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Episode06/男女の性差(前)

(16.)

 周囲の注目を浴びながら、僕は普段から座っている席に腰を降ろした。

 チャイムと同時に入ることになった為、結局は雪見先生と一緒に教室に入ることになった。


 そのおかげで、大まかな説明を雪見先生がみんなに伝えてくれた。

 それを聞いて唖然とするクラスメート一同のなか、隣の席に座る宮下(みやした)だけオーバーリアクションかと言いたくなる勢いで席から立ち上がった。


「嘘だろおまえ!? こんなチンチクリンなのが、あの杉井だぁ!? おまっ、名前に合わせて性転換するなよ! 身体に合わせて名前変えるだろ普通」


 あれ、まえにもおんなじ問答があった気がする。


「別に名前に“花”が付いてるだけで、読み方は男性名なんだけど?」

「これからは杉井じゃなくて“豊花ちゃん”って呼ぶからな?」


「いや、杉井のままでいいから。ちゃんも付けないでいい。だいたい、万が一女性に思える名前だったとしてもーーそれこそ花子ちゃんとかーー名前に合わせて性転換するなんて普通ありえないから」

「おまえは実際に女になっただろ?」


 僕の一番仲の良いーーというより唯一の男友達が、この“宮下賢司(みやしたけんじ)”という少々デリカシーのないヤツな時点でわかると思う。

 友達と呼べる絶対数が極端に少ないことが……。


 とはいえ宮下は男女共にモテる。


 見た目も爽やかで清潔感があり、眉をカットしていたり、髪を整えていたりするうえ、性格も明るく男女隔てなく態度を変えない。少し細マッチョ風な容姿をしている男だ。


 背も175cmほどあり顔も整っていて、モテるのも頷けるルックスをしている。

 僕には裕璃を除くと宮下しか友人と呼べるクラスメートはいないが、宮下はクラスメートの中心人物で常に周りを笑顔にさせる。


 なのに彼女がいない、いや、つくらないのは僕のなかでは疑問のひとつだ。

 もうひとつ疑問なのは、なぜ僕のような陰キャと仲良くしてくれているのか謎なところだ。


 まあ、一部で馬が合うのは事実だが……。

 もしも、もしも万が一、裕璃の恋人が宮下だったなら、僕は今より素直な気持ちで嫉妬に駆られることはなかったと思う。


「はいはい、宮下くん? 席に座って静かにしましょうね~」


 雪見先生が叱ると、宮下は素直に座ると、声のトーンを落とした。

 最初こそ、『この子は誰だ誰だ』といった好奇な視線に曝されたものの、僕が杉井豊花だとわかると、それは別種のものに……驚きといった表情にみんな変わっていく。


「そ、それにしたってよ。杉井、いや、豊花ちゃんか。本当に異能力者になったのか?」

「宮下の耳が正常なら、雪見先生の言ったとおりかな?」

「ちっ……せっかくいろいろ考えていたのに」

「え、考えていた?」


 いろいろ考えていたって?

 なんだろう、女になったらパァになる考えとは……。

 雪見先生が朝のホームルームを終えて教室から出るのを見計らい、宮下は話をつづけた。


「まさか女になっちまうなんて思わねーだろ、普通」

「ちょっと待って、いったいなにを考えていたの?」


 宮下は声を小さくして返事をしてきた。


「いや……ほら、おまえ赤羽(あかばね)のこと好きだったのに、赤羽のやつ唐突に彼氏つくっただろ?」


 うぐっ、裕璃関係の話題だった……やぶ蛇だ。


「そうだけど、べつにソレはもういいよ」

「よかねーだろ? 赤羽の付き合ってる彼氏、単にヤりたいだけのヤリチン野郎で普段から何股もかけてるって話だぜ? それにあくどいこともしてるって噂もあるし」

「え? それ本当?」


 薄々気づいていたけど、やっぱりろくでもない人間じゃないか。

 金沢ってひと。


「だから、とっとと奪い返ししちまえーーって言うつもりだったのに、現実はこれだよ。女の子になってどーすんだよ」

「取り返す……」


 なんだろう?

