23,優しい人…なんですか?
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リーレイとの話を終え、ランサは執務室へ戻ってきた。ヴィルドとバールート達も一緒だ。
砦では警備や組織上の事をこなすランサは、屋敷に戻れば領地の事をこなす。辺境伯は実に多忙であるが、そこは優秀な補佐官の手もあり何とかこなしている。
もっとも厄介な仕事は、屋敷にいて緊急との知らせで入る警備の仕事である。そうなると途端に慌ただしくなるのだ。
が、今のところその心配はない。
「いやー。リーレイ様の話、吃驚しましたね」
「そうね。でも、リーレイ様ってとても素直な方だわ」
そう言うエレンはクスクスと喉を震わせた。そんな言葉にはソルニャンも同意の様子で、ランサも二人の言葉に同意した。
しかし今後、リーレイは「籍だけ」ではなくなり、正真正銘の貴族。その時に公爵家の身内であるという事は大きく作用するだろう。
リーレイの立場は低いが、公爵家を相手取るような貴族はまずいない。加えてティウィル公爵家は、身内に手を出すと国一番で恐ろしいとの噂もある。
立場は自分を守るものになり、同時に悪意も引き寄せる。という事をランサは知っている。
(だとしても、必ず護る)
凛々しくて。強くて。照れ屋で。笑って。怒って。
先程の話し合いの席だけで、今まで以上に色々なリーレイの表情を見る事ができた。それが何より嬉しくて愛おしい。
立場も、ちゃんとリーレイは自分の口で全て話してくれた。お互いに少しずつ信頼関係が築けている事がまた、喜びを大きくさせる。
「というかランサ様。リーレイ様イジメてません? ものすっごく恥ずかしがってましたけど」
「リーレイにそんな事をするか。俺は思った事を伝えているだけだ」
「……俺、しばらくリーレイ様に同情します」
至極真面目なランサにバールートは肩を竦めた。バールート同様にエレンやソルニャンも困ったような顔をするが、ヴィルドはいたっていつも通りに淡々としている。
「公爵家との交流が増えると、他貴族との関係も増えそうですが…?」
「寄って来る奴らは増えるだろうな。だが俺から公爵家に近づくつもりはない。恐らく向こうも同じだろう。あぁ…遅くなったが、ティウィル公爵に手紙を書いておこう。リーレイの到着と立場は承知したと」
「分かりました」
やる事が一つ増えた。ランサは一つ息を吐く。
(ティウィル公爵はなぜわざわざ面倒を起こすかもしれない事を……いや。公爵はあくまで叔父だったな。リーレイの父親が了承したのか…)
関係する二人の男性にランサは少々眉を寄せた。どちらもリーレイかヴァンに人物像を聞いた方が早いかもしれない。
と思っていると、「失礼しまーす」とヴァンが入ってきた。リーレイを部屋に送った後に来るようにと伝えてあったのだ。
入ってきたヴァンは、執務机の前に立つ。以前もこんな事があったな…と思いながら、ランサはヴァンを見た。
あの時よりはこの男の事が少しは解っている。が、それでも承知でぶつけてみた。
「ヴァン。俺の部隊に入らないか?」
「お断りします」
「だと思った」
気持ちの良い即答にランサは喉を震わせた。
騎士団から逃げ回っていた男がここであっさり頷くわけがない。この男にとって、騎士になる事などよりもリーレイの護衛である方が、比べるまでもない価値があるのだ。
「ヴァンさん。かなり強いし直属隊でも誰も文句言わないですよ?」
「ま、護衛も大変そうだけどな」
「俺は面倒がりなんで。時々サボれるくらいじゃないと嫌なんです」
その言葉にランサはヴァンを見た。その目はいつも通り気の抜けたもので、本当にあの時、男三人を一瞬で沈めた男だとは思えない。
(その護衛が、下手をすると騎士よりもずっと面倒だろう?)
