起源の章 無明
……白蓮と玉藻が稲魂の神の元を離れ、那須高原に向けて出発してから半日。綺麗な夕日が二人を赤く染め始めていた……
ふと空を見上げた白蓮は立ち止ると、俯き加減の玉藻に優しく声をかけた。
「朝早くから歩き通しでお疲れになったでしょう。そろそろ日も暮れてまいりましたし、獣や賊から身を守る為にも暗くなる前に休める所を探しましょう」
静かに寄り添い付いて来た玉藻が顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
「お気遣い有難うございます、貴方様の仰せの通りに従います。」
二人がしばらく歩を進めて行くと、道から少し逸れた所に木々に囲まれ静かに佇む古びた寺が目に入ってきた。寺に通ずる入り口に辿り着くと、玉藻が何かの気配を感じ取ったのか、瞳が淡い黄金色に変化していた。
「白蓮様、あの古寺には何やら言い知れぬ程の悲し気な妖気が漂っております。放っておくといずれ近づく者に祟りを成す様になるでしょう。如何なさいますか?」
白蓮も同じ様に気配を感じ取っていた様子で、小さく頷くと徐に口を開いた。
「うむ、こうして此処に辿り着いたのも天の導きかもしれぬ。この妖気の源になっている御魂と相対し浄化致しましょう」
二人は顔を見合わせて頷くと、辺りに注意しながら寺に向かって進んで行った。
山門をくぐり仏殿に差し掛かったその時、奥にある講堂の扉が音もなくスゥーッと開いた。
中から明らかにこの世の者では無い生気のない顔色をした女の僧侶が現れた。
「ほほぉ〜珍しい!久しぶりに人に会うたわ。其方達こんな寂れた寺になんの用じゃ?」
ぼろぼろの僧衣をまとい、強い妖気を放ちながらその尼僧が近づいて来る。青白い顔に血走った眼、そしてその眼からは血の涙が頬を伝っている。
玉藻は咄嗟に身構え、白蓮の方を見た。
「白蓮様……」
白蓮は目で玉藻を制し、平静を装い問いかけに答えた。
「私共は旅の者です。私は白蓮、この女子は玉藻と申します。宿を探していたのですが当ても無く、日も落ちて来たので今宵一晩だけ泊めて頂きたいのですが」
尼僧は何かを感じ取ったのか二人を繁々と見つめた後、低く騒がれた声で返事をかえした。
「そうでしたか、拙僧はこの寺を護っている無明と申します。こんな瑣末な所で良ければどうぞ休んで行って下され」
無明は仏殿の右手の建物に二人を案内した。
「此処は庫裏で御座います。寝泊まりができる様になっておりますので、ご自由にお使い下さい」
二人は庫裏の中を見渡し安全を確かめると、頭を下げて無明に礼を述べた。
「見ず知らずの旅人の私共に御厚情頂き感謝致します」
無明は合掌しながら会釈をして
「全ては御仏の心のままに」
と唱えると静かにその場を立ち去っていった。
二人は座敷に上がり畳の上に腰をおろした。暫くの静粛の後、腑に落ちない顔をした玉藻が口を開く
「あの無明という者はあれだけ強い妖気を放っているのに、何故白蓮様は黙って見過ごされたのですか?」
白蓮は暫くの間目を閉じ頷くと、全てを承知していたかの様に語り始めた。
「私は神獣であるが故に、その者の本質が善であるか悪であるかが一目でわかるのです。あの者は人として生きていた頃から魔物に成り下がった今でも心に善が残っております。天界の者は善に対して無闇に手を下すことは許されないのです」
白蓮の言葉にハッと我に帰る玉藻
(上辺だけで悪と決めつけるのは未熟者のする事。私が白蓮様とこうして一緒に過ごさせて頂けるのも、私の中にある善を見抜いて下さったお陰)
玉藻は心の中で自分の未熟さに恥入りながらも、恐縮した様子で伺いを立てた。
「では白蓮様はあの者の処遇をどうなさるおつもりなのですか?」
白蓮は安心させる為に、澄んだ目で玉藻の目を見ながら答えた。
「あの無明という尼僧は、最初に会った時に既に私達の正体を見抜いていたのです。もっと言えば、あの者程の霊力があれば、私達がこの寺に来る事が分かっていた筈です。それでも敵意をみせずに受け入れたのにはきっと何かの訳がある筈、会って事情を聞けば全てがあからさまになるでしょう」
玉藻は納得がいった様子で頷いた。
「わかりました、白蓮様に全てお任せ致します」
二人は無明に会う為に庫裏を後にした。




