127,疲労か、それとも…
「お疲れ様。いかがかしら?」
「ユーティ君はとても強いです。これから鍛錬を積めば強い騎士になれると思います」
「本当ですかっ!?」
「うん」
ユーティ君はとても嬉しそうに私を見上げる。けれどその目はすぐヴァンにも向けられた。
「ヴァンさんにもきっと勝ちますっ」
「俺に勝とうなんざ百年早いわ」
「勝ちます!」
大人げないヴァンにもユーティ君はやる気に溢れている。
うんうん。向上心は大事だ。自分の怠らない努力こそが力になっていくから。それは私も実感してる。
ユーティ君も菓子を食べ、ザオ君もせかせかとクリビア様にお菓子を渡す。それを受け取り食べるクリビア様は子供達に優しい目を向けていた。
けれど、私はふと違和感を覚えた。
「クリビア様。お疲れではないですか? すみません。少しそう見受けられて…」
「そうかしら…?」
「御息女の育児でお疲れなのかもしれませんね。疲労は存外気付かぬ事もありますから。どうぞお休みになられてください」
子供達も少し心配そうに母を見る。そんな目にクリビア様は安心させるように笑みを浮かべた。
けれどやはり、この時間の始まりよりも疲労が見受けられる気がする。
疲労の滲むその表情には覚えがある。「大丈夫」と安心させるように浮かべられた笑みも。
だけど、それは大丈夫じゃなかった。
クリビア様自身も感じておられるのか、ゆっくりと席を立った。
「ごめんなさい。少し休ませていただいてもよろしいかしら…?」
「勿論です。ユーティ君とザオ君は、私やヴァンが一緒にいますので、ご心配なく」
「ありがとう。では皆、後を…」
言いかけたクリビア様の体がぐらりと傾いた。それを見て反射的に体が動く。
ガタンッと椅子が倒れ、私はその体を抱きとめた。
「クリビア様!」
「母上!」
「「奥様!」」
皆の悲鳴のような声が重なる。けれどクリビア様はぐたりとしていて応えない。
そんな様子に私も心臓が冷える。思わずぎゅっとその手に触れた。…大丈夫。温かい。
でも、何かおかしい。
ぞわぞわと妙な感覚が胸の中に沸き上がる。スッと全身が冷えていくような感覚を持つ。
すぐに皆が驚愕と混乱で駆け寄って来る。それを受けてクリビア様が僅か瞼を震わせた。
「…大丈夫。…少し…疲れて…」
「夫人、失礼します」
混乱する皆の中で、冷静さをすぐに取り戻したヴァンが私の腕からクリビア様を抱きとった。
その表情は少し険しくて、ヴァンはすぐに使用人達に声をかけた。
「部屋に運びます。医者います?」
「すぐ呼びます。奥様はこちらへ」
「坊ちゃま達はお部屋に」
クリビア様の侍女がすぐにヴァンを促す。それを受けてヴァンは私を見る。
その目を見て、まさか…という悪寒が走った。だけど今は、それは頭の片隅に置いてヴァンと共に急いだ。
クリビア様はすぐに部屋に運ばれ寝かされた。執事が医者を手配してくれたからすぐに来るだろう。
ベッドサイドにはザオ君が贈った小さな花束が置かれている。…二人とも母親の様子に不安だろうに、促されて部屋に戻っている。
顔色の悪いクリビア様に、私も思わず拳を握る。
もし…もしこれが毒によるものだったら…。狙いは私じゃないということ? それとも私からクリビア様に狙いを変えた?
