起源の章 想い
約束の日の朝 玉藻は念入りに身支度を整えていた。
十二単を纏って手鏡を覗き入念に紅をさしながら、ふと白蓮のことを考えていた。
(側にいるだけで優しく穏やかな気持ちに包まれるあの不思議な力の気は、神に仕える神獣のものかもしれない。だとすれば私の力では到底敵わない、帝を狙ったところで防がれてしまうのは火を見るより明らかな事)
帝に取り入って操り、国ごと乗っ取って人間に対する復讐を始めようとした玉藻の目論みの行方は、帝の護衛である白蓮の正体が何者かによって大きく左右される事となる。
(このままでは埒が明ない。帝の前にあの男の正体を見極めてから策を練らねば)
そう思いながらも白蓮のことを思い浮かべると、またあの心地よい感覚が蘇ってきた。
(私は九尾の狐として生まれ、物心がついた頃から忌み嫌われ酷い扱いを受けてきた。あの様に優しく暖かい気に包まれたことなど一度もなかった)
「白蓮…様」
と思わず声に出して、玉藻は紅をさし終えた後もしばらく手鏡の中の自分の顔を眺めて感慨に浸っていたが、ハッと我に帰った。
(イケナイ、こんなことを考えていては自分を見失ってしまう。約束の時間に間に合うように早く出立しなくては)
そう自分に言い聞かせ、表に待たせてある従者の用意した牛車に乗り込んだ。
「御所の正門まで頼みます」
「ハイ!かしこまりました」
従者は牛車を引きながら都に入り、御所に向かって行った。
「玉藻様、もうすぐ御所に到着致します」
玉藻が牛車の窓の簾を上げ御所の方をみると、正門の前に白蓮の姿があった。
「此処で降ろして下さい」
そう告げて玉藻が牛車をおりると、それに気づいた白蓮が手を振りこちらの方に歩み寄ってきた。
「よくぞ来てくださった玉藻殿、此れより私目が帝の所まで御案内致しますので、ご一緒にお越し下さい」
そう告げると白蓮は玉藻を先導しながら正門をくぐり敷地の中を進んで行った。
「この広い中庭の向こうに見えるのが御所です」
御所に辿り着くまでに歴史や造りなどの説明しながら、和やかな笑みを浮かべ玉藻と歩みを進める白蓮。
玉藻も興味津々な様子で
「帝はどの様な感じのお方なのですか?」
と、さりげなく聞くと
白蓮は少し考えて
「この世に生を受けた時より、何一つ苦労する事なく富も名誉も与えられておりますので、全てが御自分の思うがままになるという考えのお方です」
と答えた。
玉藻は不思議そうな顔をして
「その様な考え方で政が上手くゆくのですか?」
と問うた。
「世の中の事を何も知らない帝だけでは政は成り立ちませんので、優秀な参謀役、政策を練る者、金庫番、軍師、占いや退魔を生業とする陰陽師などが付いております」
と、玉藻の顔を見て白蓮が答えた。
玉藻は退魔師が付いていると聞いて、天竺での事が頭をよぎった。
(嫌な予感がする、何もなければ良いのだが)
玉藻の不安をよそに、白蓮が声をかける。
「玉藻殿、御所に着きましたぞ」
御所は幾つもの殿舎からなる荘厳華麗な造りで厳かな雰囲気を醸し出していた。
二人は履き物を脱いで御所に上がり、丸い柱が綺麗に等間隔に並び立つ廊下を奥へと進んでいくと、左右に渡り廊下が交差している所が見えた。
白蓮は歩みを止めて
「あちらの左側の廊下を進めば帝の居所である清涼殿でございます、今から参りましょう」
張り詰めた緊張感が二人を包み始めた。
廊下を左に曲がると突き当たりの正面に綺麗な絵を描いた襖があり、その前に見張役が二人立っている。
白蓮がその方行に右手を差し出して
「あちらが清涼殿の入り口で御座います」
と玉藻に告げ歩みを進めた。
入り口の前で白蓮は見張役に
「白蓮だ、陛下の命で大切な人をお連れした、至急御目通りを許可願いたい」
と申し出た。
「承知致しました。直ぐに陛下にお伺いを立ててきますのでお待ち下さい」
見張りの者は片膝を付いて礼をし、襖の内側にいる伝達役に聞こえるように
「白蓮様が陛下の命でお連れしたお方と、御目通りをと申しております」
襖の内側から「御意」と聞こえ、しばらく経った後
「陛下から許可がおりました、どうぞ中にお入り下さい」
と返事が聞こえた後
「御二方共どうぞお通り下さい」
と見張役が両側から襖を開けた。
二人が中に入ると、白蓮が先導しながら幾つもの仕切られた部屋の前を通り、ある部屋の前で立ち止まり
「こちらが帝がおられる「昼御座」に御座います」
と玉藻に告げた。
「ようやく帝に謁見が叶うのですね」
玉藻は白蓮の顔を見ると、優しく微笑んで答えた。
「そうです、では参りましょう」




