Episode30/風に風ーー暗転(序)
(52.)
微風でないことが明らかで、微風であることが確実な少女。
二重存在。不可思議で独特なオーラを醸し出す幻の住人。
微風とは比較にならないほど非現実感が前面を覆い尽くしており、周囲の空気までをも巻き込み幻想に塗り替える。
だからなのかもしれない。同じ緑の髪を生やす微風には、少なからず違和感を抱いてしまった。しかし、この子の場合は真逆、むしろ、この色以外似合わない。一番似合う色は緑、その中でもこの緑に違いないとさえいえた。
この少女は、もしかしたら本当にファンタジー世界の住民ではないか、といったバカげた空想をしてしまう。
だって、夢を見ているんじゃないかと疑いたくなるくらい、僕が好きな画面の向こうにある幻想世界でしか見ることのできない光景だ。
見惚れてしまうのも無理はない。
たしかに、この子は微風の変身後の姿に酷似している。けど、周囲に振り撒くオーラのような空気感は、まるで別人のそれ。
少女が吹いて流すのは、不安が鎮まる暖かくてやさしい風。春夏が送る自然、生命の息吹き。芽生える緑を草木が揺れて歓迎する。気分を明るくさせてくれる。
微風が煽り巻き起こす暴れる風は、恐怖を駆り立てる冷たい風。夏だというのに、生暖かい風だというのにーー肌寒く感じるほどの、凍える空気の塊。
最初は冷たいイメージなんてなかった。
でも、あんなに追いかけまわされたあとじゃ、そういうマイナスイメージしか抱けない。
「な……んで……? なんで、どうして今さら……朱音……?」
微風は、アシンメトリーの女性を凝視しながら疑問を漏らす。
「瑠奈が帰りたくなかった理由、ようやく理解したよ。瑠奈、きみは、この惨状を見てなにも感じないのかい?」朱音は辺り一帯を手で示す。「26歳に沿わない我が儘で自己中な性格、やりたい事は力付くで完遂、愛のある我が家の理念は未だ理解しない。理解しようとすらしない。容姿や年齢が設定だから幼いわけじゃない。ルーナエアウラに会って、それがぼくには痛いくらい実感できた。きみが“わがままな性格の自己中お姫様”だったのは原案さ。早めに世界をつくることを決めたとき、きみは没になった。もったいないから“ルーナエアウラの性格”に肉付けした設定なんだ」
非対象の髪の朱音という名らしい女性は、まだまだ摩訶不思議ワールドを展開しつづける。
「我が儘自己中欲求の塊は、ルーナエアウラの持つ忍耐力や罪悪感、責任感の集まりなどに抑制されたり昇華されたりするもの。いわば、フロイトでいうところの欲求だ。きみは、微風瑠奈という存在ではなく、ルーナエアウラを構成する設定のひとつ。ぼくの無駄な設定の迷いと思考の放棄が原因だ、それについては謝るよ。だけど、だからといって見つけた世界のバグを、神が放置するのは怠慢でしかない。悪いけど、ルーナエアウラの一部に戻ってほしい」
「え? なにこの人たち……なに?」
ついつい本音が漏れてしまう。
この朱音と呼ばれるアシンメトリーの女性が、なにを言っていることに、まったく理解が追い付かないーーどころの話ではなく、初っぱなから置いてけぼりを喰らった気分を味わわされる。
わけのわからぬ事、意味不明、理解不能、聞いても正しく認識できない謎の塊ーー。
ルーナエアウラの一部?
存在ではなく設定?
フロイトでイド?
ん?
ん?
ふぁい??
「凄いわね、アイツら。私には難しくて全然わからないわ」
月影さんは無駄に感心する。
だけど、月影さん、あれは難しい易しい以前に、理解するに連れ頭の調子が悪くなる類いじゃないかな?
