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前代未聞の異能力者~自ら望んだ女体化だけど、もう無理!~(旧版)  作者: 砂風(すなかぜ)
第四章/杉井豊花【破】
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Episode53/愛のある我が家(前)

(87.)

 僕は瑠璃たちに別れを告げると、その足で愛のある我が家に向かった。

 正規構成員として加入した僕は、今日から愛のある我が家に赴き、裏稼業の仕事を手伝うことになっていた。

 しかも、今週は毎日、学校帰りに寄らなくてはならない。


 電車に乗り数駅離れた川崎市の街に降り立った僕は、例のコンビニに入った。

 迷わずレジに向かい「299番」と煙草の欠番を店員に告げると、特になにも言われずカウンターの中へと促される。

 以前よりも店員は表情を変えなかった。

 おそらく三回目になる僕の顔を覚えたのだろう。前回と同じ店員だし、特別気にならなくなったのだと自己完結した。


 201号室のチャイムを鳴らすと、しばらくしてから玄関が開く。


「お待ちしておりました、豊花さん」


 沙鳥が玄関を開き僕を招き入れた。


「ど、どうも……」

「これ、渡しておきますね」


 と、沙鳥からこの部屋のものらしき鍵を手渡された。

 これからは自由に出入りしてくれということらしい。

 沙鳥は僕の心中を読んだのか、こくりと頷くと「一部の部屋以外はすべてその鍵で開くようになっておりますので、なくさないよう注意してくださいね」と言ってきた。


「あ、可愛い娘ちゃんーー豊花ちゃんじゃん。今日からわたしたちの仲間なんだってね! 仲良くしよう!」


 両の手のひらをわきわきさせながら、瑠奈は楽しげに言った。

 室内には、今のところ瑠奈と沙鳥しかいない。他のひとは何処かへ出かけているんだろうか?


「舞香さんは貸し金の回収。翠月さんは売春倶楽部の運営。澄さんは遠征しており不在。六花(ゆき)さんはソープで不祥事を働いたお客様を懲らしめに行っています。朱音さんは裕璃さんの様子を見に行ってもらっています。どうやら抗不安薬(ジアゼパム)が切れると同時に激しく唸り錯乱したとのこと。頓服ではなく常用薬を渡すためにも動いております。場合によっては抗精神病薬(メジャートランキライザー)も試します」


 なるほど。

 皆それぞれ担当する仕事があるのだから、当然といえば当然か。

 それにしても、やはり裕璃が落ち着いていられたのは、薬ーー抗不安薬(ジアゼパム)のおかげであって、薬効が失せたら激しく錯乱する程の状態なのか。


「さて。早速ですが、豊花さんには今日、瑠奈さんの仕事に付き添ってもらい、我々が普段どのような活動をしているのか、見学してきてください。もちろん、協力できそうなら手を貸してくださってもかまいませんよ?」

「瑠奈の仕事……」


 たしか、覚醒剤の密売だっけ?

 早速、いかにも危険な内容の初仕事がまわってきたものだ。

 とはいえ、暴力沙汰には一番ならなそうな仕事が初仕事になるというのは、ある意味ラッキーなのかもしれない。


「瑠奈さん。先ほど言ったとおり、きょうは不祥事を働いた売人の制裁と、いつもの売人のお客様に100gの覚醒剤を売りに向かってくださいね?」

「わかってるってばー。さとりんは心配性だなぁ。小さなおっぱい揉んじゃうよ?」

「……おっぱいがない貴女にだけは言われたくありませんね。さあ、もう時刻もとっくに四時を過ぎていますので、急いでください」


 ん……?


 なんか、今しがた不祥事を働いた売人への制裁、とか聞こえなかったか?


