Episode38/葉月瑠璃
(64.)
愛のある我が家アジトに帰宅するなり、瑠璃と瑠衣は心配そうに駆け寄ってきてくれた。
澄とゆきは用事があるらしく、あのあとすぐにどこか別の場所に出掛けていった。青海さんと微風、嵐山さん、ルーナエアウラさんは、現世さんを連れて「少し留守番しておいて」とどこかへ行ってしまった。
あくまで他人なのに、留守を任せても平気なのだろうか?
なにか話し合うことがあるとか言っていたけど……もしかしたらルーナエアウラさんとの確執などの問題についてなのかもしれない。
「豊花、すごい顔してるけど大丈夫なの?」
「豊花、変、おかしい」
瑠璃、そして瑠衣は、僕に駆け寄りながら二人とも心配して声をかけてきてくれた。
「裕璃を、助けられなかった……」
問題は解決したけど、裕璃は連れていかれたことを僕は伝えた。
瑠衣はいまいち理解していない様子だ。が、瑠璃は神妙そうな顔でこちらを見やる。
結局、私は、いや、だから僕は……助け出せなかったんだ……。
「最初から、無理があったのよ……。ねぇ、たしかに裕璃は豊花にとって大切な存在だって思っていたわ。そうまでして助けだそうとするんだもの。でもね」瑠璃はソファーに僕を座らせながらつづけた。「どうしても、違う気がするの。豊花、あなた、罪悪感で動いていない?」
瑠璃の指摘がグサリと胸に突き刺さった気がした。
「罪悪感……?」
たしかに、僕を突き動かしていたのは罪悪感が大半だ。でも、幼なじみじゃなかったら、ここまで大変なことをしようと考えるだろうか?
否ーー普通の知人程度であるならば、こうまで助けようとはしなかったはず。
初恋のひとだから?
それが正しいのだろうか?
「豊花……あなたは、その……裕璃って子を、愛していたりするの?」
瑠璃は少し聞きづらそうにしながら訊いてくる。
急になにを言い出すのだろう?
僕の恋心は、既に瑠璃に向かっているというのに……。
愛している?
僕が、裕璃を……?
それはそれで、なにか違う気がした。
愛しても、今は恋してもいない。なら、助け出す必要は本来ならないはずだ。ならば、なぜ僕は、あんなにも苦労しながら、危険な場へと赴いた?
「愛しているから助けに行ったわけじゃないんでしょ?」
瑠璃に言われるとおり、やはり罪悪感なのだろうか。
「……」
わからなくなってきた。でも、これは恋心とは違う気がする。
そもそも愛って、なんなのだろう?
恋と愛の違いすら、いまの僕にはわかっていない。
「私ね、考えてみたの。私には未だに恋心とかはよくわからない」でもね、と瑠璃はつづける。「でも、豊花が大切なひとだって気づいたのよ」
瑠璃は少し恥ずかしそうに言葉を濁しながら、ハッキリ自ら大事なひとであることを僕に伝えてくれた。
「大切な……ひと?」
瑠璃が、私をそう思ってくれている?
途端に気恥ずかしくなる。
嵐山さんが言っていたから予想はついていたけれど、実際に言葉にされると、なにか違うものを感じる。
ーー豊花、早く薬を飲むんだ。ーー
ユタカに促され、ポケットに入れていた緊急用の抗不安薬を口に入れ唾液で飲んだ。
でも……。
「どうして?」
僕が大切だと?
