起源の章 前夜
玉藻と幸吉が家に戻って来ると、お百度参りを終えた母親と志乃が昼食の準備に取り掛かっていた。
「おかえりなさいまし玉藻様。幸吉の面倒を見てくださってありがとうございました」
玉藻は幸吉の顔を見ながら優しく微笑んだ。
「いいえ、私の方こそこの子のお陰で楽しい時を過ごさせて貰いました。礼を言うのはコチラの方です」
嬉しそうに玉藻の顔を見上げる幸吉の姿に母と志乃も顔を見合わせ微笑んだ。
「もうすぐ食事の用意が整いますのでしばらくの間奥のお部屋でお寛ぎ下さい」
「ありがとうございます」
玉藻は頭を下げると、幸吉の手を取って奥の部屋へ向かった。
中では白蓮が腕を組んで何かを考えている様子であった。
「おはようございます!白蓮様」
白蓮が振り向いて笑顔で応える。
「おはようございます!玉藻殿、幸吉殿。朝の早くから何処へ行かれていたのですか?」
神妙な面持ちで玉藻が答える。
「はい、この子の案内で龍神の棲む大沼に行ってまいりましたが、やはり水嵩が減っており強い妖気を放っておりました」
白蓮もまた険しい表情を浮かべた。
「やはりそうであったか。私も力を使って大沼の主の審神を試みたのだが、長い年月を経て強い妖力を得た五本の指を持つ黒龍に相違ない。心してかからねばなるまい」
緊張した面持ちで玉藻と白蓮が互いの顔を見合わせ頷いた。
(いよいよ明日……)
玉藻は側にいた幸吉を優しく抱き寄せた。
「お食事の用意が出来ました、どうぞこちらへ」
にっこりと微笑んだ志乃が、腰を屈めながら二人に告げた。
「いつも私たちの様な者に気を遣って頂き、ありがとうございます」
二人は頭を下げて礼を述べると志乃について行った。
皆が揃い手を合わせて食事を食べ始める。
人柱の儀式を控えた幸吉のことを思いやり、静かで重々しい空気が皆を包んでいた。
しばらくの間続いた静粛を破る様に志乃が口を開いた。
「白蓮様、玉藻様、幸吉は何も悪いことをしていません、生まれつき喋ることができない事がそんなに悪いことなのでしょうか?私が代わりに人柱になることが出来ないのでしょうか?」
すると、隣に座っていた母親が声を荒げた。
「なんてことを言うんだい!お前も幸吉も私の大切な宝物!お前たちがいてくれるから私も頑張って生きていけるんだよ!そんな悲しいことを言わないでおくれ」
今までに想いを表に出したことなど無かった母親が初めて感情を見せた姿を前にして、志乃はハッと我に帰った。
「ごめんなさい!本当はお母さんがいちばん辛い思いをしているのに」
思わず母親に抱きついた志乃の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
母親も目を赤くしながら娘を優しく抱きしめた。
「ごめんよ、私に甲斐性が無いからお前たちに辛い思いばかりさせて」
白蓮と玉藻は家族の姿をしっかり目に焼き付ける様に見守り、必ず幸吉を守ってみせるという思いを新たに互いの目を見て頷いた。
恐れや悲しみは、無情にも時が早く進んでいる様な感覚を創り出す。明日の人柱の儀式を控えた幸吉の家族や白蓮達にも例外なく時は迫り始める。
儀式を明日に控えた幸吉は、禊ぎの為母親達と一緒に川へ身を清めに向かった。
「気を付けて行ってきてくだされ」
白蓮が皆に声をかけた。
やがて空が夕日に染まる頃、禊ぎに向かった三人が神妙な面持ちで帰って来た。
「遅くなって申し訳ありませんでした。今から御二方の夕食の支度を致します」
白蓮は首を横に振った。
「大丈夫です、禊ぎの後は儀式が終わるまで食事を断つのがしきたりの筈です。私と玉藻の心もあなた方家族と共にあります、どうか私達のことは気になさらないで下さい。それに深夜、寅の刻には氏神様が来られます。その時まで身体を休めていてください」
「お気遣いありがとうございます、今夜はお言葉に甘えさせて頂きます」
志乃達は礼を述べ深々と頭を下げると、寝床の方へと姿を消した。
しばらくの沈黙の後、白蓮と玉藻は龍神との対峙における策を思い巡らせていた。
玉藻が不安が入り混じった気持ちを抑えながらも口を開いた。
「五本指の黒龍の力とはいかほどのものなのですか」
白蓮もまた審神を試みた時に感じた強大な力に、恐れに似た感覚を抱いていた。
「おそらく、あの黒龍は私達の何倍もの歳月を生きてきたであろう、その妖力は神獣の私より優っているかもしれぬ。その上、智慧や知恵も持ち合わせているはず」
真剣な眼差しで尚も問う玉藻
「その様な力を持った者にはどの様に立ち向かえば良いのでしょうか?」
白蓮はしばらくの間考えた後、玉藻と目を合わせた。
「相手も龍神、神の名を宿す者、対峙してみないとわからない事も多々あります。ただ、力だけで立ち向かっても互いに大きな痛手を負うことになりかねません。時には対話や人の力を借りなければならない時もあるでしょう。後は氏神様が来られた時に知恵をお借りしましょう」
「分かりました」
玉藻は深く頷いた。
白蓮の表情が少し和らいだ。
「それでは氏神様が来られるまで少し身体を休めましょう」
「ハイ」
二人は横になって氏神様が来るのを待つことにした。




