Episode26/女になっているから……?(後)
(48.)
僕はお風呂に入ったあと、なぜかまだ下着姿のままの月影さんから、陽山という人物が何をしでかしたのか聞かされていた。
直接ではないにしろ、陽山の行いにより遠隔から操られるかのように両親は行動するようになり、最終的に父母共に自殺するまで追い込まれたらしい。
そして、自殺の直後に現場に辿り着いた月影さんは、たまたま居合わせた陽山から半笑いの表情で軽口を叩きーー話を聞いて、この陽山月光という男こそが両親の自殺の原因だと確信したのだと言う。
「たしかに、良い両親とは言えなかった。むしろ真逆の両親だったわ。母は家事を全て私に押し付けてホスト通いで生活費を圧迫。父は父で不倫してたし、時には酔って私や母に暴力を振るうときもあった。でもね……私にとっては、世界に二人しかいない血の繋がった両親なのよ?」月影さんは奥歯を噛み締め怒りを露にする。「それを奪った陽山を、私は許すわけにはいかないわ」
そこで、ふと疑問が降って湧いた。
「警察には頼らなかったんですか?」
「警察なんて頼りにならないわ。それに、最終的に自死を選んだのは母と父の意志だもの。結局は自殺で処理されただけだった。そして、あいつは気に入った他人や知人が自ら死を選ぶ瞬間を見るのが堪らなく好きな変態なのよ!」
「へ、変態?」
気に入ったひとが自殺を選ぶ瞬間、自害する瞬間を見るのに興奮や高揚を覚える変態ーーなんて趣味の悪い人間なんだ。
僕は話を聞く限り、かなり質の悪い人物だと素直に思えた。
「楽しいからとか、徳を積んでいるんだとか、本当の善悪とはいったい何なのかとか、そんな、そんなわけのわからない御託を並べながら、わけのわからない理由で私の両親はあいつに殺されたのよ。だから、だから! なおさら悔しいのよ……復讐を果たすまで諦めないわ」
自殺に追い込むのを楽しむ人間。
なんて邪悪な人物なんだろう。
あの紳士的な外見からじゃ想像すらできない悪人だ。
やっぱり、静夜のような殺し屋という人種は、知人までおかしいのかもしれない。
類は友を呼ぶーー同類相求って諺もあるし、人は見かけによらぬものーーという諺だってある。
だけど、陽山というひとは、いったい月影さんのなにが気に入ったのだろう?
月影さんが自ら自害する瞬間を見たい的な発言を陽山はしていた。死に顔を拝ませてくれーーみたいなことを言っていたけど、月影さんは風呂上がりでも容姿はパッとしないし、性格だって苛烈だ。
いや、あのぼろぼろの風呂にしばらく入っていなかった、髪もぼさぼさの姿よりは何倍もマシだし、化粧をしたり美容院で髪を整えたら綺麗にならないとは言い切れないけど。
でも、下着姿の身体を見ても特に色気もないし、顔立ちもスッキリしていない。
性格だってーー偏見だけどーー少し難がある月影さんを、陽山はなんで気に入ったのか?
それが今一、僕にはわからない。
いや、もしかしたら威勢が良くて勝ち気な性格の女性が陽山の好みな人なのかも……。
「ところで、月影さんの異能力ってなんなの? あの場で異能力を使えば、もしかしたら復讐は果たせたんじゃない?」
あのとき月影さんは、特別な力を使っている様子は、少なくとも僕の視点では見受けられなかった。
「あんた、エスパーかテレパシー? あっ、思考盗聴みたいな異能力者なの?」
いや、あのさ?
陽山から思い切り『いつ異能力者になったんだい?』と言われている場面に一緒に居たのに、まだ僕が思考を読んだからとでも思っているの?