瑠璃には助けられてばかりな気がするけど……。
「だって、豊花は瑠衣を守ってくれたじゃない。瑠衣の友達にもなってくれたし。変な殺し屋から身を呈して守ってくれたり、今朝なんて、裕璃から私を守ってくれた。何より」一呼吸を置いて、瑠璃は言の葉を紡ぐ。「豊花が戦いに行っているあいだ、私は心配で心配で仕方なかったのよ。瑠衣やパパに感じるくらい、心配だった。もしもいなくなってしまったらと考えると、ゾッとする。いてもたってもいられなくなった」
「……瑠璃」
そうまでして、僕のことを思っていてくれたのか。
気分が落ち込んでいる僕を諭すように、瑠璃はつづけた。
「私、聞いたわ」
瑠璃はいろいろと現状を把握しているらしい。
「微風って奴は性欲の塊だけど、あれも愛。結愛さんが結弦さんを思う気持ちも、意味は理解できなかったけど、あれも愛なんだと思う。最初はわからなかった。どうして理由もないのに、好きなんだって気持ちがあるのか全然わからない。でも、ねーー」
瑠璃はなにかを思い返すような素振りを見せた。
「ーー恋に理由は要らない」
それは、裕璃が残した遺言のような言葉。最後に残した愛の言葉。
「裕璃って子に言われて少しわかった。理由がなくても、理由があっても、好きなものは好きなんだーーそれが好き、恋や愛なんじゃないかなって」
まさか、瑠璃からそんなことを言われるとは思いもよらなかった。
たしかに、陽山が月影さんを助けようとする気持ちも、結弦さんと結愛さんが愛し合うのも、瑠衣が僕に抱いているーー恋心とは限らないけどーー好きって気持ちも、微風があそこまで執拗に女の子を追いかける理由も、なにより、裕璃が僕を思う気持ちも、すべてかたちはちがうけれど、それは愛や恋といっても過言じゃないのかもしれない。
ああ、そうか。愛には理由が必ずしも必要とは限らないんだ……。
「私は、豊花が、好きだよ?」
瑠衣はそう言いながら、僕にボディータッチをしてくる。
瑠衣のはなにか違う気がする。
主に微風みたく性欲の……いや、まさか、そんなわけないか。瑠衣にかぎって微風と一緒なわけがない。
……いや、十分あり得る気もするけど。
「私はね、もう豊花に危険なことはしてほしくないの。大切なひとが、危険な目に遭うのは嫌なのよ」
「それは……私も……いや、僕も同じだよ」
「え?」
当初決めていたように、気持ちの整理はついていないけれどーー。
「僕は瑠璃のことが好きなんだ……だから、危ないことはしてほしくない」
告白しよう。断られたっていい。好きなんだってことを知っておいてほしいんだ。
「それは……恋なの? 愛なの?」
「わからない。と言いたいところだけど、この気持ちは恋だよ」
あの惨状とも呼べる戦いのおかげで、僕は勇気がついていた。
振られたっていい。好きな子に、告白できないままに終わるのは嫌だから。
ーー終わるのはいや?
終わる可能性のあることをしでかす気でいるのか、僕は。
薬が効いてきたのか、少しずつボーッとしてくる。
「私は……私も、たしかに豊花のことが好き。でも、未だにこれが恋とか愛とかなのかはわからない」
「うん、わかってる。でも、僕の気持ちを伝えたかったんだ」
「私には、恋っていう感情がわからない。そもそも豊花は今、女の子だし……」
「それもわかってる」
いや、自分が女の子だってことは非常にマイナスな気がするけど……。
でも、女の子にならなかったら、異能力者にならなかったら、瑠璃には出会えなかった。瑠璃の優しさにも触れられなかった。それはいやだ。瑠璃に出会う切っ掛けとなれたのは異能力者になれたからなのだ。
「豊花、豊花、私は?」
瑠衣が裾を引っ張りながら聞いてくる。
うぐっ……いまそう言われると、いろいろと回答に困るじゃないか。
ここで瑠衣のことも好きだと言ったら、二人はイーブン。恋だとは伝わらない。
「でも……もしかしたら、豊花が男の子のままだったら、その告白に対して返答していたかもしれない。いや、断ることはできなかったでしょうね……」
瑠璃は困ったような笑顔で、ある意味残酷な言葉を口に出す。
……男の子だったら?
うわぁあああ!?
はじめて美少女になったことをここまで後悔したかもしれない。
今しがた異能力者になれてよかったと思ったばかりなのに!
