安城シーナ、の3
普段、不要なこと以外で鳴ったためしのない携帯が、静かに音を立てた。周囲への配慮も考えて控えめの音量設定にしているのには、気がつかなければそれはそれでいいというシーナ自身の割り切りを含んでのことだ。
いつ登録したのか覚えていない番号と「ロッキー」の名前が表示されている。携帯が「早く出ろ」と言わんばかりに小刻みに震えている。
「噂をすれば愛しのロッキーちゃんじゃない。早く出てあげなよ」
将来噂好きのオバさんにジョブチェンジ確定の京子が、いやらしい笑みを満面に浮かべている。「ちょっと、冷やかすのはやめたげなよ」と体裁を整える幸乃の目にも、同様の好奇が見てとれる。
この二人、ケンカもよくするが、いざという時の意気投合の早さは目を見張るものがある。京子が攻め、幸乃が後方でバランスを取る。
要するに、似たもの同士であるのだ。
「ちょっと。静かにしててよ?」そう釘を刺して電話に出る。
はい、もしもし。うん、あたし。
ハイモシモシだって。わざわざトーン上げる?やっぱりあの日なんかあったのよ、やーね。
うん、あたし。ほかに誰が出るんだってのよね?わざわざ見せつけてくれるとかやだー。
「ちょっと!二人ともうるさい。静かにしてて」
目で鋭く釘を刺すが、ややもするとすぐにこちらを見て笑いながらヒソヒソ話を始める。
これ以上何を言ったところで無駄だとわかったので二人からはあえて視線を切り、会話を続けることにした。
ゴミ部屋の主が電話の向こうで悪びれる様子もなしに笑っている。この間急に帰っちゃって、どうしたの?と、思い当たる節がカケラもないといった口調だ。
一人の時であったなら即座に叩き切るところだが、男日照りと不遇な苗字を悔いる友人二人の手前、シーナにも張りたい見栄が鎌首をもたげる。かと言って電話の向こうの無神経男にこれ以上のイニシアティブを握られてマウントを取られるのもゴメンだ。
微妙な出来の少ない脳内シナプスを懸命に繋げる。
別にい。なんか、気分じゃなくなっただけ。うん。
空っぽの会話。
自分で自分がイヤになる。
こんな仕様もない見栄を張って、形も定かじゃないものにペタペタと恥ばかり塗りつけている。
人に誇れることといえばたった一つ。
他人よりたった二歩、多く先に行けることだけ。
できれば物理的にじゃなく、精神的にそうありたい。
ふとついたため息に、電話口の向こうでロッキーの「大丈夫?」
もう一回だけチャンスが欲しいんだ、そう言われて小さな自尊心はまったり溜まる。
断れないのじゃない。求められるから、仕方なく応えるだけだ。
そうやってまた自分を納得させる。