だとしたら、こう言ってはなんだけど、少しバカなのかも……いやいや、失礼な思考はあまりしないようにしよう。
「違うよ。たしかに僕は異能力者だけど」
「やっぱり。読心術でしょ? または異能力者か見るだけで看破できる能力とか?」
読心術はありすから“嵐山沙鳥”という愛のある我が家のリーダーが扱う異能力だって以前聞いたことがあるけど、僕は全く違う。
異能力者か否か見るだけで看破するのは、どちらかといえば異能力者じゃなくて第2級以上の異能力特殊捜査官の専売特許だ。
せめて異能力の干渉系統まで看破できる異能力なら、そこそこ役に立つだろうけど。
「違うってば。実は僕、元は男なんだ」
「はあ? そんな可愛い格好して実は男とかふざけないで。僕って自称から察するに、ズバリ、性転換願望があるか僕っ娘を目指してるとみた。男になりたいとか?」
「いやいやいや。だから、自称が僕なのは僕っ娘を目指したり男になりたかったりするわけじゃなくて、単純に、僕の元の姿が男だからだよ」
ボクっ娘を目指しているのかはわからないけど、美夜さんもそういえば一人称は“ボク”だった。
でも、彼女は男になりたいとは微塵も思っていないだろ。
たしかに未だに男に戻りたい気持ちもあるにはあるし、性転換願望ーー男から女になりたいで真逆だけどーーがあったのも間違いじゃない。
でも、男になりたいというよりは、女と男、自由に入れ替え可能になりたい欲が一番強くて、男になりたい、というニュアンスとはちょっと違う。
……?
ふと、今さらながら、自身のとある変化を自覚する。
下着姿の月影さんを見ていても、恥ずかしくなくなっている?
おかしい。
瑠璃のバスタオル姿や、着替えを見ないよう後ろを見ていたときは、あんなにもどぎまぎしたのに。
まえは裕希姉の下着姿でさえ、見ていると気まずくなるくらいだったのに……なにかが変わった?
「え、つまりあんた男なの!? ちょっと股見せてみなさいよ!」
「いや、いやいやだから違うって! 今は息子不在中! 今の股には娘が滞在しているの! 僕の異能力は男から女体化して戻れないものなの!」
このひと、人の話をちゃんと聞いているのか怪しくなってくる。
というより、やっぱりこのひと、少しおかしい。
確認して、もしも息子が生えていて、ボロンと現れたらどう対処するつもりなんだ。
なんだか月影さん相手だと、ついついため口を聞いてしまう。
丁寧に話すのがバカらしくなってくる。
「ちょっとくらい確かめさせなさいよ? もしも息子がぶら下がっていたら、この部屋で寝るのが危険になるわ」
「は? この部屋で寝るつもりだったの!?」
衣服の上から力ずくで股を擦られそうになり、咄嗟に恥ずかしい悲鳴をあげてしまう。
な、なんか……自分で触ってみたときはまったく気持ち良く感じられなかったし、なんの感情も浮かばなかったのに、他人に触られそうになると、どこかゾクッとした感覚を抱いてしまう。
これは他人から触られたから?
それとも異能力霊体の侵食率が上がって、女体化の精度が上がっているからか?
「やっぱり女の子じゃない。息子がないわ。だいたい、そんなかわいい悲鳴上げて、男だったっていうほうが無理な話よ」
「いや、だからひとの話を少しは聞いてってば! 元は男だったけど、今は女になってるの!」
「性転換手術?」
「だから異能力!」
もうやだこのひと。
短期記憶ができていないんじゃないか?
「日氷子っち?」部屋の扉が開くと、パジャマ姿の裕希姉が、自分の寝間着を一着片手に持って部屋に入ってきた。「これ着ていいよん」
「本当!? 助かるわ、裕希っち」
え?
いつの間にこの二人、愛称で呼び合うくらい仲良しになったの?
当然、家族だから父も母も、僕も裕希姉も杉井だから、月影さんがファーストネームで呼ぶのはわかる。ややこしいし。
でも、裕希姉までファーストネームーーいやそれを飛び越えてニックネームをつけて呼ばなくてもいいんじゃない?
「そういや、あんたの名前は? 聞いてなかったわ」
「そういえば言ってなかったっけ? まあいいや。杉井豊花だよ。豊かに育つ花で、豊花」
「やっぱり変身能力って嘘でしょ? 元から花とかついているし、女の子っぽい名前に思えなくもないし」
そもそも豊花って、そんなに女の子だと想起できるような名前か?