多分、愛のある我が家って人間たちだけの共通言語だと思う。
実際、瑠璃もポカンとしていた。わけがわからなさすぎて、普段美夜さんという人に電波を発信されつづけて鍛えられているであろう瑠璃ですら、美夜さんに向ける、あの可哀想なひとを見る目とは違っていた。
圧倒される度合いが桁違い過ぎるだけで、類似電波でもこんなに表情に差が出るのかーー驚愕と困惑のハーフアンドハーフで固まる瑠璃の表情を見て思う。
美夜さんと同類でも、美夜さんと同様ではない。
美夜さんがいくら電波を受信して口から垂れ長そうとも、実害は『うるさい』止まり。しかし、微風やルーナエアウラという少女は『うるさい』だけでは済まない。
あの電波は実害を伴う。
美夜さんは、少なくても街の破壊活動なんかに勤しまない。狙って壊そうとしても無理な行為を、あの摩訶不思議たちは可能とする。
これで戸惑わずにいる人間なんて、あの人たちの知人を除けば存在しない。
「ほら、ひとつになろう、アウラ。こんな行為を平然とやらかす自分を大勢の人に見られるなんて、恥ずかしくて堪えられないじゃん」
ルーナエアウラは微風に手を差し出して握手を乞う。
しかしーー。
「どうして……朱音はわたしの愛するーー許さない……許さない許さない許さない許せない許せない!!」
微風はシルフストーンとやらを飛んで乗り越えると、すぐさま風の弾丸を幾数も放つ。もはや、微風は僕たちのことが眼中になかった。
ルーナエアウラに風弾を幾度も撃つ。
が、ルーナエアウラが手を翳すだけで、空気の塊は瞬時に空気に溶け込み霧散する。
「ああああぁぁああああアアアアッッ!! 朱音!! どうして!! もうわたしは既に此処に在るのに!! なんで!? 答えろ! どうしてわたしなんてつくりだしたんだよ!? 消すくらいならつくるなあかねのバカァああああアアアアッッ!!」
微風は風弾を消したルーナエアウラでなく朱音の方に掴みかかろうとする。
「乱暴で幼稚な風。それ以上生き恥を晒すのはやめてくれない? まるでわたしもバカやってるように見えるじゃん」
ルーナエアウラの辺りの空気が、瞬く間に風に変わると、朱音の前へ突風が滑り込み、微風の進行のみ押し返すようにして阻む。
ああも苦戦した恐怖の集合体ともいえた微風瑠奈が、ルーナエアウラひとりを前にした途端、ただの駄々をこねる赤子に変わる。
それを容易くあしらうルーナエアウラは、一ミリの瑕疵さえ許していない。
「わたしはわたしだ! おまえなんて知らない! 朱音はわたしの彼女じゃん!? この裏切り者め!! こんな気持ちにするんだったら! はじめから、はじめからいないほうが悲しくならず済んだのに!! つくらなきゃいいだけなのにどうして意思を持たせる真似したんだ答えろよ!? 生まれたら二度と無に戻れない! 無の手から離れた私はもう無になるのは難しいんだと朱音は言った!! 既に存在する人に『私のミスだわ謝るから死んでなくなれ』と言うのと同じじゃん!!」喚き散らし狂ったように空気の弾丸の連射はつづく。「なんだよそれ! なんなんだよそれ!? わたしはもう微風瑠奈だ! ルーナエアウラの一部なんかじゃない!! この力と命が微風瑠奈の存在証明!! わたしが存在する証と知れこのバカぁああああアアアアッッッ!!!!」
微風は狂ったように辺りに風を吹き飛ばすのを繰り返しつつ、空へ空へと飛翔する。放たれる風製の矢は、槍は、剣は、いずれも辺りにぶつかるまえに勢いを消していた。
ルーナエアウラの力なのか、微風の操る風はコントロールを奪われたかのように寸でで機能せず止まる。
空から泣きじゃくり慟哭する微風は、そのまま空から風弾を、何度も、何度も、数えきれない数狙いを決めず放ち続ける。
もはやそれは、何の意味も為さない。放たれた直後に空に曲がって上昇するよう風向きを変えつづける。ねじ曲げられては無力も同然、しかし、ルーナエアウラは眉を曲げた。
「わたしになるんだから消えるのと話が違うのにさ……。あいつひとりなら相手にならないんだけど、シルフだけでも厄介なのに、いつの間に新たな風精と契約したんだろ? 精霊二体と同一化している奴相手にこのまま終わらせるのはちょい無理。同一化するまでもないけど、帰ってきてもらうとしよう」
微風瑠奈から放たれる風が左右に曲げられ広がるや否や、微風を中心に挟むように交差。
瞬刻、青白く光る稲妻が微風を貫く。
「かはッ!」
「だから、少し本気を出させてもらう。いいよね、朱音?」
「……うん、頼むよ」
ルーナエアウラへと頷く朱音を睨む微風は、石づくりの大地を体で叩くように堕落した。
雷が体を直撃したうえコンクリートに衝突したのに、微風は、尚も立ち上がり身構える。
