Episode60/別れは唐突にーー。
(98.)
「うわっ! ちょっと大丈夫なの、これ!? 落ちない!?」
瑠奈のちからで私と裕希姉は無理やり大空に引っ張りあげられ、空中飛行をはじめた直後、裕希姉は戸惑いと驚きの混じった声色で焦りを表す。
気持ちはわかる。私も最初は驚いたものだ。さすがに何回も繰り返していると慣れてくるもので、今さら驚きもしない。
しかし、裕希姉は初めてだ。
驚愕するのも無理はない。
下はまだ暑いが、上空は風が強く吹いていて寒さすら感じる。汗が湿り風が肌を切りつづけていると、風邪を引くんじゃなかろうかと気になってしまう。
「大丈夫大丈夫! 豊花のお姉さんと豊花って似てないね?」
瑠奈は飛びながら私と裕希姉を交互に見て言った。
「いや、だから異能力で姿が変わってるだけで、本当の僕は冴えない男子高校生だってば」
「ふーん? ま、いいや。そろそろ着くよ」
やはり空を飛ぶと物凄く早い。自家用ジェット機よりも便利なのではないだろうか?
実際、着陸できる場所が必要なジェット機やヘリコプター、飛行機などと異なり、普通に狭い地面でも着地できる瑠奈の能力は便利だ。しかも空中飛行はおまけみたいなもので、本来の能力は風を操る脅威的な能力。そう考えると、やはり異能力者よりも凄い存在だと実感できる。同時に、自分がリーダーとして的確な指示を出せるかどうか不安に思えてくる。
すぐに自宅のあるマンションに着き、目前で静止。直後、ゆっくり地面に向かって落下。いや、舞い降りたと表現するほうが正しいかもしれない。
着地すると、私たちはマンションの中へと入っていく。
「あのさ、ゆったー? いい加減、なにが起きてるのか、なにをしているのか、この娘が誰なのか、教えてよ」
「ええと……さきに謝っておく。ごめん……」
「どーいう意味?」
自室のある階層まで昇る途中、なぜ裕希姉が誘拐されたのか、僕は現状どうなっているのか、瑠奈はいったいどういう人物なのか……それらをかいつまんで説明した。
「ええ……? 暴力団みたいな組織に属したって……異能力者保護団体を辞めたって……いったいどうしちゃったの?」
「こうするしかなかった……最初は金沢って奴から幼馴染みを助けたこと、僕の勝手で幼馴染みを無視してしまったこと。これらが重なって、今の状況におかれてるんだよ……ごめん」
「謝られてもなー……で、私はどうすればいいの?」
「それを帰宅後、母さんや父さん、ゆきや瑠奈と一緒に相談する」
と言ったところで、ふと気づいた。
「いきなり呼び捨て? 本当どうしちゃったの?」
「い、いや……裕希姉とは別のゆきって娘が、いま自宅を守ってくれてるんだ」
考えてみると、裕希姉とゆき、名前が一緒じゃないか。ややこしい。
今までずっと裕希姉って読んでたから、名前が裕希姉に固定されてゆきとは別名に考えてしまっていた自分がいる。ギリギリ自覚できてよかった……。ゆきには名前の漢字がないか、あとで教えてもらおう。
玄関を開けて帰宅すると、すぐに母さんが顔を出した。
「大丈夫だった? 怪我とかしてない? 心配したのよ!?」
「ごめん。父さんやゆきも含めて、みんなをリビングに呼んでくれない? すぐにでも、これから僕たちがどうしていくのか会議したいんだけど」
「それなら皆リビングにいるけど……危ない事はやめなさいよね? 母さん、あまりの事態が重なって、心臓が止まりそうなのよ?」
「ごめん……瑠奈、裕希姉、これからしばらく、どう生活してくか会議するから、リビングにいったん来て」
「わかったけど、ゆったー、私はまだいまいち納得してないからね」
「おっけぃ」
裕希姉と瑠奈は頷き、皆でリビングに足を踏み入れる。
家族会議みたいな行為が行われることになる。考えてみれば、家族会議なんて、私のロリ系凌辱物の成年コミックが母親に見つかったとき以来だ。
……たしかに未成年で18禁ものを買うのはダメだけど、それで家族会議を開くとか、どんだけ男子高校生に理解がないんだか……いやいや、過去を振り返り羞恥心に苛まれている場合じゃない。
リビングには母さんの言うとおり、無言で煙草を吸っている父さんと、これまた無言でテレビを見ているゆきがソファーに座っていた。
「帰ってきたか。無事でよかったよ」
「うん、ごめん……父さん。ちょっとこれから家族会議を開くから、テレビは消してほしい。これからの事を考えた、真剣な相談だから」
「わかった」
父さんはリモコンを取ると、一応ゆきに対して『消しても構わないか?』と訊き、ゆきが頷いたのを確認してからテレビを消した。
それぞれ、ゆき、瑠奈、裕希姉、母さん、父さん、そして私の六人がリビングで一同を介した。それぞれソファーに座ったり、座りきれない僕や瑠奈は佇んだりしている。
