13,『闘将』は晴れても、令嬢は曇りです
静かな声音で問いただしてくるヴァンの問いと、まっすぐな目。
フッと心の内に入るような、吹きこまれた言葉に、ランサは一瞬だけ言葉を失った。
リーレイに突然体を押され驚いた。しかしすぐに危険を察知した。身を起こそうとしたリーレイを引き寄せたのは、守らなければならないと思ったから。
しかしそれは、国境と領地と領民を守る自分には、当然のように染みついた心構えで。
ただ少しだけ、捨て身で自分達を守ろうとする騎士達に、悲痛な眼差しを向ける表情が痛々しくて。
見て欲しくなかった。見せたくなかった。例え結果としてヴァンがそれを防いだのだとしても。
一瞬言葉を告げないランサを、不動に徹していた騎士達も少し気にかけるように視線を向ける。
こんな時に備えて表情筋を鍛えるのも騎士には必要だ。だが、どうしても気になってしまう。
「…ある。だがそれは、改めて聞くような事ではないな」
「そうですか。なら良かったです」
そう言ったヴァンは、少しだけ安心したような目をしていた。
そんな目をされたランサが逆に怪訝に眉を寄せる。何なんだこの護衛は。
そう思っていると、次にはいつもの気のない目に戻る。全く分からない。
「あー…それから一応言っておきますけど、俺はただの護衛で、別に辺境伯様が殺気とか疑心向けるような相手じゃないです」
「というと?」
「うっわ…分かってて言ってるこの人ヤだ」
げんなりとした表情と共に出た言葉は小さいけれど、しっかりとランサの耳に入った。というか音を出すのが二人だけなので、静かな執務室内ではよく聞こえるのである。
何がだと聞いてくる目に、ヴァンは心底面倒そうに頭を掻いた。
「どうせ屋敷の方々みたいに、俺がお嬢の‟男”なんじゃないかって思ってんでしょ。違いますから」
ざわざわっと騎士達が壁際まで引いた。見事に揃った行動と向けられる目に、「やめてくれません?」とヴァンは心底嫌そうに吐き捨てる。
そんな様子にランサはフッと口元を緩めた。
向けられる目にヴァンははぁっと大きなため息を吐く。
「辺境伯様。俺がお嬢とそういう仲なんじゃないかって、思ってたんじゃないですか?」
ヴァンは問いながらも答えは分かっていると言いたげだった。
そんな表情にランサは身体から力を抜き、椅子の背もたれに身を預けた。
「親しいな、とは思っていた。屋敷でもそう見られたか?」
「えぇまぁ。当然の事ですけど。これは完全にお嬢に非がありますから」
ため息を吐くヴァンにランサもフッと息を溢した。
通常ならばありえない。相手の家に入るのだとしても、男一人だけを連れて来るなんて。そんな場合には侍女の一人でも同行させる。
が、リーレイはそうはしなかった。本当に親しいヴァンだけを連れて来た。
ヴァンにはそう思われる事は予想できていた。例え王太子殿下が文に書いてあるとしても。
(お嬢は考えてなかったかなぁ。完全に家族って認識だし)
これまで家族で暮らしてきたままの、何も変わらない関係。
同時に、ヴァンはリーレイに対して恋情を抱いたことはない。
(ないな。それ以前にお嬢は‟主”だし)
ヴァンにとって、リーレイはただそれだけの存在。恋情など抱くより先にそれが刻み込まれた。なので、ない。
一人でため息を吐いたり、何かを否定するように首を横に振るヴァンを、ランサは口端を上げて見ていた。
この護衛官の事は正直よく分からない。だが一つ分かった。
(ヴァンはリーレイ嬢をよく知っている。王都でそれほど長く共に居たのだろうな)
もしかすると、公爵家では子供の頃から護衛を務めていたのかもしれない。それならよく為人も知っているだろう。
そしてもう一つ。少なくともヴァンとリーレイの間に親しい以外の情はなさそうである。
観察必要としてもそう判断する自分に、ランサは正直驚いた。
もし、リーレイが‟男”を連れて来ていたのだとしたら。自分はどうしただろうか。何を思っただろうか。
顔に出さず内心思考するランサの前で、ヴァンは「まぁ」と口を開いた。ランサの視線もヴァンへ向く。
「諸々含めてお嬢と話してください。お嬢は嘘吐けるような人じゃないですから」
その言葉で思い出すのは、自分をまっすぐ見てここへ来た理由を告げたリーレイ。それはまだ午前中の事だったのに、もう日が経ったかのようにすら感じる。
「そうしよう」
まっすぐと自分を見てくれた眼差しを思い出し、ランサは少しだけ口端を上げた。
執務室の空気は随分と柔らかなものに変わっていた。ホッとした騎士達も己の定位置へ戻る。
とりあえずもう空気に殺される事はないようだ。良かった。