「大精霊様、どうかお許しください」ルーナエアウラが口を開く。「ーールーナエアウラが奉る」
ルーナエアウラが詠うのを目にすると、微風は目を見開き動揺を露にする。
「なッ!? シルフは今……っ!! やめろォオオオオ!!」
微風はルーナエアウラに駆け寄る。だが、近寄ることができない。
ルーナエアウラの立つ周囲2メートルの地面に、なにか幾何学的な図形のように緑色の光が煌めき始めた。その中に入ろうとした微風の体は容易く弾かれる。
まるで、空気の壁が拒絶しているように、結界のように見える円から外へ跳ばされた。
「風の大精霊を地に招く 夜明けに吹いて 浄化の大気 風が全てを統べる刻 世界に満 やさしい風 シルフ」
なにもないルーナエアウラの隣に、ゲームなどで見るシルフのような羽の生えた少女が本当に現れた。
「煩わせてごめんなさい、シルフ様。でも、もう終わるから許して」
『むしろ早く呼んでよ? 貴女は頼らなすぎよ。何年も呼ばれなかったから、てっきり貴女の精神が豹変したと思うじゃない?』
「シルフ!? どうしてみんなわたしを……裏切り者がァアア!!」
微風は雄叫びを上げながらルーナエアウラに駆ける。
「シルフ様も、詐欺師には言われたくないんじゃない?」
ーールーナエアウラの宣言どおり、勝負は一瞬で終わりを迎えた。
シルフを召喚したと同時に微風の辺りを渦巻く強い風は弱くなっていき、そこにルーナエアウラが空気を手のひらで上から下へと叩く。そしたら微風の真上に風圧が襲い、潰れるように倒れ付す。それだけで、微風は起き上がれないほどダメージを受けたのか、もう立ち上がろうにも立ち上がることができない。
微風は涙で頬を濡らし泣きながら羽の生えた少女ーーシルフを睨む。
「おまえもわたしを裏切るのか! シルフ! 裏切り者め! 許さない許さない許さない!!」
『あら、裏切るもなにも、貴女は私が契約を交わす相手じゃないじゃないの。私は貴女ではなくこの子ーールーナ=エ・アウラ・アリシュエールにシルフを冠する誉を与えたのよ。なのに貴女は微風瑠奈、ルーナエアウラじゃないと自ら喚き放つ口が、いったいなにを言うの? 信仰心の欠片もなく、神聖性も壊滅的。よかったわ、貴女が別人で』シルフはルーナエアウラの首を撫でる。『この子は精霊を常に信仰してくれる、まだ穢れを知らない純潔の乙女よ? どちらにつくかなんて、今さら言われなくても自明の理よ?』
「あの、シルフ様? 周りにひといるんだからそういうこと言わないでっていつも言ってるじゃん? なんで言うのさ……」
ルーナエアウラは頬を赤らめながらシルフに言うと、そのまま微風に手を伸ばす。
「なーーっ!?」
ルーナエアウラは微風から身を引く。
直後、微風の真上から突風と緑に輝く粒子が降り注ぎ、微風から何かが飛び出す。そこにもシルフみたいなやつが現れた。
微風を守るように前に立つ、シルフより幼い顔つきをする緑髪の羽付き少女。
『それ以上瑠奈に近づくな!』
あまりに現実離れした光景を前にして、僕たちは誰一人として逃げるのを忘れていた。
しかし、戦いが終着したことでホッとしたのか、ようやく瑠璃は特殊警棒を握る力を抜き手を下ろす。
なんだろう、これ?
第三次世界大戦ではなく、第一次風風戦争でも始まるのだろうか。
日本はただでさえ台風が毎回通過していくのに、これ以上風の脅威に曝すのはやめてほしい。
「ーー貴女が風の精霊だってわかるよ。でも、可哀想だけど、その子の騙る名は偽物。そいつは、ルーナ=エ・アウラ・アリシュエール∴シルフの名を騙るルーナ=エ・アウラ・アリシュエール∴シルフの一部分でしかな」
『黙れ人間風情が……! 去ね……! お前とは契りを交わすに当たらぬ……! 今此処は童の聖域……入ればその首跳ね逝くぞ……!』
わ、わらわ……童。
ボクっ娘に珍しいと思った矢先に童っ娘なんて出てきてしまった。
これはもしかして、自分をうちって呼ぶ娘や自称名前のぶりっ娘を通り越して、我っ娘とかわしっ娘、某っ娘や小生っ娘やらが登場しないとも言い切れない。
ーーそれは男でも珍しくないだろうか? まあいい、試してやる。ユタカが全て試してみようか。ーー
え……いやいいよやめようよ。あと、脳内だと僕の思考が遮断されるから、ユタカだとまるで僕がその思考しているように感じるから、ユタカはやめて……。
微風たちの会話は続く。瑠璃を見やると、状況を見守るうちに落ち着いたらしい。焦りと困惑気味の表情が、元のいつもの顔に戻っていた。
「凄いわね、このスケール。映画撮影のコストが減るじゃない。スポンサーとか付いているのか気になるわ! 陽山月光ぶっ殺ソード! あれくらい凄くなるのよ!」
……月影さんは相変わらず平常どおり。
映画鑑賞しているのと同じ気分じゃないかと疑いたくなーーって、え?