分からない。だけど…。
「ヴァン。すぐに砦に向かってシャルドゥカ様にこの事を…」
「…駄目です」
私の言葉を遮ったのは、弱々しくもはっきりとした意思のある声。
その声に私も侍女達もハッと視線を向ける。クリビア様の深く濃い青色の瞳が私を見ていた。
堪らずと言った様子でベッドに駆け寄る侍女達。私は視線だけをクリビア様に向けた。
「あの方には…言わないで…」
「ですが…」
「…リーレイ様でも…そう…なさるのではない…?」
胸を衝くその言葉に返す言葉を失くした。ぎゅっと唇を噛んで拳をつくる。
私が同じ立場になったら、きっと同じ事を言う。そう想像できてしまったから。
ランサに知らせないで。今は大事な役目をしているから。と。そう思う。
ランサはきっと、伝えられても役目を選ぶ。だとしても、その最中に私の事で気を病ませたくないし、心配や不安を与えたくないから。
その覚悟と誇りを、まっすぐに全うしてほしいと思うから。
「…分かりました。夕方お戻りになるまで、お伝えしません」
そう言うと、クリビア様は少しだけ笑みを浮かべて頷いた。そして自分の侍女へ視線を向ける。
「しばらく…エルゥをお願い…」
「勿論です。ご安心ください」
強い頷きにクリビア様は瞼を閉じた。ゆっくりとした呼吸が見て取れる。
そこに執事と医師が駆け込んできて、私は一時退室する事にした。
クリビア様の部屋の前で、ちらりとヴァンを見る。
「ヴァン。クリビア様に…」
「俺はお嬢の護衛ですよ。夫人が狙われたかもしれないからって、次はお嬢って可能性がないわけじゃない」
珍しくヴァンが真剣な声で告げて私を見る。その目を私もじっと見つめた。
ヴァンはそう。必ず私を優先する。今も。常も。
だから私も「私を放っておけ」とは言えない。
だけどクリビア様の安全をおざなりにはできない。早急に犯人を突き止めないと。
だけどもし、クリビア様の不調が予想通りなら、あの場に毒があったことになる。
…どこに? 菓子も茶も私も飲んだけれど体に異常はない。ユーティ君とザオ君も同じ。
無差別に狙ってクリビア様に当たった? それともクリビア様を狙った? どちらかも分からない。どちらでもなく、それ以前にクリビア様が毒を含んでいたなら、それは私には分からない。
「侍女はかなり動揺してたし、心配する様子から見て犯人には思えないけれど…」
「あの顔色の悪さを演技でやってるなら賞賛ものですね。他に目星は…」
「昨日の茶会と同じメイドが三人いた」
「…調べます?」
「当然」
嫌そうな面倒そうな顔をするかと思えば、ヴァンは「やりますか」って思いのほかやる気みたい。
ちょっと意外だなって思って見てると、怪訝な表情を向けられる。…自覚ない?
「…やる気だね」
「あー…。子供の前で親が…ってあんまり好きじゃないんで」
ヴァンの眉間に少し皺が寄る。それを見て同意しつつも思い至った。
ヴァンは孤児だ。親は知らないらしい。出逢った頃にそう聞いた。
だからヴァンは家族というものを縁遠く思っている事があった。だけど、だからこそ、私達家族を大事に想ってくれているし、私達もヴァンを家族だと常々言っている。
親子という繋がりをヴァンは当たり前とせず大事に想っている。そんなヴァンだからこそ、子供の前で母親を傷つける行為には腹が立っているみたい。
「捕まえるよ、絶対」
「了解」
早速、私とヴァンは調べる事にした。
すでに屋敷の皆にもクリビア様が倒れた事は知れ渡っている。
調べると言っても屋敷をウロウロすると目立つし、現状では不安を与えてしまうから自然と、あまりあちこちは行かずに。
クリビア様がシャルドゥカ様にお伝えしないようにと言ったから、屋敷の中は不安と緊張が混じっている。慌ただしい使用人達はその空気を隠す事ができていない。
屋敷の女主人が倒れる。それが与える屋敷全体への影響に唇を噛んだ。
屋敷を歩く中、私は目の前にメイドを二人見つけた。
どちらも目星をつけた三人の中の二人。一人は私の世話をしてくれているウルシャ。もう一人はリュカ。
「少しいいかな?」
声をかけて近づくと、ウルシャは気弱な様子で礼をして視線を下げる。対してリュカは小さく礼をして私を見た。
シャルドゥカ様よりも年上のウルシャだけれど、身を小さくさせている様子は自信がなさそうにも見えてどうしても気遣ってしまう。リュカは私と同じくらいか少し下の歳で、少し気の強そうな目をしている。
「どうかされましたか?」
「クリビア様の事なんだけど、今日は体調が悪そうだったとか、あったのかな?」
「いえ。今朝はいつも通りお元気でした」
ぴしゃりとした声音が断言する。それを受けて少し考える。
それならやっぱり何かの要因があったから…。
私はリュカからウルシャに視線を移した。
「さっきはどうだった? 何かおかしな事とか」
「いえ。特には…」
「そう…。じゃあやっぱりお疲れなのかな」
崩れ落ちたクリビア様を思い出す。そして重なる、緩い巻き毛の黒髪。
何度も何度も頭に浮かんでしまう。
母様も疲れている様子だった。そして朝、冷たくなっていた。
無意識に自分の両手を握り合わせた。何も触っていないのに冷たいものに触れたような感覚。
…ランサのぬくもりが少し恋しい。
「奥様の事をご心配いただき…ありがとうございます」
「当然だよ。それに…母親が倒れると、ユーティ君とザオ君も不安だろうから」
今もきっと不安がっているだろう。使用人達もいてくれてるだろうけれど、私もちゃんと会いに行こう。
ウルシャはきゅっと唇を引き結び、両手を強く握り合わせた。けれど、それが音になるより早くリュカが私に断りを入れる。
「リーレイ様。私達は仕事がありますので。そろそろ…」
「あ。うん。そうだね。ありがとう」
「いえ。行くわよ、ウルシャさん」
何かを言いかけたウルシャだけど、リュカに腕を引かれて廊下の向こうへ去って行く。
ウルシャ、私に話でもあったのかな? 明日の朝にでも聞き直そうかな?
そう思いつつ、調べ直しを始める事にした。




