112,商人が帰る場所
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青く澄み渡る綺麗な空。整えられた緑と色鮮やかな花々。羽を動かす蝶や鳥。心も安らぐ美しい光景。
この庭がやっとここまで元に戻った事には、私も少し嬉しいような。悲しいような気持ちになる。
自分の家の庭じゃないのに。まるで自分の家のように思えるくらいには、この屋敷の者とは親しい仲だ。
「――でね、多分だけど、そろそろ帰って来ると思うよ。本人の要望とはいえ、屋敷を空けさせてばかりで悪いね」
そう言うと、目の前の彼女はクスリと笑みをこぼした。
綺麗な黒髪が穏やかな風に揺れる。それが頬にかかっても気にした風もなく、テーブルの上にそっと触れた。そして探るようにカップを見つけると、これまたゆっくりと持ち手を探った。
「いいえ。元々じっとしていない人ですから。お好きにこき使って下さい」
「うん。じゃあ遠慮なく」
「まぁ」
クスクスと笑ってそっとカップに口をつけた。
そんな仕草を見る。
目の前の彼女は、全てを手で探らなければ見つけられない。分からない。そうする動きもやっぱりまだ見慣れないようにも思う。
だけど悲しみは抱かない。彼女がそれを望まないから。
それを抱いているのは、彼女の大切な家族だけ。
今の私達の傍にはこの屋敷の使用人やメイドもいる。けれど、ただじっと控えているだけ。よくここを訪れる私にも慣れた様子。この屋敷の二人の住人とは幼い頃からの仲だから。といっても、その頃を知っているのは一人か二人か…。
と、「きゅきゅ」って鳴き声が聞こえて小さな私の友がテーブルに駆け登って来た。その声に誘われるように彼女は視線を落とす。
「先程までいなかったと思ったのですが、木の実でも探していたのかしら?」
「みたいだよ。また頬袋いっぱいにしているから。庭の実がなくなっちゃうね。ここは食糧庫じゃないんだよ?」
こらっ。ちょっと怒ってみるけれど友は「きゅ」って一声鳴くだけ。そんな返事には彼女もクスクスと笑った。
彼女の手が探すように動くと、友はすぐにその手に駆け寄ってすりすりと身を寄せる。微笑ましい光景には私も笑みが浮かぶ。
「あまりご迷惑をかけてはいけませんよ?」
そう諭してくれる言葉に、「きゅー」って了承らしい返事が返った。そんな素直な様子には笑ってしまう。
そんな様子を見ていた私の視線が、やって来た人物に向かう。私の友も気付いて大きな尻尾をゆらりと動かした。
「姉上。今戻った」
「おかえりなさい」
家族と同時に私も見た彼は、傍で足を止めると礼をする。らしくない動きだけれど、他の目があると意外とちゃんとしてる。
帰って来た彼女の弟はそのまま空いている椅子に腰かけた。そしてその視線が私に向く。
「ただいま戻りました」
「うん。おかえり。思ったよりかかったね」
「ちょっと別件に捉まりまして」
そういう事よくあるんだよね。だから驚かないけれど。
私の友は、なんだそれって言いたそうに首を傾げている。それを見て彼はその頭を軽く撫でた。…何すんだよ、みたいな顔されてるけれどいいのかな?
「それより、また何でここに?」
「ランジアとお茶をしていたんだよ。そろそろ君が帰って来るだろうって報告」
「別にいいですよそれ。しなくて」
「そう? せっかくの息抜きなのに」
私の好きな時間を奪わないでほしいな。そう思って見ると呆れているのかなってため息が返って来る。
それに反応したのはランジアだった。
「アルギ。失礼だわ。私の為にと来てくださっているのに」
「解ってる。お好きにどうぞ」
「うん。じゃあこれからも好きにする」
楽しくて笑みが浮かんで言うと、アルギはちょっと不満そうな顔をした。声を出さないのはランジアが聞いてしまうからかな。
クスクスと笑う私に何も言わず、アルギは手で合図を送り、使用人達を下がらせた。去って行く足音にはランジアが少し反応を見せた。
静かな庭には私達三人と、黙ったままの騎士レーバンが残った。
「サンスとランフォルはどうしたの?」
「仕事場。俺も先にそっちに行ってた」
「そっか。それでどうだった?」
使用人もいなくなってアルギは慣れた口調に戻った。
友がカリカリと木の実の皮を齧っているのを見ながら聞く。美味しいおやつに満足って顔をしているのは可愛い。
「私は下がりましょうか?」
「いいよ。そこに居て。何か気付いたら教えてくれれば嬉しい」
「はい」
大事な話が始まると察したランジアを私は止める。使用人を下がらせているし、ランジアの付き添いは、私やレーバンには出来ない。居てくれる方がありがたい面もある。
アルギはちらりとランジアを見てから話を続けた。
