14,令嬢は自覚しました
小さくなったシスをなんとか宥めて頭を上げてもらう。
やっと目が合ったシスに、私も言わなければならない事を伝える。
「シス。私が、意識も自覚も覚悟も足りなかったの。自分が動きやすい形で振る舞った。ヴァンが良いと言ってくれた事に甘えた」
メイド達の会話はもっともなものだった。
王都から出る時に叔父様がくれたからって馬に乗った。ただ自分の不安に振り回された。ついて来てくれたヴァンに甘えていた。
だから――
「全部、私の責任なの」
結局私は、婚約者という意識を持たずにここへ来て、それを突き付けられただけ。
婚約なんて、顔を合わせて結ぶようなつもりでいた。口にしても自覚のない、形だけの言葉だった。
殿下は言った
『しかと夫としていかなるか見定めてくれ』と。
どうして私はこの言葉を、言われたその時にちゃんと読み取らなかったんだろう。
私が殿下に了承し、それが辺境伯様に伝わっている時点で、もう成っていたのに。
すでに私は、婚約者にいた。
婚約期間を共に過ごし、そして結婚を決めろと言われたのであって、互いに了承してから婚約しましょうではなかったのに。
その証拠に、辺境伯様は「俺の婚約者だ」と騎士達に告げていた。辺境伯様は、すでにそこを解っていた。
ツェシャ辺境領に来て。メイド達の噂話を聞いて。砦で辺境伯様にお会いして。この土地の緊張と危険を知って。
そしてやっと、理解した。
「間抜けな私…」
本当に全く、その通り……。
結局私だけが独りぼっちで置いて行かれた。
「リーレイ様…?」
「! ううんっ! …そうっ。辺境伯様にお会いしたよ。私の話にも耳を傾けて下さった」
「そうですか。ランサ様は乗馬の事など、何も仰らなかったでしょう?」
「うん。寧ろ、子供が同乗すれば助けられるなって」
私の苦笑交じりの言葉に、シスもクスクスと喉を震わせた。
それは辺境伯様の言葉に驚いているものではなくて、その人柄を知っているからこその笑みのようだった。
「ランサ様は貴族としてより、武人としての考え方をなさる事が多いのです。勿論、貴族として必要な事は全て身に付けていらっしゃいますが」
「そうなんだ…」
騎士達の中で緊張もなく堂々として、将軍として見せていた風格はまさに武人だった。だけど、その所作はどこか品も感じられた。
両方を持っていて、どっちも疎かにしていないなんて凄い…。
辺境伯様の事を理解し、少し誇らしげなシスに、怒られ怒り返した話はできそうになかった。せっかく砦へ行く理由をくれた心遣いを、無にしてしまうような気がした。
すぐにメイドがやって来て、私は湯浴みをする事にした。
私は辺境伯様にまだ言えていない事がある。
剣術の心得がある事。ティウィル公爵家との関係。これまでの暮らし。全てを話したら辺境伯様はどんな顔をするだろう。
やっぱり怒るかな…。失望するだろうか。少しだけそんな弱気な事を考えてしまう。
そう考えて、少し胸が痛んだ気がした。
♦*♦*
翌朝パチリと目が覚める。
自室のベッドはとてもふかふかで質も良くて、未だに少し慣れない。
パッとベッドを下りて着替える。着替えにメイド達の手は借りない。そんなに着づらい服は持っていないから。
私のクローゼットはガランとしている。元々持って来た物がそうない。
私が事前に用意していた服は、どれも質は良いけど私好みのシンプルなワンピース系ばかり。その中には一着、社交用のドレスがある。けれどそれは片隅に掛けてあって、今の所出番はない。
これは全て、叔父様と父様が用意してくれた物。荷物を少なくしたかった私は、ずらりと用意された数に圧倒されながらなんとか数着だけを選んだ。…社交用のドレスに関しては一着でいい訳がないから、これから買い揃えないといけないっていうのは分かってる。
普段の着替えはメイドの手を借りなくてもいいけれど、社交用はそうはいかない。その時は素直に頼もうと思ってる。
でも、私の肌は決して綺麗ではないから。少し気は進まない。ヴァンとの剣術や馬術の鍛錬で、傷なんて山ほど作って、今も小さな痕は無数にあるし、中には酷い痕になってるものもあるから…。
辺境伯様と会い、互いの事をちゃんと知ろうと言ってから、胸に在る不安。
この肌の傷痕に、辺境伯様は激怒しないだろうか…。結婚になればこれは全て知られる。だから…。
これまでの鍛錬を後悔はしないけど、辺境伯様をがっかりさせたり、怒らせるのは嫌だ。
だんだんと暗い考えになってしまって、思わずフルフルと首を横に振った。
駄目駄目。まだ先の話。なにを気に病んでるの。ちゃんとお話すればいいだけ。……でも昨日の事もあるし。ちょっと怖いな。いやでも、話すことは大事!