 そもそも、元から僕の恋人だったわけじゃないし、奪い返すとか、取り返すっていうのは語弊がある気がした。


 それに、もしも今から裕璃の気持ちが変わってくれたとしても、それはなんだか違う気がする。

 もう僕が好きだった裕璃じゃなくて、別の存在に生まれ変わってしまったような……そういった謎の気持ちに襲われる。


「まあ、もう過ぎた話だよ。それに今朝、ケンカ別れみたいになっちゃったし、どっちにしても、もう遅いかな?」

「あーあ、こーんな女々しい姿に変わりやがって。うーん……」

「え、あ、なに?」


 まさか宮下に身体を凝視されるとは思わず、ついついテンパってしまう。


「いやーーやっぱり杉井じゃなくて豊花ちゃんだよな? その見た目だと、どうしたって年下にしか映らないし、いくら中身が男だからって、女になった身体には目がいっちまうしな」

「え……ちょっと、僕は杉井豊花だよ? せめて宮下にだけは変な目で見ないでほしいんだけど」


 そう。

 未だに妙に視線を買ってしまっているのだ。

 それも、男子女子問わず……。


 男子が向けてくる視線は、おそらく奇異なものを見たいといった好奇心か、隠れロリコンからの熱い眼差しくらいだろう。

 しかし、それに反して女子は、なにやらみんな複雑そうな表情を浮かべていた。


 なんだろう……もしかして、女体化ではなく異能力者に対する感情かなにかが渦巻いているのかもしれない。






(17.)

 ようやく午前の授業が終わり、自分のせいで摩訶不思議な空気が漂ってしまった教室から抜け出すことができる。


 昼休みーーそういえば、普段なら裕璃が席まで来て一緒に昼食を摂ろうと誘ってくるタイミングだ。


「あ、あのさ、一緒に食べない? ゆたーー」

「杉井、一緒にご飯どう?」


 まさしく裕璃が後ろから話しかけてきたーーと思ったら、真横から颯爽と現れた葉月が裕璃の言葉を遮った。


「え、葉月さん?」

「だから葉月でいいって。というか、ごめん。すぐに呼び方変えてもらうことになっちゃう。うん。まあ、そんなことより一緒にお昼食べよう。べつにいいでしょ?」


 葉月は裕璃を気にせず声をかけてくる。


「え、あ、いや、うん。一緒していいなら、ぜひ」


 元から友達が少ないのが祟り、クラスメートからは未だになにも声をかけられていなかった。


 これじゃ、裕璃以外の女子と仲良くなるという目標が遠ざかっているじゃないかーーそう思っていたタイミングだったから、裕璃以外の女子に当てはまる葉月からの誘いは、むしろありがたかった。

 それ以前に、なんだか嬉しい気持ちになる。


「じゃあ、ちょっとだけ付き合ってくれない? 一年の教室で食べるからさ」

「……え、一年の教室?」

「そう、妹がいるって教えたでしょ? 私が登校してる日は、必ず妹と一緒に昼食を摂ることにしてるのよ」


 そういえば、そんなことを言っていたような気がする。

 だからといって、一年生に混じって違和感はないだろうか?


 ……いや、むしろ今の姿じゃ、まだ一年生のほうが違和感は少ない気がした。


「わかった、行くよ。で、何組なの?」


 弁当を持ちながら席を立つ。


「1年B組よ。さっ、はやく行きましょ?」


 ふと、葉月の視線が裕璃へと移った気がした。

 裕璃を見ながら、口角をほんの少し上げたーーような錯覚がした。

 教室から出るとき、振り返って裕璃の様子を見た。


 ……なんだよ、その顔。

 裕璃にはもう、大切な彼氏がいるじゃないか。


 裕璃は、なにか大切な物を取り上げられてしまったような悲しげな表情で、僕と葉月のことをジッと見ていた。






(18.)

