起源の章 母様
「白蓮…白蓮…愛しい我が子よ…」
心地良いまどろみの中、聞き覚えのある優しい声が聞こえてきた。
(母様!)
ハッと目を覚ますと、見覚えのある懐かしい景色の中で、若かりし頃の母親の胸に抱かれている赤子の姿が目の前に現れた。
(…これは私の記憶なのか? それとも何かの力で時空を超えて来たのか?…)
白蓮は一体何が起きているのか自問自答しながらも、直感的に赤子が幼き頃の自分の姿だと気付いた。と同時に全身が愛情に満ち溢れた温かな気に包み込まれ、そのままスゥーッと赤子の中に吸い込まれて行った。
眩い光に導かれるがままに身を任せていると、やがて光が和らぎ 気がつくと目と鼻の先に大好きな母の顔があった。
「母様!白蓮は此処に…いま…す」
会いたかった想いが溢れ出て、白蓮は思わず大声で叫んだがどうやら聞こえていない様子で、母親は青い空を見上げた後、優しい笑みを浮かべながら顔を近づけ目を合わせて話しかけてきた。
「白蓮、其方は私の大切な宝物。私の命に変えても必ず立派な稲荷に育ててみせる」
母親はしばらくの間白蓮の顔を見つめた後、少し憂いを帯びた表情を浮かべ、目に涙を浮かべながら白蓮を強く抱き締め頬を寄せた。
「白蓮やこの母を許しておくれ。野狐の私が身の程をわきまえずに、天狐のあの方と恋に落ちてしまった為に、二人の間に授かった其方に父様を会わせることも、その名を口にすることも禁じられてしまったの」
我が子を不憫に思い、咽び泣いていた母であったが、ふと何かを思い出したように顔を上げ、頬を伝う涙を拭った。
「でもあの方は、産まれたばかりの其方を抱き上げ、大層喜んで私に"ありがとう"と言ってくれた。たとえ名乗り出る事は無くとも、父様はきっと何処かで貴方の行く末を見守っていてくれている。私には分かるの彼の方の心の内が、そして何よりも貴方の中には天狐の中でも高位で力のある父様の血が流れているのですもの、きっと貴方を立派な天狐になる様導いてくれるわ!」
(わたしが産んだ天狐さま)
母親は白蓮を高く抱き上げて、優しく微笑んだ。
夕陽が二人を照らし始めると、母は白蓮を背負いゆっくりと歩み始めた。
(母様の背中はなんと暖かくて心地よいのだろう)
大好きな母の背中の温もりを感じながら、このままずっとこうしていたいと思う白蓮であったが、幸せなひとときは静かに別れをつげようとしていた。
再びあの優しい暖かな気が白蓮を覆い始めると、意識が薄れ母の姿が遠のいていくと共に、この場所に来た時と同じ様に眩い光の中に吸い込まれていった。
(白蓮様…白蓮様!…)
耳元で聞き慣れた声がする。心地よい眠りから目を覚ますと、目と鼻の先に心配そうな顔をした玉藻の顔があった。
目覚めたばかりの白蓮の目には、母と玉藻の顔が重なって見えた。
「母様…玉藻殿ありがとうございます」
玉藻は安堵した様子で微笑んだ。
「良かった!白蓮様が目を覚ましてくれて。私の術は正しく行われた筈なのに、貴方様が三日三晩もの間、眠りに落ちたまま微動だにしなかったので心配しておりました」
白蓮は少し驚いた様子で
「私には半日程にしか感じられませんでしたが、そんなにも時が経っていたとは…」
そう答えると、身体を起こし姿勢を正すと玉藻に頭を下げた。
「かたじけない、私の力が足らぬせいで玉藻殿に御心労をおかけしてしまった。其方は三日三晩の間身体を休めることが出来なかったのではないですか?」
玉藻は小さく首を振った。
「私のことはお気になさらないで下さい、それよりお身体の調子はいかがですか?」
白蓮は母親との思い出を噛み締めるように頷いた。
「其方のお陰ですっかり良くなりました」
ホッと胸を撫で下ろす玉藻。
「あの術は、時空を超えて被術者を最も幸せと安らぎを覚える所に誘ない、霊力を回復させるもので御座います」
(それで母様と過ごした幼少の頃に…)
感慨深げに頷く白蓮。
「素晴らしい力をお持ちだ。私の力は現実と幽界などの空間を司ることは出来ますが、玉藻殿の様に時空を司る事は出来ません」
「そんなことはありません、貴方様に比べれば私など……」
玉藻は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「あれほどの術を使ったのですから、其方も相応にお疲れになったでしょう。今度は私の術で玉藻殿に癒しを与えさせて下さい」
疲れているのを悟られまいと気丈にふるまっていた玉藻であったが、白蓮の申し出に嬉しそうにコクリと頷いた。
白蓮は玉藻の手を取り抱き寄せると、片手で印を結び呪文を唱える。
「この者に安らぎを与え、力を戻し給え」
すると玉藻の身体が金色の気に包まれて、宙に浮き上がった。
玉藻は意識が薄れていくなかで、白蓮の隣で美しい女の稲荷が微笑んでいるのが目に入った。
(あの方はいったい……)




