ひっそりと こっそりと ~平民になった元王女、女神のお告げを受けまして~
はじめまして。わたしはロッタと申します。
元は王都で暮らしていたわたしですが、今では田舎暮らし。
どうしてそうなったのか。よければ少しの間、お聞きください。
わたしの血縁上の父は前国王陛下です。
母は男爵家の出身ですが、末席の第五妃のため重要視されませんでした。
嫁ぐにあたり、高位貴族の養女になる必要もなかったそうです。
実家に力が無く、政治に口出しすることもない。そんな母は正妃様はじめ高位貴族家出身の他のお妃さまに睨まれることもありませんでした。
おまけに産んだのは女の子が一人。つまりわたしですが、王子を産まなかったのも運が良かったのです。
正妃様と、第二、第三、第四妃の皆様には王子が一人ずついらっしゃいました。
水面下での足の引っ張り合いは、それはもう激しかったとか。
争いの元凶である国王陛下は、女性をポイ捨てする傾向にありました。
相手の身分はだんだん下がっていきましたが、子が出来てしまえば妃として迎えるのが慣例。男爵家令嬢までが限度と考えた正妃様は、宰相様と結託して陛下に子種の出来なくなる薬を盛りました。
協力した宰相様は、女性関係に伴う陛下の浪費に困り果てていたのです。
ですが、周囲の者が勝手に国王陛下に薬を盛るなど、あり得ないこと。
数年後、事実が明らかになった時、その状況を招いた王室そのものが危険視されました。
国の将来を憂えた有志が、王位継承権を持つ公爵家を立てて、国王を引きずり下ろしたのです。
女癖が悪く金遣いが荒かった国王は幽閉処分。
正妃、二、三、四妃方も後継争いで貴族社会を乱した罪で身分剥奪の上、修道院送り。
四人の王子は平民となり、辺境の騎士団送りになりました。
宰相様は薬を盛った件の主犯にされ、見せしめに一族郎党身分剥奪の上鉱山送りの処分が下されました。
新王家の後ろ盾になった派閥から、旧王家に近しい貴族への挨拶のようなものだったのでしょう。
第五妃だったお母様は、妃になって以来、王宮の隅で注目されることも無く暮らしておりました。争いごとにも関わっていなかったため平民として、とある田舎の寂れた伯爵領で娘と慎ましく暮らすよう言い渡されました。
わたしが六歳の時の事です。
他の妃方に比べると、たいへん温情ある処分です。しかし、実際は王宮で妃として暮らしていた者に田舎での平民生活は苦痛でしかないだろう、という嫌がらせだったかもしれません。
王都からわたしたちを運んだ馬車は、あまり乗り心地が良くないものだったようです。ですが、初めて王城の外へ出たわたしは物珍しさゆえに、気にもしませんでした。
大人しく座っていられなくて、座席に膝立ちしたり、立ち上がったり。
一人だけ付いてきてくれたメイドが助けてくれなければ、目的地に着くまでに転げまわって傷だらけになっていたことでしょう。
わたしたちは二週間の旅の後、目的の伯爵領に着きました。
住まいの場所も分からないので、まずは領主のヴァルト・クレーモラ伯爵様へのご挨拶に伺いました。
伯爵様は、背が高く逞しい方でした。
「ようこそ、我が領へ。
事情は知っているが、新しい領民として歓迎する。
田舎で気の利いたものは何もないが、勘弁してほしい」
「こちらこそ、ご厄介になります。
わたしはヒルダ、こちらは娘のロッタです。よろしくお願いいたします」
「監視するようで申し訳ないのだが騎士を二人、交代で見張りに立たせる。
敷地内に入れるかどうかは、そちらの判断に任せる」
「はい。必要に応じて、入っていただいて構いません」
「一応、王都から様子を気にかけるよう言われているんだ。
それと、男手のいる作業があれば、騎士を使ってくれて構わない。
薪はいくらか用意しておいたが足りなければ彼らに作ってもらってくれ」
「お気遣い感謝いたします」
さっそく、今日の見張りをしてくれる騎士様二人に護衛され、伯爵家の馬車で家まで送っていただきました。
着いた先はとても小さな家。
「妖精さんのお家みたい!」
わたしは無邪気に喜びました。母も何だかホッとしたように笑っていて、メイドは苦笑していました。