 葉月は一年の教室の中に、なにも躊躇わずに足を踏み入れる。


「はいはい、今日もお邪魔するわよ」


 本当にいつも来ているらしい。

 葉月はそう言いながら、教室の中へと平然とした態度で入っていく。

 そんな葉月に対して周りも慣れているらしく、だれも動じていない。


「し、失礼します」


 葉月につづき、僕もぼそぼそ呟きながら一年の教室に入った。

 しかし、やはり私服姿だからか、幼いのがいけないのかーー何人かは僕を見ながらひそひそ話をはじめている。


「杉井、こっちよ」


 手招きされた席には、机の上に手を伸ばし、うつ伏せのまま寝ている女子生徒の姿がある。

 葉月はその頭を手のひらで叩いた。


「いたっ? ……あれ、姉さん?」


 葉月に頭を叩かれた下級生の女子生徒は、頭を擦りながら面を上げた。

 夏なのに珍しく長袖を着ている。

 冷え症なのかな?


「あれ、姉さんーーじゃないでしょ? もう昼休みなのよ、わかる? まさか授業中ずっと寝ていたわけじゃないでしょうね? ほら、お弁当持ってきたからさっさと食べましょ?」


 ーー凄い。

 非常に似ていた。


 見た目だけなら葉月とそっくりの存在が、そこには座っていた。

 座っている妹らしき人物は、右のモミアゲに赤いリボンを巻いているから見分けることはできる。


 しかし、髪の長さまで一緒で、顔立ちもパッと見ても違いがわからない。

 リボンを外してしまったら、今の僕では、まだ外見では区別がつかない。

 双子なのかと問いたくなるほど似ているのだ。


「そいつ、だれ?」


 妹さんは眠そうな目を僕に向けて言う。


「その他人に対する口の悪さ、いい加減どうにかしなさい。ほら、たとえば“そのお(かた)”とか、せめて“そのひと”くらいに」

「姉さんも、同じ、だよ? で、だれなの?」

「……あんたと同じよ。同じ学校に仲間ができたんだから喜びなさい。名前は杉井豊花、私と同学年。つまり、あんたの先輩なんだからね」


 ……瓜二つなのは、どうやら見た目だけらしい。

 外見以外は、似ているどころか真逆とさえいえる。


 葉月は明るくハキハキものを言うタイプだけど、妹のほうは常に怠そうな雰囲気を醸し出しており、喋るのすら億劫だとでも言いたげだ。


「ちょっといい、葉月?」

「うん?」「ん……?」


 まさかのダブル葉月。

 そうだった。

 どっちも葉月じゃん。


「そうそう、これよこれ。こうなるから、杉井には呼び方を変えてもらうって言ったのよ。これからは私のことは瑠璃って呼んで。これは妹の瑠衣(るい)ね?」


 瑠璃は『これ』と言いながら妹の襟首を掴み上げる。

 妹ーー瑠衣は特に逆らわず、されるがままだ。


「ええっと、呼んでもいいなら、そうするけど……」


 いきなりファーストネームで呼ぶのって、なんだか気恥ずかしい。

 僕の場合、裕璃ぐらいしか名前で呼んだ試しがないし。


「べつになにも気にならないからそう呼んじゃって。なんならこれからは豊花って呼ぶことにするから、よろしくね。瑠衣もそう呼びなさいよ? 豊花先輩、みたいに」


 瑠璃はそう言いながら、瑠衣の座る机の周りに椅子を二つ引き摺り寄せた。

 その片方に腰かけると、僕にも座るように促してきた。


 なんだか、瑠璃に豊花と呼ばれるとムズムズする。


「で、さっき言いかけてたのはなに?」

「え」

「なにか訊きたかったんじゃないの?」


 そういえばそうだった。

 ある点が気になって声をかけたのに、ダブル葉月のせいで頭からいったん吹っ飛んでしまった。


「いや、さっき瑠衣に向かって“あんたと同じ”って言ってたけど、それってどういう意味なのかなって」

「ああ、言ってなかったっけ? それはね、この子ーー瑠衣は貴女と同じ異能力者なのよ」

「え!? 僕と同じ異能力者!?」


 この学校にもひとりだけいるって教師から聞かされていたけど、瑠璃の妹が異能力者だったの!?