 いや、いやいや。

 不祥事を働く客への制裁は六花(ゆき)の仕事だと言っていたばかりじゃないか。きっと、なにかの聞き間違いだ。


「何時待ち合わせだっけ?」

「五時半です」

「そんじゃ、先に売人へ違反した行為の罰を与えに行っても間に合うね! それじゃ早速行こう、豊花ちゃん」

「う、うん……」

「ちょっとお待ちください」と、玄関に向かおうとした僕を沙鳥が引き留める。「そのままの格好ではいろいろな意味で危険です。貴女の学校に犯罪者がいるなんて噂が立つかもしれませんし、写真でも撮られたら大変でしょう」


 沙鳥は言いながら、部屋の隅にある箪笥をごそごそ漁り、中からドレスのようにきらびやかなワンピースを取り出した。それをそのまま僕に投げ渡す。


「え? ええ!?」


 これを着て仕事しろと?

 きらきら輝く美少女にしか似合わないような、漫画に出てくるかもしれないレベルの衣装に着替えろと!?

 余計目立つじゃないか!


「はい、そのとおりです。さあ、ここには女性しかいません。気にせずさっさと着替えてください。制服よりマシです」

「……はい」

「あと、こちらもお持ちください。護身具です」


 と沙鳥からナイフも手渡された。

 なんだか最近、僕=ナイフの図式ができているようにしか思えない。

 まあ、万が一という可能性もある。

 僕は沙鳥からそれを受け取った。


 問題は……このファンシーなワンピース。


 着るのに抵抗を覚えるけど、たしかに制服のまま行くのはまずい。

 とはいえ、既に急かされている最中、別の衣服を要求するなんて度胸、自分は持ち得ていない。

 しぶしぶ承諾し、瑠奈と沙鳥に見られながらも、僕は制服からきらびやかなワンピースに着替えたのであった。






(88.)

「まず最初の仕事は、覚醒剤(アイス)に混ぜ物した挙げ句、愛のある我が家産だって騙って密売した奴へのお仕置きーーって豊花ちゃん、聞いてる?」

「う、うん。聞いてるけど……」


 思った以上に恥ずかしい。

 心なしか、こちらを二度見してくる頻度がいつもの五割増しに思える。自意識過剰だろうか?


 おそらく原因は僕だけじゃないーー瑠奈も僕に引けを取らない相当な美少女だーーけど、そんな二人が仲良く歩いているからこそ、余計目立っているんじゃなかろうか。


 というか。


「あのさ……空飛べば一瞬で着くんじゃないの?」


 愛のある我が家を出てから気になっていた事柄を僕は訊いた。


「まあ、そりゃそうなんだけど……沙鳥から無造作に空を飛ぶなって言われてるんだよね。あまり空を飛んで移動しまくると目立つでしょう? だってさ。さとりんったら頭固いよね~」

「あはは……」


 たしかに、普段から上空で人影があっちへこっちへ飛んで移動していたら、一般市民の目にも、警察にも、異能力者保護団体にも、あれはなんだと疑われてしまう。


 それにしても……やっぱり聞き間違いじゃなかった。

 まずはヘマした売人への制裁らしい。


 そこから歩くこと十分弱。

 意外と近場にあるアパートのチャイムを瑠奈は鳴らした。

 しかし、チャイムを鳴らしても、一向に誰も出てくる気配がない。

 しかし、中から男性がぶつぶつ呟く声は聴こえている。

 誰かがいるのはたしかだ。


 居留守?


 それとも、訪ねてきたのが愛のある我が家、もしくはそのなかでも狂暴な瑠奈だと把握していて、あえて居留守で出ないつもりなのだろうか?