宮下も言っていたけど、花がついているだけで、安直にそうからかわれているだけにしか思えない。
“豊花”じゃなくて“ゆたか”なら、間違いなく男の名前だろう。
そもそも花がついている男性名だって、たぶん、たくさんいるだろうし。
単純に、父親の名前ーー豊四季から豊を取り、母親の裕美花から花を取り、合わせて豊花になっただけだ。
母さんは『豊かに育つ花のように逞しく育つように』と言っていたけど、裕希姉も豊四季の季を希に変えて、裕美花の裕を使っただけの名前だと容易に推測できる。
……たしか裕希姉は、『裕福になり常に希望を持ちつづける女の子に育つように』とか母さんは由来を言っていた。
「いや、こいつ本当に弟だったんだよ。ここだけの話。突然、妹になってたまげた」
「え? 裕希っち、それ本当?」
「試しにベッドの下ら辺とか本棚の本幾つか出して奥を探してみ? 弟時代の遺品が残ってるから」
遺品って、別に死んどらんわ!
ーーって!
「ちょっ! やめてやめて見ないでよ! なんで姉さんまで知ってるの!?」
言われた瞬間、ベッドの下を漁り始めた月影さんを押し留めながら裕希姉に問い質す。
そこには、そこには、今まで集めてきたエロ漫画が隠されているんだ!
夢と希望のワンダーランドに勝手に踏み入らないでくれ!
まさか母さん以外にも、僕のエロ本が見つかっているだなんて思いもしなかった。
「うわっ! なにこの漫画! 幼い女の子が股開いてピースしてるわ!」
「ドン引きっしょ? 小さい女の子が好き過ぎて、ついには自分まで幼い女の子になったんよ、こやつは」
「裕希姉は変な嘘吹き込まないでよ! このひとガチで信じちゃうタイプの人だから!」
アブノーマルなエロ漫画を見られただけで恥ずかしいのに、異能力者になった原因を謎な理由にしないでほしい。
母親にも同じようなこと言われた記憶あるし。
「……いや、レズビアンの可能性もなきにしもあらず」
「そんなわけないっしょー? ゆったーは産まれながらのロリコンだから」
「産まれながらのロリコンってなに!? いいから! 裕希姉はいったい何の用なの? その服渡しに来たんじゃないの?」
「そんなん日氷子っちの服ヤバくなってるから変わりになるもの探して来たに決まってんじゃん」
なら無関係な問答を長々としないでほしい……。
あっ、そうだ。忘れていた。
「裕希姉の部屋に泊まらせてあげられないかな? さすがに男の部屋で寝るのは月影さんも嫌だろうし」
さすがに、自分の部屋に女性を泊めるのは気が引けてしまう。
秘蔵のエロ漫画以外にも、エロゲとかも隠してあるんだ。
さっきも、見つけた瞬間ドン引きした表情を浮かべていたのだ。
これ以上引かれたら堪らない。
「私はどっちでもいいわ」
ええ……ドン引きしながらも、月影さんはエロマンガの中身をパラパラ捲って中身を確かめている。
「うん? まあ、ゆったーが嫌なら私の部屋でもいいよん」
「頼むよ。着替えとかも女性同士でやったほうがいいと思うしさ」
「おいおーい、豊花は私の妹になったんだぞー? いい加減、弟属性かなぐり捨てて現実見ろ!」
裕希姉は手鏡をわざわざこちらに向けて宣う。
なんですぐに取り出せるんだよ。
そこにはまごうことなき僕の好みを再現したような美少女が映っていた。
認めたくない現実だった。
同時に、見ていたい現実でもあった。
むしろ見ていて癒されるくらいかわいいけど……自分で自分の容姿を讃えたら単なるナルシストだ。
「わかったわ。泊まらせてもらう立場だものね。言われたとおりにするわ」月影さんは裕希姉に顔を向ける。「いいの? 裕希っち」
「あったりまえじゃーん日氷子っち」
だから、いつ意気投合したんだこの二人。
「きょうはありがとう。助かったわ」
月影さんは僕に礼を述べながら立ち上がり、裕希姉の後について行き部屋から出ていった。
……。
……ようやく落ち着ける。
