121,夫人は強かな御方のようです
シーラット辺境伯邸の朝は、クンツェ辺境伯邸の朝と同じで早い。
私も染みついた感覚で起きて、クリビア様があてがってくださったメイドの手を借りて着替える。やっぱり他家の手は少し緊張する。
「ありがとう。私が屋敷に居る間は手伝ってくれるんだよね? 名前を聞いてもいい?」
「はい。…ウルシャと申します」
「ウルシャ。よろしくね」
ウルシャは少し消極的なのか身を小さくさせている。年齢は私よりずっと上で仕事経験も長いんだろう腕は確かだ。ミレイムとは正反対の性格だなと思うと少し笑みが浮かんだ。
朝食が出来たと別のメイドが呼んでくれて、私はウルシャと共に部屋を出る。と、すぐにヴァンがいた。
「おはよう、ヴァン。今日は眠そうじゃないね」
「おはようございます。眠いですよ。立ったまま寝れそうなくらい」
それは器用なことをしようとするね。そんなヴァンに思わず笑う。
笑いながら朝食の席へ向かうと、すでにランサとシャルドゥカ様がいらした。
「おはようございます。朝から鍛錬なされていたんですか?」
「おはよう。うん。ランサと一緒だと張り切ってやれていいよね」
「おはよう、リーレイ。鍛錬相手という点においては他に居ない相手ではあるんだがな…」
「それは嬉しい。朝の冷たい空気の中、鍛錬する君の美しい姿が見えるだけで僕はもう心がいっぱい…」
「そう碌でない事を言っているなら夫人に言いつけるぞ。いい加減にしろ」
ランサの半眼にもシャルドゥカ様はひらりひらり。そんな二人の通常運転には笑ってしまう。
結局、クリビア様がいらして「あら。仲がよろしくて」と笑うまで二人はその仲の良さを発揮していた。
『リーレイ様。演習を見に行かれるのでしょう? ではその前に、私が知るだけの警備の事をお教えしましょうか? シャルドゥカ様は演習でお忙しいでしょうし』
『良いのですか?』
『勿論』
朝食の席で頂いたクリビア様のご厚意に甘え、私はクリビア様が知るだけの事を教えていただくことにした。
実際、シャルドゥカ様に聞くのは躊躇っていた。タンケイ領辺境騎士団に知っている人もいないし。クリビア様の言葉はとてもありがたい。それに、クリビア様が知る限りということは、騎士ではない者が知っていても問題ない範囲という事でもある。重要機密には触れないから安心できる。
まさか、夫人から教えていただけるなんて。
ランサとシャルドゥカ様を見送った後、クリビア様と屋敷の一室で、ユーティ君とザオ君と一緒にクリビア様から警備について教わる事にした。
「タンケイ領の国境警備は、陸と海の両方。陸路では国境近くに関所と砦があり、国境警備隊と辺境伯直属隊が警備をしているの。海路でも同じ。シャルドゥカ様はその両方を行き来しておられます」
「海というと、船の改めですね。海賊が出るとも聞きました。それの対処も?」
「えぇ。船は国内外から出入りしているの。その荷を改める。これはツェシャ領の関所と同じね」
私は頷いた。陸と海、場所は違えど役目は同じ。
シャグリット国では国内外の船が出入りするような大きな港は決まっている。他は地元の漁師が使うような港が多い。
国外から、つまり海の向こうから来る船には、海の向こうの品が積まれている。良い物も悪い物も。
海の向こうの警戒と言う知らない内容を考える私に、ユーティ君もクリビア様に続いて教えてくれる。
「悪い物を積んでいる船は、父上が騎士達と一緒に、国に入れないようにするんです」
「そうなんだ。シャルドゥカ様や騎士達は凄いね。どうやって船は見分けるんだろう?」
「父上は、美しくないからすぐ判ると言ってました!」
控えたヴァンが「分からんっ!」ってズテンッとスッ転げた。
…成程。シャルドゥカ様らしい見分け方だ。というかシャルドゥカ様にしか分からない。
クリビア様も困ったように笑う。
「本当は、色々と見ているのだと思うのだけど…あの人に言わせればその一言らしくて」
「そうなのですね。ですが、あれこれと説明されるよりも頷けてしまいます」
顔を見合わせてクスクスと互いに笑みが出た。
「海の警戒には船で見回りにも出るわ。特に船がよく出入りする時には騎士達も船に乗って。海賊が出た時にはその対処もする。他にも船の護衛を頼まれたり、遭難船を探したり」
「そういう役割もあるのですね…」
という事は、今回の演習では船も使うのかな…。それは見てみたい。
