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2,ちょっとそこまで嫁入りに

 我が家は、一般街の中でも比較的広い敷地を持つ家々の中にある。

 平民の中では少し大きい、貴族となんて比べるまでもなく小さな家だけど、家族四人で暮らすには十分な広さ。庭には妹が手入れしてくれる花もあるし、裏手には畑もある。手入れは大変だけど家計としてはとても助かってる。


 開け放たれた門をくぐって、まっすぐ家の中に入る。客間の前まで行ってまず、ふぅっと大きく息を吐いてゼェゼェ上がる呼吸と心臓を落ち着かせる。よし。


 ヴァンから客が誰かを知らされ、「は?」と思わず聞き返した。でも、答えはヴァンの表情で聞くまでもなく返された。

 何で。どうして。疑問は出てくれば限りない。


 そんな中、私とヴァンがまず取った行動は、速度を上げる事だった。少々競争するような感じになって、もしかしたら走った後には土煙が立ったかもしれない。風が吹いたかもしれない。勘弁して。ごめんなさい。

 同時に、私の男装が私を助けてくれた。これがスカートだったら間違いなくすっ転んでヴァンに抱きかかえられて運ばれるという、みっともない姿を晒す事になっていた。


 そんなこんなで急いで帰ってきた私は、扉の前で呼吸を整える。ヴァンは隣でけろりとしてる。憎らしい体力だけどさすが武官。私も体力には少なからず自信はあったけど……ってこんなところで張り合わない。

 心を切り替えてサッと服の汚れを払い、私は扉をノックした。


「リーレイ。ただいま戻りました」


「入って来なさい」


 返ってきたのは父様の声。それを受けて「失礼します」と扉を開けた。


 我が家はどの部屋も、敷地の広さに比べて質素である。価値のあるような物なんて一切置いていない。盗人泣かせだろうなとは思うけど、盗みに入られた事はない。


 収入がまず多くない。父様もヴァンも仕事をして給金を頂いているから、生活に困るわけじゃない。武官として働くヴァンには一杯食べて欲しいし、妹の為に薬は常備しておきたいし…って考えると少しずつ貯めていくのがやっと。服も装飾も家の中を飾る品々も、必要ないから買わないだけ。


 そんな質素だけど決して不清潔ではない客間で、ソファに座った人物が二人。

 一人は「おいで」と手招いてくれる、薄い茶色の髪と同じ色の瞳を持つ、平凡で穏やかな風貌の私の父。

 そしてもう一人。その前に座る、簡素だけど質の良い服に身を包んだ、騎士っぽく見えなくもない一人の青年。座ってるだけなのに、育ちの良さも風格も、圧倒的な威風から感じられる。


 失礼ながら、隠すべきところが隠れていないと思ってしまった。不敬です私。


 父様の後ろには妹のリランが立っていた。お茶を出してくれたんだろうけど、まさかのお客様に少し落ち着かない様子。心なしか表情は困ったものに見える。腰まである薄茶の巻き毛が、私を見る動きに合わせて揺れた。

 そして、青年の後ろにも二人の男性が立っている。腰に剣を帯びてるから、多分、殿下の護衛の方だろう。


 私はソファに近づくとまず、距離を保ったまま床に膝をついた。そして王太子殿下に深く頭を下げ……


「あぁいい。今日は忍びだ。堅苦しくしないでくれ」


「…仰せのままに。ではまず謝罪させて下さいませ。客人をお待たせしてしまい、申し訳ありません」


「気にするな。俺こそいきなり呼び戻した。身分を隠して変装するのも、なかなか面白いがな」


「いえ風格が隠せていません」


「そうか? ハハハッ!」


 しまった、言葉に出てしまった。これは不敬だ。

 一瞬肝が冷えたけど、王太子殿下は気軽な様子で笑い出した。失礼に当たらないよう視線を上げると、後ろの護衛の二人まで口元に手を当てて笑っている。

 ……そんなに面白かったかな?


 ひとしきり笑った殿下は私に着席を促してくださったので、素直に従って父様の隣に座る。そして私は改めて殿下の姿を正面から見る。


 シャグリット国、第一王子にして王太子、ローレン王太子殿下。御年二十三歳。黄金の髪色と熱のような色の瞳を持つ、端正なお顔立ちの凛々しい青年。

 私は詳しくそのお人柄を存知ないけれど、施策をいくつも手掛け、民の声を広く聞く事を信条とする方であると、王太子殿下にあてがわれるお金を管理する金番の長である父様は言う。

 五年前に起こった隣国との戦では、最前線であった辺境地の主と密に連絡を取り、戦の早期終結を目指し、また、戦の終結後も慰霊や支援を積極的に行ったそうだ。


「ディルクの言う通り、気持ちの良い御令嬢だ」


「…ありがとうございます」


 一応、褒め言葉だよね? うん。殿下は笑っておられるし。

 父様は一体どんな話を殿下にしてるのかな?