凄くなるの?
と思いきや、月影さんはナイフに語りかけただけだとわかった。
「頑張りなさい、なるのよ? 陽山の血に飢えるなら強くなるのよ?」
「……」
いや、もうなにも言わないでおこう。
事情を聞いてみないとわからないけど、月影さんがこれだと、陽山じゃなく陽山さんと思い直す日がくるかもしれない。
「たしかにわたしが契約を交わしたわけじゃないけど、そいつはルーナエアウラじゃなくってーー」
『耳が聞こえぬのか? 無礼だぞ小娘……! 妾は風の大精霊シルフィードと知っての狼藉か……! ルーナエアウラの宣誓なぞ聞くに耐えぬ……! 妾と契りを交わしたルーナエアウラなぞ端から居らぬ……! 微風瑠奈だとわからぬか……!』
シルフィードーーこっちは僕の知る範囲で聞いたことはないけど、なんか他にも色々いそう。
ーー昨夜の晩を思い出す。あの未知の快楽も、この光景と同じファンタジーだと某は思った。そしてわしは決意した。今夜はユタカに頼もう、と。いつ死ぬかわからない今日の出来事を踏まえると、可能な限り女の性を謳歌しよう、と。そして、我はユタカに声をかける。ーー
……いや、勝手に思考しないでよ。
この状況で僕は自慰を思い出すのかよ、と自分が情けなく感じるところだ。
よかった、ユタカのモノローグで。よかった……のか?
ふと、考える。
僕は今、一瞬本気で自分がそう考えたと思ってしまった。
つまり、この思考は僕がする可能性が少なからずあり得たのかもしれない。侵食の果てに同一の存在になるというのは、つまり、これが常につづく感じだろうか?
僕が消えてしまうのは嫌だけど、ユタカがいなくなるのも嫌だ。
その優劣の差は、もうほとんどないように感じた。
『貴女、いつも瑠奈の不遜な態度にぶぅたれていたじゃない。毒され過ぎよ、シルフィード? 人の争いに私たち精霊が直接介入しちゃダメよ。世界の理に背けば世界に消される、忘れたの? 同じ大精霊として情けないわ』
『黙れシルフ! ああ見ていた、微風瑠奈を喰おうとするのをな……!』
く、喰う
異能力者保護団体側の人は、おそらく誰一人としてわからないだろうし、まさか未来関わる筈もないだろうから、別に無理してまで理解しなくてもいい。
ーーおや? 線形燐光、いや、線形非線形燐光型か。来たな。ーー
え?
「なによ、これ」二人の女がいつの間にか現れていた。「本当に沙鳥の言うとおりね。なに、この酷い惨状は」
なによ、あれ。本当に酷いコスプレ物のAVみたいだわ……なに、あの無理のある若作りは、酷い服装ね?
ーーど、どうした? 何々だわ、何々よ、など使う人間は減っている。無理に言葉を変えなくてもいい。なあ、豊花?ーー
だ、だって……どう見繕っても二十代後半のウェーブ髪女が……学校制服かっこミニスカかっこ閉じ着ているんだもん。そのうえオーバーニーソックスなんか履いてミニスカだから、アラサーの生足チラチラ見えているからさ?
ちょっとエロいと感じるのと同じくらい、ムカっとして……なんでかな?
今ここにリアルな女子高生二人もいるのに年齢制限10歳はオーバーしていそうな年齢のミニスカセーラー服は違和感が凄まじいからだろうか……うーん。
僕の謎のプライドか、はたまた14歳女子の体が持つ感情か、それはわからない。でも、あれに一瞬でもエロいと思って興奮したことに、無性に腹が立つ。イラッとする。
あのチラチラ見える無駄に艶かしい絶対領域を見るとさ、自分がロリコンだからか、なんだか僕たちロリコンを叩く癖して若作りするのは頭では熟女より若い子のほうが好かれるのを理解してるじゃないか。自分も若い時あった癖にいちいちロリコンを否定しないでよって思っちゃって。
無関係なのについつい考えてしまう……。
あれかな?
