125,心には恐れがある
「ところで、一つ聞きたいんだけど」
話がまとまりを見せてきたところで、シャルドゥカ様が声を発した。
ソファに座ったシャルドゥカ様の体が控えるヴァンに向けられると、ヴァンはコテンと首を傾げた。
「ヴァンはどうしてスプーンの光り方だけで毒を見破れたの? かなりの教育を受けたのかな」
確かに…。それも敵対しているわけでも探っているわけでもない辺境伯邸で。
私もシャルドゥカ様同様にヴァンを見た。
ヴァンは…どこか遠くを見ていた。
それを見たランサとヴィルドさんは、なぜか納得したような様子を見せる。
「ティウィル公爵ですか」
「フッ…。平民暮らしに必要なあれこれ。貴族の護衛として必要なあれこれ。身につけろと詰め込まれた諸々…活きて何よりです」
「なんだかとても苦労したんだってことはよく分かったよ」
目が遠いヴァンには、シャルドゥカ様も「ごめんね」と思わず謝っている。それを見てランサは喉を震わせた。
ヴァンは確かに家に来た時から一通りの事はできた。それもティウィル公爵邸で教え込まれたからなんだ。とても苦労があったみたいだけど…。
だけど、どういう風に教わったのか、ヴァンの様子を見ていると気になってくる。
「ヴァン。叔父様の下ではどういう事を教わってたの?」
「聞きたいですか? 長い話になりますよ? いかに俺が苦労して、あれだこれだと振り回されたかって切実な苦労話になりますけど、聞きたいですか?」
「…うん。今度にする」
今は遠慮します…。ヴァンの笑顔がなんだか楽しそうじゃない。
それを見たヴィルドさんでさえ、同情的な視線を送っている。
「…そうか。リーレイはそこを知らないんだな」
「うん。家に来た時にはある程度出来てたし…」
「あれ? リーレイ嬢ってヴァンをいつから護衛にしてるの? 公爵邸からじゃないの?」
瞬いたシャルドゥカ様に、私はお話した。
元は平民暮らしで。ヴァンは叔父様が孤児院から引き取った子で。叔父様に鍛えられてから、我が家の家人として家に来た事。
「へぇ…。ランサの婚約者になった事から公爵邸暮らしだって思ってる貴族は多いけど、そういう事だったんだね。俄然、ヴァンに興味が湧いたよ。よっぽど素晴らしい教えを受けたんだね」
シャルドゥカ様のニコリとした笑みを向けられたヴァンは「地獄の日々の間違いです」と、さらっと失礼な答えを返していた。
時々、ヴァンと叔父様の仲が分からなくなる。悪い事はないけれど、ヴァンはちょっと嫌そう…というより、大変なんだって顔をするから。
「だけど、ランサがそこまで信頼するヴァンなら屋敷内でもしもの事があっても安心だね。よろしく」
「俺は基本、のんびり昼寝でもしてるのがいいんですけど…無理かなあ」
ヴァン。君なんで今私を見たのかな。こら。
そんな様子には大きくため息を吐く。
「それじゃあ、私は明日、私なりに調べてみるね」
「あぁ。気を付けて」
少しでもランサの力になれるならそうしたい。それに何より、私が狙いならその理由を知りたい。
理由も分からず狙われるのは落ち着かないし。一方的は嫌だ。
執務室をお暇しようとした私に、ランサが「部屋まで送ろう」と申し出てくれた。シャルドゥカ様を見ても頷いてくれるから、その厚意に甘える事にした。
ヴァンは毒の事でシャルドゥカ様と話すみたいで、私はランサと自室へ戻る。
「ランサ。ヴィルドさんも一緒だったって事は、演習の事で話があったんじゃないの?」
「少しな。問題ない」
それならいいんだけど…。少しだけホッとしたような気持ちになる。
夜の屋敷の中は静かだ。昼間は子供達の声が聞こえるから一層にそう思うのかもしれない。
そんな中をランサは私の手を引いて部屋まで歩く。
「夫人とは交流できているか?」
「うん。クリビア様も…辺境伯家に入って色々と考えていらっしゃるって。砦でも騎士達と交流したり、それに…「将軍が皆にも美しいって言ってましたよ」って話をしたりしてるって」
「全くシャルドゥカは…。まぁ、あぁいう奴だからな」
「うん。それから…社交界でランサに「シャルドゥカを何とかしてください」って言われたとか」
「…昔な。そんな話もしてるのか?」
「うん。とっても楽しい」
驚いているのか。困っているのか。そんな声音が聞こえて私も笑みが浮かんだ。
話をしているとすぐに部屋に着いて、ランサは扉を開けた。
「本来ならヴァンを置いておきたいところなんだが、あまり屋敷内で物々しくはさせられないからな」
「うん。そうすると屋敷の皆さんまで緊張させちゃうから」
この件を皆さんは知らない。だからこそ私達は平静を失っちゃいけない。
疑念は人々の間に亀裂を生む。それがランサとシャルドゥカ様に及ぶような事にはしちゃいけない。
「リーレイ。剣はどこに?」
「クローゼットの中にあるよ」