護衛対象が自ら危険に飛び込むことを厭わない人なのだから。
ヴァンを見ていると口端が上がった。面倒がりのこの護衛は、そう言いながら決して護衛をやめない。
己の主だと、揺るがぬ意志を抱いている。
(リーレイはとんでもない男を護衛にしたな)
その護衛を与えたのはティウィル公爵だ。ヴァンの実力を解った上で、わざわざ手元に留め置かずリーレイ達家族の元へ送った。
騎士団に入れれば、騎士団内の力も得られただろうに。
「ヴァン。先程は深く聞かなかったが、お前、ティウィル公爵とどういう関係だ? 公爵からリーレイの元に行くよう言われたという事は、公爵家に仕えていたのか?」
「違います。俺は孤児です」
おや…とランサ達は瞬いた。
その目にヴァンは、「えーっと…」と別段変わりない口調で続ける。
「ティウィル公爵の領地にある孤児院で育ちました。両親は知りません。偶々御当主が孤児院に来て、その時他の子供と剣術遊びしてたんですよ。それ見られて「お前ウチに来い」って連れ去られました」
「…言い方に問題があるように思うが?」
「ないです。「来い」って言われて院長に「連れて帰る」って言って、んで馬車に突っ込まれたんですから」
流れるような光景が脳裏に流れたランサ達。何も言えなくなってしまった…。
ランサも思わず社交界でのティウィル公爵を思い出す。
もう六年ほど顔を出していないので確かな記憶ではないが、堂々たる威風をもつ、貴族として文句ない男だった気がする。その威風は父とはまた違い、強烈に貴族社会を意識した。
が、ここでその心象が崩れてしまう。
「そっからはまぁ……「私の尊敬する兄家族を守る為にお前を強くする。いずれはそちらへ行かせるから、お前は屋敷では養子でもなんでもないが、衣食住は保証する。精々強くなれ」って。いやあの時は、何言ってんだコイツって思いましたね」
「……それで、その腕は鍛えられたのか?」
「あ、聞きます? これはですねー……」
「長くかつ苦労話になりそうだな。またにしよう」
「ヴァンさん目、目が遠い」
…そう、あの日々は……とでも語り出しそうなので思わず止めた。
色々思う事は沢山出てきたが、なんとかそれらを胸の内に押しとどめる。
ヴァンの、過去の災難なのか幸運なのか分からない出会いに少々同情してしまいそうになりながらも、なんとか話を戻す。
(公爵の事はヴァンに聞く方が確かかもしれない)
リーレイは父親と祖父の喧嘩話で叔父がした事に驚いた顔をしていた。つまり、リーレイにとって知らない一面だったという事。
それとは違い、ヴァンに見せている一面がより正確である可能性が高い。なによりヴァンは共に暮らしていた期間がある。
「ヴァン。公爵がリーレイに餞別にと馬を与えた事。俺は試されたと思うが、お前はどう思った?」
「同意です」
ガシガシと面倒そうにヴァンが頭を掻いた。
「元々御当主は、お嬢に馬も剣も理解を示してくれる相手を縁談に薦めてました。今回は相手に含んでいなかった辺境伯様でしたんで」
「知った俺がどうするか…」
禁じれば、それはきっと手紙か、社交の場で違和感やリーレイ自身の変化として公爵側には伝わる。リーレイ自身が口にするかもしれない。
禁じていなければ、公爵側は「問題なし」と判断したかもしれない。
「もし辺境伯様が、お嬢に剣はともかく馬まで禁じていれば、御当主はどんな手使ってもお嬢を領地に戻しますよ。もう王都じゃなく、家族そろって領地に」
「そこまでやるか…」
「やります。あの人は兄と姪に甘いところはありますけど。何より……身内を傷つけた相手には決して容赦しない、誇り高いティウィル公爵家の当主ですから」
剣と馬ならば、剣の方が禁じられる可能性は高い。だから、どちらかとした公爵は馬を使って試した。