やっぱり僕がロリコンだからそう思うのかな?
ーー……うん……んん? な、なんだか、今きみの思考が分裂した気がするが、気のせいか? 私には今、16歳男子高校生ロリコンのきみと、14歳なのに女子高生して若さを武器に男にモテモテのきみがいたんだが……。たしかにきみはきみだが、なにも男の豊花と女の豊花を作る必要はないから……な?ーー
え?
まあ、なんかイラッとする。制服だけならまだマシだけど、ミニスカ制服オーバーニーソックスなのが腹立つ。コスプレ系のアダルトビデオの撮影でも始まるのだろうか?
ーーふむ、コスプレAVとはなにかわからないが、昨晩月影日氷子に読まれたエロマンガと同ーー
「嵐山沙鳥!? 私のパパを、よくも!」
瑠璃が制服女ではないもう一人、二十歳前後の女性に怒鳴ったことで、意識がそちらに向きユタカの声が途切れた。
顔立ちは可愛い。しかし、頭の上に爆弾でも降ってきたのか突っ込みたくなる衝動に駆られるくらい寝癖が酷い。いや、癖毛かもしれないけど、どちらにせよ爆発したように見える。
毎朝毎朝、爆弾を投下される犯罪組織の長……はあり得ないか。
「この髪は天然と寝癖のハーフです」
「え? な、え……違うの? なら、謝るけど……いや、間違えるわけがない! よくも、よくも私のパパにあんな真似を!」
言葉のボールがバッドで場外に打たれたからか、瑠璃は一瞬だけ困惑したのかあたふたする。しかしすぐに頭を振ると怒りをぶつける。
あっ……そうだ。そういえばそうだった。
嵐山沙鳥はありすが言うとおりであれば、読心も送心も可能とする異能力者である。
僕の妄想のせいでややこしくして、瑠璃、ごめん……。
「私の名前、ご存知のようで何よりです。ええと……たしか瑠奈と似た名でしたね……ああ、そうでした。先週ぶりぐらいですね、奇遇です、佐月瑠花さん」
「葉月瑠璃!」
佐月瑠花……誰やねん。
真ん中二文字しか合っていない。そもそも璃の母音は『い』なのに違うし……。
瑠奈と似ているというヒントだけで、たったいま適当に捏造した感しかしない。
葉月くらい覚えていればまだしも、これでは大輝さんが報われない。
『瑠奈、行きますよ?』と、シルフィードは瑠奈の手を肩にかける。『追いかけてくるのもいいぞ? だが覚悟せよ。その身が輪廻する限り、二度と平穏訪れぬ事と知れ!』
シルフィードは瑠奈を抱えるや否や飛翔する。
建物がなにひとつ届かない高さまで瞬時に飛ぶと、尋常ではない速さで突風となり行方を眩ませた。
「え~、あれ大精霊って本当に? 大精霊の癖して全て総じたうえ言ってるの? 大精霊が人間の争いに介入するって……シルフィードだっけ? 大精霊って嘘じゃない?」
『あの子は私の後輩、シルフィード。ジルフと同期よ? 大精霊というのは疑いようのない事実。けど問題よ、こんな事知られたら精霊の恥と成り下がり。元の世界には二度と帰れない。帰れば周りの精霊に袋叩きにされてしまうわ』
二人ーーいや、一人と一匹?
いやいや、大精霊っていうくらいだし、匹は不味いかな。
どうするつもりだろう?
それにしても……この人たちが特殊指定異能力犯罪組織のひとつ、通称、愛のある我が家。それに属す犯罪者一同。
嵐山沙鳥が遠くから僕たちに指示を下して、制服女がおそらく異能力で遠距離から僕らを守る。その間にルーナエアウラが現れ微風を近距離で討つ。
改めて考えるまでもなく、僕たちのチームワークとは違い、それぞれ役割分担が正確でいて統制がとれている。
それを犯罪のために使うのである。もしこれがなにかの犯罪行為だったと考えてみるとーー。
たしかに、異能力者保護団体が警戒するのも頷ける。
脅威的な存在と畏怖を覚える人が多いのも理解できた。
でも、助けられた今の自分は、どうにも悪党だと思えない。
「瑠奈さんは言ったことを三日で忘れるのか、理念を守る気がないのか、どちらなのかはっきりしてもらいたいところですね……舞香さん」
「本当よ。これじゃ沙鳥が扱い切れないのも無理ないわ。もうすぐ和枝木さんが来るからちゃちゃっと片付けなーーいつつ……」
舞香という名の制服女は、負傷していない筈なのに脇腹辺りを手で擦る。瑠璃の言葉を相手にする素振りを見せない。
瑠璃は諦めたのか、いったんみんなの無事を確認するため河川さんのほうを見る。
河川さんは、総谷さんの額にガーゼを当てていた。瑠璃と目があうと、空いた片手でOKサインをつくって合図する。総谷さんも無事のようだ。
「あの、豊花?」
「ん?」
なんだろう?