 だったらぶつくさ呟くなよと言いたい。

 居ることがまるわかりだ。


「はぁ……出てこい! 糞野郎!」


 瑠奈がいきなり怒鳴る。

 怒鳴ったかと思えば、瑠奈は手刀をつくり狂風を纏わせ、それを玄関に思い切り叩きつけた。

 左右上下に手刀で切ったと思えば、玄関は容赦なく切断されバラバラに崩れ落ちた。


 部屋の中には、見知らぬ小汚ないおじさんがひとりだけだ。

 覚醒剤らしき物を、小型のチャック付きビニル袋ーー通称パケに詰めている真っ只中だった。

 覚醒剤とは別のなにか透明な結晶や粉もテーブルに置いてある。

 瑠奈はその男を睨みつけた。


「な、なにをするんだ!?」


 男は突然の出来事に怒り狂い、瑠奈を睨み返しながら怒声をあげる。


「なにって、わたしたちの商品にふざけた真似をした奴を罰しに来たんだよ」


 瑠奈はキレ気味の口調で、男性にそう告げた。


「ふ、ふざけた真似……?」


 男性はなにを言われているのかわからないといった顔を数秒浮かべたあと、テーブルの覚醒剤ではない物をチラッと見やると、途端にハッとして顔色が真っ青に染まる。


「苦情がこっちにまで来てるんだよ。てめぇ、許可なくうちのブランド名出した挙げ句、混ぜ物なんてつまらねぇ真似しやがって。しかもそれカルキ抜きか? ひでーよな? ケジメ付けなきゃいけねーよな? ねえ、豊花ちゃん?」


 キレ気味の瑠奈に対して、僕は何と返事をすればいいのか困り、戸惑ったまま固まってしまった。

 これからいったい、なにをするつもりだろう?

 この男性に、いったいどのような罰を下すというのだろうか?

 僕は困惑と好奇が混ざった感情で、ただただその情景を見守っていた。


「ひっ……!」


 男性は小さな悲鳴を口から漏らし、ガタガタと震え始めた。

 瑠奈が恐ろしい人物だと承知しているのだろう。

 そうじゃなければ、中学生にしか見えない二人組相手に対して、こうも誇大な恐怖心は抱けない。


 男の額から冷や汗が流れ、頬を伝い、やがて、地面に垂れた。


 ーー瞬間、男は瑠奈ではなく僕に向かって走り寄ってきた。


 瑠奈のことを知っていても、僕のことは見たことがない。

 当然だ。愛のある我が家の仕事(シノギ)にガッツリ関わったのは今日からだ。名も噂も広まってはいない。


 無害そうな僕を捕まえるか、押し退かして逃避するか、どうにかしようと考えたのだろう。


 直感が冴えてきた。


 僕を掴まえようと両手を伸ばそうとしているのは視界からわかる。

 僕は男性の両手を素早く避けつつ、同時にナイフを取り出し手に握る。

 そのナイフを、脅しのつもりで軽く左右に振った。

 牽制のつもりだった。


「……っ!」


 しかし、軽く当たってしまったようで、男の右手から血液が滴り落ちる。


「さて、どんな制裁が必要だと思う?」


 僕は瑠奈に訊かれる。

 そんなこと言われても困る。

 まだ、なにがなんだかわからない。


 混ぜ物が発覚したことと、勝手に愛のある我が家の名前を使った罰が、いったいどの程度のものなのか、僕には未だに理解できていない。


 そもそも混ぜ物が悪だとわかったが、覚醒剤に混ぜ物するメリットなど思い浮かばなかった。

 少し思考し、ようやく少量で高値で売るためだと数歩遅れで理解できた。


 その様子を見ていた男は、再び僕に向かってやってくる。

 今度は玄関から外に飛び出そうと考えたのか、思い切り拳を大きく背後にやり、それを僕に向かって振り下ろそうとする。


 直感がなくても、どこを殴り飛ばそうとしているかがバレバレなほどの大振り。

 舞香やありすから少し稽古をつけてもらっただけの僕でもわかる。

 実戦なんて数えるほどしか経験していない僕でさえわかる。


 戦いに慣れていないことが……。


 でも、再びナイフで切るのはあれだしなぁ……。

 少し遠慮し、拳が来るだろう位置にナイフの刃先を向ける。

 相手は驚くと、反射的に拳を静止させ振り戻し数歩下がる。

 今度はナイフが当たらずに済んだらしい。


 男は、何者なんだ?

 こいつは一体なんなんだ!?

