霧ヶ峰蒼太、の13
季節はひとつ移って、秋口にさしかかっていた。雨降りの日が少し続いたなと思ったら、街中の木々が黄色や橙の葉をいっせいに散らし始めて、今ではまるで明るめの絨毯のように道を覆っている。美術館と図書館を併設した施設の目の前を、ゆるやかに道が左に曲がって伸びていて、両脇の歩道に植えたイチョウの金色の葉を際立たせていた。
いくぶん風が冷たく西から吹き込んでくる。
すぐに冬が来るのだろうと考えると気が重くなる。
「霧ヶ峰蒼太くん。いっそこんなヤクザみたいな扱いの店は辞めて、うちに来ないか?優遇するよ?」
行きつけのスーパーの店長、三日月渚が、大柄な身体を縮こませ、バイト先のレジに肘をつきつつ、さっきから似たような事を三度ばかり口走っていた。
昼過ぎ。買い物客の混雑時間帯が過ぎてスーパーが暇になると、三日月はちょくちょく顔を出してくる。この店、魔法の壺店長の立花崇と三日月はかねてからの知り合いであるようで、二人の会話の距離感には互いがこれまで幾度となく交わしてきたであろう奇妙な馴れ馴れしさが感じられた。
「店主の目の前で堂々と引き抜きかけてんじゃねえよ」
「彼みたいな人材はウチでこそ役立つんだ」
「やらねえよ、バーカ!」
「お前が決める問題じゃねえだろう。なあ、本当にどうだい?うちの店に来てくれたら、本当の本当に優遇させてもらうよ?」
猫撫で声を出す三日月の目は、端を吊り上げた口角とは正反対に笑っていない。そもそもさっきからやたらと『優遇』とは口に出しても、『厚遇』とは言ってこない。つまりは『賃金はそこそこに、便利に使ってあげるよ』と公言しているようなものだ。
「今は遠慮しておきます」
「おい、今は、とはなんだ。そこははっきり断れよ」立花が頓狂な声を出した。
はは、と軽く笑って、霧ヶ峰蒼太は俯く。
今はそれどころじゃないんだって。
仮設住宅立ち退きの期限が一週間を切っていた。
頑として居座る意思を見せれば、同情票も絡んできてそのうち退去もうやむやになるんじゃないかと、どこか甘い期待をしていたのだが、つい数週間前頃か、ついに最後通告が仮設住宅の我が家に届いた。
内容は以前から幾度となく通達されていたもので変わりないものだったが、「今月末には出ていってください」という文面からは、以前にはあったやんわりとした表現はことごとく削除されていた。
「出ていってくださいじゃなく、強制退去ってことなんだろうな」
これまでのびのびにしてきたものを一気に精算しようとするあたりは、さすがに国のやり方だ。こうと決めたらあれよという間に即断してくる。
今回はいくら足掻いても無駄なのだと霧ヶ峰蒼太にもわかった。
数で対抗しようにも今の仮設住宅には自分以外残っていない。家賃なしの生活はいよいよ終わるのだ。
「最後まで残るぞ!」と共に意気込んでいた同郷の金谷進は、数週間前に退去していた。なんでも仕事先の同僚の家に一時的に転がり込むということだったが、緩みきった表情と引越しの素早さからその同僚の性別については推察するまでもなかった。
そういえば店を訪れる客以外で自分が最後に異性と会話したのはいつのことだったろう。
気づけば鼻先をさすっていた。
安城シーナの面影が、過ぎる。