「もう大丈夫、ありがとう。ちょっと未来さんに連絡入れてきたいから、いい?」
「え? あっーーご、ごめん!」
僕は瑠璃の腕から手を離す。
握りっぱなしだった……だから、さっきからずっと間近だったのか。
キモいと思われていなければいいんだけど……。
「いくら助けてくれたといえ、そいつはパパの指を折った畜生だと忘れないように。なにをされるかわからない。豊花も離れるようにして」
瑠璃は言いながらスマホに耳を当て少し離れた。
微風は立ち去ったけど、たしかに犯罪者には相違ない。
でも、みんなに逃げようと指示しない瑠璃も、不安から解放された安堵のせいで油断しているように思う。
この人たちは、極悪とすら称される、指定異能力犯罪組織の中でも特殊指定とされた異能力犯罪組織のメンバーなのだ。
「舞香さんは先に帰ってください。いくら浅いとはいえ酷い出血でしたし、お体に触ります」
嵐山……さん、は制服女の体を気にかける。
え、この人なにも怪我していないような……。
「そうね、ありがとう。でも、和枝木さんに連絡したからもう来るでしょ? そこのデカブツ置いたまま帰ったら大騒ぎだし問題になるわ。それに、私たちが瑠奈を死なせないで生け捕りにするためには、あって困るものでもないしね」
制服女ーー舞香さんは別の場所で怪我をしたのかもしれない。本当に痛むのか、時折眉を歪める。
「そういえば、あれはあちらの世界の物ですね。申し訳ありませんが、お願いいたします」
「だいたい私一人で帰ると大事態勃発よ? 今帰っても監視してくれる人がいないじゃない。次は横浜にある薬物依存症治療をやっている精神病院へ『そうだ、SMARPPに行こう』ってなること間違いないわ」
す、スマープ?
薬物依存症治療って……この人たち、たしか売る側じゃなかった?
「覚醒剤で思い出しましたが、瑠奈さん、別に売値の持ち逃げは構いませんが、お得意様と取引は済ませてくれたのでしょうか? 刀子さんはなにか仰られていましたか?」
え、刀子さん?
なぜなにどうして刀子さん……いや、よくよく思い返すと、そもそも刀子さんの弟子のありすからして嵐山さんと知り合いだった。なにか関係がありそうなことを口にしていた気もする。
瑠璃は犯罪者だからと嫌っているし、たしかに微風は怖かった。だけど、それなら、捕まえる側の人間が犯罪組織に所属する人物と仲良くするなんて、あってはならないことじゃないんだろうか。
ニュースで異能力者保護団体と特殊指定異能力犯罪組織が手を結んでいましたーーなんて未曾有の事件として扱われることが想像に難くない。
「いや? たしか『微風が見知らぬ奴にちょっかいかけに向かったぞ。いい加減、放し飼いはやめて室内飼いにしろ』とだけ。まあ、よかったじゃない。間に合わなければ」舞香と沙鳥はチラリとこちらを見た。「こんな幼子まで強姦されたあげくバラバラ死体よ。ホッとしたわ」
「ええ、間に合って助かりました。瑠奈さんが帰らない理由はわかっていたのですが、それがなにか理解できないのも無理ありませんよね、朱音さんですから」
「そうね。沙鳥も行ってみたら、少しは理解できるかもしれないわよ?」
「遠慮しておきます。こちらに戻れないと言い出さないと断言できませんから。朱音さんですよ?」
「それもそうね。さ、私はこれ運んでおくわ」
どうして、二人は僕たちを必死に助けたんだろう?