 ーーそう言いたげに表情を驚愕に染める。


 そんな相手に対して、瑠奈は「とりあえず、罰として二つね?」と短く相手に伝えた。


 瑠奈は狼狽して固まっている男の顔面を無造作に掴む。


 やがて、140cmほどの背丈の一見か弱い少女の姿からは想像できない行為ーー男性を振り回し壁に頭を思い切り叩きつけた。

 寸刻、瑠奈から強く狂っている風が辺りに発生し、逃げ場を探す強風たちが玄関から外に吹き抜けていく。


 なるほど。

 精霊操術師の力ーー風の力を使って壁へと叩きつけたのか。

 その壁にはヒビが入り、男性の頭が壁にめり込んでいるのではないかと心配になる。

 それを目の当たりにして、やはり瑠奈は見た目とは裏腹に怖いヤツだと再認する。意識に刷り込まれる。


 肝心の男性は、血塗れで壁から離れ地面に仰向けで倒れ伏した。

 顔面が血で染まってしまっており、ピクピク痙攣しているものの意識はほとんどないように思えた。

 そんな相手を、瑠奈はさらに軽く蹴り飛ばす。


「もう二度とおまえにはネタを供給しないから。もしも次、愛のある我が家の名前を出してみろ?」瑠奈はさらに男の腹部を足で踏みつけた。「おまえを単なる肉塊の達磨にしてやるから覚えとけ」


 瑠奈は、意識がまだあるのか不明な相手に、生きているのかすらわからない男に対して、怒声に近い声色でそう告げた。


「さっ、ささっと次行こう!」


 瑠奈はさっきまでの恐ろしかった表情を穏やかにさせて、そう言い僕の肩を叩いた。


「は、はい。いや、うん……わかった」


 もうこれで、この男に対する制裁は終わったのだろう。

 瑠奈は一仕事終えたといった顔色をしたまま、壊れたーーいや壊した玄関の敷居を跨ぐと外へと出た。

 僕は背後の惨状をチラ見したあと、不安になりながらも、すぐに瑠奈の後を追うのだった。






(89.)

 今度の目的地は、なんと空を飛べなければ電車でしか辿り着けない場所。駅のホームに出た瞬間、目の前に汚い海が広がる駅に隣接している公園だという。

 なんという面倒くさい場所指定。


 どうやら、向こうも自宅および薬物の隠し場所は知られたくないらしく、定期的に依頼が来ると、毎回ひとけが少ない場所を指定してくるらしい。


 なら、愛のある我が家に呼べばすぐ済むのにとも思ったけど、愛のある我が家側も自らの住み処(アジト)を知られたくないのだと推測した。


「まったく、沙鳥さえ許可してくれれば、あんな場所ひとっ飛びで着くのに」

「ま、まあ落ち着いて……」


 瑠奈が言うには、沙鳥から『瑠奈さんが空を飛んでいいのは、事情を知らないヒラの警官に捕まりそうになったとき、または緊急時だけです』と念を押されているらしい。

 川崎駅から乗り継いで鶴見線まで行く。目的地が終点になっている電車に乗り、少し時間が経過すると電車は走り出した。


「今から行く駅って、どんな場所なの?」

「えっと、駅から外に出られない駅」なんじゃらほい。「社員以外は、だからね? あそこにある会社の為に作られた駅だからさ、人出も少ない。近くに観光用に作られた小さな公園があるんだけど、今回落ち合うのはその駅内に隣接されてる公園」

「はあ……観光用? 公園?」


 どのような駅なのか疑問は絶えない。

 これだけしか電車を乗り継いでいない場所にあるというのに、僕は今までそんな駅があるだなんて全く知らなかった。

 まあ、調べようともしていなかったけど。


 目的地の駅に到着するとドアが開く。

 そこで目に映るのは、駅のホームの向こう側すぐに在る海と、幾つもの工場が立ち並ぶ風景だった。


「ここは海に近いだけあって、潮風が心地良いね~。わたし自ら生み出す風も好きだけど、自然の力で吹く風はもっと大好き」

「いやいやいや、海が近いってレベルじゃなくない? 目の前だよ?」

「一番好きな風は春一番、二番目は木枯らし、三番目は空っ風。四番手からは薫風、寒風だけど、熱風だけは好きになれないんだよね~」


 瑠奈は驚いている僕をよそに、勝手に話をつづける。


 そのままホームの先へと目指し歩く。

 改札には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれているが、その傍に関係者以外でも立ち入りできるようになっている小さな公園が解放されていた。