家は小さいのに、敷地は広大でした。そして、敷地の境を示す苔むした石垣がぐるりと巡らされています。一か所だけ金属製の門が付いていて、そのすぐ側に家があるのです。裏手に回ると広い草原が広がっていました。
わたしたちが家の外側を一周する間に、騎士様二人は荷台に乗せてきた三つのバスケットを家の中に運んでくれました。
大きなバスケットには野菜や果物、パンや瓶詰のジャム、塩や小麦粉などの食料がどっさり。
ビックリしている母とメイドに騎士様は言いました。
「伯爵様からです。ここは街からも離れているので、不自由が無いようにと」
「まあ、本当にありがたいことですわ」
母の実家はそもそも裕福ではなかったので、家事も一通り出来ます。
家の設備を点検すると、さっそく母はメイドと一緒に働き始めました。
王都からはきっと『逃がさないように見張れ』というような命令が出たのでしょう。
でも、クレーモラ伯爵はいいように解釈して護衛と援助のために騎士様を置いてくれたのです。
家は小さいので、門の横には騎士様が泊まるためのテントが常設されました。
騎士様たちは皆、気さくで親切です。
家の裏の土地を畑用に耕してくれたり、森から薪用の木を引きずってきてくれたり。
たまに森で動物を狩って、ちゃんと捌いて肉にしてから持って来てくれることもありました。
母とメイドは、お礼に三食温かい食事を出すことにしたのです。
女所帯ですから一応は警戒していた母たちでしたが、毎日言葉を交わすうちに、だんだん彼等と打ち解けていきました。
「領主様は女性の扱いに厳しい方で、どれだけ有望な騎士でも、女性問題を起こすと即解雇です。もちろん、言い分はちゃんと聞いてからですけどね。
女性を丁寧に扱うのに、なんで独身なんでしょうかね?」
騎士様は、そんな内輪の話も教えてくれました
騎士様たちへの信頼は、同時に伯爵様への信頼でもあります。
母は、石垣の中で騎士様たちの目のある範囲ならば、一人で外にいてもいいと許可してくれました。
「騎士様、家の裏には水たまりや穴があるかもしれないから、一人で行ってはいけないって言われているの」
「賢明なお母様ですね。幼い貴女なら、水たまりで溺れることもあるだろうし、穴に落ちたら探し当てるまでに時間がかかってしまうかもしれない。
大切な事ですよ」
「そうなのね。じゃあ、騎士様が一緒に来てくれる?」
「そうですね、でもあまり長い時間は駄目ですよ。
疲れ過ぎはよくありません」
わたしは一番若い騎士様に懐き、彼が来る日は一緒に散歩するのを楽しみにしていました。
背の高い草が茂っている場所は、騎士様が肩車してくれます。
水たまりも穴ぼこもたくさんありましたが、ある日、それとは違う輝くものを草の中に見つけました。
肩車のまま連れて行ってもらうと、そこにあったのは綺麗な泉です。
「この水が地下に流れているんでしょうか」
家にある井戸は水量が多く、汲むのが楽で助かる、とメイドが言っていたのを思い出します。
「水も綺麗だけど、何か、中にあるみたい」
水の中に小さな塊のようなものがあって、水の面より輝いて見えました。
「あの塊、取れるかしら?」
考えていると、騎士様が私を泉の側に下ろしました。
「私が取ってみましょう」
そう言って手拭を取り出すと泉の中に浸け、手を触れないように掬い上げます。
「綺麗!」
リンゴぐらいの塊は透き通った水色で、泉から出すと輝きを増しました。
「ロッタ様!」
騎士様が注意するのも聞かず、わたしは思わずそれに触れてしまいました。
すると、水色の塊はすーっと宙に浮きます。
「おかえりなさい、泉の乙女。貴女を待っていました」
「いずみのおとめ?」
「まあまあ、幼い乙女。嬉しいわ。知らないことが一杯ね。
これから教えてあげましょう」
「お話し中申し訳ございませんが、横から失礼いたします。あなた様は?」
若い騎士様が水色の塊に話しかけました。
「あらあら、なかなか礼儀を弁えた殿方ですこと。
よろしい、お答えしましょう。わたしは泉の女神です」
「めがみさま?」