「えっと、僕みたいな異能力?」

「いや、さすがにそうじゃないわ。そんな別人になる異能力、少なくとも私は担当したことないから。豊花は身体干渉の異能力者でしょ? 瑠衣は物質干渉に属される異能力者でーー」

「ねえ、豊花、って名前のひと、訊いてもいい?」


 瑠璃の言葉を瑠衣が遮り、ワンピースの袖を引っ張った。


「な、なにかな?」


 というか呼び捨て……先輩どころか『そのひと』扱いとは……。


「どうして、僕? 僕っ娘目指してるの? 見てて痛い、恥ずかしいよ。早く、やめたほうが、いいよ?」

「……へ?」


 いきなり瑠衣に、『僕』という自称が否定されてしまった。


「瑠衣? あのね、豊花はこれでも男でーー」

「うそ。女の子でも見かけないくらい、女の子女の子した、顔してる。でも、しゃべり方、変。僕っ娘に、なろうって、必死にキャラづくりしてるみたい。見てると、痛々しいよ?」


 瑠衣から地味にチクチクする突っ込みが入った。

 あれ、意外に痛いぞ、これ?

 案外、心は痛みやすいんだよ?

 それに第一、しゃべり方が変なのはそっちだろう。


「いや、本当に元は男なんだ。異能力が女の子に変身して元に戻れない、ってものだからこの姿なんだよ」


「瑠衣? 豊花は私が第2級異能力特殊捜査官としてしっかりチェックしてるのよ? 霊視つかって幽体の姿だって重なっているのをちゃんと確認した。一通り、神経・精神・身体・人格なんかも異変がないか確認したの、わかる? あんた、私の実力が信じられないっていうの?」

「信じる信じる、姉さんサイコ、こわい」


 さ、サイコ?


「サイコなのはあんたでしょーが! あんたがあんなことしなければ、私だって毎日毎日見張りのようなことする為にこのクラスには来ていないの、わかる?」


 え、あんなことをしなければ?

 おそらく異能力関係なんだろうけど……そういえば。


「はづーー瑠璃、ちょっと訊いていい?」

「だいたいあんたはねぇーーん、なに?」

「気になったんだけど、瑠衣……ちゃん? の異能力がなんなのか、訊いてもいいかな?」


 なんだか直接訊くのは気まずかった。

 けど、異能力の内容を聞けば、瑠衣がなにをしたのか、なんで毎日のように瑠璃は瑠衣の教室まで来ているのかーーその予想が大方つくと思えたのだ。


「えっとね、瑠衣は」

「見せようか?」瑠衣はカッターを机から取り出した。「ひひっ……ひひひっ」


 ーーえ?


