108,お誘いと脱出
「その鎖斬る代わりに、条件がある」
「…何?」
どうしてかアルギはじっと私を見る。離れて周囲を窺っているサンスやランフォルの視線も感じつつ、私はアルギを見た。
ここまで一緒に来て。協力しようと言って。なのに今になって提示される条件。
目的があるから取り引きする。アルギが口にする内容によっては、ここで別れなければいけないかもしれない。
アルギのその目は真剣で、だけどどこか笑っているようにも見えて、少し…落ち着かない。
「俺と、一緒に来い」
その口から出てきた言葉に目を瞠った。
精悍な、いつだって余裕を滲ませる容貌と笑みが、私を見たまま逸らされない。
「辺境の地に納まってるのはアンタには勿体ない。国中走り回ってる方が似合ってるし、俺ならそうさせてやれる。だから。俺と来い、リーレイ」
今、置かれている状況さえ忘れる声音。ただ驚いてアルギを見た。
口角の上がった表情。黒い瞳。告げた言葉を実現させられるのだと感じるような、不思議な空気。
だけど――…
「行けない」
私の答えは決まっている。だから、アルギをまっすぐ見て、そう言った。
「私は、ランサの傍に居たいの。だから貴方とは行かない」
周りから音がなくなってしまったように感じた。
それでも逸らさず見つめると、やがてアルギがため息を吐いた。だけどすぐに不敵な笑みを浮かべる。
「長期戦か。いいぜ?」
「…何度言っても変わらないから」
どうしてか楽しそうに笑われるのは納得いかないかな。クツクツ喉を震わせるアルギには、サンスも呆れの息を吐き、ランフォルが肩を竦めた。
「坊ちゃんが気に入る女性なんて珍しいな」
「コイツ、面白いだろ?」
「面白いなぁ…」
なんだかランフォルから苦笑いが…。あまり良い意味に思えないんだけど…。
ふと現実に引き戻されるような、近くでバキバキと火の爆ぜる音が聞こえた。煙も立ち込めていて思わず咳き込む。火の手がもう回ってる。
このままじゃ全員が焼け死ぬ。なんとか逃げないと…。
兎跳びして外が見える二階の外廊下に出た。
階下はすでに火の海。周りもあちこちが焼けていて逃げ道なんて見当たらない。
スッと心臓が冷えて焦燥に襲われる。
どうすれば…。どうすれば…。このままじゃ…。
「落ち着け」
「でもっ…!」
「ここならまだ飛び下りてもまぁ死にはしねえ。あそこに植え込みがあるだろ。あの…」
いつの間にか三人が傍に居た。
傍でゆっくり話してくれていたアルギの声が不意に途切れた。思わずその顔を見るとどこかを見ている。
だんだんと足の鉄輪が熱気で熱くなるのを感じていた私は、その方向を見て目を瞠った。
迷わず駆けて来たその人と、目が合った。
「あっ…!」
「リーレイ!」
ただ名前を呼んでくれるだけで、心が泣きそうなくらい安心する。心配そうに揺れて、それでもまっすぐ見つめてくれる、ただ唯一の白銀の目。
「ランサ…!」
大好きで愛しくて。会いたくて堪らない人。
傍には、ヴァン、バールートさんとエレンさん、それにダルク様もいる。皆来てくれたんだ…。
「あれが『闘将』か…」
隣でぼそりと紡がれた声。嬉しくてたまらなかった私は、珍しく血相を変えたヴァンを見て、すぐに思考が引き戻された。
「ヴァン受け取って!」
「はぁ!?」
言うや否や、私は持っていた絵とサンスから貰った絵を重ねて、ヴァンに向けて放り投げた。
驚愕と怒りの混じったような声が怒鳴り返ってきたけれど、ヴァンはすぐに動いて、その絵を受けとめた。さすがヴァン!
「それ多分本物! 燃やさないで!」
「絵よりアンタだろうが!」
聞いたことないような怒鳴り声が返された。ちょっと新鮮にも思うけれど、私の隣では笑い転げる音が聞こえる。
「アンタって本当っ…」
「それより逃げ道は?」
「もういらねえ」
…どういう意味? まさかここで諦めるわけじゃないでしょう?
