霧ヶ峰蒼太、の2
この国は昔から地震大国と呼ばれている。
過去何度も大きな地震による災害を経験しているからそう呼ばれているのだが、僕は昔からその言い回しがどうにも気に入らなかった。誰が言い出したか知らないが、あえて『大国』なんて言う必要はどこにもない。
「蔑称だよ、あれは。自慢できる特技とかじゃないんだしさ」
「少なくとも誉め言葉には聞こえんわな」友人の金谷進はアイスコーヒーの紙コップに入った大きめの氷を嚙み砕きながら、僕の――霧ヶ峰蒼太の意見を喉の奥で咀嚼した。
おおよそ十年前、僕らの住んでいる東北地方に大きな地震があって、多くの町や村を津波が飲み込んだ。テレビではその部分をあまり放映しなかったけれども、人々が阿鼻叫喚の声の中、津波に搔き消えていく様子を映したメディアはいまだ多数存在する。原発も呑み込んでの津波騒動は後に映画化されたほどで、責任の所在を国や電力会社等々が互いに丸投げするさまは、当時小学生だった僕の目から見てもとても見苦しいものに思えた。
父母はその時の津波に呑まれた。金谷の家でも同じで、両親と弟が未だに行方不明だ。相手が悪かった。
自然はとても雄大で、社会通念とかそういった人間が紐づけて構成してきた後付けのすべてを、きれいさっぱり海に流した。
あなたは神を信じますか?
あれを引き起こしたのが神の御業なのだというのであれば、もはや信じざるを得ない。
「そういえば、お前次に住むとこ決まったわけ?」
仮設住宅は次々と閉じられていき、退去期間が迫ってきていた。
首を横に振る。
「この間なんかNPOの人に「君もまだ若いんだから、そろそろ前を向かなきゃダメだよ。時間は待っちゃくれないよ」って肩を叩かれた」
ひでえな、と金谷。
他人事なんだろう?僕だって自分がこんな状況でなかったら同じこと言ってたかも。
津波で大勢の人が亡くなった。幸いというか、両親はかろうじて見つけることは出来たが死に顔を見ることは叶わなかった。
火葬場がフル稼働しても追いつかない現状で、両親は一時的に仮埋葬として土に埋められた。ようやく火葬できる順番が来た時には両親を見ることを親戚縁者の誰もが止めた。
理由がわからず泣きわめく僕に齢の近い従兄が「土ん中でもう腐ってるんだ。見ない方がいいよ」と絶望的なひとことを言った。
自分自身の妙な能力に目覚めたのは親戚を三回たらいまわされた十七の時だ。親の形見で持っていたエポスの時計がちょっと目を離したすきに無くなっていて、そこら中探し回っていた。親戚の家はさほど裕福ではなく、いくばくかの補助があるとはいえ、食い扶持も学費もかかる僕なんかは完全にお荷物扱いだった。三部屋しかないアパートに当然僕の居場所などあるはずもなく、そんなやつが高級な時計を、たとえ親の形見であれ持っていることに不満を抱く人間が出ることは必然だった。
探すことをあきらめかけて目を閉じると、世界がみるみる色を失い、黒と白のモノクロに変わった。次に、まるで心臓と連動するみたいに、それだけが赤く色づいて鼓動と同じ早さで脈打っているのが見えた。
箪笥の上?
手狭なダイニングから椅子を持ってきて箪笥の上を覗き込むと、そこには形見の時計があった。
なんのことはない。ほんの悪戯心で従兄がそれを隠したのだ。
しかし結局そんなつまらないことがきっかけで僕はその家を出ることになり、なんやかやあって今の仮設住宅にもぐりこんだ。
能力については、暇を見つけては検証を続けたこともあって、現在おおまかな把握ができている。
僕はこの能力を「十の制約」と名付けた。
それは、あまりに十に関わる制限が多かったためで別に格好や語呂が良かったからではない。