10,ちょっと遊び…いえ、鍛錬です
「……お嬢。なんなら体動かす事でもします?」
「例えば?」
「そうですね……。鬼ごっことか」
鬼ごっこ? ここで?
そう思ったのはバールートさんも同じみたいでヴァンを見る。でも、ヴァンはなんでかフッと微かに笑みを浮かべていて、私を見つめている。
昔、子供の頃もよく、ヴァンは私に突然遊びを提案してきた。
何でって聞くと、気だるそうに返してくる。
「動いてないと、考えが凝り固まるでしょ」
昔からヴァンは変わらない。
それにはいつも、私まで力を抜かされる。どうしてこうもヴァンは変わらないのかな…。
「ヴァン…砦でそんな遊びは…」
「いいと思いますよ?」
いいんですか?
止めようとした私に対してバールートさんはさらりとしたまま。
思わず私とヴァンの視線が向いたけど、バールートさんはニッと笑みを浮かべる。
「遊びって一種の鍛錬ですし。ランサ様も止めないと思います。あ、でも地下は無しでお願いします」
「おー成程。そういう考え」
「持久力鍛えるのに意外といいんですよね」
「確かに」
…なんだかヴァンとバールートさんが意気投合してる。
それはいいけど…。いいのかな? 鬼ごっこなんてやって。
「やりますか」
「やりましょう!」
えーっと、二人がやる気になってしまった。
そんな姿に困ってしまう。これは私じゃ止められないかな…。
「んじゃ、鬼は俺とバールートさんでやるんで。はいお嬢逃げる」
「えぇ…もうっ。仕方ないなぁ」
行け行けってヴァンに背中を押されて仕方なく走り出す。
頬を撫でる風が少し気持ちよくて、心が軽くなる気がした。
私が走り出すと、ヴァンとバールートさんの会話も聞こえなくなった。
「ヴァンさん。いきなり何でです?」
「んー…あぁ見えてあの人、考えすぎっていうか…。弱いんだよな。一人で考え込むし。それ晴らすには動くのが一番だから」
「ふーん…」
砦の中を進む。数を数え終われば二人は私を探しに来るだろう。
走って。走って。体を動かす。動く行く先は意識しない。
ただ、昔からヴァンは私を見つけるのが早いから、少しでも見つからないようにと、足音を忍ばせる癖がついた。
とことこと歩いて、開いてあった扉へスッと入り込む。
資料室だ。
部屋中にある棚に収まる本や資料。この砦や国境での案件もきっと保存されているんだろうな…。
そんな棚の合間を足音を殺して進んでいた時、ふと話し声が聞こえた。
「……て…通りに辺境伯をおびき出したな」
「?」
聞こえた単語に思わず動きを止める。
気付かれないよう慎重に話し声がする方へ進んで、棚の陰から聞き耳を立てる。
「陛下の信頼が厚いだかなんだか知らねぇが、調子に乗りやがって…!」
「それも今日までだ。野盗が囮だなんて思わないだろう」
「本命は別だ。じきに町へ別の野盗がなだれ込む」
……ちょっと待って。どういう事?
驚きすぎて理解が追いつかない。別に侵入して来る野盗がいるってこと?