「じゃあ、豊花は、私のもの」
「瑠衣……」
瑠衣は瑠璃に対抗心を燃やしているのか、やけに主張してくる。
ーーだが、これで瑠璃に少しでも愛とやらを教えられたのではないかな?ーー
ユタカの言うとおり、少しまえまでの瑠璃には考えられない返答だった。
「女のままだったら、ダメだってこと?」
「うーん……ちょっと時間をちょうだい。そもそも、私は男のときの豊花を知らないから、内面でしか判断できないけれど、私は外見で判断するような人間にはなりたくないし。でも、かといって女の子同士でなんて……やっぱり変よ」
「変? おかしく、ないよ?」瑠衣は僕の服を引っ張る。「じゃあ豊花は、私の」
」
くぅ……瑠衣は本気で言っているのか冗談で言っているのかわからないときがある。でも、目は本気だ。
とはいっても、これはなにか欲望のようなものを感じる瞳だけど。
「どうしてそうなるのよ……瑠衣と豊花が付き合うーー」瑠璃は少し考える素振りを見せる。「なんだか、それはそれでモヤモヤするのよ」
瑠璃は苦悩するかのように頭を抱えた。
「べ、べつにいま、回答を出す必要はないよ。ただ、知っていてほしかったんだ。僕の気持ちを」
「姉さん、それは、私がビアン、だから?」
あれー!?
とうとう瑠衣さん自分がレズビアンだと認めなさったぞ!?
あれだけ隠そうとしていたのに!
「違う……なんだろう、この感情をなんていうのかわからないけど……そうなったらそうなったで……悔しいというのか……ああ、もう、わからない。なんなのよ、このモヤモヤした感じ」
瑠璃は妹が同性愛者だとぶっちゃけたことに対して微塵も触れていない。もしかしたら、もう家族間ではバレバレなことなのかもしれないなぁ……。
いや、あれ?
バラしたのはある意味、僕?
同人誌や大輝さんとの会話を思い出すと、そんな気がしてならない。そもそもありすとのスキンシップも普段から過剰そうだし。
第一、瑠衣はありすが好きなんじゃなかったのだろうか。
「お待たせ」青海さんが玄関を外から開けて入ってきた。「もう話がついたから、帰ってくれていいわよ」
青海さんにつづいて、嵐山さん、現世さん、微風の順で室内に入ってくる。
ルーナエアウラさんの姿は見えない。どこかへ行っているのだろう。
「いえ、ルーナエアウラさんには帰ってもらいました」
「また心中を……帰ってもらった?」
「そうです。ルーナさんがいなくなってしまわれた今、ルーナエアウラさんの目的を果たす意味がほとんどなくなりましたからね。自然とアウラさんーー瑠奈さんの回収も諦めてくれました」
微風がジト目で現世さんを見る。ジトーっと……。
「わ、悪かったよ……許しておくれ」
「朱音なんて嫌い。愛してるけど大嫌い」
なんじゃそれ……。
それを聞いて、再び瑠璃の表情が固まる。
おそらく、嫌いなのに愛しているという矛盾していそうな内容を、自己内で審議しているのだろう。
「あの、微風……さん?」僕は恐る恐る訊いてみることにした。「愛してるけど嫌いって矛盾してない?」
「さん付けはいいよ。あと、瑠奈って呼んで可愛い子ちゃん」
微風さん……いや、瑠奈は僕に接近してくると、まえに自らがなにをやらかしたのか忘れたかのように絡んできた。
てか、瑠奈って呼ぶと、瑠璃、瑠衣、瑠美さんに加え四人目の瑠が誕生してしまうんだけど……。
「べつに嫌いの反対は好きでも愛するでもないと思うよ? 結愛だっけ? あの子も結弦のこと嫌いだけどラブだしライクだもん」
あれ、瑠奈も二人のことを知っているのか。
「どうやらあちら側についたフリをしたとき雑談したようですから、こちらから事情は話しておきました。刀子さんの話によると、結弦さんは九死に一生を得て生き残りましたがぼろぼろにやられてしまったらしく、結愛さんが激昂しているのだとか」
どのくらいぼろぼろにやられてしまったのか……もう二度と歩けないとかなら、激怒して当然だろう。
「もしも亡くなっていたら、追って自殺するような勢いらしいですから。結弦さんとやらも気が休まりませんね」
愛が重い……。
「というより瑠奈さん?」嵐山さんは僕を指す。「その方、元男ですが、よろしいのでしょうか?」
「元……男……!?」
ハッとした表情を僕に向ける。
僕は慎重に頷く。瞬間、瑠奈はサッと離れて頭を抱えた。
「でも今は女だし……いやでも元男……いやいや容姿は……いやいやいや……」
瑠奈は混乱を始めた。
「あと、“豊花”さん。さん付けするなとはいいませんが、私も沙鳥とお呼びください。できれば舞香さんも舞香さん、朱音さんも」ここでは、とつづけた。「基本的に外部の人間以外はファーストネームで呼び合うしきたりがありますからね」
「え、でも、僕も外部の人間のような……」
「ええ。ですが、まだまだ付き合いは長くなりそうですからね。そうでしょう?」
僕のことを見る瞳は、なにかを含んでいるように見えた。
嵐山さんーー沙鳥さんは、気がついている。多分、青海さんーー舞香さんに訊いたのだろう。僕がまだ、裕璃の救助を諦めていないことを。
「きゃっ!?」
いきなり瑠奈に股関をまさぐられる。
「なんだ。やっぱり付いてないじゃん」
瑠奈は一安心したようにため息をつく。
なんだはこっちの台詞だ!
