122,警備とお茶の時間です
「辺境伯家に入るにあたって、何か学んでおいた方が良い事などはありますか?」
クリビア様も私と同じなんだと解って、すぐに聞きたかった話を伺った。
辺境伯家は二家のみ。知らない事はもう一家の御方に聞くしかない。私の今回の訪問目的の一つでもあるクリビア様との交流は、こういう事を聞いてみたかった背景がある。
問うた私に「そうね…」とクリビア様は少し考えるような様子を見せた。
「何よりも必要なのはやっぱり…覚悟かしら。いつ何が起こるか、というのが辺境伯家ならではだわ」
少し伏せがちの目に私も五年前の事を思った。あの時ガドゥン様とランサを見送ったシルビ様とエデ様と同じように、クリビア様も覚悟を持っているんだろう。
私も、それに関しては胸の内にある。あってほしくない事だけれど避けていいことではない。
「ねえリーレイ様」
「はい」
「辺境伯に嫁いだ身として、如何なる危険にも己で対処できるという事は必要だと思うの。リーレイ様は馬に乗られるのでしょう? 教えて下さらない?」
「「奥様っ!」」
控えるメイド達から悲鳴のような声が上がる。傍でいきなり出た声には「びっくりしたぁ…」ってヴァンも少し身を引いている。
そんな皆様に、クリビア様は少し頬を膨らませている。
そういえば、前にランサも似た事を言っていた。クリビア様が馬に乗って駆けようとしてるとかって。
クリビア様は本気だったんだ…。私はこれに頷いていいものか…。
「シャルドゥカ様は何と…?」
「あの方の言葉をそのまま言うと『馬に? …それは、うん。いいけど…。怪我には気を付けてね落ちないでね。練習するなら騎士から人を寄越すからお願いその時にして』との事です」
…あ。止めはしないんですね。止められないってことかな?
何でだろう。シャルドゥカ様が頬に冷や汗を流す様子が目に浮かぶ。そんな表情は多分きっと他の誰かではさせられない。
クリビア様がやりたい事ならって気持ちもあるだろうけれど、心配もしてるだろうなって事はその言葉からよく分かる。えーっと…。
「リーレイ様も、辺境伯に嫁ぐことになり、安全といざというために身につけられたのでしょう?」
…違うんです。歩くより早いし馬車より安くて済むからという理由で始めたんです。
私の心の声が聞こえているのか、私が馬を始めた理由を知っているヴァンだけは、お腹を抱えて笑いを堪えている。
「…確かに、いざという時に自分の足で動ける事は大事だと思います。ただ…えっと…」
「母上は乗馬をするんですか? 僕もやります。父上が馬をくれたので、一緒にやりましょう!」
あぁクリビア様陣営が増えていくっ…!
ユーティ君がザオ君にも「教えてもらおう」と言って私を見る。クリビア様も笑みを浮かべて。
「……分かりました」
「ありがとう、リーレイ様」
…こういう時、私は否やは言えない。
それからすぐ、やる気を出したユーティ君に促され、私達は外に出た。
私は男装する事になり、愛馬に鞍を置いて騎乗した。ザオ君を一緒に乗せてあげたり。ユーティ君に馬首の返し方を教えたり。クリビア様と馬を並べている間、ヴァンがユーティ君とザオ君を馬に乗せて楽しそうにしていた。
思った以上に有意義な午前を過ごす事ができた。
午後。
私は男装のまま砦に向かって、合同演習を見学させてもらった。
海上防衛や船の改めはツェシャ領辺境騎士団の初参加者にとっては珍しいようで、皆さん積極的にタンケイ領辺境騎士と言葉を交わしている。
「積み荷はかなり多いですね。不審物も多いのでは?」
「まぁね。積み荷は出港時点でリストにしてくれてるから、それとの相違点を調べるし、許可のない物は降ろさない。当然隠れた物もね」
「成程。シャグリット国からは?」
「国や貴族所有の船が出て行くよ。勿論、事前に僕らが内部は改めるけれど…」
「出て行く物にも全て許可は出ない、ですか」
ヴィルドさんとシャルドゥカ様が話している。私はそれを傍で聞いていた。
シャルドゥカ様の言葉の意味は解る。入る物にしても出て行く物にしても、その全てを完璧に止める事はできない。それはランサも同じだ。
「乗組員も全員調べるんだけど、あの手この手を使ってくるからね」
「見破れば二度は起こさない。それが俺達の役目だ」
ランサの鋭い言葉に、「勿論」とシャルドゥカ様もどこか強く不敵な笑みを浮かべて頷いた。
そんな警備の合間に、私は近くで海を見る。こんなにも近くで見たのは初めてだ。
その輝きにしばらく見惚れる。この海の向こうには行ったこともない国があるんだろう。全く知らない人達が暮らしている。
そんな世界から船を使ってこの国に人々がやって来る。流れる水がここまで運んでくれている。
「リーレイ。どうだ? 海上警備は?」
「船の改めは大がかりだね。荷も多い分紛れられる所も多いってことでしょう? それを見破る為の目は、養うためにかなりの経験が必要だと思う」
「そうだな。俺でも難しい」
「ユーティ君が言ってたよ。シャルドゥカ様はそういう船は、美しくないからすぐ分かるんだって」
「それはアイツだけの感覚だな」
クスクスと笑って言うと、ランサも喉を震わせた。
海からの風を受けて毛先が赤みがかった黒い髪が揺れる。バサリと隊服がひらめいて、そんな姿に少し目を引かれた。
そして不意に、クリビア様が言っていた事を思い出す。
先手必勝。照れさせて。驚かせて。慌てさせる。そういう気概。
片手の数ほどもないけれど、数度だけランサを照れさせたことはある。
一度目は言葉で伝えるより先に私から頬に口付けた時。二度目は嫉妬の言葉を口にした時。…正直に言って、あまり参考にならないと思う。
そもそも、ランサには先手を打たれてばかりだし、慌てるなんて様子は見た事もない。喜ばせると良い事が起こった経験もない…。どうすればいいんだろうと思わず考えてしまう。
「リーレイ。どうかしたか?」
「っ…!」
ほら近いっ! 私が驚かされてるから!