利益がないばかりでなく、逆に敵が生存して損するばかり。
もしかして、犯罪者というのは単なるレッテルなだけで、本当は、やさしい人たちの集まりかもしれない。
「あなた方を助けたのは、愛のある我が家に属す者が、愛のある我が家の理念に背く行為をしたからーーただそれだけの理由です」
「え?」
そういえば、この能力が常に働くなら、思考が丸裸じゃないか。
舞香は沙鳥の肩を叩いたあと、シルフストーンに近づき手を当てる。
そして、10秒足らずで石ごと消えた。なにもなかったかのように、空間が広がる。
「その、理念というのは?」
パトカーのサイレン音が木霊する。
「それを教える相手は、愛のある我が家の一員だけです。刀子さんや大海さんみたいな例外はいますが、噂が広まらないと断言できる相手を見極めてからでなければ、私たちの機密は伝えられません」嵐山は瑠璃に目配せすると電話番号の書かれた紙を僕の衣服に入れた。「困った事があれば連絡してください。一度なら無償で手を貸します」
「え……な、なんで僕に?」
「あなた方のなかでは貴女が一番反転しやすい……いえ、こう認識するようにしてください。今のは主語のない戯れ言、忘れましょう。貴女が一番素直な心の持ち主だからです。瑠璃さんは受けとるはずがありません。月影さんという名のお方は、私が正反対の位置に立つ者と認識できていないだけ。貴女に渡しておけば、この件の賠償ができますから。素直な心の素直な貴女は、困れば素直に私へ連絡するでしょう。いつになるかはわかりませんが、あなたはいずれそうすると予言します」
「す、素直……?」
嬉しいけど、本当に素直かな?
パトカーが一気に数台到着するや否や警官が降りて向かってくる。
「気をつけてください。貴女の世界は、なにか大きい切っ掛け一つで崩れます。今から私は捕まります。その光景を見たあと、試しに瑠璃さんか月影さんにでも、抱いた疑問を尋ねます。そうすれば、貴女は自覚します。自分は、そちら側ではなくこちら側に立つ思考の人間ということにーー」
「動くな! 嵐山沙鳥を直ちに確保しろ!」
警官四人が一気に嵐山沙鳥を囲み逃げられない掴む。
ルーナエアウラと朱音の二人は、いつの間にか消えていた。
「抵抗する気はありません、ご安心ください。あっ、お久しぶりですね? 昇進、おめでとうございます。和枝木警部補?」
ひとり遅れて歩いてくる警察に、嵐山さんはなぜか声をかける。
知り合い……?
「おう、組長なのに大変だな、嵐山? 青海の奴は元気か?」
囲む警官の後ろから近づく、このなかで一番偉そうな態度の警官が、嵐山にそう返す。
青海って誰だろう?
「ええ。舞香さんは相変わらずです。先日も覚醒剤打って大変な事に……いい加減やめるを覚えてほしいところです」
「ははっ、青海は変わらねぇな。ほどほどにしとけ、って和枝木が言ってたと伝えといてくれ」
は?
え、いま捕まえて、いろんな罪状があるだろう嵐山さんが、どうやって伝えられるというんだ?
「はい、後程伝えておきます。ああ、ここだと周りに聞こえますよ? 署で話すことにしませんか?」
「ん? 周りにーーッ離すなよおまえら」
嵐山さんがこちらに目配せすると、警部補は慌てるように離れ、大声を張り上げ指示を飛ばす。
「話は署で聞かせてもらうからな?」
と言いながら、あたかも本気で捕まえている姿を見せるよう三文芝居を繰り広げる。
手錠はしないの?
威厳ある風貌の国民の味方、犯罪者の敵にいなければならないはずの存在……なのに、今のやり取りのあとだと薄っぺらく感じてしまう。
ただの茶番に興じているようにしか見えない。
そもそも、嵐山さんはなぜ、自ら捕まるのを是とするようなことを口にしたのか。
「あいつ、犯人と間違えられでもしたの? 可哀想ね。私が何度説明しようと陽山は捕まえないのに。なにが証拠はないよ、殺人よ殺人、捜査してるふりくらいしなさいよ」
見送る月影さんが愚痴る。
「ねえ、月影さん。あの人たち、実は犯罪者なんだよ……?」
なにが悪でなにが善か、僕は今一わからない。
今まで培ってきた常識が否定され、混乱しただけかもしれない。
だけど、誰か、僕に教えてほしい。
「はあ? なら当然よ。やっぱり、悪は必ず滅ぶ理論に間違いはないわね!」
「……ねぇ、月影さん。悪いから捕まるんなら、その悪と裏でやり取りする人はどうなるのかな? たとえば、警察の中に犯罪者の味方がいたら、悪?」
「もちろん、当たり前よ。そいつも滅びるようにできているのよ、この世界は」
「それじゃ聞くけど……悪って、なに?」
「あんた」月影さんは訝しげな顔をする。「陽山みたいなこと言うわね?」
僕の頭に、さっきの嵐山さんの言葉が反響する。
こうして亀裂が入る。僕の瞳に映る世界の端に、小さな小さな傷痕。
それが広がるだけで、僕の世界は容易く反転してしまう。
「悪いけど、もう事情を話す以外他なくなったから」瑠璃は電話を終えたらしく僕らに歩み寄る。「月影さん、でしたっけ? 私は異能力特殊捜査官の葉月瑠璃です。あなたには、異能力者となった報告義務を怠った疑いがあるの、わかる? 任意で同行しないなら、強制に移るだけだから」
「え、報告しなきゃいけないの? 知らないわよそんなこと。言ってよ? 教えてくれなきゃわからないわよ、そんなローカルルール」
「知らないで済むなら犯罪者なんていないの、わかる? 別にあなたは報告しなかっただけだから、悪いようにはしない。異能力は使う気配はないし」
ーーいや? 先ほどからピカピカ光って喧しいのだが。やはり、何 美夜クラスでなければ見えないらしいな?ーー
え、なにをだれが使っているのさ?
