起源の章 束の間の幸せ
二人の姿を見て何かを感じ取った稲魂の神が白蓮に問う。
「白蓮よ、お主が女子を供に連れているとは珍しいのう。此処に来たのは何か訳があっての事であろう、申して見よ」
白蓮は師匠の言葉に全てを見通されている様な感覚を覚え、玉藻に初めて会ってから今迄の経緯を正直に伝えた。
稲魂の神は目を閉じて考え込んだ後、白蓮達に向かって厳かな口調で
「そうであったか。神や神に仕える者は、関わる全ての者に救いの手を差し伸べ幸せへと導こうとする。白蓮、お主が玉藻殿を救いたいと想う気持ちは天界の摂理じゃ。誰かを救うという事は、自らを顧みずその者の全てを受け入れ、行く末の長きにわたって手を差し伸べると言う事じゃ。白蓮、お主にその覚悟はあるのか!」
と問うた。
白蓮は師匠の目をしっかりと見据えて答えた。
「ハイ!我が命をかけて玉藻殿を守る所存でございます」
稲魂の神はゆっくりと頷いた。
「お主の覚悟はあいわかった。してこれから先はどうするつもりじゃ?決まっておらぬなら暫くの間此処で身を隠すが良い」
師匠の言葉に、腹積りが決まっていた白蓮が淀みなく答える。
「ありがたき御言葉と心遣い感謝致します。しかしながら、いずれ追手が放たれる事を考えると、お師匠様や稲荷神社の皆様にご迷惑を掛ける事になりかねませんので、明朝早くに此処を立とうと考えております。つきましてはお願いが御座います」
稲魂の神が穏やかな口調で返す。
「なんじゃ、なんなりと申してみよ!」
白蓮は小さく頷くと
「この身なりでは目立ちますので、どうか私共に旅人用の目立たぬ服を用立てて頂きたいのですが」
と言って頭を下げた。
白蓮の申し出に稲魂の神が答える。
「承知した!直ぐに手配いたしましょう」
そう言葉を発した後 手を鳴らし、白狐を呼んだ。
「こちらのお二人の旅支度を整えてください、衣服は目立たぬ物を頼みます」
「御意」
片膝を付いて現れた白狐が礼をして霞の様に消えていった。
稲魂の神が二人に向かって
「部屋も用意致すので、明日の為にも食事を取って早々に休まれるがよい」
優しさと憂いが混ざった眼差しで声をかけた。
「過分なお心遣い感謝いたします。今宵は御言葉に甘えさせて頂きます」
師匠の慈愛を感じ取った白蓮は素直な気持ちで言葉を受け入れた。
二人は食事を取った後 用意された部屋に案内された。
「此方と奥の部屋をお使い下さい、所望された衣服は枕元に用意して御座います」
白狐はそう告げると静かに消えていった。
「ありがとうございます」
白蓮と玉藻は白狐の消えていった方向に頭を下げた。
襖で仕切られた部屋に入ると、白蓮が寝床と衣服を確認する。
「玉藻殿は奥の部屋で休まれるがよい。手前の部屋は男物の服が用意してあるので私が使います」
「ハイ、わかりました。その様に致します」
玉藻は襖を閉め、上着を脱いで横になって眼を閉じた。
(こうして眼を閉じるといつもは辛い過去の思い出が浮かんで寝付けないのに、今宵は暖かな気で包まれて癒されていく)
気が付くと玉藻の頬に涙が伝っていた。
一方 白蓮は行く末に係る思いを日誌にしたためていた。
…暫くの間は平安の都を離れ、人里離れた静かな所で平穏な暮らしをするのも玉藻殿には必要かもしれぬ、取り敢えずは東の地を目指すと致そう…
あれこれと思いを巡らせた後、筆を置いて寝床で仰向けになった。
暫くの静寂の後 奥の部屋から玉藻が襖越しに声をかけて来た。
「白蓮様どうかお聞き下さい。私は物心がついた頃から両親の顔も知らず孤独で、辛い目に合わせた世の中に復讐する為に、力を使い悪事の限りを尽くして来ました。貴方に初めて会った時も、帝に近づいて世の中を混乱させる機会をつくる為でした。どうかお許しください」
白蓮は静かに立ち上がり奥の部屋の襖の前で跪いた。
「玉藻殿 誰しもが皆 自分の意思では、生まれる環境や親を選ぶ事は出来ませぬ。生きて行くという事は与えられた環境の中で様々な経験を通して夢や喜びを見つけ出し、生ようとする力を繋いでいく事です。親の愛情さえ知らずに育ってきた其方にとっては、夢や喜びの代りに愛情の飢えによる怒りや憎しみや悲しみを、周りにぶつけて自分の存在を誇示し続ける事が生きている証だったのでしょう。同じ環境であったら私も同じ事をすると思います。どうか御自分を責めないで下さい」
そう言い終えると襖をそっと開け、涙で頬を濡らしている玉藻を優しく抱きしめた。
「もう辛い過去は忘れてこれからは二人で夢や喜びを見つけましょう」
玉藻は大きく頷いた。
「私の様な者に…嬉しゅうございます!貴方様は命をかけて守ると言って下さいました。あの言葉一生涯忘れません、私も命をかけてお尽くしいたします」
生まれて初めて誰かを信じ、愛情や夢や希望を身近に感じた玉藻の幸せそうな顔があった。
「貴方の笑顔が見ることができてよかった!」
白蓮も嬉しそうに笑顔で頷いた。
玉藻はそっと白蓮の胸に体をあずけた。夜の帳が下りると共に至福の時が流れていった。




