116,いざ、辺境伯家へ
「夫人はどんな御方? 好きなものとか嫌いなものとか知ってる? …私も、ランサとシャルドゥカ様みたいになれるように頑張らないと」
「そこは目指さなくていい。大丈夫だ」
どうしてかヴァンがケラケラと笑ってる声が聞こえるけれど、そこは気にしない。いつもの事だし、今の私にはこっちの方が重要事態だ。
ランサはどうしてかすぐに否定をくれて、少し考えるように悩むように額に手をあてた。
少しだけ落ちる沈黙に、私は困惑してヴァンを見る。
「お嬢が変な方向性を固めるから」
「だって…辺境伯家の関係性は大事でしょう? ランサとシャルドゥカ様は仲が良いのに、私と夫人が良くないなんて…両家の軋轢になったら嫌だし、他家への印象にも良くない。それに、ランサとシャルドゥカ様の関係まで悪くさせたくない」
「…ま、良いに越した事は無いですね。うん。でもまず理由がそれなんですね」
「? 違った?」
「いえ」
ヴァンはゆるゆると首を横に振る。
間違っていないみたいだけど、私はいまいちよく分からなくて今度はランサを見た。
ランサは顔を上げて、それでも口元を手で隠していた。
「ランサ…?」
「リーレイは本当に…俺の事をそこまで考えてくれるんだな。どうしようもなく嬉しい」
「うん…うん?」
「今すぐ口付けたい。いいか?」
「!? こら!」
すぐさま腰を引き寄せ口付けようとぐっと距離を詰めてきたランサ。その口に思わず手を当てて塞いだ。
いきなり飛びすぎ! 私がびっくりするから!
「そっ、それよりも夫人の事を教えて!」
ムッとランサが少し不満そうな顔をした。
そんな顔しても駄目。流されないからね。そう思ってランサをじっと見ると、ランサもじっと私を見てスッと引き下がった。
…ふぅ。危ない所だった。
よし。流されない思考がちゃんと働いてる。良かった。
「…リーレイがだんだんと逞しくなる。もっと慌てて流されてもいいというのに」
「ランサ様が逆にお嬢を逞しくさせてんじゃないです?」
「何だと? それは問題だな」
そこの二人。聞こえてるからね。
ランサは大きく息を吐くと、背もたれに身を預けて教えてくれた。
「夫人の事と言っても、俺も詳しくはない。社交界や演習の時に話をする程度だ」
「そっか…」
「だが。リーレイなら、リーレイのまま接すればきっと、夫人もリーレイと良い関係を築きたいと思うだろう。夫人もきっと、リーレイと似た事を思っていると思う。あの方も辺境伯の妻だからな」
そうだよね…。私とは違って、シャルドゥカ様を妻として支えていらっしゃる方だから。
会うのが楽しみで。少し緊張もする。
「夫人よりもシャルドゥカだ。アイツと日中も共に過ごさなければならないというだけで気が重い」
「ランサ様大変ですねー」
「あちらの辺境騎士にはシャルドゥカを見張っていてもらわなければ」
そこまで…。ランサも大変だ。
もう乾いた笑みしか出て来ない。
「ランサは、シャルドゥカ様とは幼馴染なんだよね? 殿下と三人」
「あぁ。子供の頃王都へ行った時に初めて会ったのが始まりだ。あの頃はまとも…いや、あまり変わらないか…。殿下と二人で好き勝手をするから、俺は毎度振り回されるばかりだ」
「…そうなの?」
「どこに、樹に登りたいと言い出す殿下に賛同して「じゃあやりますか? 手伝います」なんて事を言い出す家臣が居る? しかも殿下よりも年上の十歳を過ぎた男だぞ?」
…うん。シャルドゥカ様なら笑みを浮かべてやりそうだ。きっとランサはそれを止めようとしたんだろう。
殿下もシャルドゥカ様と一緒になってずんずん登りそう…。
「他にも、殿下と一緒になって陛下の執務室に忍び込む。厨房で菓子を盗み食い。衛兵にちょっかいを出して撒く遊びを始める。剣術鍛錬をしたり騎士団へ行って馬に乗ったり。散々だった。俺まで全て付き合わされ、挙句には三人で陛下と父上に怒られ、母上にまで叱られた」
思っていない数々の所業に思わず吹き出した。笑いが止まらなくなる。
思い出しているランサのげんなりとした表情がもうっ…。その時の苦労を切実に感じさせる。
「殿下が今も面白い事楽しい事が好きなのは、絶対にアイツの悪影響だ」
「そんっ…ふふっ」
駄目だ止まらない。
確かに殿下はよく笑う。とても楽しいと言いたげに。あの笑顔の元はシャルドゥカ様なのかもしれない。
ランサは真面目だから。子供の頃から苦労が多かったんだろう。
子供の頃から振り回されて。今は美しいと笑みを向けられ。
成程。シャルドゥカ様を前にした時のランサの表情には深い理由があったんだと分かって、その苦労を悟った。
私と同じようにヴァンまで笑っていて、ランサは顔を歪めてしまう。
ごめんね。止まらないの。
だけど、なんとか笑いを止めてランサを見た。
「ごめんね。ちょっと嬉しかったの。ランサのそういう話あまり聞かないから」
「…そうか? 俺の昔話は大抵こういう話ばかりだぞ?」
「うん。可愛い話を聞いたかな」
「リーレイ」
不満なんてない。困ったように眉を下げるランサにクスリと小さく笑みを送った。