「泉の女神様、もしよろしかったら、お話は後日にしていただいてもよろしいでしょうか?」
「まあ、どうして?」
「ロッタ様は幼く、込み入ったお話はまだ難しいかと。私は下っ端の騎士ですので大切なお話を伺う立場にございません。
この領を治めるクレーモラ伯爵と、ロッタ様の母君を交えて、改めてお話を伺ったほうがよろしいかと思うのですが」
「ふむ、もう二百年も待ったのだもの、一日や二日延びても構わないわ。
よろしい、あなたが場を整えるのを待ちましょう。
……ねえロッタ、私のために祈ってくれる?」
わたしは目を閉じて手を合わせ、指を組んで祈りました。
「女神様のお心が、泉の水のように美しきもので満たされますように」
言葉は自然に出てきました。
「まあ、まあまあ!」
女神様の声に目を開けると、水色のリンゴは水色のドレスをまとった美しい女の人になっていました。
「ああ、ロッタ! 本当によく帰って来てくれたわ」
女神様は、泣きそうな顔で微笑んでいました。
翌日の事です。
騎士様が伯爵様に話を伝えてくださったので、母とともに女神様のお話を伺うことになりました。
伯爵様と母の挨拶を受け、女神様は仰いました。
「伯爵、長らくこの地は痩せて恵まれませんでしたが、ロッタが戻ったことにより、これから栄えることでしょう。
ヒルダ、あなたも泉の乙女の血筋です。おかえりなさい」
それから、女神様のお話が始まりました。
大昔から、ここには泉があり、そこに人の集落が作られました。
人々は泉を大切にし、水を大事にし、日々恵みに感謝して祈りを捧げたそうです。
「私は天から下ったような、強大な力のある女神ではありません。
この泉から、人々の祈りによって形となっただけ」
ある時、集落に一人の少女が特別な力を持って生まれました。
その少女が泉に祈ると水は輝き、作物をよく育て、人々を癒しました。
その少女の娘、さらにその娘へと力は引き継がれ、この地は栄えました。
でも、彼女の力を知った者が連れ去ってしまったそうです。
「泉の乙女が他の土地へ連れて行かれても、そこを栄えさせることは出来ないわ。
そこに別の神がいたとしたら、その神に相応しい力を持つ別の人間がいるはず。
だから、私はひたすら待っていたのです。乙女が帰って来る日を」
女神様は土地を豊かにする力を持っているけれど、その力を巡らせるには乙女の祈りが不可欠。祈る乙女がいなければ加護は与えられないのです。
「あなたたちは連れ去られた乙女の末裔です。
国を興すような人間には、特別な力を感じる能力が備わっていることがあります。前国王も、無意識のうちにそれに惹かれてヒルダを妃にしたのではないかしら」
お母様は他のお妃様に比べるとごく普通の容姿と言われていました。容姿が普通で後ろ盾も無いのに国王がなぜ興味を持ったのか分からない、と。
「私の力で土地を繁栄させたいとは思いますが、同時に乙女にも幸せでいて欲しいのです。
噂になるほど活躍してはいけません。
自分の幸福を守りつつ、こっそり土地を富ませればいいの」
「こっそり?」
「こっそり働いて、ひっそり幸せになる。
それくらいで丁度いいのです」
女神様のお告げに従って、わたしたちはひっそり生きることにしました。
女神様とお会いできた後も、わたしたちは小さな家で暮らしました。
伯爵様のお話では、この土地は昔から石垣に囲まれていて、小さな家も元からあったそうです。
人を拒むことはないのに人が住みつかず、野生動物は石垣の中へ入りこまないという不思議な場所。
「女神様のご意思だったのかもしれないな」
ひっそりと、こっそりと、女神様が守り続けた土地。
それから伯爵様は、時々騎士様に混じって自ら護衛と支援をしてくださるようになりました。
母とメイドは恐縮していましたが、伯爵様はどこ吹く風。
「今日は騎士の代理だから、同じように扱ってくれ」
わたしは気にせず、伯爵様と泉へ行って女神様とお話ししたり、一緒にお散歩したりしました。
「ヒルダの料理は美味いな」
毎度毎度、伯爵様は母の料理を嬉しそうに召し上がります。
そして一月も経つと、お母様も加わって三人でお散歩するようになったのです。
