに、ランサはふわりと微笑みを浮かべた。
「ありがとう。俺の半身」
ふわりと優しく抱き締められれば、優しく愛を教えてくれるぬくもりが唇に落とされた。
ランサと朝の風景を眺めてから急いで屋敷へ戻った私は、そのまま身支度に追われた。追いかけられた。捕まって嵐に襲われた。
バシャバシャと身を清められ、トントンと化粧を施され、せかせかと衣装に身を通し。それはもう時間をかけてされるがままの状態をとり、周りでは人が忙しなく動き回る。
「まぁ……! お姉様素敵です!」
「えぇえぇ、とても綺麗よ」
リランとおば様が褒めてくれるのが少し照れくさい。
普段のドレスとは違って、婚礼用の純白のそれは、なんだかちょっと落ち着かない。
そわそわして、だけど部屋をうろうろ動き回る事も出来ない私を見て、スイ様がクスリと笑う。
「リーレイ落ち着いて」
「は、はい……」
「それとも……楽しみで仕方ないのかしら?」
ちょっと意地悪なスイ様の言葉に、私はうっ……と思いつつも否定できないから黙るしかない。
この部屋には今、リランとおば様、スイ様しかいない。父様や叔父様はクンツェ辺境伯家の面々とご挨拶中。
教会は招待客がいるけれどそれも最低限。全体警備なんて必要ないけれど、参列してくれている辺境騎士団の騎士達が身に沁みついた動作で守ってくれている。
「ふふっ。スイは落ち着きすぎていたものね」
「当然だわ。私がそわそわしてたなんて事になってたら、あの人に一生揶揄われるもの。あっちがそわそわしてたら面白いのに」
「仲が良くて安心しているのよ?」
「あの人が面白がるの」
笑うおば様にスイ様が少し唇を尖らせる。
今回の式には私の願いでスイ様をご招待した。御夫君であるギーデンヴェルク侯爵も同様だったんだけど、お忙しい侯爵様の参列がどうなるかは分からなかった。
ギーデンヴェルク侯爵とランサは、領地も離れていて直接的接点はない。妻同士がティウィル公爵家の令嬢ということで、社交界では話す機会も増えているそうだけど。
そんなギーデンヴェルク侯爵も、スイ様と一緒に参列してくださっている。
スイ様はいつも御夫君を「あの人」と言うし、結婚には政略的な狙いもあったわけだから、私とランサのような仲とはまた違う。だけど、お二人はとても良好なご関係みたい。おば様がそう言うのだからそうなんだろう。
「ラグン様がご出席できて良かったですね。お姉様」
「うん。難しいと思ったんだけど……」
「そりゃあ兄様だもの。妹の結婚となると駆けつけるに決まってるわ」
「――俺が、何だ?」
フフンッと胸を張るスイ様の後ろからやって来たラグン様。私達の視線もすぐに向く。
ちょうど、父様と叔父様とやって来られたみたい。
三人を見て、スイ様はラグン様に笑みを向けた。
「兄様が仕事を怒涛で調整して駆けつけたって話」
スイ様の笑顔の言葉に、ラグン様は「そんな事か」と当然のように同意した。
その立場から仕事も多く忙しいラグン様。招待しても出席は難しいと思ってた。だけど来てくれた。
公爵子息に相応しい気品ある佇まいは毅然と、そして堂々としている。だけど今の表情は、仕事での顔とはまた違う、私達と一緒の時の顔だ。
「当然だ。リーレイの結婚式に来ない理由がない。リランのが決まればそちらにも出席する」
「ふふっ。そうよね」
本当に、私の従兄妹は兄妹のようだ。
そんなお二人の傍に、父様と叔父様が立った。
「リーレイ。結婚おめでとう。リーレイのこんなにも幸せそうな姿を見れるなんて、私も何て言っていいか……」
「叔父様。父様と一緒に、私とリランを大切に育ててくれて、ありがとうございます。叔父様は、私のもう一人の父様です。――ふふっ。まだ泣かないでくださいね?」
「うんっ……」
そう言いながら、はらりと涙がこぼれそうな叔父様に笑みが浮かんで仕方ない。
その隣では父様も笑顔で、だけど少しだけ瞳が揺れていた。
「父様……」
「リーレイ。結婚おめでとう。君が心から愛する人と結ばれる事を嬉しく思うよ」
「うん……」
何て、言えばいいのか分からない。言葉が上手く、出て来ない。
だから、ぎゅっと父様に抱き着いた。父様も優しく抱き締めてくれる。
「父様……。母様がいなくなって、それからずっと。沢山愛してくれて、ありがとう」
「リーレイこそ、頑張ってくれて……ありがとう」
私が頑張れたのは、父様とリランがいたからだ。
大事な大事な、家族だから。これからも。