船の検閲はどういう所を見るんだろう。それも知りたいな。
「クリビア様は御覧になられたことは?」
「砦には行くのだけど港の関所はあまり…。一度、婚約する前に見せてもらった事はあるけれど、それ以外は用事がない限りはあまり行かないわ」
「婚約前に…ですか?」
それは少し意外だ。婚約者の時に見せてもらうなら、私もしてもらった事だから分かるけれど。
驚くと、クリビア様が眉を下げた。
「一度、婚約前にタンケイ領へ来た事があったの。その時に外に出ようと誘われて」
「…婚約以前から交流があったのですね」
「えぇ少し。だけど、そんな頃のあの方は、フラフラとして御令嬢方誰にでも声をかける方だから、あまり良い印象はなかったわ」
…少し納得を覚えてしまった。
クリビア様は昔の事だというようにクスクスと笑みをこぼす。今は夫婦になり子供もいる。ザオ君とユーティ君の頭を撫でたクリビア様は、その目を私に向けた。
「リーレイ様も警備の事や騎士の事、ツェシャ領では学んでいるでしょう?」
「はい」
「大変だと思わなかった? 他貴族とは全く違うもの」
「思いました。…ですが、これまで守ってくれていたという事を肌で感じました。今は共にそうありたいと思っています」
シャグリット国でこんな事を学ばなければいけないのは、辺境伯に嫁ぐ者だけだろう。その少ない中に私とクリビア様は入った。
私は貴族の出ではないけれど、クリビア様は生まれも貴族だそうだから他貴族とはまた違うところは大変だっただろう。私がすんなりと受け入れられたのは多分、平民であったこともある。
私の答えにはクリビア様も笑みを浮かべた。
「そうね。それに…いざって時は私達があの方々の名代だもの。知らないままでなんていられないわ」
静かに紡がれたその言葉には、確かな重さがあった。無意識に手に力が入る。
いざという時。ランサに何事かがあった時。ランサが騎士達を統率できないような事態に陥った時。
国境警備上の事は、ヴィルドさんやロンザさんがいる。けれどそんな彼らに出来るのはあくまで留守を預かり騎士をまとめる事であって、領主としての動きは出来ない。辺境伯として、『将軍』として、貴族としての権威は使えない。
そんな時、ツェシャ領でその代理になれるのは私だけ。
実際に力を尽くすのは辺境騎士団であるにしても、これまで一切関与していないような者なら、辺境騎士達だって従いたくはないだろう。そういう事があるから、ランサは私に辺境騎士団との交流を勧めていたんだと、今なら解る。
それはつまり――その時、私が状況をきちんと見極め誤った判断を出さないように。騎士達が一層に不安と私への反発を強めないように。形だけの名代にならない為に。
「クリビア様も砦には時に出向かれるのですか?」
「えぇ。差し入れを持って行ったりね。その時には出来るだけ騎士達と話すようにしているわ」
やっぱりクリビア様もそうなんだ…。同じ事をしていると解って私は思わず頷いた。
そうするとクリビア様はクスリとひとつ笑う。
「だけどね、皆揃って大体同じ話をするの」
「? 同じ話ですか?」
「えぇ。『奥様。またシャルドゥカ様が誰彼に美しいって言ってましたよ』って」
その言葉には思わず笑ってしまった。控えるメイドやヴァンもクスクスと笑っている。
何でだろう。クリビア様にそう言う騎士達の姿が想像できてしまう。
「シャルドゥカ様ってそういう方だもの。夜会でも大方、あの人がリーレイ様にもそんな風に声をかけたのではない?」
「あの時は…私が他の貴族の方から少々気持ちの良くない事を言われたので返していれば、なぜかシャルドゥカ様が笑いながら来られました」
「颯爽と助けに来た、ではなく?」
「はい」
少し驚いた顔をしたクリビア様だけど、やがてふふっと笑い出した。そう笑われると少し恥ずかしい。私もあまりお上品な事が出来ていないから。笑うクリビア様に、ユーティ君とザオ君がコテンと首を傾げている。
ひとしきり笑ったクリビア様は息を吐いて私を見た。
「きっと出鼻をくじかれたような思いだったのでしょうね。帰って来たら聞いてみようかしら」
ふふっととても楽しそう。…私がちょっと恥ずかしいな。
そんな羞恥を切り替えて、それからの話をしてみる。
「それからすぐに離れていたランサ様がいらして。お二人は仲の良さを見せて下さいました」
