21,護衛官の悪夢、『闘将』の推理
王都に居た頃、ヴァンは城に出入りしていた。勿論仕事で。
ヴァンの仕事は騎士でも重要な近衛兵でもない。ただの一衛兵。一応は近衛の内だけど、下っ端も下っ端で、城内にある倉の番人をしていた。
定時で帰って来れるからって理由で、ヴァンはこの仕事をしていた。私もリランも危険な仕事は心配だったから、この仕事には安心してた。
ついでを言うなら「適度にサボれていいですよ」ってヴァンは言ってたけど…。そこは頷けなかった。一応は城の中の警備だからね?
「知ってるんでしょう。ヴァン」
じっと視線を向けて問う。
やがてヴァンは、なんだかとてつもなく大きな息を吐いた。
「…辺境伯様にお尋ねしますが、御父上の名と特徴は?」
「名はガドゥン・クンツェ。白銀の髪と瞳を持つ、見て分かる武人だ」
「うわー……もろあの人だな」
…ヴァン。その当たってほしくなかったって顔やめなさい。あからさますぎるから。
今にも天を仰ぐか蹲りそうなヴァンをランサは呼んだ。そのまま私の隣に座らせる。
座ったヴァンからは「悪夢だ…」なんて声が聞こえたけど、なんでそこまで言う事になるのか分からないから、首を傾げるしかない。それとも慰めた方が良いのかな?
そう思って、ポンポンッと肩を叩いておいた。
「知っていたのか?」
「いや…前辺境伯様とは知りませんでした。騎士団長が敬意払ってるようでしたけど、俺は別に騎士団の人間じゃないし。ってか、二人には関わらないようにしてたんで」
「ちょっと待ってヴァン。どうして?」
ヴァンが騎士団内の人達に詳しくないのは分かる。元々積極的に人脈を作る事もしないし、叔父様の伝手で城で目立たない仕事を選んだから、目立つ事はしないはず。
そんなヴァンが、そもそもどうして騎士団長や前辺境伯様と関わってるの?
そこから疑問に思うし、ランサ達も首を傾げてる。
それを見て、ヴァンは「えっと…」と説明を始めてくれた。
「お嬢。俺、城で倉番してたでしょ? で、時々倉番が集まって侵入者に対する訓練みたいなのがあるんです。俺は適当にやってたんですけど、それを見られてたのか、ある訓練の後から出くわすと追いかけられる羽目になりました」
「追いかけ…え…」
「騎士団長と共謀して騎士団入れ入れって迫って来るんですよ。悪夢です。分かります? 鬼ごっこ状態になって逃げきるまで追いかけまわされるし。簡単に逃げ切れねぇし。俺はついに「あ、この角を曲がればいるな」って危機察知能力を身に付けました。遭遇回避に倉番以上に心血を注ぎましたね……フッ…」
あの日々が俺を逞しくしたぜ…みたいな顔しないで…。
それからゴメンね。そんな鬼ごっこが起こってたなんて知らずに、帰りにちゃんと頼んだ買い物してきてくれるかな…なんて呑気な事考えててごめんなさい。
ヴァンの言葉には、バールートさん達も言葉が出ないみたいで驚きを露にしている。ちらりと見ればランサまで頭を抱えているし、元直属隊のディーゴまで乾いた笑みをこぼしそうだ。
皆がヴァンに同情的な視線を送ってる。
「……ヴァン。息子として謝る。父がすまない」
「いえ。解放されたんでこれで安心、とか思ってたんですけど……甘くないですね。世の中って」
「でもヴァンさん。騎士団でもかなりやってけるんじゃないんですか?」
「かもしれないですけど嫌ですね。……フッ。捕まったらどんな手使って入隊書にサインさせられるかと考えただけでもう恐い…」
「ヴァン! 戻って来て!」
やめよう! ね! すごく場の空気が悪いから!
思わず皆の空気を手で払う。あっちいって!