「本題の方だが、確かにその痕跡があった。深入りはしてない。それでいいんだろ?」
「うん」
「それから、近くの村で面白い話を聞いた。ある子供が向こうの関所で薬草知識を少し教わったらしい」
「…あっちの関所で?」
おや…。さすがに私も驚いてしまう。
関所ということは騎士だろうけれど。関所の騎士がそんな事をしたのかな。それは随分珍しい。
「ただ、どうにも教えてくれたのは騎士じゃないらしい。長い黒髪の女で、関所の騎士に「薬草について教えたい」って意見したらしい」
「へぇ。それこそ珍しいね。騎士じゃない人の意見を関所の騎士が受け入れるなんて」
「それから別件。調査中に絵の贋作を見つけて調べてた。とりあえず潰してきた」
「…うん?」
何だろう。今色々とすっ飛ばした報告がされたような…。
思わずランジアを見ると、聞き間違いじゃないのか驚いた顔をしてる。一応控えるレーバンも見たけれど苛立ちと困惑の表情をしていて、どうやら間違いじゃないみたい。
「ま、すでに辺境伯と公爵が動いてたから、さして何もしてない」
…うん。そうなんだね。そう言うならそうなんだろうけど。後でちゃんと報告書を貰おう。
それに、関所もそうだけど、一応抜け荷の可能性も見ておこうかな。
「アルギは…厄介事を引き寄せてしまうのかしら?」
「かもしれないね。私も今とても思った」
「厄介も面倒もごめんだ。それに、今回引き寄せたのは良いものもある」
アルギはなんだか嬉しそうな面白そうな笑みを浮かべた。少し珍しい。
声音にはそれも出ていて、ランジアもアルギの言葉に耳を傾けた。
興味が湧いた私が「それはなに?」とアルギを見ると、口角を上げたまま教えてくれた。
「嫁候補」
「あら…」
「遊んでばかりのアルギがとうとう見つけたの? 誰?」
「どんな御方? 生まれ育ちにとやかくは言わないから教えて?」
「辺境伯の婚約者」
笑みを含んだ声音には場がしんっと静まり返った。
レーバンも眉が歪んでいる。ランジアも固まっている。気持ちはよく分かるな。この場で平然としているのは、木の実に夢中な私の友だけ。
「…アルギ。もう婚約されてる方なんだよね?」
「まだ婚約」
「アルギ。いけません。問題が大きすぎます」
「私も同意見」
「…チッ。面白い女だったのに」
君の面白いは多分、他にいない女性って事なんだろうね。それは私も会ってみたいけれど。
困った笑みが浮かぶ私の前で、ランジアは首を傾げた。
「…アルギ。もしかしてその婚約者様は、先の薬草の御方かしら? 関所の統括は辺境伯の役目。意見出来てしかもそれが受け入れられたとなると、必然、一騎士の身内とは思えないのだけれど。推測はつけているのでしょう?」
「さすが姉上。長い黒髪って特徴も一致してる。んでこの婚約者、怒鳴る相手にも知らぬ存ぜんを返し蹴り返す。足を拘束されたら兎跳び、燃える屋敷で贋作証拠集め。そういう事をさらっとやれる奴だ。多分そういうところがあるから、辺境伯も好きに動かしてる、もしくは意見を聞き入れる相手にしてる、ってところだろうな」
アルギの読みはよく当たる。仕入れた情報が頭の中で渦巻いて、そこから必要なものを繋げていく。
そういう人だから私も色々と頼むんだけど。…そうじゃない理由もあるけれどね。
唯一の困るところは、椅子に座って仕事をするのが苦手ってところかな。…しわ寄せが下へ下へ向かって行くからいつも悲鳴が上がってるんだよ。
「まぁ、アルギの好みの女性については置いておいて」
「いやそういう話じゃねえから」
「本題だけれど、これからも調べは続けてくれるかな? 今深入りはしなくていいよ。遠からず時は来るから」
「了解。んじゃその時に」
アルギはすんなりと頷いてくれた。それを受けて私もカップに口をつける。
その前ではランジアとアルギが話をしている。アルギの黒い瞳はランジアを見つめても、ランジアの瞳は包帯の下で閉ざされているからアルギの顔を映すことも、見る事もない。
「姉上。パイがあるが食べるか?」
「えぇ頂くわ。レーバンはいるの?」
「はい。ここに」
「なら、せっかくだもの。皆で食べましょう? 久方に駄目かしら?」
「いいね。レーバンも座って。せっかくのランジアからのお誘いだ」
「…分かりました。では失礼します」
四人だけでテーブルを囲む。肩の力が抜ける友人達との時間に私も笑みが浮かぶ。それは私の友も同じみたいで、嬉しそうな顔で「きゅ」っと鳴いた。
傍の三人を見ていると自然と笑みが浮かぶ。
今回のアルギの仕事は、想定外の良い事尽くめだった。今後が円滑に進みそうだと感じて、私は束の間の楽しい時間を喜ばしい気持ちで過ごす事ができた。




