18,一歩前進できたようです
辺境伯様をお見送りし、落ち着こうと決めた私は自室へ戻った。
シスがお茶を用意して下がってくれたから、私はそのお茶を頂く。今はとにかく落ち着きたい。
でも、落ち着こうとする度にあの力と熱が蘇ってきて結局苦しんでいる。全く落ち着かない!
落ち着け。まだ生きてる。大丈夫。
何度も心にそう言い聞かせながら部屋の中をぐるぐる歩き回って少し、やっと一息つく事が出来た。
とりあえず、辺境伯様は三日後と仰っていた。忙しいだろうから遅れる可能性はあるけど、ひとまずそこが区切りだ。
言わなければならない事をそこでちゃんと伝えよう。結局剣の事も詳しく聞かれず、言う事も出来なかった。今度はちゃんと伝えないと。
それから…
『その他人行儀な呼び方と態度はやめてくれ。そうだな……ヴァンと同じように接してくれ』
……無理じゃないかな!? 相手は辺境伯様だよ!?
ヴァンとは全く違うし、そもそもヴァンは家族。
どうしよう…って頭を抱えていると、コンコンコンッと扉がノックされた。ハッと抱えていた頭を上げる。
「リーレイ様。シスですが、少々宜しいでしょうか?」
「うん。どうぞ」
許可すると扉が開いてシスが見えた。シスが一礼して一歩入って来ると、その後ろに数人のメイドの姿が見えた。
皆俯き加減で、何か思い詰めたような様子。そんな様子に思わず立ち上がった。
「何かあったの?」
「いえ。彼女達がお話があるとの事です」
「話? うん。何かな?」
私が許すと、メイド達も恐る恐ると言うように室内へ入って来る。その中にはミレイムの姿もあった。
どうしたのかと首を傾げていると、メイド達はたまらずといった様子でがばりと床に伏した。
何事!?
無意識に一歩足を引くけど、そんな私の様子に気付いていない彼女達は、切羽詰まったように口火を切った。
「「申し訳ございませんでした!」」
「なっ…何が? どうしたの?」
いきなりどうして謝られるの?
流石に少し事態が飲み込めない。もしかしてさっきの事?
そんな風に思ったけれど、それは違うのだとすぐに解った。
「私達が以前…っ……リーレイ様の批評をっ…好きに口に乗せておりましたっ……! 身勝手にも…!」
「リーレイ様はそれをご存知であるとっ…シス様が仰られ…。なのに私達は謝罪すら……いえ! しようという気さえなかったのですっ!」
「なのにっ…! リーレイ様は私達を助けて下さいましたっ…本来ならなさる必要のない事を…っ…それに私達の仕事をお褒め下さって……」
「本当にっ……本当にっ申し訳ございませんでした!」
あぁ…そういう事か。あの話をしていたのは彼女達だったんだ。
それが解っても、別に怒りは湧いてこなかった。逆にどうしてか安心したような、肩から力が抜けるような感じがした。
彼女達の態度は褒められたものではない。けれど、それは私も同じだった。
そんな私に責める資格はない。
メイド達の震える謝罪の後に、その隣で同じようにシスが頭を下げた。
「リーレイ様。彼女達への教育が至らなかった事、平に謝罪申し上げます。申し訳ございません」
「シス!? シスが一番小さくなってる!」
「全ての罪は私が…」
「しないよ!? 皆も頭を上げて!」
慌てて「ほら」と促すと、皆はゆっくりと頭を上げる。けれどどこか身を小さくさせている。
だから私も、皆の前に膝をついた。それぞれに驚いた顔をするけれど、何かを言われる前に口を開く。
彼女達ばかりに、謝らせてはいけない。
「皆の謝罪を受け入れる。それから、私も謝罪する」
「……!」
「辺境伯様の婚約者として、相応しくない数々の振る舞い。申し訳なかった」
「!? とんでもございません!」
本来なら使用人に向かって頭を下げるなど、褒められる行為ではない。だけど自分の非は、きちんと認め謝らなければ。
そうあるべきだと、私は育った。
本当に私は、今になっていくつもの事に気付く。
もっと早くに気付いていれば…は手の打ちようのない嘆き。だから今、ここから、気付いた今から私は進む。
それに、どちらかが罪悪感を抱いたままこれからを生活するのは嫌だ。私はもっと良好な関係を築きたい。
「互いの謝罪で手打ちにしよう。それでいいかな?」
「もったいのうございます」
「寛大なお言葉、なんと申し上げて良いかっ…」
「これからは誠心誠意、お仕えさせてください!」
やっと、皆の表情が晴れた。今はそれで充分。ちゃんとこれからを築いていける。皆は反省して進める人達だから。