 瑠奈はその中に入ると、『禁煙』と書かれていた気がするのに、ベンチに座るなり平然と煙草を取り出し口に咥えるなりライターで着火した。


 うわぁ……似合わねぇ……。


 一見清楚に見える美少女の中学生が、当たり前のような顔つきで、煙草を美味しそうにスパスパ吸う姿なんて……見たくはなかった。

 ギャップが凄くて違和感を抱かざるを得ない。


 禁煙場所なのに、人が少ないからか、さして気にする様子も見せず、お世辞にも綺麗とは言い難い海を眺めながら、瑠奈はタバコを吸いつづける。

 こういう瑠奈みたいな喫煙者がいるせいで、まともな……例えばうちの父親のような喫煙者の肩身が狭くなっていくんだ。


 ーーと。

 そこに、一瞬ギョッとするような怪しい姿の男性が近寄ってきた。

 黒マスクで口と鼻を隠している、黒いニット帽を被った半グレ風のお兄さんが急ぎ足で歩み寄ってきたのだ。


「姐さんちっす。これ、今回分の金です」


 意外や意外、見た目では明らかに半グレ兄貴風の男性のほうが厳ついのに、瑠奈に対してはやたらへりくだって頭を下げている。


「豊花、一応180あるか確かめて」瑠奈は渡された封筒を僕に押し付けるように手渡してきた。そのまま半グレ兄さんに。「はい、これが今回のネタだよ」


 瑠奈は小さめの鞄の中から、周りからなにが入っているのか判断できない黒いビニール袋を差し出した。

 気になりチラリと横目で中を見てみると、透明な結晶が相当な量入っているのが目に入る。


「もう帰っていいよ。ただし、金額が足りてなかったら容赦しないからね? 今さっきも混ぜ物しやがったクズの顔面真っ赤に染め上げてきたところだし。混ぜ物もやめろよ?」

「肝に命じておきます。では……」

「うん、じゃ、また」


 瑠奈と半グレ風男性が談話を交わし別れを告げる。

 やがて、きちんと万札が180枚入っていることを確認し終えた。

 札束なんて数えたことないから、誤りがないか不安で仕方ないけど……もしやミスって179万円以下しかなかったら、今度は僕の顔面が朱色に染まりはしないだろうか?


「る、瑠奈。多分、ちゃんとあるよ」


 封筒の中には、きちんと180万円封入されていると瑠奈に伝えた。


「ん、ありがと。まっ、帰りの電車は結局あの売人と同じだし、急ぐ必要はないよ。まだ電車来ないし」


 瑠奈から「ここで少しノンビリしようよ」と提案された。

 瑠奈は再びタバコを唇に挟むと、それをぷらぷらさせながら煙草の箱の入り口から一本煙草を飛び出させたあと、それを「んっ」と僕に向かって差し出してきた。


 煙草のパッケージには英語で平和と書かれており、その上にはオリーブの葉を咥えた小さな鳥の姿が描かれている。

 背景の色は、ほとんど黄色と言っても間違いではない程度のクリーム色をしていた。


 一本吸えと勧められているのか?


 いや、でも……。


「あの、僕はまだ未成年だし……」


 と断るための返事に対して、瑠奈は噴き出し笑う。


「シャブの密売やったばかりなのに、煙草一本にビビるって度胸なさすぎじゃん! ほらほら? 煙草くらい吸えないと。これからもっとつらい出来事に巻き込まれるかもしれないよ? 煙草にビビってちゃ愛のある我が家のシノギに着いてけないよ?」


 頭にカチンと来た。

 別に僕は煙草にビビっているわけじゃない。

 煙草を吸う理由もないし、健康に悪いし周りにだって危害がおよぶ。法律でも禁止されている行為だからだ。

 単純に吸いたくないだけだと伝わらなかったのだろうか?


 ただ……。

 たしかに、瑠奈の言うことも一利ある。

 煙草なんかよりも、もっとヤバいブツを売買したばかりだ。

 明日からも愛のある我が家の仕事はこなす。

 法律違反や健康害がなんだっていうんだ。


 別に恐れてはいない!


 煙草くらいなんだっていうんだ。

 みんな吸っている程度の物だろ?

