日常話 『闘将』の休憩時間
「リーレイいるか?」
がちゃりと開けた扉の先から返って来るのは愛しい彼女の声…ではなく、ただの静寂。
それを受け俺は肩を竦めるが、どうにもこの、口角が上がる気持ちは嫌にはならないので不思議である。
さて。今日も始まったな。
リーレイがツェシャ領に来てかれこれ一月になる。
お互いの事も少しずつ知り、今も一緒の時間は大切にしている。当初はざわついていた砦も落ち着き、休日がとれるようになった俺はリーレイとの時間を積極的に持つようにしている。
今日もそうだ。砦での仕事は緊急がない限りは休みで、俺は領主としての仕事を行っていた。その最中に休憩時間を取りリーレイの姿を一目見ようとしたのだが、当のリーレイがいない。
こういう事は初めてではない。休日でなくてもよくある。
リーレイはじっとしている事がない。会いたいと部屋を訪れても居た事がない。屋敷でリーレイに会うのもなかなかに一苦労なのである。
だがどうしてか。これを嫌だとも面倒だとも思わない。
寧ろ、探す事が楽しいとさえ思えてしまう。
今日はどこにいるだろうか。何をしているだろうか。駆け回って動き回って、実にリーレイに似合う事だとすら思うと、愛しさしか感じない。
リーレイの部屋の扉を閉め、さてと…と俺は歩き出す。
今日のリーレイはどこにいるだろうか。これまでは庭、厨房、厩、メイド達と立ち話をしていた事もあった。どこにでもいそうで、だからこそ難しい。
考えつつ、俺は候補場所に足を向けた。
まずは一か所目、屋敷の庭。
そこでは長く勤めてくれているレレックが花の手入れをしていた。レレックは近づく俺にすぐに気付き、作業の手を止めた。
「精が出るな。だがあまり無理はするなよ」
「お気遣い痛み入ります。休憩ですか?」
「あぁ」
屋敷の庭は、辺境伯としての役目の影響なのか、薬草として使われるものが多い。それが実用されたことは有難いことに父上が現役だった頃に比べれば減った。
それでもレレックは一つひとつを丁寧に栽培してくれている。疲れている時にはいつも、俺はこの庭を見て心が安らいでいる。
「心安らぐ花を見ていたいんだが、俺の唯一の花を知らないか? 部屋にいないんだ」
「はははっ。己で太陽と水を求め地面から抜け出してしまうとは。他にない唯一無二の花ですな」
「そうだろう?」
「先程までいらっしゃいましたが、書庫で薬草を調べてみると」
「そうか。ありがとうレレック」
レレックから教えてもらった俺は次は書庫に向かった。
リーレイは馬で駆けるのも好きだが、書庫で本を読むのも好きらしい。屋敷でもそうして過ごす時間が多いと、シスやセルカに聞いた。
屋敷に来た当初は使用人達との関係も上手くいかなかったそうだが、今では笑って話をしているのをよく見る。リーレイの行動と意識があったからこそだろう。
リーレイは貴族の令嬢とはまた違う。平民暮らしだったからだろうが、それは使用人達との距離にも良いように作用しているようだ。俺ではそうはいかない。
さて。俺はレレックに教えてもらった通り書庫へ来た。
だが、これまた空振りだ。書庫は静かで探してもリーレイの姿はない。
「ランサ様。どうなされました?」
そこにいたのはメイド長であるシスだ。
シスは母上の侍女であったが今もここに居てくれる頼もしいメイドである。元々、ツェシャ領へ来るリーレイの侍女に打診した事もあったのだが、丁寧にそれは断られた。シスにとっては母上だけなのかもしれないと思い、俺も強くは勧めていない。
「リーレイが居ると聞いたんだが空振りだったな。次はどこに?」
「でしたら、先程厨房の方へ。ヴァン様が小腹が減ったと仰って」
「成程」
ヴァンがぼやけばリーレイは「もうっ」と言いつつも動くだろう。それは俺にも想像しやすい。
シスもこうして俺がリーレイを捜す事には慣れているからクスリとひとつ笑う。
俺が子供の頃から長く傍にいてくれている人なので、母上の次に強く出られない相手だ。母上が王都へ行ってから、こちらに残ってくれたシスには世話になってばかりで、何かと任せているところも大きい。
「ランサ様がこのように誰かを想う日が訪れて…それが心深くからの愛情である事、本当に嬉しく思います」