ランサもそれで肩を竦め、話を戻す。
「シャルドゥカの領地までは緋国の国境沿いの地を行く。雪があるだろうが…リーレイは雪道を走った経験は?」
「ない」
ランサの言葉に私は首を横に振った。
王都も雪が降るし積もる。ツェシャ領も同じで、年明け前の今も積もっているし、時には吹雪こともある。
王都でもヴァンと遠乗りはしたけれど、冬はしなかった。馬も滑ってしまうし、冬はそれよりもリランの事が気がかりで遠出はやめていたから。
冬場の乗馬は慣れてない。だから足元は常に緊張する。
「馬車にしても車輪がとられれば手間になる。騎士達は寒中鍛錬になるから馬で行くんだが…」
「私もそうする。遅らせるかもしれないけれど…」
少し不安になる。
そんな私を安心させるように、ランサはそっと手を包んでくれる。
「ありがとう。不安なら俺の馬に乗ればいい」
…騎士も一緒だよね。それは避けたいな。けどいざとなれば甘えるしかないかな。
「…難しかったらお願いする」
「いつでも」
出発時からそうならないようにしよう。うん。頑張る。
雪道に慣れるように少し練習しておこうかな。
ツェシャ領は年明けだろうと忙しい。野盗や警備は年明けだからとなくなりはしない。
ランサも同じ。年明けにはいつもより少し賑わう町を巡回し。各見張り場の騎士達を労い。領主としても『将軍』としても、起こる問題に対処する。
だから、年明けに一緒に過ごせた時間はとても短かった。
年明けすぐ、私は屋敷の皆と一緒にいつもより沢山の差し入れを持って砦に向かった。
皆さん喜んでくれて嬉しかった。
それからしばらく。シーラット辺境伯家との合同軍事演習に向かう日がやって来た。
私も男装に身を包み、腰には剣を佩く。さらに少し厚着をして。出発準備を終えると自然と背筋が伸びる。
「お嬢。そろそろ行きますよ」
「分かった」
扉をノックして伝えてくれるヴァンに答え、私はすぐに部屋を出た。
急いで階下へ向かうとすでにランサが居て。きっちりと隊服に身を包んで待ってくれていた。
「行こう。リーレイ」
自然と手を取ってくれて外へ出た。
冬の中。けれど空には綺麗な青空が広がっている。
気持ちの良い天気だ。
屋敷の門を出れば、そこにはすでに辺境騎士団が整列していた。
辺境伯直属隊と国境警備隊。今回の演習に参加できるのは、ツェシャ領の警備を万全にした中で選出された一部の騎士。
聞いたところによると、ランサの元には「行きたいです!」って志望者が殺到したらしい。騎士達もワクワクしていたんだろうと思う。なにせ一年に一度あるかないかの機会で、しかも今回は約六年振り。
直属隊参加者の中には、ヴィルドさん、バールートさん、エレンさん、ソルニャンさんもいる。
国境警備に関してのツェシャ領の指揮は、ロンザさんに預けられているらしい。だけど勿論、有事が起こればランサはすぐに帰還する。
皆さんの前に立ち、ランサは緊張の様子もなく鷹揚と一同を見回した。
「久方のシーラット辺境伯家との合同演習だ。全てを己の血肉としろ。実のない演習に意味はなく、活きる事もない。あちらの騎士とも積極的に交流しろ」
「「はっ!」」
「事前にも伝えたが、リーレイも参加する。だからといってツェシャ領と同じようにあれこれと鍛錬に誘うなよ?」
「!? 演習の邪魔しないよ!?」
砦では少し教えてもらったりやらせてもらったりするけど! 私だって流石に場は弁える。
そう思ってがばりとランサを見ると笑われ、騎士の皆さんもひとつ笑った。
「だが、演習には興味があるんだろう?」
「っ…」
「お嬢。思いっ切り図星」
ヴァンの言葉が恨めしい…。視線を逸らしてもランサにまで笑われた。
大事な仕事だ。国を守る為に。
ランサや騎士達の、いつも見れない真剣な、緊張感のある、その仕事を近くで見て、知れる。
普段砦で行う鍛錬も、それが皆さんの大事な役目であり、国を守ってくれている事に繋がるのだと思うと、見たいし知りたい。そう思う。
国を守ってくれる姿を、私はきちんと知りたい。いざという時の防衛法も。
それは、こうしてランサの元に来なければ知らなかった事だから。
「私は今回皆さんの、騎士としての役目をこなすお姿を見て、知りたいです。シーラット辺境伯様との演習が私にとっても実りあるものに出来るよう、私もしかと見学させていただきますので、よろしくお願いします!」
「「はい!」」
「リーレイ様って熱心というか真面目っていうか…。いやぁうん。リーレイ様が来てくれて良かった」
なぜかバールートさんが頷きながら言うと、他の騎士達まで同意するように笑って頷いた。
それを見てランサも「そうだろう?」って言う。
私にはよく解らなかったけれど、ランサはすぐに「では行くぞ」って号令を出した。
それを受けて私達は揃って騎乗する。
足を引っ張らないように気を付けないと。愛馬の吐く息も白い。
雪上に慣れない私は列の中頃に、傍には何かあってもすぐ助けられるように、ヴァンとソルニャンさんがいてくれる。心強い。
「出発!」
ランサの声で、私達は出発した。