 しかも二十歳になれば合法で……。


 僕は妙に意地になってしまい、瑠奈から差し出された煙草を一本だけ引き抜くと、それをそのまま口に咥えた。


「そうこなくっちゃね?」


 瑠奈はライターを取り出し煙草の先端に火を点けながら息を吸うと、そのまま肺まで吸ったあと煙を吐いた。

 煙がもくもく僕にまで広がり、やたらと煙たくなる。

 それに……うーん、やっぱり臭い。


「ほら、豊花ちゃんも」

「ちゃん付けはやめてほしいんだけど……」瑠奈からライターを渡される。「ええっと、たしか」


 僕は瑠奈の真似をして、煙草を口に咥えたまま先端に火を点し、そのまま勢いよく煙を吸った。


「がふぁー!? げふォっ!? ゲホゲホッ、ゲーッ! かはっ、かはっ、はーはー……な、なにこれうっ!」しばらく咳き込む。「はぁはぁ……き、キッツい……頭がくらくらして、気持ち悪い……吐きそう」


 口も喉も肺まで煙を拒絶しているかのような衝撃が、一瞬で全身を駆け巡った。

 脳にまで到達し、頭がくらくらしてきて、吐き気がしてきて止まない。

 濃いニコチンの臭いが口内にまんべんなく広まるなりへばりつく。煙草の味は消えてはくれず、次第に気持ち悪さだけ増していった。


「あー、考えてみれば、初めての相手に吸わせるような煙草じゃなかった。めんごめんご」

「は、初めての相手? はぁはぁ、初心者用とか、あ、あるの?」


 うう、口内のニコチン臭が消えなくて気持ち悪いままだ。吐き気すら覚えてくる。


「いやないけど。ただ、普通は多少咳き込むくらいで、そんなんにはならないよ。それなのに気持ち悪くなるレベルまで拒絶反応を示すのは、きっとわたしの愛()してる銘柄のせいだと思う。重いやつだからね。悪かった! 許してちょんまげ!」


 謝罪にまったく誠意が感じられない。

 だいたい、ちゃんまげって……。

 銘柄?


 そういえば、父さんが愛用している銘柄を気まぐれで見たとき、タール6mgとか書かれていたっけ。

 あれと同じくらいなのを吸わされたのか?


 だとしたらキツいに決まっている!

 いきなりそんなにキツいのを渡してきたのかこの子は……あまりに酷い罠だ。

 1mgのもたしかあるはずでしょ?

 低用量にしてほしかった……。


「一応、訊いておくけどげほっ! ……はぁはぁ、それ……どれくらいタールが含まれてるの?」


 吐き気も気持ち悪さも口内の不味さも、治まることを知らない。

 口内に煙草が居座り引きこもりになったように、不味い風味が取れない。今すぐうがいしたい。


「え? なんmgだったっけ? えっと」瑠奈は自分の煙草のパッケージを真横に立て、そこに書かれた文字を見つめる。「あー……えっと、21mgだよ」

「殺す気か!?」


 思わず突っ込んでしまった。

 ニコチン殺人事件でも起こす気か!?


「でも肝心なのは味だから。自分に馴染む味なのかが一番肝心。旨いと感じられればタール値なんて何の指標にもならないよ? 濃くても薄くても体に悪いのは変わらないし。だからわたしのせいじゃないもん。わたしの愛飲してる銘柄が合わなかった豊花のせいだよ?」

「そんなの知らないよ!」


 タール値が関係ない?

 今まで喫煙してこなかった人間に21mgをいきなり吸わせても、味さえ合えば咳き込むことも吐き気もなかったと?

 毒物じゃないか!


 どう考えても一度も煙草など吸ったことのない相手に喫煙させる銘柄としては、完全にミスチョイスじゃないか!


 仮に瑠奈が言うとおりだとしても、なら決めた。


 決めた。

 もう、決めた。

 二度と煙草なんて吸うものか!