「俺も、リーレイに出逢えた事を嬉しく思う。…でなければ本当に家の為だけの相手を迎えていただろうな」
そういう考えなら持っていた。そういう相手でも愛しさは抱いたかもしれない。だが…リーレイに抱く程にはならなかっただろうなと、漠然と思う。
俺は本当にリーレイに出逢えて良かった。これからももっと彼女の事を知り、俺を知ってもらいたい。
なにせ今の俺は、まず俺を意識してもらえるようにしなければいけないのだ。
その為にリーレイとの時間を持とうとしているのだが、さてさて。次で捕まえる事が出来ればいいんだが…。
シスに礼を言い、俺は今度は厨房に向かった。
だが…やはりと言うか…。
「リーレイ様ですか? でしたら先程、野菜の残りを厩に持って行かれました。馬の手入れをすると仰っておられましたよ」
料理長の言葉に俺は肩を竦め息を吐いた。そんな俺を見て料理長と、メイドのセルカはなぜか納得したような表情を浮かべる。
「何ヶ所目ですか?」
「ここで三か所目だ。リーレイを見つけるには最低でも三か所は回らなければならない、という事がよく解った」
「ですがランサ様。楽しそうなお顔をされてますね」
「あぁ。実に楽しい。リーレイらしいだろう?」
俺の言葉には二人揃って笑みを浮かべクスクスと笑った。
リーレイが己の素性を屋敷の皆にも伝え肩の荷が下りた事は、リーレイの行動力と生来の分け隔てない関わり方を取り戻すことにもなった。だからこそ使用人達とも良い関係が築けており、今や屋敷の皆もリーレイを俺の婚約者として、当然に仕えてくれている。
嬉しいと思う以外に何があるのか。
「あれ。ランサ様。休憩です?」
後ろからかかってきた声に振り向けば、そこにはリーレイの専属護衛官であるヴァンがいた。
丁度いい。これで捜す手間が省けた。ヴァンが行く先にリーレイがいる。
「あぁ。リーレイを捜している」
「毎度ご苦労様です。今は厩です」
ぺこりと軽く下げられる頭と労いの声には思わず笑ってしまう。こうしてリーレイを捜すのはさてさて何度目になるのか…。
ヴァンは厨房に小皿を返しに来たらしい。大方それに軽食でも載せていたのだろうと推測しつつ、俺は厨房を出るヴァンと共にリーレイの元へ向かった。
俺はリーレイに乗馬の許可を出したが、同時に手入れなどの世話も自由にしていいと伝えた。
屋敷には俺の馬や数頭の馬の管理や世話をしてくれている馬丁がいる。だが時には俺も世話をするし、普段の調子を見ておくにもいい時間になる。そういう事からリーレイにも世話を許し、馬丁にもそう伝えた。
するとリーレイは早速愛馬の世話を始めた。馬丁からは「手入れとかの方法を教えて!」と頼まれたので教えたと、許可した翌日には報告があり、リーレイらしい行動に笑ってしまった。
リーレイの愛馬は、ツェシャ領へ来る時に叔父であるティウィル公爵が与えた馬で、リーレイも可愛がっているのをよく見る。馬もまたリーレイを信頼していると感じられた。
そして、今のリーレイが誰よりも信頼しているのが、護衛のヴァンだ。
普段はやる気のなさそうな空気と態度をしているくせに、いざとなると騎士も驚く腕前を見せる。しかも剣だけでなく弓もかなりの使い手だ。俺はヴァンがそれほどの実力をつけるに至った鍛錬が少々気になっている。参考に出来るなら辺境騎士団でも鍛錬に組み込みたい。
「ヴァン。お前誰に鍛えられた?」
「何ですいきなり」
「いや。少し気になった。お前ほどの腕前なら余程の師に教わったのかと」
一度俺を見たヴァンが「あー…」と後が続かない言葉を漏らしつつ、どこか遠い目をする。
…こういう話になるといつもこうだな。思いつつも俺は辛抱強く続きを待った。
「…え。聞きます?」
「聞いているんだが?」
「…でしたね。えーっと、剣術遊びは孤児院に居た頃からやってましたよ。負け知らずでした。本格的に指導を受けたのは、ティウィル公爵邸に行ってからです。俺を指導してくれたのは公爵家の騎士の一人です」
下位貴族ならともかく、高位貴族である公爵家ならば警備や護衛の為に騎士を雇う事くらいは造作もない。
成程。指導者はいくらでも居たというわけか。
「良い師だったんだな」