関所以外にも国境を越える道はある。国中が塀で囲まれてるわけじゃないんだから、森を抜けたりすれば不可能じゃない。
だけど、当然国境を警備する騎士達の監視の目が光っている。侵入しても捕まるのが当然の流れ。
そんな事簡単にいくはずない。そう思うけど、‟もしも“を考えれば容易に判断できない。
どうすれば…。
そんな事を考えて無意識に動いた体が、ガタンと棚に当たった。
「誰だ!?」
しまった。恨めし気に棚を見てしまうけど、棚に罪はない。
そんな合間に、私の前へダダッと三人組が姿を見せた。
「え……」
おかしいなとは感じたけれど、目の前の光景にはやっぱり驚く。
三人組は国境警備隊の隊服を着ていた。
ツェシャ辺境領で国境警備をする隊には、二種類の隊服がある。
一つは、辺境伯直属隊の隊服。これはバールートさんが着ているもの。そしてもう一つが、国軍である騎士団から派遣される国境警備隊のもの。
国境警備隊は他の領地にもいて、国中の国境を警備している。
このツェシャ辺境領では、辺境伯であるランサ様の指揮下にある。例え騎士団からの派遣であっても、辺境領にて国境を守る長は将軍である辺境伯様。
だから、まかり間違っても、その部下が離反を起こすような真似は、してはならない。
なのに……
「今の会話、どういう事かな?」
三人の目は本気だった。それが分かるから私も油断できない。
焦りと怒りを見せるそれぞれの目に、私の頬にもつらりと冷や汗が流れる。
スラリと腰の剣が抜かれる。分が悪い。私はいくら男装で動きやすくても所詮は丸腰だ。
早く辺境伯様に知らせないと。その為にどうにかここを切り抜けたい。その為には何か武器が欲しい…。
思わずギッと奥歯を噛んだ。もう一か月以上鍛錬をしてない。王都にいた頃は毎日してたのに…。
「将軍の婚約者か…。どうする?」
「聞かれたならしょうがない。それに、公爵の娘が不審死すれば、公爵家も黙ってはいないだろうしな」
「っ! 私を殺した罪まで辺境伯様に被せるつもりかっ!」
叫んだ私にも彼らは鼻で笑うだけ。余計に腹が立つ。
黙って殺されるつもりなんてないけど、もっと殺されるわけにはいかなくなった。周りの書類の山にコイツらの事書き記してやる!
動き辛い部屋の中、騎士の一人が剣を突き出して来る。
「っ…!」
私はすかさず、手近にあった書類の束を放り投げた。バラバラッと舞い上がった無数の紙が視界を遮る。
視界が遮られれば動きが鈍る。それは私も同じ。だけど…!
『ヴァン…なんで見えないのに分かったの?』
『下手くそー。気配と相手の動きを見てれば分かりますー』
懐かしい鍛錬の記憶が不意によぎる。
あの時ヴァンが言っていた言葉、今なら分かる。
私の動きに対し、騎士は反射的に動きが止まっていた。その動きずっと見ていたから分かる。
間を置かず床を蹴って、剣を掴んでいた手を捻り上げ、足払いをかけた。女一人に油断してたんだろう騎士は簡単に倒れた。
その手から、私は剣を奪い取る。
その時には、舞い上がっていた紙は全て床に落ちていた。
晴れた視界の先で、私はすぐに残る二人を見て剣を構えた。二人とも一層警戒してこっちを睨んでいて、持っている刃がギラリと光ってる。
努めてゆっくり呼吸する。後二人…。
「こいつっ…」
二人が同時に床を蹴った。
落ち着け。大振りには動けないから反撃の隙はある……!
「リーレイ様見つけましたよー!」
……はい?
突然の軽快な声に、緊迫してた場もしーん…と静まる。大きく腕を広げてるのはバールートさん、傍にはヴァンもいる。「え、何これ」って顔をして。
……うん。ごめんね。忘れてた。鬼ごっこしてたって。
ポク…ポク…って痛いような沈黙が流れて、私もどうしようかと頭を抱える。えっと…って思ってると、今度はすぐ傍でドンッと大きな音がした。
「おいコラ。ランサ様の婚約者に何剣向けてんだてめぇら」
「ご無事で? お嬢」
騎士二人、締め上げられて気絶。
一瞬だった。二人とも剣も抜いてないよね? 何その早業。ヴァンは何でそんなにいつもと変わらない表情なのかな?