ランサは寝室の扉を開けると、クローゼットの前に立って「開けていいか?」と私を見た。私が頷くと開け、その中からすぐに剣を取り出した。そしてその剣をベッドの脇に立てかけた。
「念の為、剣は手の届く場所に置いてくれ。シャルドゥカに許可は貰っているんだ。置いていても問題ない」
「分かった。ランサ。大丈夫だから」
ランサは、他家の屋敷でも危機管理を怠らない時のような強い目をしている。
心配してくれているのが嬉しい。剣も、ヴァンを傍に常に控えさせようとするのも。
そう思っていると不意に、ランサがゆっくりと近づいてきて、私をぎゅっと抱きしめた。
包み込んでくれる痛いくらいの力。私の肩にコテンとランサが顔を埋めた。
「…ランサ?」
なんだか少し、いつもより力が強い気がした。震えそうで。けれどどこか必死にも感じる。
どうしたの? どこか痛い? ちゃんと顔を見て聞きたいのに、ランサは放してくれない。だから私は代わりに、とんとんっと背中を優しく叩いた。
「ランサ…」
「…本当に…驚いたんだ…」
少し大きく息を吐いて、こぼれた言葉。その声音に私も口を閉ざした。
「もし…リーレイが毒を口にしていればと考えただけでゾッとして、心臓が冷えた。ヴァンが居ると。シャルドゥカの屋敷だからと。油断していた自分が許せない」
「ランサ。全てを予見なんてできないよ。シャルドゥカ様やヴァンを、ランサは信じてる。その心は失わないで」
「それでも…」
ぎゅっと腕に力がこもる。ランサの声音が少しだけ、震えているような気がした。
「それでも…リーレイを失うかもしれない事が、俺は耐えられない」
いつもいつも『将軍』として。辺境伯として。文句なく立つランサが今だけ見せる、少し小さくて、縋るような、求めるような。そんな声も態度も力も。抱きしめて受け止めてあげたい。
知っている。失う事を恐れる貴方。私も同じだから。
だけど貴方は、それでも進む。背負うものを投げ出す事はしない人だから。
そっとランサの背中に回した腕で、ぎゅっとランサを抱き締めた。
優しく。大丈夫だと伝えるように。
「ランサ。ね。顔を見せて」
「…情けない顔をしているから嫌だ」
黙ることはせず伝えてくれるランサに、私は思わずクスリと笑った。
「うん。でも顔が見たい」
重ねて言うと、ランサは一瞬だけ動きを止めて、そしてゆっくりと顔を上げた。
やっと見えたその目は少し揺れていて。そんな顔をさせてしまった事が少し苦しくて、それだけ想ってくれている事が嬉しくて。私にだけ見せてくれる表情が愛しくて。
だから私は、ランサをまっすぐ見つめた。
「ランサ。私は危険を承知でランサの隣を選んだ。危険だとしても傍にいたいから。私は一人じゃないよ。腕も立つし毒も見破るヴァンもいる。ランサもその強さは知ってるでしょう?」
「知っている…」
「私も私を守る。ランサに出来ない事はヴァンが出来る。ヴァンに出来ない事はランサや騎士達ができる。ね? これ以上ない布陣が私の周りに居てくれる。こんなに頼もしい事はないよ。それに、こんな危険に遭っても、これからどんな事があろうとも、私はランサの傍にいる。離れたりしないよ」
「…だが、命に関わっていた事態だ。助かったからいいとは思わない」
あぁやっぱり…。ランサの揺れる瞳を見て解る。
ランサは私を大事に想ってくれている。失いたくないと。
命も。傍からいなくなることも――…
命は大丈夫。なくならない。…なんて事はどうしても証明できないし、きっと、ランサも納得しない。
私だって「大丈夫」だと言えない。
「なら、ランサ。不安に思った時はそう話して? こうして手を取って、ちゃんと触れて、二人でいよう。私はランサの傍を離れたりしないよ。ランサが思ってるよりずっと、私はランサの傍に居たいって思ってるんだから」
シャルドゥカ様の話をするクリビア様を見て、いいな…と思った。そんな嬉しそうな幸せそうな、満たされた表情で私もランサの話をしたいと。
夫婦という形を見て、いつかはランサとそういう形になって、ずっと傍にいたいと思った。
出逢った頃は、尊敬して、力になりたいと思っていた気持ちが、今はそれに加えて、ずっとずっと傍に居たいという、我儘で貪欲な形になっている。
それに気付いて、自分でも驚いた。ランサはきっと知らない。…知られるのは少し恥ずかしい。
でも今は、知ってほしい。
そう思った私は、ランサの頬に触れて、その唇に自分のそれを重ねた。
すぐに離れてしまったそれはけれど、すぐにランサからもう一度塞がれた。
また腕の力が強まって。熱く強く求められて、何度も触れ合う。束の間離れれば何度も何度も熱く名を紡がれる。
その声にも、熱にも。震えて仕方ない。
そして同時に溢れてくる。傍に居たい気持ちも。離れたくない愛しさも。
静かな室内に私の名を紡ぐランサの声だけが聞こえて、ランサはしばらく私を放す事は無かった。