「ちょっ、どうしたの、瑠衣ちゃん?」


 尋ねた瞬間、瑠衣は急に口角を上げたかと思うと、不気味な笑い声を漏らした。


「ちょっと瑠衣! あんたそんな危ない物どうして持っているのよ!? そんなこと訊かれたくらいで侵食率が上がることーー」

「いいよ、いい。見たいなら、今から実演するよ、きひひっ!」


 瑠衣は嗤いながら手を空へと掲げる。

 その手にはカッターナイフが握られている。


 瞳孔が開いており、口角がつり上がっているせいで嫌な狂気を感じてしまう。

 だが、掲げた手許にあるのは、カッターといっても百均にありそうな安っぽい物でしかない。


「瑠衣! やめなさい!」

「え、いったいなにをするつもなの?」


 瑠衣はカッターの刃をチキチキ出すと、刃に二本指を付ける。

 その後、カッターの切っ先を真下に向けて机を突いた。


 刃が折れて飛ぶんじゃないかと身構えたが、そうはならなかった。

 普通なら刃が折れて飛んでいるだろう。


 でも、瑠衣は机にカッターの刃を突き刺していた。

 突き立てた、ではなく、突き刺した、が正しい。

 実際に突き刺せているのだから、突き刺しているとしか表現できない。


 机の中心にカッターの柄が生えてきているように見えなくもない。

 硬いはずの机に、カッターがサクッと容易に刺さり、出した刃がすべて机を貫き嵌まっていた。


 おそらく、机の中まで刃が真っ直ぐ届いているだろう。 


「これ、これが、私の能力っ!」


 さらに瑠衣は、机に突き刺さったカッターを握り直すと、机の横へ払うように薙いだ。

 まるでカッターの刃が当たったところが勝手に消えていくかのような、そんな切断の仕方をしていき、深い傷跡がそこに残る。


 普通ならあり得ない。


 あんな柔そうな刃が、豆腐に包丁を入れるよりも軽やかに机に深い溝をつくってしまうなんて……常識では考えられない。


 つまり、これは非常識。


 普通とは“異”なる“能力”を操る“者”ーー異能力者という証明だった。


「こんのっーー大バカッ!」

「いっ!」 


 瑠璃は瑠衣の頭をグーで殴り怒鳴った。

 瑠衣の奇妙な狂気に当てられていたからか、僕まで変な雰囲気にのまれていたけど……瑠璃のおかげで意識が正常に戻った。


「瑠衣、あんたねぇ!? いま自分が何をしたのかわかってるの? 法律違反! 犯罪行為よ!? 許可なく異能力は使うなって、あれほど口を酸っぱくして言ったでしょ!? 法律でも最初に指摘される部分なのよ、わかってるの? 私はあんたの姉だけど、異能力特殊捜査官でもあるのよ! 普通は見逃しちゃダメな立場なの、理解してるの!?」


 瑠璃ってあまり怒らないと思っていたけど、意外と激情家だ。

 そんな感想を抱くほどの勢いで、瑠璃は瑠衣を叱責していた。


 うーん、別に他人を害さなければ、勝手に使ってもいい気がするけど……。

 今の異能力の法律って、きちんと調べたら理不尽なものが多そうだ。


「姉さん、うるさい。こんなの、バレない。姉さん、頭固すぎるだけ。異能力を使った犯罪、お金を稼ぐ集団、聞いたことあるけど? 私を責める暇があるなら、その労力、そっちを捕まえるために、使わなきゃ」


 瑠衣も瑠衣で、故意なのか不作為なのかは判別できないが、結果として瑠璃を煽ってしまっている。


「あ、あんたって本ッ当にわがままよね。一回くらい少年院に入って頭冷やしたほうがいいんじゃない? といっても、異能力を使った犯罪は未成年者だろうと教育部併設異能力者研究所送りになるけど。いつか人を殺すんじゃないかって、心配で心配でしょうがないのよ。ちょっとは私の気持ちもわかって」


 気のせいだろうか?

 人を殺す、と聞いたとき、瑠衣の視線が游いだ気がする。


 まあ、そんなことは置いておいて……。


 なんだか僕が能力を訊いたせいで言い争いが始まってしまったような感じがして、なかなかに気まずい。


 ふと、カッターに切られた対象に目をやった。

 中心から歪曲を描いて横へと伸びて端から出た、長く細い、深い溝。


 カッターで机の硬度に、こんなサクッと刺せるものじゃないし、やっぱり、これが瑠衣の異能力と関係するのだろう。

 となると、カッターの刃を鋭利にできるような力? 

 そう考えると、少し怖くなる。


 あんなちゃちなカッターを冗談混じりにでも向けられて、軽い気持ちでつついてきただけで、こんな服なんか簡単に通過して、皮膚や骨をスッと空けながら通り抜け、容易に心臓まで届いてしまうほどの切れ味。


 僕の異能力には他人を害する要素なんて微塵もない。

 だけど、瑠衣みたいな殺傷性を内包している異能力のほうが、むしろ一般的な異能力者なのかもしれない。


 だとしたら、知らず知らずのところに危険は潜んでいるのかも……。

 異能力者保護団体での待ち時間で説明を少し受けたけど、僕のように自分の意思では発動できない、解除できない異能力者は、特例として犯罪行為をしなければ捕まることはないらしいけど……。