怪訝にアルギを見ると、アルギはどうしてか口角を上げた。…なんだか嫌な予感がする。
アルギは一歩前へ出ると「んじゃ繋ぎよろしく」と言い、ふわりと私を抱き上げた。「ちょっ…」と思わず出た声はすぐにアルギに掻き消される。
「辺境伯! 受け取れ!」
「え…」
まさか…。反論告げる暇なく、私の体が宙に浮いた。視界に映るのはただ不敵なアルギの笑み。下からは「はぁ!?」って驚愕の声がいくつも上がっている。
ブンッと空気を切り、身体が急速に落ちる。衝撃に備えて無意識にぎゅっと強く目を閉じた。
そして――…ドンッという衝撃と共に、ぬくもりに包まれた。引き寄せ感じる、この世でただ一つのぬくもり。
「リーレイ。大丈夫か?」
「ランサ…」
目を開ければそこに、案じてくれる優しい目があった。
数時間会っていなかっただけなのに。もっと会っていなかったような不思議な感じがする。
一度ぎゅっと抱きしめられ、ランサは私を抱き上げたまま立ち上がった。その動きで私はハッと上階を見上げて叫んだ。
「アルギ!」
「心配すんな。もう出て行くさ」
火に囲まれていてもその空気は変わらない。そんな姿をじっと見つめた。
不敵な笑みを浮かべるアルギはひらりと身を翻し、軽く手を上げた。去って行く背に思わず声が出そうになった時、「あぁそうそう」とアルギが首だけ振り返った。
「俺は割と本気だぜ? 辺境伯の所が嫌になったら俺の所に来い。リーレイ」
他の人なら焦るような状況でもその口調は変わらない。そんな姿に言葉が出なかった。
そんな私に笑みだけを残し、三人は姿を消した。
見えなくなった姿をそれでもじっと見つめていると、不意にぐいっと体が動いた。
ランサが私を抱き上げたまま火に包まれた屋敷から離れる。それに従って私の視線も屋敷からランサへ移った。
「ランサっ」
呼びかけても、珍しくランサは何も言わない。思わずその横顔をじっと見つめた。
いつになく険しい顔をしていた。何か考えるような。『将軍』として指揮を執る時のような。そんな顔がすぐ傍にあって私も続く言葉を失った。
「リーレイ様。大事ありませんか?」
「ダルク様。大丈夫です。申し訳ありません。ご迷惑を…」
「いえ。仔細は後にお伺いしてよろしいですか?」
「勿論です」
バールートさんとエレンさんも安堵したような顔を向けてくれ、ヴァンもやれやれと肩を竦めた。
皆さんに迷惑をかけてしまった…。申し訳ない。
屋敷の前までやって来ると、国境警備隊の方々が動き回っているのが見えた。周囲の木を切り倒して延焼を防いでいるみたい。
そのおかげか、火は屋敷以外には移っていない。
「将軍」
国境警備隊の隊服を着た男性がランサに駆け寄って来ると礼をした。
…抱き上げられているままだから少し恥ずかしいのだけど、男性は何も言わずランサに報告をした。
「火は大事ありません。ビレーヌ伯爵以下の者達はいかがしましょう?」
「セルケイ公爵に預ける。絵があったと言ったな。それも同様に」
「あ、ランサ…様」
その報告に私はアルギが言っていた言葉を思い出す。
口を挟んだ私にランサは何かと視線をくれた。ランサの目は少し鋭くも、いつも向けてくれる優しい目で、少しだけ安心した。
「ビレーヌ伯爵と共に拘束されていた男が、贋作を作った絵師です。傍にあった絵は全て贋作で、私がヴァンに渡した絵の一枚は、その中にある絵の本物だと思います」
「分かった。本物まで揃っているなら言い逃れもできまい。よくやった、リーレイ」
その言葉に少しホッとした。
良かった。ランサの力になれた。
ランサとダルク様は頷き合うと、すぐにダルク様は国境警備隊の騎士と共にビレーヌ伯爵達の連行に向かった。
それを見送って、私はランサを見る。
「ランサ。もう下ろして」
「駄目だ。リーレイ、靴を履いていない」
…そうだった。兎跳びの邪魔だと思って脱いだんだ。すっかり忘れてた。
これじゃ本当にこのままランサに抱かれてるままだ…。
無意識に重たい息を吐くと、ランサの目が私を見た。そして、柔らかく優しく細められる。
「戻ろう。リーレイ」
優しい言葉に私は「うん」と頷いた。