何よりも姪の為に。そしてランサと言う為人を知る為に。
「リーレイが公爵家と辺境伯家の繋がりを気にしていたのは、俺を相手に含んでいなかったからか…」
「あー…そういえばお嬢も「公爵家とか侯爵家ばっかりだよどうしよう!」って慄いてましたっけ?」
そんな相手ばかりだったのかと、ランサも少々苦笑う。
だが、そんな相手ばかりを薦めていた公爵家とは裏腹に、ローレン殿下の計らいで辺境伯家が据えられた。
それを知った公爵はどう思ったのか…。
笑えないランサの傍で、そっとバールートがヴァンに手を上げた。
「ヴァンさん。俺貴族の事はよく分かんないんですけど、そんなにティウィル公爵って身内に手を出されるの嫌いなんですか?」
「嫌いっていうか……立場に誇りがあるんです。これまでずっと王家や国を支えてきたからこそ、その立場に誇りがあって、逆に誇りなく権力欲しさでちょっかい出されれば容赦なくやり返すし、相手は潰れると言っても過言じゃない。自分達一族の歴史と血に誇りがあるから、一族に手を出されると、相手が誰であろうと容赦ない」
「うっわー……」
五大公爵家はそれぞれが誇り高い一族だ。しかし、その誇りが暴走した事は無い。
どの家も、今の立場と功績に誇りは持ちながら、今の己が為す事をそれぞれに探している。
そしてなにより、五大公爵家は、それぞれの家同士が睨み合っている。
他の家が暴走しないように。道を踏み外さないように。もしそんな事があれば他の四家で潰しにかかるくらいの威嚇がある。
建国時から王家を支えてきた誇りは、山より高いが、決して山崩れは起こさない。
王家と五大公爵家、五大公爵家同士は、均衡を保ちながら、歴史上でも困難に立ち向かい国を守ってきた。
「五大公爵家って、俺らからすればすっごい名家で見た事ない人の事ですけど、どんな家なんです?」
首を傾げたバールートに、「そうだな…」とランサは思案しながら答えた。
この中で貴族事情に詳しいのはランサだけだ。ヴァンはティウィル公爵家以外はちょっとの情報しか知らない。
「どんな…というと難しいな。医学に精通している家もあるが…豊かであり、同時に国と民の為にとても尽力している。地位だけでなくそれぞれの能力も磨かれている」
「能力?」
「例えば、俺が辺境伯として武の腕を得るように、文官や武人としてだったり、政治の中枢で振る舞える頭脳とかな」
ランサの言葉に「へぇ」と感心したような声が出た。
事実、五大公爵家の者達は政治の中でも高官揃いだ。それは家の地位だけではない。
個々の能力がそれに相応しくある。
「周りからの目っていうより、その家が能力を磨こうって姿勢の方が多分強いです。立場に甘えた時点で、どの家も当主に首切られるんじゃないですか? 能力ないと王家も国も護れませんから」
「うっわ…」
引き攣るバールートにヴァンはクツクツと喉を震わせた。
そんな言葉にはランサも同意だった。ランサ自身辺境伯として能力を磨いてきた身だ。努力を放棄していれば、恐らく父から切り捨てられている。
(父上も、陛下に忠を誓った人だからな)
国を、国境を守るという意思の固く強い人だ。そしてそれはきっと、今も揺るがない。
だからこそ、陛下直々に頼み込まれて騎士団の指導役に就いた。そんな父が目を輝かせて入団させようとしたのが、目の前の男である。
ランサはヴァンを見上げた。その視線にヴァンは怪訝に視線を向けてくる。
(父上が直に声をかけるなど、余程気に入ったんだな。直属隊でもそうして入った者はそうそういなかったと記憶しているが…)
ヴァンの視線に「五大公爵家の話はここまでにして」と声音を改めて、話を戻した。