「まずは父さん。悪いんだけど、会社を有給つかって休んでほしいんだ。今のメンバーだと全員を護衛できない」
「待て。一日、二日は休めるかもしれない。だが一週間以上も休める仕事じゃないぞ? 有給がいくらあろうと、体裁というものがある。それに新しい部下も入った。職長ーー親方が休んだらパイプの溶接が間に合わない」
「ごめん。なるべく早く手だてを考えるから、なんとか言い訳を考えて、それまで休んでほしい」
「……わかった。話を聞くかぎり、たしかに外出するのは危険みたいだからな。どうにか上に連絡しておくよ」
「ありがとう、父さん。で……次は裕希姉と瑠奈」
僕は裕希姉に目線を移す。
「私も休めって? 私だってアルバイトがあるし、大学を休みまくったら単位が足りなくて留年しちゃうんだけど、わかってるの、ゆったー?」
「うん。重々承知してるよ。だから」僕は瑠奈に目を向けた。「裕希姉には普段どおり大学とバイトには行ってもらう。ただし、護衛として瑠奈に付き添ってもらいたい。瑠奈は裕希姉と共に行動して、なにかあったらすぐに助けられるよう常に裕希姉を見守っていてほしい」
「おっけぃ。男の護衛は嫌だけど、裕希っちは女の子だから苦じゃないよ」
「それなんだけど……」
話はまだ終わっていない。僕は先急ぐ瑠奈に対し、まだある、と言葉をつづけた。
「裕希姉をしばらく護衛したら、今度は裕希姉に休んでもらって、瑠奈には父さんの護衛を頼みたいんだ」
「えー? 野郎の護衛ー?」
「悪いんだけど、お願い。いや、お願いします……」
「うーん、まあ、仕方ないけどさ……それに豊花が今はリーダーだし、指示には従うよ。逆らったら後でさとりんにどやされちゃう」
「ありがとう」
で、さらにーーと話をつづける。
「自宅にはゆきに護衛してもらう。ゆきはゆきでも裕希姉じゃなく、その子のことね?」
私はゆきを指し示す。
「こんなに幼い子、大丈夫なのゆったー?」
裕希姉の疑問はもっともだ。だけど、ゆきの実力は過去に見せてもらっている。少なくとも父さんや母さん、裕希姉の数十倍は戦闘力があるだろう。
「大丈夫。ゆきは外見とは正反対の異能力者だから。ゆき、試しになにかしてみてくれるかな?」
ゆきは静かに頷くと、テーブル上にたまたま置かれていた十円玉を人差し指と親指で挟む。それを、あろうことか意図も容易く真っ二つに折り曲げたみせた。
「あ、ああ……凄いのは理解したよ」
父さんは目を見開き驚愕する。
そんなこともできるの?
どんだけ怪力なんだこの娘は……と私も一緒に驚いてしまう。
「豊花、あんたも休むの?」
「いや……僕は登校するよ。異能力があるから自分の身は自分で守れるんだよ」
それに、瑠璃や瑠衣が心配だというのもある。
いや、むしろそっちが気になって仕方ない。
瑠璃たちも登校するのだ。
正直、瑠美さんやありすだけで何とかなるのか心配でしょうがない。
「危ないんだから豊花も休みなさい」
母さんが口を挟む。
「ごめん……なにかあればすぐ連絡するようにするから。母さんたちも、なにかあったらすぐ僕に連絡して」
「……わかったけど、母さん本当に心配してるのよ……?」
昔から母さんは過保護気味だけど、今回は心配するのが当然だろう。だから頼むしかない。そして、自分だけで行動する理由は他にもあるのだ。
私という餌に群がる敵対者を炙り出し処分していく。それを繰り返すうちに、沙鳥たちが追っている真実の愛の組織体制や、叶多の居場所や動向が突き止められるかもしれない。
自分の命は最悪捨ててもいい。
けれど、動かなければ防戦一方。家族だっていつまでも自宅に軟禁状態というわけにはいかない。だから、早めに敵を見つけ出したい。
叶多を何とかして、平穏を取り戻すのだーー。
(99.)
緊急家族会議が終わり、皆を納得させると、ゆきを連れて自室に入った。
瑠璃の家とは違い最低限の部屋しかないため、ゆきは私の部屋、瑠奈は裕希姉の部屋にしばらく泊まる事となった。
この部屋別けは考えた末の分割だ。
これからしばらく瑠奈と行動を共にする裕希姉は、瑠奈と互いの仲を深めてもらう為に。私はほとんど会話したことのないゆきと親睦を深める為に。そういう意図での配置だ。
ユタカもそう思うよね?
……。
…………。
………………え?
ゆ、ユタカ?
おーい、ユタカ?
いつもは話しかければ返事をしてくれるユタカが、なにも返事をしてくれない。
さっきの暴走に怒っているのだろうか?
妙な胸騒ぎを覚える。
ユタカ? ねえユタカ! ちょっと聞いている!?
まるで、最初からいなかったかのように言葉は帰ってこない。
まさか……同一化を……してしまった?
