102,妹は静かにお怒りです
「成程。そういう事だったのね」
会場から離れた応接間。そこでダルク様とお義兄様は事情を説明してくださいました。
お姉様とお義兄様がこの夜会に参加した経緯。怪しいビレーヌ伯爵。その動きを会場内で見張っていた中では不審な行動はなかったこと。つまり外部の関係者がいること。
スイ様も納得しつつ、息を吐いておられます。その隣で私はダルク様を見ました。
「このままセルケイ公爵とビレーヌ伯爵を交え、動かれるのですね?」
「えぇ」
「では、そこにお義兄様がいらっしゃれば必然、お姉様は…という言葉をかけられませんか?」
そう言うと、お義兄様もダルク様も黙られました。
対処は簡単です。お義兄様が同席されなければよいのです。ですがもし、お姉様を連れ去ったのがビレーヌ伯爵の手によるものなら、そこを突いて来る可能性はあります。そうなった時、「では呼んできます」は通じません。
「公爵家が関わっている中、ぼかしても噂にでもされれば厄介ですわ」
スイ様も懸念があるようです。鋭い言葉にはダルク様も目を伏せます。
お義兄様はため息を吐くと、仕方ないというようにこぼしました。
「俺が同席しないという手しかない」
「いいえ。他に手があります」
「他に?」
お義兄様もダルク様も驚いたように私を見ます。
「現状では夜会の主催者であるセルケイ公爵家にもご迷惑となります。やられっぱなしなんて、させるわけには参りません。私とてティウィル公爵家の者です。御力にならせてください」
「それは…ありがたいですが、どうなさるおつもりですか?」
目の前のお二人だけでなく、ヴァンやスイ様も私を見ます。
私にも必ず上手くいくという保証があるわけではありません。ですが…お姉様を連れ去ったであろう相手にやられっぱなしにはなりません。
『叔父様。叔父様はなぜ、そこまでしてお父様や私達姉妹を大切にしてくださるのですか?』
『大切だからだよ。リラン。それ以外に理由がいるかい?』
そう言っていた叔父様の御声を思い出します。
簡単な理由です。私も叔父様やお父様、お姉様が大切です。だから傷つける相手は許しません。
私がお義兄様に策をお伝えしてすぐ、扉をノックする音と「ランサ様、戻りました」というバールートさんの声が聞こえました。すぐに入室を許可したお義兄様に、バールートさんとエレンさんは報告を行います。
「遅れて一台の馬車が到着したそうです。ですがその馬車、すぐに出て行ったそうです」
「帰りに気付いた屋敷の方が声を掛けたそうですが、御者は「主人の気分が優れない」とだけ告げたそうです。その屋敷の方の証言から、馬車はビレーヌ伯爵家の物だと分かっています」
「そうか。やはり協力者か。恐らくその馬車にリーレイを載せていたな…」
さすがに屋敷の方でも馬車の中を改めるような事はできません。中を見られないようにしてしまえば外からは分からない。
お義兄様は少し考え、すぐに己の部下を見ます。
「奴に揺さぶりをかける。その後、エレンはヴァンと共に奴を追え。バールート、俺の剣と隊服を」
「「了解」」
また躊躇ない返事が返ってきます。指示を受けたお二人は、どこか輝くような生き生きとしている目をしています。
それを感じて、私はお義兄様を見ました。
これが、直属の部隊を持ち尊敬と信頼を受ける『将軍』なのですね。
それから少々準備をし、部屋には私とお義兄様、ヴァンとダルク様、それにセルケイ公爵が揃っていました。
セルケイ公爵にも事情を説明し協力をお願いしたところ、すぐに快い返事を頂けました。
そして――…
「失礼いたします」
部屋の扉を開け、使用人の案内を受けたビレーヌ伯爵がやって来られます。隣は側近の方が一人。
お二人は夜会でもお見掛けしました。側近のトルクさんは長くビレーヌ伯爵家に仕えていらっしゃるそうです。
この方々がお姉様を…。そう思うと膝の上の手にも力が入ります。
セルケイ公爵が二人をソファに促しましたが、トルクさんは座ったビレーヌ伯爵の後ろに控えています。
その動きを分かっているでしょうお義兄様は、まるで眠っているように目を閉じたまま、足を組んで座っています。
「セルケイ公爵。何か御用でしょうか?」
「いやいや。絵の収集をなされているビレーヌ伯爵なら、所在を御存知かと思いまして。一つご相談に」
「何でしょう?」
ビレーヌ伯爵の顔に笑みが浮かびます。
相談を受ける愛想なのか。それとも儲けに乗ったのか。それは私には分かりません。
「ヌブレド。かの有名な方の絵を一つ探しておりまして」
「あぁ…。彼の作品はどれも宝物に匹敵するほどの価値がありますね。いやはやさすがセルケイ公爵。…ですが、それほどの物はさすがに私も…」