でも、二人のおかげで私もホッと息を吐けた。
「うん。大丈夫……じゃない!」
「は?」
私はすぐに剣を捨て、バールートさんが「おいこら」って胸倉掴んでる騎士を拝借すると、とりあえずビンタして意識を復活させた。
「…! おまっ…!」
「さっき話してた事全部吐きなさい! 野盗を侵入させたってどういう事!」
胸倉掴んで怒鳴りつける。一瞬忘れてたけどすぐ思い出せた。
でも、怒鳴って問い詰めても一向に喋ろうとしない。そんな様がひどくもどかしくて腹立たしい。
分かってる。私がなめられてる。
グッと内心で悔しさを抱いても、それを見せずに睨み続けてると、急に騎士が顔色を悪くさせてダラダラ冷や汗を流し始めた。
急に何? その目が向いてるのは私の後ろだけど、私が振り向いてもいつも通りのヴァンと「どうしました?」って顔してるバールートさんがいるだけ。
騎士へ視線を戻すと、どうしてかまたダラダラ青い顔に逆戻り。……まぁいいや。
そんな騎士は、堪えられなくなったのか喋り出した。
「みっ…南の方から破落戸が来る事になってるんだよっ! 離れた所で事を起こせば、そっちへ動くからその隙に…!」
「目的は!」
「っ…アイツが『闘将』なんて呼ばれてデカい顔してるから!」
騎士の引き攣った声に、「馬鹿野郎」ってバールートさんの呆れと苛立ち交じりの声が聞こえた。
聞いたらもういい。私はすぐに肘を顎に思いっ切り振り上げた。運よく気を失ってくれた騎士は後ろへ倒れる。
最後まで見る事無く、私はスッと立ち上がってヴァンとバールートさんへ向き直った。
「えー……やりますね。リーレイ様」
「いえ。二人も助けてくれてありがとう」
「仕事ですから」
そう言うヴァンと同じように、頷いたバールートさんも口端を上げた。
けど、ここでのんびりもしていられない。
「私はこの事態をすぐに辺境伯様にお伝えに行きます」
「それなら俺が…」
「いえ。首謀者がこの三人だとしても、他にいないとは限りませんし私には見分けがつきません。疑いたくはありませんが……安全とは言い難いです」
こんな事をバールートさんの前で言いたくはない。でも、仲間だと思っていた国境警備隊に離反者がいた。それは事実だ。
バールートさんも苦々し気な顔をしている。
「……すみません。隊が違うとはいえ身内が…」
「いえ。バールートさんのその反応を見てると、辺境伯様を慕っているのが分かります。それが分かって嬉しいです」
紛れもない本心だ。
決して辺境伯様に離反を企てる者ばかりじゃない。気に入るとか気に入らないとか、個人の感情は時に暴走する。今の事がそう。だけどそれは明らかな筋違いだ。
バールートさんはすぐにパッと嬉しそうな顔をした。その反応に私も頬が緩む。
でも、すぐに引き締めた。
「目的が外での行動なら、砦で疑ってるよりは向かう方がいいと思います。砦で事を起こすなら必ず分裂しますし、そう易々とはいかないでしょうから」
「確かに。今は何より事態を知らせないとですしね。ただ、辺境伯様の所が一番安全で危険かもですけど」
「私一人ならね」
でも、私は一人じゃない。さっき一瞬で相手を止めた頼もしい護衛が居る。
ちらりとヴァンを見れば、肩を竦めてるくせに口端が上がってる。
「俺も行きますよ。リーレイ様の護衛を仰せつかってますし、ランサ様の居場所も分かります」
「お願いします」
私達はすぐに走り出す。資料室を出て、廊下を走って階段を飛び降り、砦を出て、厩に向かって、馬に鞍を付ける。
そしてすぐに馬に跨った。街道からすぐにバールートさんを先頭に馬に鞭を入れた。
馬はすぐに風を切り、駆ける。
「ってかこれ俺怒られません!?」
「私がちゃんと説明します」
今ハッと気づいた様子で、「頼みますぅ」って情けない声を出すバールートさんに苦笑した。