「…いえ。体で覚えろ鍛錬だったんで何にも良くなかったです」
思い出したのかかなり表情が歪んだ。…余程だったんだな。
そんな師にも興味が湧くが、教えられたヴァンは実力をつけ、それをリーレイにも渡したわけだ。
リーレイが剣を使うと知った時は驚いた。だが、その扱いも所作も。見せられた光景も衝撃も。ヴァンの言葉通りだったのだと、解ってどうしようもなく笑いが込み上げた。
全てを知った俺は、その事実に負けたのだ。気持ちが良い程に清々しく。
リーレイの堂々とした姿に。その美しさに。見惚れて、負けたのだ。
今思い出しても口角が上がってしまう。
「剣と言い馬と言い、本当にリーレイは唯一だな」
「ランサ様がそういう風にお嬢を想ってくれて何よりです」
喉を震わせる俺にヴァンはやれやれと言いたげだが、その目が少し柔らかいのを俺は確かに見た。
リーレイの家族であり。師であり。信頼し合う同士。
そんな二人には少々妬けてしまうが、ヴァンがリーレイに向ける情に二心がないと感じているので、俺もヴァンは信頼する。だからこそリーレイの護衛を任せられる男だ。
リーレイの事を知ると決めた時、同時にヴァンの事も知るべきだと思った。でなければ俺の胸の内にあった小さな疑惑は晴れなかったというのもあるが、リーレイがそれだけヴァンを信頼する理由を知りたかった。
共に暮らしていたという根底に加え、ヴァンに剣や馬を教わった事。そして恐らく、王都でもリーレイは行動的で、ヴァンはそれに付き合っていたのだろうという事から、互いの信頼には納得を抱いた。
普段のやる気のない様には呆れに似た感情を抱くが、逆を言えば、そういうヴァンだからこそあれこれと動こうとするリーレイを遠慮なく言葉と態度で止めようと出来る、という事もあるのかもしれない。
ヴァンはすぐに顔に出るからな。分かり易い。
俺とヴァンはすぐに厩に着いた。そこにはリーレイと馬丁がいて、話をしながら馬に野菜の残りを与えているらしい。
そんな姿を見て、これまで感じた事のないような、屋敷で過ごす時間の穏やかさやぬくもりに、喜びを与えられたような心地になった。その笑顔が何より愛しく、守りたいと、心からそう思える。
「リーレイ」
そっと呼びかければ、リーレイのまっすぐな瞳が俺を見る。そして驚いたように瞠られ、少し嬉しそうな顔をする。
そんな表情が、これまで抱いた事がないようなぬくもりを俺に与えてくれる。
「ランサ。どうしたの? 休憩?」
「あぁ。休憩だからリーレイの顔を見ようと思った」
俺の言葉にリーレイは頬を染め、気恥ずかしそうに視線を逸らす。慣れていないそんな様子が微笑ましい。
リーレイに抱くこの想いも。伝えたい言葉も。思うままに告げるようになって半月が経つが、リーレイはまだ慣れないらしい。寧ろ慣れなくていいんだが、本人は度々妙なやる気というか、頑張りをみせようとする。そんな時のリーレイもまた可愛らしい。
「馬の調子は良さそうか?」
「うん。食欲も出てきて、ここでの生活にも慣れてきたみたい」
「そうか。後で遠乗りに行こうか?」
「いいの?」
パッと嬉しそうな顔をしてくれると、提案した俺もまた嬉しい。だから思わずその頬にそっと手を添えた。
「勿論。もうすぐ仕事に区切りがつく。その時に」
「うんっ」
リーレイが騎乗し、駆けている姿が好きだ。風に乗りどこまでも駆けて行きそうで時折少し不安になる。だからこそ戻って来てくれるように確かと捕まえておきたいと思うのかもしれない。
俺を見て。俺を意識して。この手をずっと握っていて欲しい。
「あ。でも休憩だったんでしょう? 疲れてない?」
「ってか、お嬢捜すのに休憩潰してません?」
「え…」
「そうでもない。見つけて会えて、俺の疲れは吹き飛んでいる」
「え…」
ヴァンを見て、俺を見て。リーレイが唖然としている。そんな様子に俺は笑った。
砦の仕事が休みで、屋敷で仕事をする日。俺はいつも、翼が生えていて駆けて行く婚約者を捜す。
じっとしていてくれと願った事は無い。楽しそうに。笑ってくれているのが一番だ。
捜す事が楽しい。彼女らしくて好ましい。
リーレイの事だけを考え屋敷の中を歩く。その時間が俺の心の休息時間だ。