空を飛ぶクレイジーサイコレズの異名を欲しいがままにしているじゃないか。
僕は慌てて股をガードするように隠す。この獣は、味方でも気をつけなければならない気がする。
「豊花、もうこいつらに用はないはずでしょ? ほら、帰るわよ……」
瑠璃は僕を立ち上がらせると、瑠衣も引き連れ玄関に向かう。
「一応礼は言っておくけど、今度会ったら容赦しないから」
「ご自由に」
ーー豊花さん。また、いつでもいらしてくださいね? 愛のある我が家は、あなたを歓迎いたします。
脳内にそう響いた。おそらく、瑠璃や瑠衣には聞こえていない。
言われなくとも、頼るほか方法はない。
僕は瑠璃に連れられながら、暗い夜の道へと出た。
(65.)
繁華街も抜けて、暗い細道。
瑠璃はまだ僕と瑠衣の手を引いている。
生暖かく強い風が頬を切る。もうとっくに時間は九時頃になる。
「豊花は私を好きであっているのよね?」
瑠璃は髪を風で靡かせながら、確かめるように問いかけてきた。
思えばここは、ありすと瑠衣が再会した道だ。
「うん、そうだけど……」
「ならーー」瑠璃は手を強く握りつづけた。「私たち、付き合いましょ?」
「え?」
それは、思いもよらない言葉。告白の返事。
「だから、恋人同士になるってことでいいわよね?」
「姉さん……豊花は私のだよ?」
瑠衣は困ったような表情で瑠璃に言う。
「あんたは私の大事な妹。でしょ? で、豊花は」さらに指に力を込めた。「大切な恋人。なら、私が守らなきゃ」
なにか、違う気がした。
これが、恋人の関係?
守るか守らないかの差が、恋人?
「瑠璃、違うんだ。僕の言ってる恋人ってのは、もっとこう、守るとか守らないとかじゃなくってーー」
「じゃあ、こうすれば信じてくれる?」
不意に、唇を奪われる。すぐに離れ、同時に手も離す。
とたんにボーッとする。いま、瑠璃に、なにを、された?
「私のファーストキス」瑠璃は恥ずかしそうに頬を染めて言う。「恋人になれば、危険なことはしないわよね。まさか、心配するようなこと、しでかさないわよね?」
瑠璃は、たしかめるように口にする。
恋人になれば、心配するようなーー危険なことをしないでしょ? という、瑠璃の無言の感情が、楔のように打ち付けられた。
ーーひとまず、おめでとう、と言っておこうか。ーー
ユタカの声が頭に入ってこない。
裕璃の救助を考えていた思考がまとまらなくなる。
瑠衣は唐突な出来事に、口を挟めないで困惑したような表情をしていた。
こうして、僕と瑠璃は、ファーストキスを交わした。
思っていた展開と違う。瑠璃にはなにかの思惑がありそうだし。それでもーー僕たちは恋人同士になったのであった。
その日は、帰ってからも一日中、なにも頭に入ってこなかったのは言うまでもないだろう。