 ちらりと視線を向けると、父様は困った顔をするし、リランも同じ表情だし、ヴァンは壁際まで下がってるし。


 父様に問おうと思ったけど、その前に殿下が口元に笑みを作って私を見た。その視線を受けずにいるわけにもいかないから、私も殿下を見る。

 なんだか少しだけ胸の奥が騒めいた。わざわざ殿下が来るような用件に、良い予感がしないとも言える。


「本当なら、気の置けない世間話でも楽しみたいところだが……。仕方ない。本題に入ろう、リーレイ嬢」


「はい」


「ディルクとリラン嬢にはすでに伝えた」


 二人にも関係あるの? まさか一家の事?

 殿下が二人を下げない理由が分かって緊張する私の前で、殿下はさらりと続けた。


「リーレイ嬢」


「はい」


「ちょっと辺境へ嫁に行ってくれないか?」


「はい嫁に…………………はい?」


 緊張してた心臓が一瞬で鎮まった。


 まるで「ちょっとそこまでお使いに行ってくれない?」っていうような軽い感じで、嫁に行かないか?

 いや、待って。誰が? 私が?

 思わず自分を指差すと、殿下は頷く。はっきりと。


 頭の片隅で、これは不敬だと解ってる。けれどそれよりも混乱が大きい。


 嫁って…何で私? 近所の皆や市場の皆にも「良い人いないのかい?」って言われはするし、「出しゃばるから貰い手なんてねぇよ」って嫌味言ってくる歳の近い男もいる。

 でも生憎と、結婚なんて考えた事はなかった。したくないとかじゃなくて。


 結婚したら絶対に、私がやりたい事が出来なくなると、解っているから。

 それを認めてくれる人なんて、まずいないとも思ってる。


 それに、私はもう二十一歳。周囲は十代半ばから後半にかけて相手を見つけて結婚し始めるのに比べて、相手すらいない私は行き遅れつつある。

 私はこの家で、父様とリランとヴァンと暮らせれば、それで十分幸せだから。


 殿下が薦めるなら相手は貴族だろう。辺境ってどの辺りの? そもそもどうして殿下が相手探しを?

 分からない事がぐるぐると渦巻く。


「え……殿下、どこへお使いに行けば…」


「ローレン様。かなり混乱されてます」


「だな」


 これから私はお使いの品を教えてもらって、皆に見守られて任務を遂行すればいいのかな?

 前からクスクス笑う声が聞こえた。そして、落ち着かせるようにゆっくりとした声音で、殿下の言葉が耳に入ってきた。


「リーレイ嬢。北東、国境に接する辺境伯の領地は知っているか?」


「北東……というと、クンツェ辺境伯が治める土地ですね。五年前の戦では、クンツェ辺境伯様が最前線で戦い、その武勇を知らぬ者はいない『闘将とうしょう』と『益荒ますら』」


「そうだ。我が国に二家しかない、特別な辺境伯家の一つ」


 殿下は深く頷かれた。


 シャグリット国には二家の辺境伯家が存在する。そして辺境伯は『国の要』『国境の番人』とも言われ、その地位は高く、伯爵家とすら一線を画されている。

 国境に領地を持つ貴族は公爵家はじめ他にもある。その中でも、辺境伯家の当主は国境沿いの重要な土地を治め、常に国境を警戒し、国境沿いで異変が起これば自領でも他領でも飛んで駆けつける。


 そして、シャグリット国で辺境伯家が「特別」とされる理由。それは王家からの信頼と、歴史上の行いから。

 シャグリット国の民なら誰もが知る有名な話。国の成り立ちと同じくらい有名な話がある。それが、辺境伯家を「特別」へと位置付けている。他国ではあまりないらしいけれど。


 二家の辺境伯家の一つが、シャグリット国の北にある「緋国ひこく」と、東にある「カランサ国」の三国の国境が交差する地を治めている、クンツェ辺境伯家。

 五年前に起こったカランサ国との戦では、その凄まじい戦手腕と武力で、僅か半月という短期間で相手の戦意を喪失させ戦を終結させた。その話は王都まで伝わって来て、一時注目を浴びた。


