安城シーナ、の7
京子が横から「ちょ、面白ーい」と口を挟んだことで、安城シーナはようやく我にかえった。
ちょっと、シーナ。ぼんやりしてないで攻めなさいよ。ノリよ、ノリ。たいがいの男子は最初に一発ストレートをバシーンって決めなきゃダメよ。ターゲットぽかんとしてんじゃん。攻め時よ!たたみかけるの!とボクシングのセコンドばりに耳打ちしてくる。
さしずめあたしはカウンターを綺麗に喰らったボクサーだ。次の言葉がまったく浮かんでこない。
本当の本当にそれで合ってるんでしょうね?
セコンドの言葉が、無責任なもののように耳に貼りつく。
「ま、まあ芸能界ではたとえそれが夜中でも初見だったら『おはようございます』っていうらしいので、こんにちはというのも間をとってる感じで、いいのかもしれませんよね」って、さっき言われてなかった?あたし。
ダメじゃん!もう完全に一歩引かれてるじゃん!
インファイトに持ち込もうとしても、もう様子見の距離からジャブで牽制されてるじゃん!
泣きたくなってきた。男女の駆け引きに押したり引いたりがあるとは聞いていたけれど、もう手の届かないところまで引かれてるんじゃないの、これ!
ういーッ!
もうめんどくさい!なんでこんな他人の顔色うかがいながらお金払ってお酒飲まなきゃならないの。
ああ、腹立ってきた。
もう飲んでやるわ。会費三千円払ったんだもの。て、いうか、この人たちあたしら来る前からもう宴会はじまってなかった?そりゃあ遅れたこっちも悪いんだけど、遅れたのはあたしじゃなくて他の人たちなんだからね?
シーナは勢いに任せてビールジョッキをあおった。ピキピキと頭の回路がつながっていく感覚と、同時に理性が離れていく感覚が押し寄せてくる。
人生の回顧なんてものがどうしていつもこんなタイミングで訪れるのか知れない。
それはあたしがいつもわかってて見ないふりをしているからなの?伸悟はあたしを騙しているかもしれない、そう思ったことはある。仙台から福島に来て、アパートがもうもぬけの殻で、契約者がいつのまにかあたしにされていて、貯金も全部もっていかれたときから、薄々は『そうかな』って思わなかったわけじゃない。
でも戻ってくるかもしれないじゃん。
そう思っちゃ、ダメなのかな。
信じたら、ダメなのかな?
我ながらつまんないこと思い出した。キスどころかまともに手さえ握ったこともない男に、ここまで入れあげるあたしが馬鹿なの?
京子が自分のことを『まだ二十歳』と言ったのが聞こえた。あたしが十月、幸乃が九月、あんたは六月でしょうが。
「さりげなく自分だけ一歳サバ読むなし」
「うっさい。私はエンドレス二十歳なんだよ」
京子と視線が合った。気を遣ってくれていたのだと、わかる。
あたしはどうにも短絡的で、夢見がちなところがある。でも、きっとこれからもそこは捨てられないだろう。
ビールジョッキをひとつ空にして、ようやく落ち着く自分を見つけた。
そして同時に、自分と同じように所在なくしている目の前の男の子も。
「あんまりお酒得意じゃないの?」
あくまで無意識だった。全部頭で消化できて、新しいものを取り入れるための準備状態だったところに、たまたま彼がいただけだ。
名前を、霧ヶ峰と、言っただろうか。
エアコンの名前みたいだ、とシーナは思ったが、にっこりと笑った表情の中にそんな蛇足な思いはなかった。単純に目の前の男の子がうつろっていることが気になっただけだ。