やっぱり本日初対面の相手と二人きりになるのは気を遣うし、居心地も悪い。それに、一人のほうホッと一息つける。
だいたい、異能力者保護団体で打たれたジアゼパム? とかいう薬のせいか、眠気だって意外に残っているんだ。
早く寝たい気分だ。
枕に頭を沈め、僕はそう思った。
ーーそうだな。だが、毎晩飲む用に渡された抗不安薬は飲むべきではーー『ないか?』
「!?」
ようやく一人になれたかと思うと、体から外へとユタカが飛び出してきて、添い寝のように隣に寝転ぶなりこちらに身体を向けてきた。
『どうした?』
「い、いや、まさかまた会うとは……」
『嬉しくないのか? なあ、豊花?』
いたずらっ子のような、小悪魔な笑みを浮かべながら、ユタカは僕のからだに手を伸ばしてきた。
「ゃぁッ!?」
触られる直前になんとか防いだ。
『安心したまえ、大丈夫だ」
「ちょっと、いやいや大丈夫じゃないから! ちょっ、待って!」
どうして、吐息が当たる感じや触られる触感、花の匂いの嗅覚まで、こうもリアルな幻覚……いや錯覚だったか。とにかくなんでなんだ?
普通の生身の人間と変わらないじゃないか。
本当に僕以外の一般人、例えば裕希姉や月影さんからは見えないのか気になってしまう。
さすがに心臓に悪い。
『どうした?』
愛らしい顔に反して、やっていることは過激だ。
いくら女になったからといって、心はまだ男のままのつもりだ。
『いや、いずれ僕は私になるんだ。油断していると心も体も私という女に近づくぞ?』
「ま、マジで?」
『それが嫌なら、貰った薬を飲めばいい』
さっきも薬を勧めていたけど、どういう心変わりなんだろう?
あれだけ薬を嫌っていたのに……いっ!
「だから触ろうとしないで!」
服の上からからだを弄られそうになる。
いや、少し弄られた。
『なに、もう少しきみとのやり取りを楽しみたくなっただけだ。それを飲んでいるあいだは侵食が遅くなる。際限を越えた怒りや不安に支配されない限りはな。つまり、私と僕が別々にいられる時間が長くなるということだ』
「ちょっ!」
僕はユタカの腕を掴み、からだから手を遠ざけた。
そもそも、こっちからも触れられるのか……本当にリアルな錯覚だな……。
『ポイントは、やさしく触ることだ』
「な、なるほど……?」
なんだか怖くなってきてしまった。
味わったことのない異質な快楽に蝕まれていくのが、何故か少しだけ怖かった。
ーーガチャ。
がちゃ?
「ゆったー何してるん? なんか喘ぎ声みたいなのが聞こえてきたんだけど? まさかオナッてんの? ロリ漫画で」
隣室まで聞こえていたーっ!
『声を圧し殺すことも覚えなければならないな。まあ、今の感じのままではとうぶん無理だろう』
ううっ、恥ずかしくてしょうがない。
「え、演技の練習を」ユタカが背中を押してきた。「おッ! していたんだ……」
「……」
「……」
「……」
「……ね?」
「……マジか」
ガチャと部屋の扉が閉まる。
あ、あああ。
あぁぁあぁえぁえぁぁぁ……。
『おいおい、羞恥のあまりに壊れたか? ヤらないなら私は寝かせてもらうぞ?』
「やらないよ! うわぁぁ……明日から、どんな顔して裕希姉と会話すればいいんだ」
『笑えばいいと思うよ。ねっ、お姉ちゃん!』
どこぞのアニメのキャラみたいなセリフを口にすると、ユタカは『薬を飲んでも私が消えるわけじゃない。安心して飲みたまえ』と言い、私と重なり姿を消した。
おーい、ユタカ~?
……。
…………。
………………。
本当に寝てしまったみたいだ。
僕はベッドから這い出し、毎晚飲む用として、常用として異能力者保護団体から処方されたーーロフラゼプ酸エチル1mgと書かれた抗不安薬が入っているほうの袋を手に持ち、水で飲むためにキッチンへと向かった。
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