サーっと血の気が引く。
でも、ユタカと私が同一化したのなら、なにかしら変化が見られるはずだ……。
それがない以上、まだ私とユタカが融合したとは……あれ?
「い、いつの間に私は、私と自称していた?」
嫌な予感がどんどん誇大化していく。焦りで気持ち悪くなる。
「?」
ゆきは不思議そうな瞳をこちらに向けてくる。
待て……待て待て待て待ってくれ!
「ステージFになったなら、なにか変化があってもおかしくない……例えば男体化できるとーー」
男体化ーーと口にした瞬間、意識がプツリと途切れる。
すぐに意識を取り戻した僕は、ベッドに倒れ込んでいた。
「え……?」
股に懐かしい気配を覚える。
それに、さっきまで私と自称していたのが、勝手に僕と自称し、さらに違和感もなくなっている。
もしや……と考え、洗面所の姿見を確認しにいく。
「ぇ……ぼ、僕だ!」
姿見を見ると、そこには懐かしい男の姿ーー少し前なのに、だいぶ過去に思える冴えない男子高校生の姿が映っていた。
男がワンピースを着ていて気色悪い。
「もしかして……」
僕は先ほどと同じように倒れたら危ないと考え、女に変わろうと念じる。
しかし、なにも変わらない。
「え? まさか女体化はできなーー」
寸刻、意識が途切れる。
いつの間にか床に仰向けで倒れていた。
すぐに鏡を見ると、そこには元の美少女である私の姿が映っていた。
「男女の入れ替えが、自発的に可能になった……のか?」
待ちに待った異能力の進化。
男か女か、入れ替わりを自発的にできるように成長していた。
おそらく条件はーー男になりたいなら男体化と、女になりたい場合は女体化と、実際に口から声に出すこと。
思考ーー。
さきほど男に戻ったとき、自称が僕になり違和感を抱かなくなっていた。
今まで半ば無理やり僕と自称していたけど、男に戻るとスンナリ僕という自称できていた。
逆に、女の子になった今は自然と私と発言してしまう。
さらに言えば、精神状態にも違和感があった。
思考・直観・感覚・感情、念じた精神を強化するという異能力は、おそらく女体化時にしか行使できない。
試してはいないが、そういうように思える。
僕の勘は、未来予知と思えるほど当たる。
つまりは、そういうことだろう。
私は自室に足を運ぶ。
念願が叶ったのだーー。
これでいつでも、男の私に戻れる。
なのに……どうしてだろう?
妙な孤独感を覚え、無性に泣きたくなる。
わからない。
ユタカがいなくなったーーその事実がやたらと悲しい。
多分、倉庫で暴走気味になり異能力を使いまくってしまったせいだ。
別れの言葉もなく、おそらく倉庫から出る辺りで、ステージFに移行した。
ユタカと豊花(僕)が同一化したのだろう。
ユタカと四六時中いるのが当たり前になってきていた私は、唐突な別れにショックを受ける。
それは、私が暴走したせいで早まったと考えると絶望すらしてしまう。
いきなりのユタカとの別れに、瞳に涙が滲み出してくる。
倉庫の中では普通に会話していたユタカはーーもういない。
もしかしたら自意識のある私も豊花ではなく、豊花という人物も既にいないのかもしれない。
ーーなら、今の自分はいったい誰?
涙が流れそうになるのを必死で止める。
違う。違う……!
ユタカは言っていたじゃないか。
同一化は融解、つまり豊花もユタカもまだここにいる。
だから、悲しむことなんてなにもない。
それより、今は目の前の事象にかまうべきだ。
少しだけ男に戻れるのなら戻るか悩んだが、すぐに首を振り考えを改める。
女体化時でないかぎり、異能力は使えない。
つまり、感覚・直観・感情・思考を強化する異能力が女体化時ではないと発揮できないということだ。咄嗟のトラブルに対処できなくなってしまう。
それは困る。自衛ができなくなってしまう。
今のピンチが終わるまで、女体のままでいるべきだ。
それにーー。
男の私を瑠璃や瑠衣が見たら、幻滅してしまうかもしれない。
そして、愛のある我が家は男性メンバーを加入させないというルールもある。
それらを考えるに、まだ女でいるべきだ。
……沙鳥には、問題が片付いたあとで報告しよう。
何はともあれ、いつでも男に戻れるとわかっただけでもありがたい。
自室のドアを開けると、ボーッと宙を眺めるゆきが座っていた。
そういえば、一応訊いておこう。
「ねえ、ゆき? ゆきって名前はどういう漢字で書くの?」
「ん……? ……六と花、で六花。読みにくい当て字だから……平仮名でいいよ……?」
ろ、六と花ぁ?
どう読めば、それでゆきと読めるのだろうか?
キラキラネームに近しいものを感じる。
「まあ……」僕はベッドに腰かけた。「六花、これからしばらく、家族をよろしくね」
「ん……」
名前なんてどうでもいいか。
まずは目の前の問題からだ。
平和と自由を取り戻そう。
冴えない男の僕に戻って生活するか、美しい私のままで生活するかーーそれは今の事態が解決してから考えよう。