頭を抱えていたランサも顔を上げ、ヴァンもげんなりしてるけど通常運転の顔に戻って来た。良かった。
ホッと安心の息を吐く。
空気も変わって、私は背筋を正してランサを見た。
「ランサ。ランサの事教えてくれてありがとう」
「いや。では、リーレイの事を聞いていいか?」
「うん」
全てを話すと決めた時、心には不安がどうしてもあって消えなかった。それは今もあるけれど、前よりはずっと小さな不安になってる気がする。
それはきっと、ランサという人の事を少しずつ知る事ができたから。
この人はきっと、理不尽に怒ったりしない。少なくともまずはきちんと話を聞いてくれる。
だから、落ち着いて全部を話す事ができる。
「リーレイ・ティウィル。歳は二十一。シャグリット国五大公爵家の一家、ティウィル公爵家の当主は、私の叔父。私は籍をティウィル公爵家に持つけれど、立場は家の中でも低い身なの」
「……つまり、ティウィル公爵の姪、という事ですか」
「はい」
ヴィルドさんの確認に私は頷いた。それ以外に音はなかった。
バールートさん達、それに使用人達も驚いているようだった。だけどその中で「成程」という声が一つ。
視線を向けると、大して驚いていない様子のランサが私を見ていた。
「やはりそういう事だったのか」
「……分かってたの?」
その言葉には私が驚く。そんな私にランサは確かに頷いた。
あまりにあっさりとしていて、こっちが次の言葉を紡げなくなる。
私に変わってランサへ問うたのは、やはり動じていないヴィルドさん。
「ご存知で?」
「予測だ」
ただの予測でそんなにあっさり頷けるの? 全く驚いてないじゃない。
問いたい言葉が顔に出ていたのか、ランサは私を安心させるように笑みを浮かべた。
「俺に言うのに勇気がいる事だったんだな。確かに俺達も当主の娘だと思っていたから。すまないな。ずっと肩身の狭い思いをさせてしまっていて」
「そんな事っ……でも何で…」
「まさかと思ったのは、リーレイが相当に剣を扱えると知った時だ。仮に本当に公爵家の当主の娘なら、怪我をする剣術の鍛錬をそれだけの腕前になるまで積ませるなど、まず当主が許さない。リーレイの歳ならすでに婚約者を見つけるか、殿下の婚約者として名が挙がっていてもおかしくない」
ローレン殿下は二十三歳ですでに婚約者がいらっしゃる。その方も五大公爵家の一家の娘。
そしてローレン殿下には少し身体の弱い十九歳の弟君、ギルベル殿下がいらっしゃる。
確かに、私が本当にティウィル公爵家の娘なら名が挙がっていただろう。どちらの殿下とも年が近いから。
「素性を偽っているとは思えなかった。薦めた人の事を考えてもな。それに何よりティウィル公爵家が偽りを許すとは思えない」
「予測はそうだとして、辺境伯様はいつ確信を?」
私の隣で、すっかり元通りになったヴァンが問う。
「さっきの談話室で、リーレイの手を握った時だ」
「私の手…?」
「あぁ。リーレイの手は何度もまめが出来、潰れ、それでも鍛錬を続けた者の手だ。リーレイ。咎めるつもりはない。教えてくれ。一体何年間鍛錬している?」
咄嗟に言葉が出なかった。
あまりにもあっさりと見破られて。その目はそれでも優しく私を見ているから。
思わず自分の両手を握り合わせた。そして感じる。
ランサが言った通り、硬い手。リランのように綺麗で柔らかな手じゃない。
答えを待つランサに、感じる沢山の視線に力が抜けた。
ううん。知ってほしい。私は少し前にそう思った。だから嘘は言わない。言いたくない。
「…初めて剣の鍛錬を始めたのは、多分十一歳くらいの時。だからもう…十年になる」
「そうか…。誰かに教わったのか?」
「馬と剣は全部ヴァンに教わった」
「成程な。道理で冷静に戦況を見て、剣を奪って対処できるわけだ」
そう言う声音は、少し笑みを含んでいるのに困っているようで。でも決して怒っても呆れてもいないと分かる音。
でも、他の方々からの視線はやっぱり驚きを含んでいるもののように感じる。
それでも、やっと言えたと心がどこかホッとしていた。
私の心なんて知らず、ランサはどうしてかクスクスと喉を震わせた。
そんな様子に皆の視線が向く。それでもランサは口角を上げた。
「つまり俺は、とても稀で、勇ましく強い女性と手を取り合えたわけだ」
その言葉と表情に虚を突かれる。そんな事言われるなんて思ってなかった。
何て返していいのか分からない。
だけど、構う事無くランサは続ける。
「それは嬉しいな。この縁談に感謝したいくらいだ」
「……そう…なのかな…?」
そういう事なのか私にはさっぱり分からないけれど、なんでかランサはそうだと言いたげに頷いてる。
ランサがいいのならいいけど、なんだろう、この少し落ち着かない感じは…。
ディーゴやシスはそんなランサにクスリと笑みをこぼし、バールートさん達もクスクスと笑う。
「ところでリーレイ。公爵は叔父との事だったが、父君は?」
「城に勤めてるけど一文官。家も公爵邸じゃなくて、王都の一般街にある叔父様所有の家で暮らしてる。だから私も生まれた時から暮らしぶりは平民と同じなの」
「そうか。ヴァンは身内ではないんだろう? なぜ家に?」
ヴァンの事を話すとなるとどうしても叔父様との話になる。それにヴァンの事は私が勝手に話せない。
そう思ってヴァンを見るけど、ヴァンはさして思う事はない様子で私を見た。「いいですよ」って返ってきた言葉に私はランサを見る。
「ヴァンは叔父様が家に来させたの。私達家族の護衛と助けとして。もう十年以上前だよね?」
「俺が十一の時だったんでそうですね」
「へぇ。そりゃ信頼深い訳だ」
どこかバールートさんは納得顔。
家に来てからのヴァンは面倒くさそうだったけど、だんだんとちょっとずつだけど色んな事をするようになった。
その内の一つが、城での倉番の仕事。「稼げる手は多くていいでしょ」って言って叔父様の伝手を使って仕事に就いた。同時に私も仕事を探して、アンさんの店や市場で手伝いをするようになった。
ヴァンにはいつも助けられてきた。今もそれは変わらなくて、信頼する大事な家族だ。




