安城シーナ、の5
家に帰ったのち、さらに二度ロッキーからの着信があって、なかば仕方なしに安城シーナは電話を手にした。
「なにか?」
「なにかじゃないよハニー。仕事が終わった頃に電話をするって言ったはずだろ」
「ああ、こっちも何かと忙しくて。で、なにか急用でも?」
声をかけさえすれば愛想よく尻尾を振る女と思われることは避けたい。つまらないプライドが言葉の険になって浮かぶ。本人の目一杯が他方から見れば滑稽のひとことに映るなどとシーナは考えていない。
それが故、プライドとの境にいまだに薄氷のような高理想を思い描くシーナの男性遍歴は少ない。
当然、都合よく利用してやろうと考えている男側にとってみれば、こんなやりとり自体、時間の無駄でしかない。
都合のいい女には、うん♡か、わかった♡以外の台詞は無用なのだ。
「面倒な女だな」迂闊にもロッキーが口にしたその一言がシーナに火をつけた。
「誰がメンドゥーナよ?」
そんなことは言っていない、というロッキーの言い分は却下された。
メンドゥーナ。
それは高校在学中、理想の男性像について熱く語ったシーナに、友人である京子がつけたあだ名だ。
ふたつくらい年上で――。
貯金は二十歳くらいで五百万はあって――。
車はベンツはまだ年齢的にやらしいから、BМWで――。
長男じゃなくて、できれば天涯孤独の身の上で――。
当たり前のようにイケメンで、身長は最低百八十以上で体重は六十五キロから六十八キロで――。
白馬は無理でも黒王号には乗ってて――。
「あんたメンドゥーナだね」
注文の多い料理店ばりの要求に食傷した京子が、一休さんのとんちが閃いたとばかりに得意満面で披露した言葉だ。
勿論、当時のシーナは首を捻った。
「どういう意味?あ、わかった。あしたのジョーのラスボスでしょ」
「それはホセ・メンドーサ」と、幸乃。
「『面倒くさいシーナ』でメンドゥーナ。ギリシャ神話のメドゥーサみたいで、良くない?」
「良くない」
「良くなくなくない」
「良くなくなくなくない!」
「だいたいがそんな男どこにもいないっての!なんだよ黒王号って!白馬より段違いに難しいわ。せいぜい白のぴっちりタイツ履いて肩にスコーンみたいな飾りのっけた服着てる王子もどきが関の山だわ!そうよ、メンドゥーナの前に来てくれるような王子なんてね、王子は王子でも性能微妙な三国志の王子服くらいなものよ」
「京子、王子服じゃなくてそれは王子服だって」と幸乃が注釈を入れる。性能微妙には触れない。
バカやってるよ、と幸乃がシーナと京子の不毛なやりとりに息をついた。
以来、面倒であるとか、メンとドウが連続するすべての単語についてシーナは過敏になり、継続して今に至っている。
かつて高校時代、体育の選択授業で剣道をした際「面、胴」という二段技の打ち込みをおこなっただけの男子同級生の試合に割って入り、横から痛烈な飛び蹴りを喰らわしたこともあったほどだ。
シーナの掲げる男性への理想像は成人してもいっさい色あせていない。
それどころかそんなことがあったせいもあって悪化にさらなる拍車がかかっていた。
だから、ロッキーが自分に対してほんのり強気の対応をしたことは、シーナにとっては侮辱にも等しい行為に映った。
「ゴキブリと同居してるたかだかロッキーの分際が、このあたしに対してずいぶんないいようじゃない?」
え?、と、電話のむこうでロッキーこと轟豪がドン引きしているのが伝わってくる。
念のために言っておくが、安城シーナは、見た目はともかく中身はそんなに大層なものを持ちあわせた女性ではない。夢もなければ明日のことだって風が吹いてから決めるような女だ。
世に言うところの『いい女』というものは、いい女の条件を相応に満たしているからこそ『いい女』であるのだ。
『いい女』は男で日照ったりはしない。不思議なことだが、世の中は本当、びっくりするほど上手くできているのだ。




