霧ヶ峰蒼太、の16
ダーツバーのドアが勢いよく開いて、その男が入ってきたのは、僕とヘルメスの間の空気がいよいよ緊迫し始めたタイミングだった。
「おお、鷺にヘルメス。少し遅れたか?そうでもないか?そうでもないだろう?」
妙な喋り口だが、よく通る声質は酔った頭をハッとさせるものだった。力を持つ声から、その男が普段から自分に対して自信を持って生きているのが伝わってくる。
勿論、苦手なタイプだ。
男は他に居合わせたわずかな数の客を一回し見渡した後、何かに納得した表情を浮かべつつ、大股で近づいてきた。席につくやいなや、ホスト役の鷺を太く鍛えた感のある腕でぐいっと奥席に押しこむと、どかっと腰をかける。
「リーダー、そりゃない、そりゃあないよ!」
鷺の、悲鳴にも似た声にまるで反応することなく「ビール二つ。わがにいっぺんで構わないから持ってきてくれ!」と、カウンターのマスターに対して声をかけた。間接照明の向こうでマスターが頷いたのが見えた。
「で、自称フレースヴェルグがわがに紹介したいっていうのが、こっちの彼か」
「トール。一応、僕も居るんだけど?」ヘルメスが男に対して目を細める。トール、というのがこの男の名前なのか。改めて男を見る。間近で対すると意外と巨漢だ。顔を少し上げないと男と目が合わない。
視線が交差した。相手を値踏みする意思の強い瞳に、気圧される自分がいた。初見で値踏みするような人間にロクなヤツはいない。立花崇しかり、三日月渚しかり、得益伸悟しかりだ。
こちらの思惑を察したのか、トールと呼ばれた男は僕を見て口の端っこを少しだけ吊り上げた。
「自己紹介がまだだった。すまんすまん、仕事柄こういうのが日常でな。どうも悪いクセなんだが、まず初めに相手の顔を見ちまう。『こいつにどこまで話していいのか』とか、話す前から考えちまうのさ。わは金谷透だ。ラグナロックズの連中にはトールって呼ばれてる」
逞しい右腕がにゅうっと伸びてくる。つられて手を差し出すと、肉食獣が獲物を捕獲するかの如く、すかさず伸ばした手を握られた。想像以上に強い力だったこともあり、表情が歪む。あきらかに日常的に使い込まれた頑強な手だった。夏の暑さにさらされた石を誤ってつかんでしまった感覚。トールの手皮の厚さがミシリと伝わってくる。
「霧ヶ峰、蒼汰」無駄とはわかっていたが、握手の手に力を込めて返す。
「霧ヶ峰?はて、どこかで聞いたような……」
トールは一瞬考えたようだったが、すぐに「どうでもいいや」という顔をした。
「ところで鷺よ。この、霧ヶ峰くんをわに紹介してどうしたいのか?」
「調達屋としては、ズバリこいつをうちに入れたい」
「ラグナロックズに?」割って入ったのはヘルメスだ。
「そうなのか?」トールがこっちを見る。
「初耳だ」僕は首を傾げる。当然だ。
「だってさ」
「そりゃないぜブラザー!」鷺が悲鳴を上げた。
そりゃないぜ、とはむしろ僕の台詞だ。