「そうですか…。それは残念だ」
セルケイ公爵はとても残念そうです。
ヌブレドという作家は貴族の中では名が知られている御方です。すでに亡くなられていますが、遺された作品はどれも高価です。
…さすがに、それの贋作はバレる危険が高く、作れないのでしょう。
残念そうなセルケイ公爵でしたが、すぐにその表情を、何かを思いついたように笑みに変えられました。
「ビレーヌ伯爵。花の絵などはないですかな?」
「花ですか。では、カウエルという作家の絵などいかがです? ヌブレドほどではありませんが、なかなか良い作家です」
「ではその絵を一つ買わせていただこう。クンツェ辺境伯は、絵などいかがです?」
「えぇ是非」
私の視線がお義兄様に向きます。少し離れている私からはビレーヌ伯爵とお義兄様がよく見えます。
二人の声に、お義兄様は閉じていた目をゆっくりと開きました。
「…そうですね」
静かで落ち着き払った声が、部屋の中にスッと通りました。…不思議と体が緊張する私に、ヴァンがそっと寄り添ってくれます。
「私の婚約者が好むような…自然の風景がいいですね。例えば…似たような絵がよく出回るのであまり名は知られていない、ジェイナー・グリンツェの絵は、彼女が好みそうです」
「有望な作家が埋もれてしまうのは、実に勿体ないですな」
同意するようにビレーヌ伯爵は頷きますが、私には上辺にしか見えません。
誰よりも冒涜しているのは貴方ではないのですか? 心の中で問う私の声など聞こえるはずもなく、ビレーヌ伯爵は笑みを深めてお義兄様を見ました。
「いやはや。クンツェ辺境伯は本当にリーレイ様を大切になさっておられる」
「当然です。…彼女がいないなど、考えられない」
それまで淡々としていた声音が、少しだけ変わったように聞こえました。
それを聞き、私は己の愚かな考えを改めました。
お姉様がいなくなったと知ってから、お義兄様は動じていないように見えていました。『将軍』であるお義兄様です。突発的な事態にも冷静に対処する。造作なく行える慣れた事なのだろうと思っていました。
全く違いました。
平気なわけがないのです。不安で心配で仕方ない。
けれどそれは押し込め全てに対処する。抑えて抑えて、必死に抑え込んでいるのですね…。
お義兄様を見て、少し己が怒りに走って短慮だったのだと思い至ります。これではいけませんね。
「そういえば…リーレイ様は御一緒ではないのですか?」
「少し席を外しています」
「おや…。リーレイ様の好まれる絵をと…せっかくですからご希望を伺いたいのですが…」
きましたね。はぐらかし続けるのは怪しまれる。ですがお姉様はいない。
恐らくビレーヌ伯爵はあの手この手とお姉様を連れて来させようとするでしょう。
後ろに控えるトルクさんがじっとお義兄様やダルク様を見つめています。…分かっていると言いたげに。
それを見て思わずぎゅっと拳をつくりました。離れた私にもビレーヌ伯爵は視線と声を向けてきます。
「リラン嬢。リーレイ様は会場でしょうか?」
「いいえ」
「おや…。ご気分でも優れぬので?」
「ご心配ありません」
私は微笑みをお返ししました。ビレーヌ伯爵は訝しむでもなく私を見ます。それがどんな目でも私は微笑みを返します。
数秒の沈黙が占めた時、不意に扉がノックされました。
「どうぞ」
セルケイ公爵の許可に、部屋の扉が開けられました。その向こうからやって来た人物を見て、ビレーヌ伯爵の顔が引き攣るのを、トルクさんが僅か目を瞠るのを、私は見ました。
息を呑んだお二人の前で、お義兄様が初めてその表情を変えました。
「リーレイ。遅かったな」
「申し訳ありません」
謝るお姉様は眉を下げて、お義兄様の隣に座りました。それでやっとビレーヌ伯爵がハッとお姉様を見ます。
「リ…リーレイ様…? どちらに…?」
「少し外に」
「疲れていないか? 部屋に戻っても構わないが…。すまないな。付き合わせて」
心配そうに見つめるお義兄様に、お姉様はフルフルと首を横に振りました。そんなお姉様にお義兄様は心配そうにも愛しそうな眼差しを向けられます。いつも見ているお二人そのものです。
「ビレーヌ伯爵に頼む絵は、ジェイナー・グリンツェの風景画にしようと思う。いいか?」
「うん」
風景画という単語にお姉様はパッと嬉しそうなお顔をされました。それを見たお義兄様も嬉しそうに笑みを作られます。
そして、その表情をそのままビレーヌ伯爵に向けられました。
「では、ビレーヌ伯爵。そういう事で宜しいですか?」
「…は。はい。分かりました…」
その声が、動揺で震えているのが確かに感じられました。