 こんな気持ち悪くなるだけの毒物を、どうして皆、好き好んでスパスパ吸っているのか、なおさら理解できなくなった。


 ファミレスの禁煙席が増えたり完全禁煙になったり、喫煙スペースが縮小されたりーー当時は喫煙者も可哀想だなと少しは同情していたけど、瑠奈のせいで、そう思うことは二度となくなるだろう。


 地球上全面禁煙スペースにすればいいんだ。

 こんなもの……。


「あっ、ほらほら、そろそろ電車が来る頃だからホームに戻ろう。煙草に関しては謝るからさ」


 瑠奈は携帯灰皿に煙草を押し当て火を消しながら言う。

 僕は二口目を吸わず、そのまま瑠奈の持つ携帯灰皿に擦り付け火を消しそのまま捨てた。


 電車がそろそろ来るとのことで、腑に落ちないまま駅の構内に行くことにした。


 うー……まだ頭がくらくらする。

 いつになったら、このニコチン臭は落ちるんだろう。

 早くうがいして、このこびりついた口内のニコチン臭を洗浄したい。


「きょうはもう直帰でいいよ。仕事も終わったし」


 瑠奈は明るい表情のまま普段どおりに伝えてきた。

 あんな強烈な煙草(毒物)を吸ったあとなのに、瑠奈はよくもまあ平然としていられるなぁ。


 どうしてだろう? 

 体質かなにかが影響を及ぼしているのだろうか?


ーー瑠奈は外見上13、14歳くらいだが、実年齢は二十代ではなかったか? だから煙草が吸えるのかもしれない。ーー


 そうなの?


ーーいや、適当だ。正直、煙草に関する知識は私は持ち得ていない。しかし、瑠奈とやらはやたら美味しそうに煙を吸っていたではないか。年齢か、それか慣れが必要なのだろう。ーー


 年齢か慣れ……か。

 慣れてどうなるというんだ。

 なにもメリットがないじゃないか。

 まったく煙草のメリットがわからない。

 今度、父さんにでも訊いてみようかな?


 でも、父親に煙草の質問なんてしたら、僕が煙草を吸いたがっていると勘違いするかもしれない。

 父さん、母さん、安心してほしい。

 僕は金輪際、いや、一生煙草なんて吸わないから……。


 こうして、ようやく一日目の仕事の見学が終わったことになる。


 やっと終わりか、と僕は心底安堵する。


 なぜだろう?

 平凡な一日よりも、時間が経つのが遅く感じられた。

 いや、時間経過は早く感じつつも、出来事ひとつひとつが新鮮で、そのたびに記憶に記銘されるから長く感じられたのだろうか?


 きょうは、朝は瑠璃と別れることになり、学校では豊花ちゃんという呼び名が広まり、帰りは愛のある我が家に向かって仕事内容の確認。

 仕事その一でクズ売人(瑠奈命名)を血塗れに変え制裁を加え、今しがた半グレなのかヤンキーなのかわからないが、見知らぬお兄さんに覚醒剤100gを180万で売り付けた。


 どれもこれも、日常では体験できないことばかりだ。


 電車に乗り込むなり空いている座席に腰を下ろす。

 隣に瑠奈が座ってきた。


 途中までは瑠奈と帰り道(電車)が被る為、気になったことを少し訊いてみることにした。


「あのさ……覚醒剤100gをーー」

「こらこらこら、豊花?」


 瑠奈は人差し指を僕の唇に若干強めに当てて会話を止めた。


「外でネタを口にするときは、なるべく隠語を使ってよ。特に電車の中とかだと、いつ誰に聴かれているかわかったもんじゃないしさ、ね?」

「隠語……っていうのは?」


 隠語ーーニュースとかで多少は聞いた覚えがある。

 なにやら薬物を薬物だと悟らせない為に使う薬物の別称みたいな言葉だとかなんとか。


「シャブやポンとか冷たいやつ……は有名になってきてるからーーアイスや氷とか、クリスタル辺りが使える隠語かな」瑠奈はただし、とつづけた。「ただ一般にも浸透してきているからなぁ……なるべくならネタとだけ言ってくれれば、愛のある我が家内では通じるし、それでおっけぃ」


 注意されてしまった。

 でもたしかに、人が少ないとはいえ、電車内で覚醒剤なんて物騒な薬物の名は発するべきじゃない。

 僕は自省しつつ覚醒剤の部分をネタに変換して質問することにした。


「あのさ、訊きたいんだけど」

「ん」

「ネタを100g180万円で売人に売ってたじゃん? あれって向こうに利益出るものなの?」


 1g18000円って、薬物の相場がわからないけど高価すぎるんじゃないかな?