「る、瑠璃? あのさ、とりあえず怒るのはやめて、早くお昼食べない? ほら、休み時間、もうすぐ半分過ぎるし」


 いつまでも終わらなさそうだったため仲裁に入った。


「いいこと、言う。豊花、正しい。姉さん、サイコ」


 いやいや、どう考えてもサイコなのは瑠衣、きみだよ。

 サイコなのは紛れもなくきみだ。


 あんなニタニタ嗤って危険な異能力を嬉々として実演するくらいだし。


「あんたねぇ……はあ、わかったわ。お昼にしましょ。だけど、もう二度と異能力は使わないって約束しなさい。OK?」

「JK、姉さんは、JK2」

「……」

「うそうそ、わかった。約束する。姉さん、冗談通じない」


 今さっきまであんなに狂った表情を浮かべていたのに、瑠衣からはもう、あの狂気は消え去っていた。

 さっきまでの雰囲気が全く感じられない。

 まるで他人みたいに……。


「でも、豊花はやっぱ、女の子らしく、したほうがいい。そのほうが、いいと思う」

「え、そんなに変? 僕って言い慣れてるから、今から変えるのは結構無理があるんだけど……」

「あと、その、サイズの合ってない服じゃ、胸チラ。上から見ると、乳首がバッチリ」

「うっそぉ!?」


 慌てて下を向き胸元を確かめてみる。

 サイズが大きかったのか、たしかに上から覗くように見ると、さくらんぼが『こんにちは』と言ってくるような服装になっていた。

 少し崩れていた服装をただし、見えないように工夫する。


「ブラジャー、着けない、の?」

「そうね。いくら元は男だからって、ちょっとは周りの目を考えたほうがいいわよ。きっと、ずぼらがレベルマックスになったら露出狂で捕まりかねないし」


 葉月姉妹の挟撃がはじまる。

 いや、まあ、それに関しては……。


「胸になにか着けることなんて今まで一度もなかったから、違和感ありそうだし、ちょっとなぁ……」


 男時代の尊厳が残留しているのか、どこかで胸の下着には抵抗感があった。


「AだかBだか知らないけどさ、ブラしないと垂れるの早いわよ? ちっちゃくても垂れるものなんだし、一生女の姿で暮らすつもりなら、着けたほうがいいんじゃない?」

「た、垂れるの!?」


 こんなサイズで!?

 小さなみかんが2つぶらさがっているような軽い重さしかない、そのわりには違和感は拭えない、コイツらが垂れると仰るのか?


 と、瑠衣がとんとんと肩を叩いてきた。


「豊花、これからはこう。まず腕を、なよなよ振って、走って登校する。話すとき、自分のことを、『わたくし』って言う。地べたに座るときは、女の子座り。トイレに行くなら、『お花を摘みに』で。語尾は『ですわ、ますわ』で統一」 

「そんな女の子、一度も見たことないんだけど?」


 厳しすぎる『女らしさ』だった。

 というか本人からしてできていない。

 大和撫子と言われるような人でさえ、そこまでしないんじゃないかな?


「あっ、あと、化粧するの?」

「へ? い、いや、そんな、化粧なんてするわけないじゃないか」

「それ、凄腕のナチュラルメイク、じゃないの? 本当に、すっぴん? スキンケアとかは?」

「いやいやいや、わからないって。だから、つい先日まで僕は男だったんだって。いきなり化粧なんてできるわけないし、する必要性も全く感じない」


 着飾らなくてもかわいいのだから、肌を痛めると云われている化粧はわざわざする必要ないはずだ。

 自分贔屓な目線があるかもしれないけど、わざわざメイクの仕方を覚える気にはなれない。


「たしかに豊花なら化粧要らずよね、その顔。というより、瑠衣? そもそもあんただって他人(ひと)に言えるほど化粧してないでしょうが。欲しいって言うから化粧水やら乳液やら買い、欲しいと言うからマスカラファンデアイシャドーその他色々プレゼントしてあげたのに……あんた、すぐに使うのやめたわよね?」

「いや、怠いし、面倒。姉さん、知ってる? 学生が、化粧するの、肌の老化、早めてしまう。ほら?」

「なんで要らない物おねだりしたのよ、あんたってやつは!」


 どうやら、化粧しているのかと訊いてきた本人が化粧していなかったらしい。

 なんじゃそりゃ……。


「一応、化粧水、付けてる」

「そのくらい普通、誰でもするわよ……。私が言いたいのは、使わないなら化粧品なんてねだるなってこと」

「でも、社会人の化粧は、マナー。すっぴんは、マナー違反。働いてる、姉さんは、化粧してる?」


 ーーえ、そうなの?

 瑠衣が言うとおりだとすれば、社会人は化粧しなくちゃいけないみたいだ。


 化粧しないとマナー違反……なんだその謎ルール。

 自分が知らないだけで、実は男にも隠しルールとかあったりしたのかな?


