6. 春蘭妃
<春蘭妃との茶会>
今日は皇后さまとの茶会の日だ。今朝から侍女たちがばたばたと準備をしている。上質な絹でてきた桃色の衣に、主上から頂いた珊瑚の簪。「春蘭さまにはやっぱり赤が似合いますね」と侍女が笑った。
主上に皇后ができると聞いたのは、つい二週間前のことだ。青天の霹靂たる情報に私の両親は激怒していた。四夫人の中で主上とも血縁関係にある私が皇后になるのだと、家族の誰もが思っていた。
しかし皇后さまはあの名門周家の娘。今この国で最も勢いのあるあの家に敵うものはいない。周家は皆優秀で主上の覚えもめでたく、皇后の素性がわかれば私の家族も黙るしかなかった。
主上の後宮に入って四年経つが、未だに主上のことが怖くてたまらない。大きくて熊みたいな体、髭の生えた武人らしいお顔。震える私をその腕に抱く様は、狼に食べられるうさぎのようだった。
正直、肩の荷が下りた気がした。私は別に皇后になんかなれなくてもいい。家族の期待に応えられないことは申し訳ないけれど、家族も納得する名家の娘が皇后になったおかげで、わたしは責められなかった。
「ようこそおいで下さいました、春蘭妃」
にこりと微笑んだ皇后さまは、たっぷりと金の刺繍が施された薄緑色の服を着ていた。歳はわたしとあまり変わらないが、自信に満ちた顔をしている。艶やかな黒髪を可愛らしく結い上げ、整った顔立ちは可憐な中にも意志の強さを感じさせる、聡明な美人だった。
彼女はやって来た私の手を取ると、まるで私が来るのを長いこと待っていたかのような優しい顔をして、ぎゅっと握った。緊張していた私はとても驚いた。
「家のようにくつろいで下さいね。わたし、ぜひあなたとお友達になりたいわ」
皇后さまはにこりと笑い、焼き菓子が並べられた席に私を誘導した。この菓子はあれで、この菓子はこれで、と一つずつ楽しそうに説明する。
「春蘭さまはどんなお菓子がお好きですか?」
「あ、え、えっと。わ、私は果物を使った菓子が好きです」
「それならこれはどうでしょう?薄い生地の上に、果実と木の実をたくさん乗せて焼いたものなんですよ」
そう言うと皇后さまが率先してその菓子をぱくりと食べた。「うん、間違いなく美味しいわ!」と満足そうにして、春蘭さまもぜひ、と満面の笑みで勧めてくる。
さすがに最初の茶会で毒を盛られることもないだろうとは思いつつ、私が緊張しながらその菓子を口にした。甘酸っぱい木苺の味が口中に広がり、思わず頬が緩む。
「うふふ。春蘭さまはとても素直で可愛らしくていらっしゃいますのね」
「そ、そうでしょうか」
「ええ、食べちゃいたい感じ?庇護欲を掻き立てられるというか、女の子らしいってこういうことねと思いますわ!……そういえば、春蘭さまは刺繍がお好きなんですよね?」
私は身じろぎした。どうしてその事を知っているのだろう、後宮では誰も知らないはずなのに。
「ねぇ春蘭さま。もしよかったら今度、わたしの為に何か刺繍を縫って頂けませんか?」
刺繍は私の唯一の生きがいだった。両親に言われるがまま人形のように生きてきた自分にとって、次は何を縫おうかと迷い、決めて、無心に何かに取り組み、作品が出来ることが楽しかった。家にいた頃は徹夜することもあった。
しかし後宮に入ると刺繍をできなくなった。主上に触れられる指に万が一にも傷をつけてはいけない。夜遅くまで起きて目に隈でも作れば美容に悪い。刺繍は貴婦人の嗜みに数えられるが、私の刺繍狂いぶりを知っている両親は、私に一切刺繍することを禁じた。
退屈で単調な日々。せめて刺繍ができたらと何度思っただろう。それでも自分はずっと我慢してきたのに、まさか皇后さまに頼まれるなんて。これなら堂々と刺繍ができる!
「は、はい!わたしの作ったものでよければ、お引き受け致します。何をお作りしましょうか」
「春蘭さまが好きな物を。まずは小物でお願いしようかしら、図案はお任せ致しますわ」
「かしこまりました!」
と答えてはたと気づく。私の部屋に刺繍道具はない。こっそり持ってきたものは全て、侍女たちに没収されてしまった。
「翠玉、持ってきて頂戴」
翠玉と呼ばれた皇后さまの侍女は大きな箱を持ってきた。皇后さまが「ふふふ、お愉しみよ」と笑ってその箱を開けると、中には色とりどりの刺繍糸と生地、針が入っていた。なんて素晴らしいの!宝箱みたい!
そうして目をきらきらさせた私に、蕩けるような笑みをした皇后さまは魔法の言葉をかけた。
「これはわたしからの贈りものよ。春蘭さま、どうぞよろしくお願いしますね」
お読み頂きありがとうございます!四夫人との茶会が始まりました。トップバッターは春蘭です。
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