 それもあって、今なおクンツェ辺境伯は有名で、憧れる子供達が後を絶たないそうで、ここ数年騎士を目指す子が増えたというのは、父様に聞いた。


「『益荒』は戦が終わって早々に隠居した。リーレイ嬢には『闘将』の元へ行ってほしい」


『闘将』の話は有名だ。カランサ国の主戦力を幾人も討ったのはその人だと言われている。

 どんな人なのかは全く知らない。その話は私の元まで流れてこないから。


 殿下は相手を告げると、どうしてか普通の青年のように頬を膨らませてため息を吐いた。


「現在のクンツェ辺境伯とは、公的な友人以外では俺の数少ない友人だ。手紙のやりとりもしているんだが…」


 そこまで言ってどうしてか首を横に振る。そんな姿に私は首を傾げた。

 そんな友人でもあって、五年前の事にも尽力した殿下は、一体何に困っているの?


 長い足を優雅に組んで、これまた大きな息を吐いた。そしてどうしてか、とても困った表情を見せる。


「王家としても、辺境伯がどこの家から嫁を取るかは注視している。アイツが自分で選んだ相手なら、俺とてあれこれ言うつもりはない。が、生憎とここ六年ほどはアイツも王都へ来ていない。嫁を取れと言っても、国境警備に務めますばかりでうんともすんとも言わない」


 ……それは本人にその気がないのでは?

 なんて思ってしまって、喉の奥すぐそこまで出て来た言葉を必死で呑みこむ。押し止めろ!


 王都をはじめ、国中では戦があった事を考慮して社交は一時控えられた。行われてもかなり小規模なものだったと聞いている。

 国境警備に務める辺境伯様に、そんな余裕はなかっただろうけど。それが許されるのも、疎かにすれば国が危ういから。

 私に貴族事情は分からないけど。これらは全部叔父様や従兄から聞いた事だから。


「それとなく妹に頼んで令嬢方に伺ってみたが、辺境という土地と五年前の戦から印象が良くない。『闘将』と呼ばれているから、大男だの熊のようだの……噂ばかりが独り歩きしている」


「それは……確かにいかがかと…」


「王都の令嬢では駄目だ。辺境へ嫁げる意思、辺境伯を支えられる強さ、いざという時にも自分で動ける行動力。同時に辺境伯へ嫁げる立場を持つ者でなければならない。そこで、リーレイ嬢に白羽の矢を立てた」


 辺境領は国の端。そして重要な土地。殿下が求める条件は私も理解できる。

 確かにそれらは、王都で悠々と暮らす御令嬢方には求められないだろう。


 だけど、私だって辺境の『闘将』は噂でしか知らない。とても強い屈強な男性のイメージだから。合ってるのかは分からないけど…。


「殿下。事情は分かりました。ですが、どうして私なんですか?」


「ディルクに聞いた。リーレイ嬢は馬も剣も騎士並みにこなすと」


「父様何話してんの!?」


 思わず素で隣へ声を上げると、向けられた本人は頬を掻くだけ。あはは…じゃないから!


 父様の隣で頭を抱える。

 そもそも、それが私が結婚を考えない理由の一つだ。知られれば絶対に嫌な顔をされて「止めろ」と言われる。認めてくれる人は多分いない。


 私は騎士じゃないし、なるつもりもない。ただ自衛の為。

 馬術も剣術もヴァンに教わった。「教えて」と言えば「いいですよ」ってあっさり言って、とんでもなく厳しく鍛錬をさせられた。今だって毎日鍛錬は欠かさない。


 馬に跨るのも、剣を振り回すのも、騎士でなければはしたないだけだ。私も人前で馬に乗っても剣を振った事は無い。そんな機会もまずない。


 父様には後できつく言い含めるとして、まずは殿下のお言葉を考える。


 半分以上は殿下のおせっかいでは…とも思ったけど、それは言わずにおこう。

 辺境伯家と王家は信頼が厚い。それは歴史上の有名な話から、シャグリット国の民は皆の知るところ。けれど多分、殿下はそういう部分も含めて、友としての気持ちもあるのかもしれない。

 生憎と、殿下の気持ちは私には分からないけれど。


「殿下。いくつかお尋ねしてもよろしいですか?」


「あぁ」


「まず、私は平民と変わりありませんが、その点はよろしいのですか?」


「問題はない。それは暮らし振りの話で、その血筋も籍もれっきとした貴族だ」


「……ほぼほぼ籍だけ、ですが」


 私の隣で父様が居心地悪そうに頬を掻いた。大丈夫、責めてないから。






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