 

 瑠奈は「本当は売人もプッシャーや押す人って略してほしいんだけど、まっ、いいか」と呟いたあと、きちんと答えてくれた。


「あの男はわたしから買ったネタをいくらで売ると思う?」

「え? えっと、2万とか?」

「バカだな~」バカにされてしまった。「あいつなら1g30000~40000円って値段で売り捌いてるって言ってたよ」

「高っ!?」


 覚醒剤とはそんなに高い物だったのか……。


「ちなみに、多量に買えば1g25000円で売るひともいる。その人には200gを300万や、もっと安く多量に売ることもあるからね。安く済むんだよ」

「え……人によって売る値段を変えてるの?」

「違う違う」


 瑠奈いわく、大量にまとめて買う相手には安く売るという。

 逆に100g程度では最安値で180万。

 10gなんて言い出したら末端と変わらない価格ーー25万程度でしか売らないらしい。


「さっきの売人が1g30000円で売ったとしよう。100g×30000円で、300万円が売り上げになる。わたしたちが180万円で売ったから、120万円の利益が出るって寸法だね」

「なるほど……」

「警察なんかが発表してる末端価格6万とか7万とかは、本当に末端の末端の売人が売る価格だから参考にはならない。中にはさっきの売人から30000円で購入したネタを、別の客に更に高い金額で売るヤツもいる。要するに、わたしたち卸売り業者から売人が仕入れて、その仕入れたネタをお客さんか」瑠奈は説明をつづける。「別の末端の売人に売る。その末端の売人から、さらに末端の末端の売人が買うこともある。そうなってくると、最下層にいる売人の売るネタの価格は跳ね上がるわけ」


 末端の末端の末端……果てしない話だ。

 瑠奈は話の締めに入る。


「まあ、そんな末端わたしは見たことないし。ダークウェブの掲示板ですらそんな高値で取引してる売人いないし。あのニュースの末端価格の基準はなんなんだろね?」


 薬物の密売とはいっても、さまざまな事情があるらしい。

 それを今の話を聞いて理解した。

 正直、あまり詳しくなりたくないのに、要らない情報がインプットされてしまったのではないかと少しだけ後悔する。


 記銘された記憶は保持される。

 そして必要な場面で想起してしまうのだろう。

 まあ、これからを考えれば一応記憶しておいても損はないかな……。


「まっ、ネタの話は置いといて、なにか楽しいお話をしよう!」

「あ、うん」


 楽しい話のほうが遥かにマシだ。

 今さっきまで犯罪行為に及んでいたことを忘れるように、電車内で他愛のない雑談を繰り広げた。


 やがて、乗り継ぎ瑠奈の降りる駅に到着した。


「瑠奈はまだ愛のある我が家に残るの?」

「残るって言い方は正しくないかな? 帰宅するって言ったほうが正しいね」


 瑠奈は愛のある我が家に帰宅するらしい。

 つまり、あの愛のある我が家の住処(アジト)の一室が自宅なのだろう。

 僕は「豊花ちゃん、また明日~!」と言われながら瑠奈と別れた。


 でも、愛のある我が家に帰宅する……か。

 自分の家がない?


 たしかに瑠奈は、元・異世界人。

 しかもルーナエ・アウラから生まれた存在といっても過言じゃない少女。


 自宅があるほうがおかしいのかもしれない。

 ……結局、最後まで僕のことを『豊花ちゃん』と呼ぶのをやめてはくれなかった。


 まあ、別に気にすることじゃないか。

 いずれ他の愛のある我が家メンバーの名前を呼ぶときみたいに、“ちゃん”は外れるだろう。


 僕もさっさと帰ろう。

 





 その日の夜、自宅で幾度うがいをしても、まったく煙草の臭いが口と鼻から消えてくれず、柄にもなくイライラしてしまった。


 いつになったら、このニコチン臭さは消えてくれるんだよ!?


 とキレてしまったのは、理由が理由なだけあって、誰にも言うことはできなかった……。

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