「化粧くらいするわよ、失礼ね。そりゃあ、学校にまではしてこないけど。保護団体に行くときくらいしてるわよ」


 たしかに、言われてみると、異能力者保護団体で会ったときの瑠璃は、今より少し大人びていた気がする。


「姉さん、学生手帳、見たことないの? 校則に、しっかり、本校生徒は、化粧したらダメ、って書いてあるよ? 校則違反」

「いやら別に学校に来るときにしなきゃいいだけの話でしょ?」

「学生は、化粧ダメ。でも、社会人になったら、化粧はマナー。変」


 たしかに、学校では化粧してはいけないと煩く言われるのに、社会に出た瞬間、今度は化粧しなければ非常識扱いを受けるなんて、なんだかあべこべだ。

 そもそも、みんな誰に教えてもらって化粧を始めるのか、僕には見当もつかない。


 僕がもしもこのまま成長して社会人になったとして、化粧ができなかったら非常識人というレッテルが貼られてしまうのだろうか?


 内心、ちょっと焦ってきた。

 まさかそういった常識があるだなんて、今まで全然知らなかった。


「そろそろお昼終わりね。行きましょ、豊花」

「え、ああ、うん」


 瑠璃が手を差し出してきたから、思わず握ってしまった。

 立ったあとに慌てて、すぐに手放してしまったけど。


「それじゃ瑠衣? 問題起こさないようにしなさいよね?」

「はーい……ぐぅ……」


 ーーもう寝るんかーいっ!

 授業が始まるまえから既に入眠体勢に移る瑠衣を見て、ついつい頭の中で突っ込んでしまった。


「あれはいいの?」

「本当ならダメだけど……いいのよ、強い薬出されてるし。できれば真面目に授業受けてほしいけど、最悪、問題行動さえ起こさなければそれでいいわ」

「問題行動? 強い薬?」


 瑠璃は僕の疑問には返答せず、話をつづけた。


「豊花には、瑠衣と仲良くなってほしいの。あの子、異能力者なうえ、侵食率が上がっているせいか、たまにおかしくなるのよ。だからみんな怖がって、誰からも話しかけられなくて……ひとりも友達がいないの。だから」


 ーー同じ異能力者である豊花に、瑠衣の友達になってほしい。


 瑠璃はそう続けた。


 わざわざ昼休みに僕を誘って、一年のクラスまで連れてきた理由はこれか。

 元からあり得ない可能性だったけど、もしかして僕に好意があるんじゃないかという薄い期待が、ものの見事に裏切られてしまった。


 いや、まあ、そもそも女の子になっている僕に、同じ女である瑠璃が好意を向けるなんて、普通じゃ考えられないか。


 2年B組の前までたどり着くと、裕璃もどこからか教室に帰ってきていて、鉢合わせしそうになる。

 それを見ていた瑠璃は、いきなり僕の肩や背中をフレンドリーにタッチしてきた。


「また明日もお願いね?」

 と、裕璃にまで聞こえるような声で言うとーー。

「またね、“豊花”」


 そう言って自分の教室に戻っていった。


 ……なんだろう?


 裕璃を見た瞬間、急に僕に対して親しいアピールをするかのようにボディタッチを始めるし、なんだか“豊花”の部分を強調していたような気がする。


 それを見ていただろう裕璃の様子を窺う。

 なにか戸惑っているかのような、そんな雰囲気でチラチラ見てきていた。


 僕に視線を向けてはいるものの、なにかを言おうとして、やっぱりやめる、その繰り返しの動作をする。


 裕璃のことが、瑠璃や瑠衣と話していたからか、次第にどうでもよくなってきていた僕は、もう気にしないようにと教室に入った。

 椅子に座り、ふとした拍子に気づいた当たり前のことを思案する。


 今さら気づいた。当たり前の問題。

 今の自分は“身体年齢14歳の女の子”なのだ。


 ーーそれはつまり、いくら女の子と親しくなっても、友達までという事実。


 結婚相手は女性ではなく男性になるという常識。

 それすら忘れていた現実。


 今さらになって、バカでもわかるこんな“当然”に気がつき、少しだけ、ほんの少しだけ、僕は女になったことを後悔してしまった。 


 ……でも、例え冴えない男子高校生のままだったとしても、異性と恋愛できた可能性は0に近いだろう。

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