ひとかべ語り その参
人首と書いて“ひとかべ”と読む
生首にまつわる語り部の話
ちょっと待っとくれ。こいつを出さなきゃあね。
よっこらしょっと。ああ重い。綺麗な布だろう?古い時代に織られたものさ。
中身?まあ、聞きなよ。
砂男の話をしようか。
ああ、奇妙な男だったねえ。自分の体を一瞬で砂にしちまうんだ。風が吹けば飛んでしまう、さらっさらの砂さ。
用心深いから人前では決して砂にはならなかった。誰もいない、誰も見ていない場所で砂になっては風や雨に流されて、ひとつ所に集まると自然と人の形になった。砂の集まる場所は一か所じゃなかったが、だいたい決まっていたから、お仲間もいたらしい。あいつらが一体何者なのか、何故砂になっちまうのか、本人たちが一番知りたがっていたさ。そうさね。間抜けな話さ。
その男の生業は何だったと思う?
いや、違う。見世物小屋じゃあない。言ったろう、奴らは用心深い。
男は人殺しを請け負って稼いでいた。そう、殺し屋だ。
仲間が前金を受け取る。男が“仕事”をする。わざと人目につくように。そして逃げて砂になる。仲間が後金を受け取る。もちろんその逆もあった。男が金を受け取り、仲間が“仕事”をする。
現場を見た者は顔や特徴を証言するが、見つかりっこない。
決して捕まらないから、依頼主に累が及ぶこともない。それをいいことに後金を出ししぶると脅しをかける。及ばなかった累がお前の家族に行くぞ、とね。
ずっと、そんな事をして生きながらえてきた。
人の命を奪いながら、常に死と再生を繰り返し生きていた。
辺境の寒村から喧噪の大都市まで、あらゆる地をめぐった。
そしてひとたび砂になると、風に乗り川を下り、海を漂い再び人の形になる。その砂のひと粒ひと粒が全てを記憶していた。
そう、彼らは誰よりもこの世界の美しさを知っていた。
ただ、美しさは知っていたが、恐ろしさは知らなかった。
その国は北の最果ての、火山の噴火でできた小さな島国だった。小さな国だから、都市部といってもたかが知れている。
そこへ殺し屋を名乗る男がやって来た。決してしくじらず、確実に請け負う、と。
小さな国の、小さな町だ。そんな物騒な話、誰も相手にしやしないさ。
自分は決して捕まらないと豪語するので誰かが「ではどうやって逃げるのか」と聞くと男は曖昧に笑って答えなかった。
どうやら仕事にならないとわかった男は島国を出ることにした。長居は危険だからね。それを知った町の連中は胸をなでおろした。当分はこの奇妙で物騒な男の話で持ち切りになるはずだった。
翌朝一番の船で島を出るつもりだった男に思いもよらない事が起きた。
小さな国のでかい火山が噴火したのさ。
島の連中は慣れたもので、こういう時のために先達が地中深くにしつらえた壕に手際よく避難した。
男にも避難するよう呼びかけたが、耳を貸さなかった。
魅入られたように真っ赤な溶岩の吹き上がる火山を見ていた。
いや、魅入られていたんだろう。火山の噴火を見たのは初めてだったんだから。
鬱蒼としたした森の奥に滾々と湧く泉も、陽の落ちた砂漠の星空も、透き通る青い浅瀬どこまでも続く白い砂浜よりも、男がこれまで見て来たものよりもはるかに美しく見えた。
全てを震わす轟音はやわらかな囁きに聞こえた。上がる噴煙は優雅な手招きに見えた。硫黄の匂いがする灰を大きく吸い込むと身も心も洗われるように感じた。
これまでの経験から噴火が長引くと判断した島民は地中の壕の奥に進み船着き場へ出た。もちろん長い間の経験から先祖が細々と作ってきた特別の場所さ。そこには島民が脱出するには充分な大きさと数の船が停泊していた。慣れたもので皆粛々と船に乗った。
皆、自分の命を守るのに精一杯で、それぞれに近しい者が欠けていないか確かめ合った。その頃には誰もがあの奇妙な男の事など気にかけちゃいなかった。
沖へ出ると火山はこれまでにないほどの噴火を起こした。船は大きく揺れ、小石が降ってきた。あと一刻出航が遅かったらと、島民たちは肝を冷やした。
そして、火山が完全に沈黙するまでに長い時間がかかった。
命からがら島を脱出した島民達は避難先で落ち着く者、他の地へ移る者と、皆散り散りになった。島に戻る事を望んでいた者達は全て、望みを叶える事なく寿命を迎えた。
ようやく静かになった島に再び上陸したのは、その子孫ではなく、小さなカヌーで島々を渡りながら移動する海洋民族だった。
かつて島を揺るがす噴火があった事などとっくに忘れ去られていた。人の手が入らなかった島はいつしか木々にあふれ、鳥や獣たちの楽園になっていた。海の民の一部は島に残り土地を拓き始めた。
木々を切り土を深く掘ると冷えて固まった溶岩が露出した。木の根っこのおかげでできたひび割れを見つけては木を削って作った鋤で岩を切り出した。
そうして土地を拡げていくうちに、ある時ひび割れに力いっぱい鋤を打ち込むと抜けなくなってしまった。引こうが押そうが揺さぶろうがびくともしない。しまいには屈強な男たち数人で一斉に力を合わせてようやく引っこ抜いた。抜いた拍子に岩まで一緒に持ち上がって皆尻もちをついた。
そうして、驚いた。
ガラスでできた男の生首ががっちりと鋤の先に食いついていた。その透明な歯は深く食い込んでいた。まるで決して離すまいとしているかのように。かっと見開いた目は屈強な男たちをぎょろりと睨みつけて震え上がらせた。
屈強な男たちはこの気味の悪い掘り出し物を何度も岩にぶつけて割ろうとしたが、傷ひとつつかなかった。初めは彼らが所有していたものの、すぐに手放した。所有者は次々と変わった。誰も長く手元に置かなかった。
さて、それじゃあこの布を取って見せようかね。いいかい、見るだけだよ。決して顔を近づけたり触ろうとしちゃいけない。
食いつかれるよ。
ようやく3作目を書き終えることができました。