「使ってるわよ? さっきから。え、ダメなの!?」
「そうだけど、知らなかった使ってたって……やたら素直に白状するのね……見た感じ異能力を使っているように見えないけど、どんな能力か聞いてもいい?」
「勇気の力、躊躇しない心、挫けぬ魂! になれるわ」
ーー精神干渉系の留光型だな。一度光るとしばらく留まるが目に煩いな。私たちの異能力の一つと同じとはいえ、こうもピカピカ光られると目に悪い。ーー
え、ひとつ?
ちょっと待って、そういえば、なにか思考、感情、感覚、直感がどうだか言っていた気がするけど、僕って、身体干渉の異能力者じゃなかった?
ーーバカ言うな。私をそこらの異能力霊体と同格に扱わないでもらいたい。私は非線形蛍光型身体干渉と非線形留光型精神干渉の二重に干渉する力を持つ。言わなければ通じないとは、どうやらきみは、最初に私が憑いたとき、正しく知識を認識せず状況のみで判断したところがあるようだ。君たちの言葉をあえて使うなら、私は特殊系統に類されるだろう。そのような呼び名、私たちにはないと注釈しておこう。ーー
……僕が、特殊干渉?
待ってくれ。たしか僕は身体干渉だとすぐ認識できたよ?
それなのに、今さら特殊干渉だったと言われても違和感しかない。
ーーそうか? なら、何 美夜に問うといい。彼女は理解しているはずだ。私の留光は身体干渉の放つ光の色調ではないのだから、身体干渉とするきみに違和が生じる。そして、きみの無意識に使っている態度。一級の名を甘く見てはならない。彼女らは見るだけですぐにわかる。異能力を放つ地点を蛍光でなければ察知できる。蛍光は認識するより早く発現するから、避けるには及ばない。ーー
じゃあ、なんで美夜さんは、僕を報告したのに異能力を使う犯罪者としなかったのさ?
ーー知れたことではないが、きみが異能力者保護団体に従事するとした時点で見逃すとしたのではないかな? そうでなければ、部下の友人特典だろうな。どちらにしても、きみはもう四級の異能力特殊捜査官、問題あるまい。ーー
……この世界の悪とは、善につく人間の知人がいないまま罪を犯すことを指すとでもいうのだろうか?
瑠璃の友達だから許されるなら、警察に知人がいるから安心して捕まえられたのか?
大輝さんはヤクザの赤羽さんと仲良くしていた。目の前の人間が、大悪だというのを知らないかのように懇意にしていた。
そもそも、国からしておかしい。
刀子さんやありすは元は殺し屋。
今まで殺人を多々繰り返す存在だった筈だ。
なのに、罪を償わないまま善を敷く組織に従事しても罰されていない。
わからないぐらい血を流しただろう人に殺人を依頼する国。その命令に従う、特別の機関とやらに属す、死刑の執行を代理する人たち。
国は裏で正式に雇い、相手が誰でも普通は罰される殺人を施行している。
それは一般市民は知り得ぬ事情。
悪が必ず滅ぶというなら、国はいつか必ず滅びると同じ。そんなの、いつ?
滅ぶときには、最初に是とした人は、とっくにあの世に旅立っているんじゃないのか?
僕のモヤモヤしたままの心は晴れないまま、月影さんを連れ一同異能力者保護団体に帰還したーー。