「顔を合わせるとすぐに仲良く話しているものね。あれも幼馴染だからなのかしら。クンツェ辺境伯様がいつもげんなりとなさっていらっしゃるけれど」
「あんなお顔は、シャルドゥカ様にお会いして初めて見ました」
「私もよ。クンツェ辺境伯様とはシャルドゥカ様と婚約してきちんと話をするようになったのだけど。それまでは社交界でも背筋を正して、あまり楽しんでいるご様子は見なかったから、初めて見た時は驚いたわ。だんだんと『シャルドゥカを何とかしてください』って、社交界とは思えない顔をされて」
そんな顔が想像できる。私とクリビア様は二人で笑った。
ランサはそう言いつつもシャルドゥカ様を本気で嫌うことはない。信頼しているし、他の誰とも違う関係なんだろうと思う。
幼馴染で。同じ立場で。それでいて他の誰かなんて替えはない存在。
「夜会から帰って来たシャルドゥカ様に、クンツェ辺境伯様とリーレイ様の話を聞いて、参加できなかったのがとても悔やまれたの。だから、合同演習をするんだってお話を伺って、ご無理を承知でシャルドゥカ様にリーレイ様をお招きできないかとお願いしたの。迷惑ではなかった?」
「とんでもない。こうしてゆっくりお話できる機会になって、とても嬉しいです」
「私も嬉しいわ。それに、クンツェ辺境伯様のあんなご様子も初めて見たし。よほどリーレイ様を大切に想っていらっしゃるのね」
ニコリと笑顔でそう言われると、私は言葉に詰まってしまう。
ランサは当然のように隠そうとしないから、周りからはそう見られているだろう。…恥ずかしいけど。
「クリビア様はその…シャルドゥカ様のさらりと言葉を紡ぐところに、むず痒く…と言いますか、慣れないことはないのですか?」
以前ほどに慌てふためくことはなくなってきたと思っているけれど、場を考えてくれないところは心臓に悪いと今も思ってる。それにあまりにも平然としているし。
どうしてあぁなれるんだろう。シャルドゥカ様もランサとは同じところがあるみたいだし…。
私の言葉にはクリビア様も「そうね…」と少し同意するような声音を紡いだ。
「シャルドゥカ様ってあぁいう方だから。私も同じ事を思ったわ。だからね、逆に開き直ってやろうと思って」
「…開き直る?」
「そう。美しいと言って下さったら、美しいもの好きの貴方が選んだ女ですものって。好きだよと言われたら、私は愛していますと」
ニコリとした笑みの中に見えるクリビア様の強かな一面。すごい。私も見習いたい。
しかもその言葉にはしかとシャルドゥカ様への想いが感じられるから、一層に憧れる。
「父上はいっつも、母上に「美しいよ」って言ってます。母上はいっつも「貴方の妻ですよ?」って言ってます」
「言ってるよ。父上も母上も楽しそう」
「あらあら」
我が子達の言葉には、クリビア様も少し照れている。そんな親子に私も笑みが浮かんだ。
両親の仲が良い事はきっと、子供達にとっても良い事で嬉しい事なんだろう。
「でも父上、僕が母上に「美しいです」って同じ事言うと、「ユーティは言っちゃ駄目。クリビアは僕の妻だから」って言うんです。どういう意味ですか? 母上。僕は母上の子なのに?」
「あら。帰って来た父上を問い詰めなくてはいけないかしら?」
…あれ。クリビア様の笑顔がちょっと変わった。「うふふ」って笑ってるのに笑ってない感じがする。
ユーティ君とザオ君がコテンと首を傾げて母を見た。
「仕方のない方ね。もう…。リーレイ様もそう思わない?」
「そうですね…。ですが、それだけシャルドゥカ様はクリビア様を想っていらっしゃるということなのだと思います」
「だからって我が子に釘を刺すかしら? あら。ということはあの方がエルゥに言ったら私も同じ事を言い返せばいいかしら?」
「…クリビア様は逞しいですね」
「あら嬉しい。だってね。あの方には先手必勝、照れさせて、驚かせて、慌てさせるって気概がないと 」
その言葉に少し目を瞠った。
クリビア様はシャルドゥカ様と出会ってそういうことを学んだのかな。相手との距離を模索して見つけて。今の二人になっていて。
なかなか一歩を踏み出せない私とは大違いだ。
私はなんとかランサがくれるものに慣れてきたけれど、思えばこれも、始まりはランサが距離を詰めてくれたから。でなければきっと、互いに一歩を引いて接していた。
私からは、何が出来るんだろう…。