「うん。改めて、これからもよろしくお願いします」
己の行動を悔い、改める事が出来る人達で良かったと思う。きっとそれが出来る人達だから、辺境伯様も信頼なさっているのだろうと思う。
信頼関係は、何をするにしても大切だから。
皆にも立ち上がってもらい、私もやっとホッと出来た。そして同時に思い出した。
「シス。ディーゴは元は辺境伯直属隊の所属なんでしょう? シスや他にも何人か落ち着いてた様子だったけど、教育の一環?」
怯まなかったシスも、それにレレックや他の使用人達も。あぁいう事態が起こったら怖がったりしそうだと思ったけど、辺境という土地柄、もしそういう教育があるなら私も受けたい。
そう思っていると、シスは少し眉を下げた。
「確かに、屋敷へ入る時に教育は致します。ですが、屋敷の者の大半は五年前の戦をこの屋敷で経験しておりますので、侵入者如きでは動じません」
「あぁ…そっか」
まだ最近の事なんだ。それを強く感じた。
五年前の戦に比べれば、さっきのなんて些細な事態かもしれない。戦の方がずっと恐ろしいだろう。
だけど、シスの言葉は戦が過去になったからこそで、素直に凄いとは感嘆できない。
大変な時間を過ごしたんだ。屋敷の皆も。辺境伯様も。
「…リーレイ様。お嫌になりましたか?」
「え?」
「先のような事が起こりえるこの地で、これからを過ごすのは」
シスの、静かだけど震えるような声音に、私は眉が下がった。
その問いに対して、すぐに答えは出てしまって。その事に自分でも驚いてしまう。
「ううん。同じ痛みを、辛さを、これからは私も背負うよ」
私に出来る事はきっと少ないだろうけど。それでも。
彼らや彼女達だけに、辛い事を背負わせてはいけない。私はずっと守られてきた。守るという事は大それた言葉かもしれないけど、出来る事をしたい。
「辺境伯様にも、辺境騎士団の皆さんにも、屋敷の皆にも。私は感謝してる。これからは一緒に頑張りたい」
シスも、メイド達もどこか嬉しそうな安堵したような表情を浮かべた。
互いの空気が良い方へ変わって嬉しく思う。
私も少し頬が緩む中、シスが不意にまっすぐ私を見た。どこか少しだけ真剣な眼差し。
「リーレイ様」
「うん?」
「辺境伯様ではなく、ランサ様、と」
「……それやっぱりそうしないと駄目かな?」
「では旦那様と」
「ごめんなさいそれは無理です名前で呼べるように頑張ります」
いきなり旦那様は難度が高い…!
絶対に本人の前で魚の口みたいにパクパクするもの! 絶対に笑われるっ…!
忘れようとしてた事が思い出されて頭を抱える。
「無理無理! 色々あったけど昨日初めて会った方だよ! 国の要! 国境の番人! 私なんかが呼び捨てて気さくになんて無理だよ畏れ多い!」
「御婚約者ですので、そのような事はございません」
「あっ、あんな御立派な方のとっ、とと隣になんて不相応だよ立てない! やっぱり今すぐにでも無効に…」
「「全力で阻止させていただきます」」
揃って私の退路を断たないで!
誰か私を助けて!
ぬおぉ…って頭を抱えていると、ミレイムが首を傾げて私を見た。
「リーレイ様、恋知らずの女性のようです。公爵家の御令嬢なのですし、これまでに縁談はあったのではないのですか?」
「こら、ミレイム」
他のメイドに窘められ、ミレイムは眉を下げた。
だけど私は窘めるよりも、最早床に打ちひしがれるような心地だった。
…ないです。だって平民暮らしで仕事と剣術鍛錬ばっかりだったので。なんて言えない。
恋、なんてした事ない。誰かに恋情を抱いた事もない。好きはいつだって親愛や友愛だった。
「…ない。相手が決まったのなんて…辺境伯様が初めてだし。恋だって無縁です」
「「そうなのですか?」」
なんでそんなに皆声揃えて驚くの? 驚くような事ではないよ…。
あ。公爵家の令嬢だからか…。
「…あの…とても失礼なのですが」
「うん…何かな?」
「ヴァン様はその……」
「あ…えーっと…ヴァンは家族同然の人だから、そういうのはない」
…どうして皆、「あらそうなの」みたいな顔するのかな。そっちの方が驚く事でもないよ。
ヴァンにそんな感情を持ったことはない。それこそ親愛だから。家族愛だから。
でも…うん。皆のおかげで気を付けようとは思った。見られ方は分からないから。
「三日後…どうしよう…」
これから三日、私に悩みの種ができてしまった。




