起源の章 旅立ち
…東の空から暖かな光が溢れ夜明けを知らせる…
白蓮の胸の中で目を覚ました玉藻は、そっと身体を起こし、枕元に用意されていた衣服に袖を通すと側にあった手鏡を手に取り、写し出された自分の顔を感慨深げに見つめていた。
(私がこんなに穏やかで優しい顔をしているなんて……今まであった憎しみや怒りや悲しみの気が、嘘の様に鳴りを潜めてしまっている)
大切な誰かを愛おしいと思う気持ちが、悪き心を振り払い素直な美しい心を呼び起こしたのであった。
(白蓮様に付いて行けば、私の様な者でも真っ当に生きて行く事ができるかもしれない)
玉藻は心の中で過去の悪き自分と決別しようと誓った。心から闇が消え、光で満たされる様な感覚が心地良かった。気が付くと、優しい眼差しで白蓮の寝顔を眺めていた。
「ん…もう朝か」
玉藻の視線と気配を感じ、目を覚ます白蓮。
慌てて身体を起こすと、目と鼻の先に玉藻の美しい顔があった。
「おはよう御座います!お目覚めになられましたか?」
玉藻が微笑みながら声をかける。
「お…おはよう御座います!もう旅支度を済ませたのですか?」
間近で見た玉藻の息を呑む様な美しさに思わず声が上ずってしまった白蓮。
(なんと麗しい顔立ち…優しい暖かな気に包まれている)
ボーッと見惚れていると
「何処かお体の具合でも悪いのですか?」
玉藻が心配そうな顔をして尋ねた。
「いや…何でもありません」
平静を装いその場を取り繕った白蓮
(浮かれている場合ではない。私も旅の支度を急がねば)
気持ちを切り替えると、枕元に用意された狩衣に袖を通し烏帽子をかぶった。となりでは玉藻が市女笠を手に取っていた。
旅支度が整うと、白蓮は玉藻と二人で稲魂の神の所へ挨拶に向かった。
途中の廊下で白蓮が立ち止まり玉藻と向かい合った。
「これから先、私達には色々な試練が待ち受けているやもしれません。しかし、二人で手を携えて立ち向かえば必ず乗り越えられると信じています。どうか私を信じて付いて来て欲しい」
玉藻は大きく頷いた。
「私の命は貴方に預けます。どこまでもお供させて下さい」
心に突き刺さる様な玉藻の覚悟を受け、白蓮も又自らの決意を固めた。
(わが命に代えても必ず其方を守りぬく)
二人は神妙な面持ちで再び廊下を進んでいくと、前方に白狐が立っているのが見えた。白蓮が要件を伝えると結界が解かれ中に案内された。
奥の間から稲魂の神が出迎えた。
白蓮と玉藻が跪き礼をする。
「おはよう御座います!」
稲魂の神が二人の様子を伺いながら声をかける。
「おはよう御座います!昨夜はゆっくり休めましたか?」
白蓮は笑顔で頷き
「ハイ、お陰様で身心共に癒されました。私達を匿まって下さった上に、何から何までお世話になり、お師匠様には感謝の言葉もございません」
と深謝の意を伝えた。
「礼には及びません、わたしがお前達にしてやれるのはこれくらいのことしかありません。それよりも都では御触れが出回るかもしれませぬ、早々にこの地を離れるがよい」
稲魂の神は愛弟子の行く末を案じ、良い案がないか模索していた。
師匠の想いを感じ取り、心配をかけまいとする白蓮
「仰せの通りこの地を離れ、身を隠すことに致します」
稲魂の神は静かに頷いて、心配な顔で尋ねる。
「して何処に向かうつもりですか、行くあてはあるのですか?」
心に決めていた地があった白蓮は迷う事なく答えた。
「ハイ、この国の東の方にある私の生まれ故郷の那須高原を目指すつもりでございます」
「そうか、決まっておるのなら安心した。これはわたしからの餞別です、那須高原に着くまでの生活の足しにするが良い」
そう言うと用意してあったお金の入った巾着袋を白蓮に渡した。
白蓮は両手で大切そうに受け取った。
「ありがとうござます、この御恩は一生涯忘れません」
白蓮と玉藻は深々と頭を下げた。
「お前達が無事である事がわたしの願いです、何かあったら稲荷を祀ってある神社を頼るが良い。全てが私と繋がっており、必要な知らせの受け渡しが出来る筈です。それでは道中の無事を祈っております」
我が子を見守る様な眼差しを向けて二人を見送る稲魂の
「色々とお世話になりました。お師匠様もお元気で!」
二人は稲魂の神に一礼をして伏見稲荷を後にした。