「ヒルダ、もしよければ、俺のところへ来ないか?」
三月が経った頃、伯爵様が母に訊ねました。
「お屋敷でお料理を?」
「いや、働きに来いということではなくてだな……」
「お母様、伯爵様はお嫁に来て欲しいと仰っているのではないかしら?」
「……まあ、そういうことだ」
母は目を瞠りましたが、すぐに俯いて、それからおずおずと返事をしました。
「私でよろしければ」
「ヒルダ」
「嬉しい! わたしにお父様が出来たのね!」
伯爵様は片腕で私を抱き上げ、もう一方で母の肩を抱きます。
顔も忘れかけている実の父など、もう記憶から捨ててしまうことにしました。
国王交代の後始末で、王都はまだごたごたしていました。今のうちに、と元第五妃と元王女は慣れぬ土地で風土病にかかり亡くなった、と報告したのです。
わたしたちは伯爵様のお屋敷に引っ越しました。
泉の土地は、騎士団の野営研修地とされ、皆さんが交代で警備してくれています。
引っ越してからも毎日、泉に通って祈り、女神様のお話を伺いました。そのうち、女神様は水色の石で出来たペンダントをくださいました。天気の悪い日は無理せず、屋敷でペンダントを握って祈りなさい、と仰るのです。
泉の水は領全域をめぐり、領民を癒し、土を富ませ、実りの恵みを与えてくれました。
だけど、目立ち過ぎてはいけません。国から目を付けられないように、伯爵領は女神様の加護を受けてひっそりと栄えました。
一年後、母は伯爵家の跡取りとなる弟を産みました。
お父様は血の繋がった弟も、血の繋がらないわたしも、変わらずに愛してくださいました。
身体が大きくなって馬から転げ落ちる心配がなくなった頃、わたしは泉への送迎の馬車をお断りしました。
馬を駆る騎士様の前に乗せていただいたほうが速いし、たくさんの方の手を煩わせることもありません。
わたしはいつも、トピアス様を指名しました。一緒に泉を見つけた、あの仲良しの騎士様です。父は渋りましたが、母が許可するよう口添えしてくれました。
わたしは十六の時、自分からトピアス様にプロポーズしました。
「結婚してください!」
迫るわたしに、トピアス様は最初、戸惑っていました。
「わたしのこと、好きではないの?」
いつだって、トピアス様はわたしを大事に抱きかかえ、馬で運んでくれるのです。
「私は一生、ロッタ様の騎士でいる覚悟をしております」
「わたしの騎士様だと結婚できないの?」
トピアス様は困った顔をしながら一生懸命考えているようでした。
「お返事をする前に、女神様に少々、お尋ねしたいことがあるのですが」
わたしたちは連れ立って泉に赴きました。
「あら、二人お揃いね。いつも仲の良いこと」
「女神様にお尋ねしたいことがありまして」
「何なりと」
「その……泉の乙女について、処女性というのは重要なのでしょうか?」
トピアス様が真っ赤になって、でも大事なことだからと懸命に言葉にしていました。
わたしは、そんなこと考えてもみなかった自分に呆れてしまいました。
「え? そうなんですか、女神様……」
女神様はわたしたちを見比べると、心底おかしそうに笑いました。
「乙女と言ってもただの呼称よ。処女性にこだわるなんてオヤジ趣味は私には無いわ。安心なさい。
そんなことで、乙女の価値は変わらないのよ。
ただし、あなた達に娘が生まれて、祈りを捧げられるようになった時、泉の乙女は交代となるわ」
「そうなのですね。お答えいただき、ありがとうございます」
トピアス様はわたしに向き直ると、その場で跪きました。
「ロッタ様、生涯、貴女を大切にお守りすると誓います。
私と結婚していただけますか?」
「喜んで!」
彼がわたしを抱き締めた時、女神様が周りに小さな虹をたくさん作って祝福してくださいました。
やがて娘が生まれ、物心つく頃、泉の乙女の力は彼女に引き継がれました。
乙女ではなくなったわたしですが、時には娘と一緒に女神様にご挨拶に伺います。
今のところ、こっそりと伯爵領は栄えております。
田舎を蔑む王都の貴族に気付かれないよう、これからも皆でひっそりと楽しく暮らしてまいりましょう。