「よし!」
自分に気合を入れて、着替えを済ませた私は自室の扉を開ける。
「わっ…!」
「おはようございます。お嬢」
「おはよう…。どうしたのこんな早くに」
いつもなら食堂で待ってるヴァンがいた。びっくりした…。
驚きながら首を傾げる私に、ヴァンはいつも通りの調子。
「いやー。離れるなって言われたんで」
「?」
どういう事かな? よく分からないけど…。
でもヴァンは答える気はないみたいで「飯行きましょ。腹減りました」って歩き出す。その後ろに私も続けば、すぐにヴァンは私の後ろに戻る。
とりあえず、朝ご飯にしよう。
屋敷は門を閉め、高い塀が屋敷を守っているように思えた。
そんな今の辺境伯家は、それでも普段通りの穏やかな時間が過ぎている。シスやディーゴ達も自分の仕事に務めている。
私は庭に出ていた。屋敷からは出ないように言われているけれど、じっとしていられないから、庭の花や植物を眺めている。
「リーレイ様。これはパルジの花でございます」
「この花は何か使えるの?」
「花は使えませんが、葉を乾燥させれば薬にもなります」
辺境伯家の庭の手入れをしているのが、専属庭師であるレレック。
私がこの屋敷に来てから親しく話をさせてもらっている一人。……「手伝う」と言ったら必死に頭を下げて断られたから、それ以降見るだけにしてる。
家じゃリランと一緒にやってたんだけどなぁ…。
レレックは私が行くといつも快く迎えてくれて、花の事を教えてくれる。
植物にも根や茎、葉が薬になるものもある事、花の香りにも心に良い効果があるという事。教えてくれる事は面白くて興味深い。
今もレレックは花の事を教えてくれる。ヴァンは話の邪魔をしないようにか、少し離れて控えている。
話が一区切りついて、私はレレックに問うてみる。
「レレックは、このお屋敷に勤めて長いの?」
「かれこれ三十年程でしょうか…。大旦那様が御当主であられた頃から、こうして庭の手入れをさせていただいています」
「辺境伯様の御父様…?」
レレックがゆっくり頷いた。
辺境伯様と同じように、五年前の戦では勝利へと多大な貢献をされた方。小競り合いを含めた小衝突では常勝で、『益荒』との異名を持つ武人であり、先代クンツェ辺境伯様。
隠居されたと聞いたけど、今どこにいらっしゃるのかは知らない。
先代辺境伯様が御当主であられた頃は、カランサ国は先王の時代で小規模な衝突も起こっていた。
カランサ国とは歴史上、戦が起こった事も少なくない。カランサ国先王の時代も睨み合いが続いていた。
「レレック。今先代様は……」
どこにいるのか、そう聞こうとした時、門の向こうで何か物音がした。私とレレックは揃って門の方を見る。けれど何もない。
門は辺境伯様からの命令で閉じている。今は離反者が出ている状況だから、
「……レレック。ここにいて」
「リーレイ様!」
私はまっすぐ門の方へ走った。スカートの裾が長くなくて正解だった。
走り出すとすぐに後ろから「お嬢!」ってヴァンの声が聞こえてくる。
でも、その声が追いつくより先に門に着いた私は外を見る。それと同時に、バッと何か黒い影が落ちてきた。
「!」
「公爵家御令嬢か…。丁度いい」
喉元に突き付けられた刃。私も動きを止めてその刃の持ち主を見た。
見覚えがある。資料室にいた三人組の一人。
私の後ろではレレックとヴァンが駆けつけて、動きを止めた。
門の向こうでは、一人を足場にまた一人が侵入してくる。入って来たのもまた見た事がある男。そいつは門を開けると、その向こうにいたもう一人と、数人の破落戸を引き入れた。
綺麗な石畳の上を、男達が我が物顔で歩く。
「動くなよ護衛。動いたら大事な御令嬢の喉に穴が開くぜ」
ヴァンが動くよりも先に刃は私を斬る。それが解っているから、ヴァンも表情を険しくさせて動かない。
迂闊だった…。最近の私は本当に情けない事ばかりしてる。
でも心の中では、こうなったのがレレックやヴァンでなくて良かったとも思ってる。
男は一歩近づいてくる。だから私は一歩引く。
同時に、二人の国境警備隊の隊員がヴァンの前に立ちふさがって、私に近づけないようにする。
そっちをちらりと見ると、男達の合間からヴァンの目が私を見てるのが分かった。だから「大丈夫」だと伝えるつもりで視線を向けると、いつもより少し真剣で険しい目で「馬鹿ですか」って言いたげに私を見た。…気のせいだと思いたい。