その動きを視界に収めながら、ランサはヴァンの用件を済ませる事にする。
「リーレイ嬢は屋敷に連れ戻ってくれて構わない。ただし首謀者の行方が分からない。屋敷から出ないようにと伝えてくれ」
「一応聞きますけど、砦で保護って選択はないんですね?」
「ない。今はここも騒がしい。それに屋敷の方が安心できるだろう。誰が敵か味方か分からないという事もない。俺も常時付く事はできない」
「了解です」
それならと、ヴァンはもう身を翻す。
タンタンッと執務室を出る背中に、ランサは釘を刺す事を忘れない。
「離れるなよ、護衛官」
「お嬢が一人で突っ走らない限りは」
冗談とも本気ともつかない言葉に、ランサも肩を竦める。
馬で駆けて行きそうだと思えてしまうのが不思議だった。身を投じる姿には本気ともとれるのが悩ましい。
その姿が執務室を出る前に、ふと思いついたランサはヴァンを呼び止める。
「ヴァン」
「何です?」
「お前にとって、リーレイ嬢はどういう人だ?」
その問いに首だけ振り向いていたヴァンはパチリと瞬き、そして体ごとランサへ向き直った。
口元に笑みを浮かべたその表情は、普段の気の抜けた感じなどまるでなかった。
「求められるなら手になり足になる。ついて行こうと初めて思った、唯一の主です」
「…そうか」
その言葉とその目を、ランサは見た事がある。聞いた事がある。
自分に向けられるものと、全く同じ。
ヴァンの言葉に、辺境伯直属隊の騎士達もそれぞれに誇りある笑みを浮かべていた。
♦*♦*
日が暮れる前に、私とヴァンは屋敷へ戻って来た。
砦を出る事に異議はなかった。辺境伯様も騎士達も多忙になっているだろうし、いつまでもいるわけにはいかない。逆にまた私が命を狙われるような事がないとも言い切れない。
私は騎士達に会ったばかり。まだ個人が分からない。
唯一の懸念は辺境伯様の事だったけど。
『あ、大丈夫です。もう怒ってなかったんで』
『……でも、皆様の前で怒り返したし。出て行く挨拶だっていらないって…』
『それ単に忙しいからです』
……本当に大丈夫だったのかな? 戻って来てなんだけどもやもやする。
砦に行く前よりもやもやして帰って来たかもしれない。おかしい。
「おかえりなさいませ、リーレイ様」
「ただいま、シス」
帰って来たと思える程、まだここが我が家である意識はない。だけど出迎えてくれる人がいる事は嬉しい。
ヴァンは自室へ戻り、私も自室へ入った。そしてやっと息を吐ける。
メイド達が湯浴みの用意をしてくれているらしくて、その間シスがお茶を淹れてくれる。
一口飲むと、その香ばしい香りが鼻を抜ける。疲れもフッと抜けていくみたい。
「美味しい…」
「お口にあってようございます。これは緋国から輸入されている茶葉を使っているのです」
「そうなの? 緋国の物も多くなってきたね」
シャグリット国の友好国である緋国には、現王の姉君が嫁がれている。それ以前にも降嫁はあって、今ではよき隣人である隣国だ。
緋国は近隣では広大な国で交易も盛ん。軍事力も強力だけど、ここ最近の歴史では戦は少ない。シャグリット国とは戦火を交えた事はかなり昔にしかないらしい。
逆に、落ち着いていない国がカランサ国。
「ツェシャ辺境領には、カランサ国の物は入って来るの?」
私の疑問に、シスはゆっくり頷いた。
「はい。商人が行き来しておりますので。カランサ国も内政が落ち着いてきているとの話です」
「そうなんだ…」
国内が落ち着いても、国の端では、路頭に迷い野盗になる人もいる。
全てが落ち着く事はあるのかな…。それは難しいと解るけど。
私はカランサ国の事はほとんど知らない。辺境伯様ならもっと詳しく知ってるのかな…。
そう思ってカップをキュッと包み込んだ。
「シス。砦に行く理由をくれてありがとう」
「いえ…。リーレイ様にあのような事を頼むのは図々しい事だとは重々承知しておりますので、いかような罰も受ける所存…」
「しないよ!? しないしない! ありがたかったのは私の方だし、シスは私の為にしてくれたんでしょう…?」
床に頭が付きそうなくらい頭を下げる…というか土下座するシスを慌てて止める。
シスは何も謝るような事はしてない。謝罪なんてされると落ち着かない。
頭を上げたシスは申し訳なさそうに眉を寄せていた。
「…以前、リーレイ様は何か思い詰めたようなお顔をされておいででした。直後、私の耳にも不心得な者達の話が入り……。申し訳ありません。私の教育が至らぬばかりに…」
「シス!? 顔上げて!」
だんだん小さくなってるから!