…待てよ。クリビア様も同じ事をしようかって考えてた。つまり同じ事を私もすればいいのかな?
と思い至った私は、身を引きかけたけれど、逆にぐいっと近づいてみた。
「…!」
…あ。ランサが驚いた顔をしてる。
意表を突かれたように瞬いて、少し目を瞠る。そんな白銀の瞳がすぐ近くに見える。
「…リーレイ。これは…キスをねだられているという事で間違いないか…?」
「!? 違う!」
今仕事中!
今度こそ身を引いた。
少しだけ警備を見させてもらった私は、午後のお茶の時間には屋敷へ戻った。
午前の時に、クリビア様が考案した、緋国の果実を使った菓子をいただく約束をしていたから。
私の後ろでは、ヴァンがすっかりユーティ君とザオ君と仲良くなったようで、三人で遊んでいる。
それをクリビア様もメイド達も微笑ましそうに見つめている。ヴァンは近所でも子供相手は難なくこなしていたから、私も久しぶりに見る光景だ。
だけどやっぱりヴァンは普段通りで…
「あー。もう疲れた」
そう言って、疲れた様子で私の元に戻って来た。「えー」って不満そうな二人を連れて。
「ヴァンさん。僕、稽古もしたいです」
「回復に時間くれない? 俺もう疲れたー」
「ヴァンさん本当に強いんですか? 父上は凄いって言ってましたけど…」
「強いよー?」
疑うユーティ君と踏ん反り返るヴァンに私は思わず笑った。ザオ君はスタスタとクリビア様の傍にくっ付いて行く。
と、丁度メイドが菓子の載ったトレイを手に来てくれた。小さな深めの皿に深い紅色のムース。クリームと小さな実、それに緑のアクセントもある。
「綺麗…美味しそうです。この果実が緋国からの?」
「えぇ。小さな実だけれど、果汁を絞っても煮詰めても美味しいの。その紅色はその実から作っているの」
「頂きます」
一緒においてくれたスプーンを手に、それを頂こうとした時…
「おわっ…!」
「あっ…」
後ろからいきなり押されて思わずスプーンを取り落とした。カランッとスプーンが地面に落ちる。
その音が聞こえて、失態に青ざめた。
「大丈夫?」
「はいっ…。申し訳ありません失礼をっ…!」
「いいの。気にしないで」
クリビア様は安心させるように手を振った。とても申し訳ない事に次の言葉が出て来なくなる。
けれど、そんな私に聞き馴染みある声が入ってきた。
「すんませんお嬢。俺がふらついた所為です」
そう言いながらヴァンは私が落としたスプーンを拾う。後ろからの衝撃はヴァンかららしいけれど責める気にはなれない。
寧ろ、少し心配になった。
「ヴァン。そんなに疲れてる? なんなら部屋に戻ってもいいよ?」
「え。用済み?」
「違う違う」
そうじゃないから。何でちょっと本気で思ってるっていうような目をするのかな。私がそんな事言うと思ってるの?
フルフルと首を横に振って否定すると、「あ、そう」ってホッとしたらしいヴァンと、クスリと笑うクリビア様の声が聞こえる。
「ヴァンさん駄目ですよ。リーレイ様にぶつかっちゃ。疲れてるなら椅子あげます」
「おー親切。でも俺、先にこれ返して来るわ。シーラット夫人、他になんか持って来るものとかあります?」
「いえ。ありません」
クリビア様は私に、自分の皿に置かれていたスプーンを渡して下さると、自分が予備からスプーンを取った。
「ヴァンも私も大変失礼をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいえ。子供の相手というものは思う以上に体力が必要だもの」
ヴァンも私の隣で改めて「失礼をしました」って頭を下げた。そんなヴァンもクリビア様は寛大に許して下さる。
場も落ち着いて、ヴァンは「お嬢。これ戻してきます」と言うと、スプーン返却の為に離れて行った。
それからの時間は心地良く、すぐ戻って来たヴァンはまたユーティ君とザオ君に遊び相手にさせられていた。
微笑ましい光景には、私もクリビア様もずっと笑っていた。




