安城シーナ、の2
自分が常に完璧であるならば、もう少しましな生き方ができていたかもしれない。
安城シーナがこれまでを振り返って、自分でそう思わなかったことがないわけではない。
まし、とはいってもボーダーがキッチリ定まっているわけでもなく漠然としたものでしかなかったから、安城シーナの人生は、それに見合った人生という海の底辺を、少し浮いたり多めに沈んだりを繰り返していた。
彼女は短大のビジネスキャリア学科をどうにか卒業した後、親元を離れ単身福島に移住したものの、就いた仕事のどれも長続きせず、現在は住んでいる安アパートの隣人タエ子の紹介で、歩いて五分のスーパーでレジ打ちのパートタイマーをしている。
夢と希望について、そんな明るめの単語は彼女の頭から消失して久しい。
なんで私は生きてるんだろう、と、今すぐ空から一万円札の雨が降ってこないかしら、というなかば壊滅的思想だけが、現在の彼女の脳を支配していた。
加えて言うなら、白馬に乗った王子が突然金のうわ靴を持って私の前に馳せ参じないかしら、とも思っている。ガラスの靴でないあたり、原作へのこだわりがなんとも腹立たしい。
もっとも、彼女が元来こんなに投げやり(に見える)だったわけではない。短大時代付き合っていた(そう頑なに本人は語る)男が福島についてきてほしいと言った(ような言わなかったような)言葉を真に受けて、故郷宮城県仙台市から南下したものの、いざ着いてみると空のアパートだけがあって、携帯で連絡もつかないその男の帰りをひたすらに待っている。
「健気だと思わない?」
「思わないよ。それ単純に騙されただけでしょ。貯金だって預けっぱだったわけでしょ?」
「借用書はあったよ、テーブルに」
「なんて書いてあったのよ」
「ありがとシーナ。感謝してる。愛してるよ♡、って」
「それの一体どこが借用書なわけ?持ち逃げされてるだけじゃん」
「でも。『俺が帰ってくるまで待っててくれ』って」
それ返ってこないやつだし、帰ってもこない奴のセリフ!
短大時代の友人、友永京子と結婚して姓が変わったばかりの薄井幸乃は、安城シーナの言葉に海よりも深いため息をほぼ同時に吐いた。
「このこと親御さんにはちゃんと言ったの?」京子が左手中指を上下させて眉間のシワを伸ばしながらぼやいた。
「言うわけないよ!だって私もう成人してるんだよ?」
行動と言動の不一致がものすごい。
まあまあ、と京子の肩をさするのは幸乃だ。シーナがこうなのはあたしたち短大の時から知ってるじゃない。
「薄井幸乃は黙ってて」
息のあがる京子に、「フルネームで呼ばないでよ!あたしだって後悔してるんだから!」今度は幸乃がキレた。幸乃はもとの名字から今の名字に変わったことをいまだに後悔していた。元が「多幸幸乃」だっただけに本人としてもその落差に納得がいっていなかったのだ。
二人が険悪になっていく中、シーナがどうにかなだめようと割って入る。
「落ち着いてよ。幸乃、結婚式の時言ってたじゃない、『結婚してようやくタコ八郎ってあだ名から解放される』って!」
今はどっちも許せないのよ!と薄井幸乃が叫び、静かで優雅だったカフェの雰囲気はまた激しく悪化した。