安城シーナ、の9
「ねえそうたん。大丈夫?お酒、飲ませすぎちゃったね」
テーブル越しに伸ばす安城シーナの腕は白くて細い。上着を脱いだ下に着ていた半袖から艶めかしく伸びる手に、その場に居合わせた男どもの視線が一気に集まる。手の平が蒼汰の赤い頬に添えられると、袖の隙間からなんとか胸が拝めないかと苦心する男たちからの羨望が、罵声となって彼に浴びせかけられた。
どうよ?
ちらりと視線を轟の方へと向けるが、目の前の獲物をどうにか狩ろうとしている彼の目は、ブリンカーでもあてがわれた馬のようにまっすぐと前だけを見ていて、こちらに一瞥をくれる気配はない。
「ねえ彼女さん。俺も酔った。俺も触って、俺も」
そう言って近づいてきたのは鷺だ。普段吊り上がった細目の目尻が、だらしなく八の字になっている。
わざわざ背筋を伸ばして、上から無防備になったシーナの胸元に視線を落としている。
鷺の視線に気付きつつ、シーナは再びロッキーの方をチラ見する。が、やはりこちらを見る素振りはない。細ギスの金髪は、今度は大仰な身振り手振りまでしてみせて、二人の女性を交互に見比べている。
あたしを口説いたときは、あいつあんなに必死じゃなかったわよね。
そう考えると、余計に腹が立った。
蒼汰の頬から手を離して座りなおし、「この部屋少し暑くない?」と、今度はおもむろに左手の指先でシャツの胸元をつまみ、パタパタと服に空気を入れるそぶりをして見せる。
おお、と歓声があがる。鷺をはじめ、鏑木までもが背筋を伸ばしてシーナのちらつく胸元に視線が釘付けになる。
ほんと、男ってバカ。下着をつけているのだから、そんなに必死になったところで見えるものなどたかが知れている。テニスの時にアンスコを気にしてゲームをプレイする女子などいない。
今度こそと、三度視線を送る。が、やはり一瞬たりとこちらへ視線をよこす気配も素振りも見えない。それどころか今度は自称二十八歳を謳うどう見積もっても五十路男と肩を組んで馬鹿笑いをかましている。何がそんなに楽しいのか。
ふう、と、シーナは息をついた。なにをこんなにもムキになっているのか、わからないことにようやく気付く。
アホらし。
シャツから手を離し、かわりに手もとのビールをあおる。
「あの人の気を、引きたいんですか?」どんよりと目を座らせた『そうたん』が、こっちをじっと見ていた。一部始終を、ただ漫然と石のように見ていたのだろうか。だとしたらそれは到底、いい趣味であるとはいいがたい。
「別に」
「でも、鳥の求愛ダンスみたいな真似、してましたよね」
霧ヶ峰蒼太の言葉に、シーナは顔をしかめた。
「は?」表情に険が奔る。
「怒らせてしまったのなら、それは、ごめんなさい」
そうたんが、視線を下に落とすのが見えた。しゅんとした姿はまだシーナの同情を誘う。
「まあ、そりゃあ三歩歩けば全部忘れる鳥なんかと一緒にされればね」
怒りを少しだけ鎮めて、シーナはつとめて冷静に答えた。
「でも、それは鶏の例えで、その鶏だって本当は意外と賢いんですよ」
そういう話じゃないのよ。
シーナはこれ以上の会話の進展は望めないとわかって、心の中で毒づいて黙った。無理矢理静めた感情に波が再び立つ感覚があった。
鳥の話なんてお呼びじゃないのよ。鶏だろうが鳥は鳥でしょうよ。
「あの金髪の人、彼氏さんですか?」
「違うわよ」
シーナの言葉に毒気を感じたのだろう、霧ヶ峰蒼太はそれ以上鳥の話をやめた。そのかわり、もっと鬱陶しい話題に触れてきた。シーナはクラッとして一瞬宙を仰ぐ。
この合コン、ハズレもいいとこね。とっととハケないかしら。気の合う人たちで飲みなおししたい。
気づかれないように、静かにため息をつく。
「そんなんじゃ、そのうちその自己顕示欲で死にますよ?」
――は?
シーナは耳を疑った。泥みたいに濁った目であたしをどう見てるのこの人。初対面よね。あまりに失礼じゃない?
シーナの声にしなかった葛藤を超えて、目の前の――まだ顔に幼さを残した青年は続けた。
「みじめったらしくて、とても見ていられない。あんたみたいな人、本気で面倒くさい」
シーナの頭が急沸騰して、怒りが体中を支配した。
今こいつ、あたしを面倒だって、言ったよね。
知れず、拳がギュッと固められる。固めた拳はすぐにでも発射可能な状態になっていた。
となりでニヤニヤしていた友永京子が、急展開に慌てて止めに入ろうと動く。
不幸中、唯一幸いだったのは、暴言を吐いた霧ヶ峰蒼太が、言葉を発してすぐまた深い眠りに落ちたことだった。
「シーナ、ストップ!悪気なんてないって。言葉のアヤだってば」
安城シーナの拳は固く絞られたまま、止まっていた。荒い吐息と、上下に力強く動くシーナの体をどうにか押さえた京子は、安堵と同時にシーナの見開かれた両目が血走っているのを見た。
「大丈夫よ京子。あたし、意識のないヤツは殴らないから」
それは、起きたら殴るってことよね?
やめときなよ、そんなの不毛だよ?
そんな常識的なひと言を親友にかけてあげない自分がとても可愛い、と京子は思った。




